第百六十六話【幕間】「江戸城編―毒をもって毒を制す(後編)」
一
皐月十三日の朝、江戸城の空はまだ低く垂れこめていて、前夜から続いた雨の名残が、瓦の継ぎ目から途切れ途切れに滴り落ちていた。
濠の水は雨で嵩を増し、いつもよりわずかに濁って重たげに揺れており、岸辺の菖蒲はもう花の盛りを過ぎて、崩れかけた紫の色を水の面へ落としている。梅雨の走りに入ったこの時節、城内の空気は昼を過ぎても乾くということがなく、廊下の板も畳の目も、触れればどこかしっとりとした重さを返してきた。
評定の間に四人が集まったのは、いつもと同じ刻限であった。
定位置に座り、前日と同じ問いの前で思考が止まる――そういう朝が、もう幾日か続いている。
勅使東下の報が届いてから、この日で四日目であった。
四日のあいだに評定は三度ひらかれ、そのいずれにおいても結論というものが出ていない。出ないまま日だけが過ぎ、京を発ったという続報がいつ入ってきてもおかしくない頃合いに差しかかっている。
堀田正睦の右隣は、この朝も空いていた。
安藤対馬守の座である。梅雨の湿気を吸ったせいか、主を失ったその一角だけが周囲より色濃く沈んで見え、板倉勝静は座に着くたび、つい其処へ目をやってしまう。
「――まずは、道中にて食い止めるべきにござる」
最初に案を出したのは、末席の酒井雅楽頭忠績であった。
酒井は、この四日で明らかに面差しが引き締まっていた。あの朝、後見職という言葉に激発して何一つ動かせなかった苦さを、自分なりに噛み下している。そうした上で、己の依って立つ場所へ戻ってきたのである。
「武家諸法度に、はっきりと定めがござる。大名が御公儀の許しなく兵を率いて江戸へ入ることは、断じて許されぬ。……これは我らの都合ではござらぬぞ。二百六十年、天下の諸大名がひとしく守ってまいった、動かぬ決まりにござる」
「なれど、勅使が――」
「勅使は勅使、島津は島津にござろう」
酒井の声には、この数日で初めてといってよい張りがあった。
「大原殿は、御所からの使者にござる。丁重にお迎えするに何の異存もない。なれど島津三郎は、無位無官の一大名の父であって、勅使ではござらぬ。その者が兵を率いて江戸へ入ろうというのであれば、これを咎めるのは御公儀の当然の職分にござる」
この男の頭のなかで、それは決して強弁ではなかった。
法度というものは、書かれてある以上、守られるものである。だからこそ二百六十年の泰平があり、そのうえに徳川の世は成り立っている。書かれてあるものを持ち出して、それが通らぬなどということは、酒井忠績の生きてきた世界の理屈に存在しなかった。
だから、この男は本気であった。
街道の途中で使者を立て、法度を示し、供を辞して京へ帰るよう申し入れる。それで済む話である――そう信じることのできる者が、この座にはまだ一人残っていた。
「……相分かった。使者は、こちらで立てよう」
堀田がそう言って引き取ったので、酒井は満足げに頭を下げた。
次に口をひらいたのは、堀田自身であった。
「もう一つ、手を打っておきたい」
「何でござる」
「越前殿を、召し出す」
座がわずかに動いた。
「越前……松平春嶽殿を…にござるか」
「うむ。卯月の末に、召し出しの沙汰は出してある。あとは登城を許し、御政務に加わっていただくばかりにござる」
堀田は手元の扇子の骨を指の腹でひとなでしながら、その先の理屈を並べていった。有為の人材を幕政に加えることは、朝廷に対しても示しがつく。薩摩の建白の第一条が、安政の一件で牢にある者どもの赦免であってみれば、こちらから先に済ませておくことで、向こうの言い分を一つ削ることができる。
並べながら、堀田は己の腹の底にあるものを自覚していた。
――盾が要るのだ。
薩摩の言い分を正面から受け止め、外様の口から出た言葉を、家門の口を通して幕府の耳へ運び直してくれる者が要る。そういう者がいなければ、この城は勅使と面と向かって座ることさえできない。
だが、その役を担わせようとしている相手が誰であるかを、堀田はよく承知していた。
開明派の松平春嶽は、大老・井伊直弼の幕政に真っ向から逆らいながらも処罰を免れた男だ。庇護者がいたわけではなく、捕縛されるより先に井伊が誅されたためである。その後も幕府は彼を蚊帳の外に置き続けたが、その幕閣には堀田正睦も名を連ねていた。
その男を、いま呼び戻す。
火を消すために油を持ってくるようなものだと、堀田は自分でも分かっていた。しかし、他に手立てが思いつかなかった。
「……毒をもって、毒を制するほかござりますまい」
堀田はそう言って、乾いた咳を一つ落とした。
座の者たちは、その言い回しを首座らしい皮肉として受け取り、それぞれに頷いた。誰も、どちらが毒でどちらが薬なのかを、そのとき正確に測ってはいなかった。
三つ目を出したのは、松平和泉守乗全である。
「城門の警備を、固めます」
「万一に備えて、か」
「左様。……備えておかねば、城内が保ちませぬ」
この男が「城が保たぬ」ではなく「城内が保たぬ」と言ったことに、板倉勝静だけが気づいた。
和泉守が案じているのは、薩摩の兵が押し寄せてくることではない。そうなるかもしれぬという噂が城内を回ったとき、この城に詰めている数千の役人と奥向きの者たちが、それに耐えられるかどうかであった。
三つの策が決まって、座は散じた。
廊下へ出ながら、板倉は先ほどの三つを頭のなかで並べ直していた。
道中で引き返しを求める。越前殿を召し出す。城門を固める。
――どれも、勝つための手ではない。
そのことに、この男は気づいていた。三つとも、勅使が江戸へ着くまでの日数を一日でも延ばすか、あるいは着いたときに座を保たせるための手である。誰一人として、呑まずに済ませる方法を口にしていない。
この座はもう、勝ち方ではなく、負け方を相談しはじめていた。
言えば場が沈む。ゆえに板倉は、重い沈黙を守った。
二
松平乗全が自ら城門の検分に出たのは、それから二日後のことであった。
梅雨の晴れ間で、朝から日が差している。濠端の柳は雨を吸って葉が重く垂れ、その下の水面には日の光が細かく散って、見ているだけで目の奥が疲れるほどに揺れていた。石垣の隙間からは名も知らぬ草が伸び、そこへ蜻蛉が一匹止まっては、また離れていく。
乗全はまず大手門に立ち、次に和田倉門へ回り、それから坂下門へ足を向けた。
坂下門の前で、この男は一度、足を止めた。
あの如月の朝、老中の行列がここで襲われ、刺客がその場で斬り伏せられ、二人が雪の上で腹を切った。安藤対馬守は背を裂かれながら、供に抱えられることを拒んで、自分の足でこの門をくぐったのだという。
石畳は幾度も洗われたはずであった。それでも、目地のあたりにわずかな染みが残っていて、乗全にはそれが何であるか分かってしまう。
――あれから、幾日。
乗全は目を上げ、門の脇に並んでいる者たちのほうへ歩いていった。
人数は、揃っていた。
帳面の上では、まったく足りている。旗本と御家人からの動員数、詰所ごとの割り振り、交代の刻限まで、書き付けには一分の不備もない。
問題は、帳面の外にあった。
最初に乗全の目についたのは、具足であった。代々の家に伝わる物を出してきたのであろうが、胴の合わせが背の中央でわずかに開いている者が幾人もいる。紐を伸ばしきってなお届かず、そのぶん腋の下が浮いて、腕を上げるたびに肩当てが妙な角度へ跳ね上がった。
「……これは、いつの物か」
「は。曾祖父の代の物にござりまする」
曾祖父の具足に収まらぬ若い御家人や、ゲベール銃への火薬の詰め方を知らぬ者たちがいる。
だが、最も乗全の胸を重くしたのは、そういう細かい不備ではなかった。
この門に並ぶ者の中に、人を斬った経験のある者が、ただの一人もいないという事実である。
斬られたことのある者など、なおのこと一人もいない。
検分に立ち会っていた古参の与力が、乗全の視線を追って、悪気のかけらもない調子で言った。
「なにぶん、二百年、使うておりませぬゆえ」
乗全は、その一言に何も返せなかった。
錆びていたのは、具足でも鉄砲でもなかったのである。使わずに済んできた二百年という歳月そのものが、この城の骨の内側で、静かに、そして均等に錆びていた。それは誰の怠慢でもなく、むしろ泰平が続いたという、本来ならば誇るべき事実の裏側にすぎない。
誇るべきものが、そのまま弱みになっている。
乗全は門の内へ入り、詰所の縁に腰を下ろして、しばらく空を見上げていた。
この男は、海軍創設派の旗頭と呼ばれてきた。異国の艦が浦賀へ現れて以来、この国を守るのは海であると言い続け、そのために勘定方と幾度も揉め、板倉に頭を下げて予算をひねり出してきた。海を守れと、幾度となく言い続けてきたのである。
その自分が、いま、城の門を守れるかどうかを数えている。
しかも答えが出ない。
乗全は懐から矢立を出し、詰所の板の上へ数を並べていった。
薩摩の兵は千である。うち江戸城下まで実際に入ってくるのは、供の作法から考えて、せいぜいその半分であろう。半分ならば四百から五百、こちらは動員の頭数だけならその倍を並べられる。
数の上では、勝てる。
だが、乗全の筆はそこで止まった。
あちらの兵は、この二月、鹿児島から関門を渡り、瀬戸内を東し、大坂から伏見へ入り、そして今また東海道を歩いている。歩き通してきた兵である。飯の炊き方も、雨の日の荷の担ぎ方も、足が痛んだときの替え草鞋の出し方も、全部が体に入っている。
こちらの兵は、歩いたことがない。
この一事を、数字にする方法を乗全は知らなかった。知らないまま、その差だけが、腹の底に重く沈んでいく。
やがてこの男は矢立を仕舞い、詰所の若い者に硯を持ってこさせて、報告の下書きを書きはじめた。
書いた文言は、短かった。
『諸門の警固、人数相揃い、武具も相改め候につき、万全に候』
書きながら、乗全は自分が何を書いているか、冷徹なほど自覚していた。
書かねば、城内が保たぬのである。この言葉が城中に回れば、詰めている者たちはひとまず安堵し、奥向きも落ち着き、明日も昨日と同じように役所が回る。そうすれば、そのあいだに次の手を考えることができる。
保たぬものを保たせるために、乗全はその言葉を書いた。
筆を置いてから、この男は誰にともなく呟いた。
「……勅使を、もし本気で止めよと申されたら。我らは、止められるのか?」
濠端の柳が、風に押されて一度だけ大きくたわみ、水面の光が乱れて、それからまた元の細かい揺らぎへ戻っていった。
三
松平春嶽が江戸城へ上がったのは、皐月も下旬に入ってからのことである。
召し出しの沙汰そのものは、卯月の末に出ていた。所司代への褒詞を受けた返礼という体裁を整えるため、安政の一件で牢に繋がれ、あるいは役を解かれたまま四年を過ごした者どもの赦免を、幕府はその折に併せて済ませている。堀田がそこまで見越して手を打っていた事実を、この城で理解している者は数人しかいなかった。
だが、召し出すことと、御政務に加わっていただくこととのあいだには、深い溝がある。その溝を渡らせるために堀田が使者を出したのは、勅使東下の報が届いた翌々日であった。
その日、江戸は朝から雨で、大手門を入ってくる乗物の垂れには水がしたたっていた。
通された御用部屋の一室では、堀田正睦が先に座って待っていた。
春嶽が敷居際で膝をつき、頭を下げる。堀田も同じだけ深く頭を下げ、二人はしばらく、そのままの姿勢でいた。
安政のあの数年、春嶽は幕府の方針に真っ向から逆らった。それでいて、この男は罰せられていない。井伊直弼が処断の網を絞りはじめたその冬に、あの大老が屋敷ごと討たれてしまったからである。
罰せられなかった代わりに、春嶽は呼ばれなかった。
井伊が死に、その名を掲げてきた者たちが総崩れになってからも、幕閣は越前へ使いを出さずに済ませてきた。出せば、あの男の言うことを聞かねばならなくなるからである。四年のあいだ、この男は己の城に座ったまま、江戸からの音沙汰を待っていた。
その四年、堀田正睦はずっと閣内にいた。
処分した側に立っていたのならば、まだ詫びる言葉もあったであろう。呼ばなかったというだけの罪には、詫びる言葉というものがなかった。
「……久しゅうござる」
「まことに」
春嶽はまだ三十半ばの男である。目元の涼しさと、口を結んだときの一分の隙もなさが、この人物の性格をそのまま表していた。
堀田は、遠回りをしなかった。それだけの体力が、いまのこの体には残っていない。
「越前殿に、御政務へお加わりいただきたい」
「……この時期に、にござるか?」
「左様」
春嶽の目が、わずかに細くなった。
「勅使が下ってまいるがゆえ…と申されるか」
「隠しても仕方ござらぬ。左様にござる」
堀田は正直に言い、そのうえで頭を下げた。
「薩摩の申すところを、御公儀の者だけで受けるのは無理にござる。外様の口から出た言葉を、そのまま我らが聞けば、必ずどこかで意地が立ちましょう。……越前殿に、あいだへ入っていただきたいのでござる」
しばらく、雨の音だけが部屋を満たしていた。
やがて春嶽が顔を上げ、まっすぐに堀田を見た。
「堀田殿」
「はっ」
「某を、薩摩を止める盾とお思いか」
堀田は、答えるまでにわずかな間を要した。
「……左様に、願いたく」
「相すまぬが、それはできませぬ」
その返答があまりに静かであったので、堀田は一瞬、聞き違えたのかと思った。
「……なにゆえ」
「薩摩の申しておることが、正しいからでござる」
部屋の空気が、そこで止まった。
春嶽は、責める調子をまるで使わなかった。この男は淡々と、まるで自分の書棚から古い書き付けを取り出してくるように、己の来し方を並べていったのである。
「一つ。国の大事は、御公儀の内輪だけでは決められぬ。諸国の力ある者を政の座へ加えねばならぬ」
「……」
「一つ。朝廷とのあいだを、真に結び直さねばならぬ。形ばかりの伺いではなく、まことの融和にござる」
「……」
「一つ。異国に当たるには、日ノ本が一つにならねばならぬ。……堀田殿。某は、この三つを、十年前から同じ言葉で申しております」
堀田は、返す言葉を持たなかった。
持たない理由が、この男には痛いほど分かっていた。
「某は、罰せられてはおりませぬ。……ただ、四年、お呼びがなかっただけにござる」
堀田は、目を伏せた。
「堀田殿。某を呼ばずに済ませてこられたのは、呼ばずとも城が回ると思うておられたからでござろう。……そして、いま呼ばれたということは、回らなくなったということにござる」
春嶽の声には、恨みの色がなかった。
その色があれば、まだ扱いようがあったのである。この男はただ、事実を並べただけであった。変わったのは春嶽ではない。変わったのは幕府のほうで、十年かかって、ようやくこの男の立っている場所まで追い詰められてきたのだ。
「――しかし、堀田殿」
「はっ」
「某は、御公儀を離れるとは申しておりませぬ。登城の儀、謹んでお受けいたす」
「……かたじけない」
「ただし」
春嶽は、そこで初めて声にわずかな強さを込めた。
「薩摩の言い分を退けるための座ならば、某は要りませぬ。……薩摩の言い分を、御公儀のものとして呑み直すための座であるならば、いくらでも働きましょう」
堀田は深く頭を下げた。
下げた顔の下で、この男は自分の負けを正確に数えていた。
盾を求めて呼んだ相手は、そうではなかったのである。同じ方角を向いた、一本の矛であった。
*
春嶽が退がったあと、堀田は一人で書き付けを前に座り込んでいた。
薩摩の建白の第二条は、春嶽を大老に据えよ、という。
だが、大老は置けない。井伊直弼が屋敷ごと討たれて以来、あの座は誰が着いても翌日から的になる場所であり、しかも越前は御家門であって譜代ではない。家格の話をせずとも、この一条は呑めないのである。
かといって、無位のまま座らせれば、薩摩は納得しない。
結局、この日決まったのは「参与」という、どこにも収まりのよくない扱いであった。御政務に参与し、折々に登城して意見を述べる――言葉としては通るが、権限がどこまであるのかを誰も定義していない。
足りぬと分かっているものを出す。
それが、いまの御公儀にできる精一杯であった。
堀田はそこまで考えて、ふと、あの雨上がりの朝に評定の間で漏れた一行を思い出した。
『ならば、別の名で拵えるほかありませぬな』
板倉周防守が、誰に向けるでもなく呟いた言葉である。
堀田は、それをしばらく口のなかで転がした。そして今日はそこまでにした。新たな職を拵えるということは、二百六十年、誰も手をつけてこなかった御公儀の骨組みへ、自分の手で鑿を入れるということである。
その鑿を握る覚悟は、まだこの男のなかで固まっていなかった。
四
安西平助が使番格を仰せ付けられたのは、皐月の末である。
辞令は驚くほど淡白なものであった。使番の人数が足りず、道中の遣り取りに人を割かねばならぬゆえ、当分のあいだ徒目付の職を兼ねたまま、使者の役を務めよ――ただそれだけの紙である。
平助はそれを押し戴きながら、妙な心持ちになっていた。
十数年、市中の風説を拾っては書き、書いては差し出してきた。近ごろは全く読まれず、詰所の隅の束に積み上がるばかりであったから、自分という人間はもう、この城で数に入っていないのだと思っていたのである。
その自分に、役が付いた。
自分に与えられた役目が、実は相手に断られるためのものだったと気づいたのは、もう少し後のことである。
最初の使いは、一橋の上屋敷であった。
*
その日は珍しく朝から晴れていて、屋敷の総門をくぐると、手入れの行き届いた庭木の葉先で、昨夜の雨がまだ細かく光っていた。
池の面には青楓の若葉が幾枚か落ちて、風の来るたびに岸のほうへ寄せられては、また中央へ戻っていく。廊下の杉板は黒光りするほどに磨き込まれ、平助のような下級の者が足を乗せるのが憚られるほどであった。
通された座敷で、平助は口上を述べた。
『薩摩の建白の中身を内々にお伝えし、御腹のうちを承ってまいれ――』そういう命である。
一橋前参議慶喜は、脇息にもたれたまま、その口上を最後まで聞いた。
聞き終えてから、この人物は妙なことを言った。
「その話ならば、知っておる」
平助が顔を上げると、慶喜はそれ以上を説明しなかった。誰から聞いたとも、いつ知ったとも言わない。ただ、知っているという事実だけを置いて、あとは黙っている。
「……して、御所存のほどを」
「受けぬ」
平助は、二の句が継げなかった。
あまりに早かったのである。迷う素振りも、考える間もなかった。
「……恐れながら、御理由を承ってもよろしゅうござりまするか」
「理由か」
慶喜は、そこで初めて脇息から身を起こした。
この人物の顔立ちは、平助がこれまで拝したどの貴人とも違っていた。整いすぎているというのではなく、目の奥の温度が読めないのである。怒っているのか、面白がっているのか、退屈しているのか、どれとも取れて、どれとも決めきれない。
「外様が兵を率いて参り、その口から名を挙げられて、座に就く」
「……」
「そのような受け方をした者に、誰が従う?」
平助は畳に手をついたまま、その言葉を書き留めるべく頭のなかで繰り返した。
繰り返しながら、この男は、自分の役目が済んだと思った。ご辞退である。そのように持ち帰ればよい。
「そなた」
「はっ」
「東海道を歩いたことはあるか?」
問いが、まるで別の方角から飛んできた。
「は。役目にて、幾度か」
「一千の兵が、二月かけて薩摩から京へ上った」
慶喜は庭のほうへ視線を移し、池の水面に落ちた青楓の葉を目で追っていた。
「その米は、誰がどこで買うたと思う」
平助は、答えられなかった。
考えたこともない問いであった。行列というものは通り過ぎてゆくのをただ眺めるものであり、その背後でいかに兵糧が動き、銭が使われているかを、この男は一度も数えたことがなかった。
「……恐れ入りまする。存じませぬ」
「であろうな」
慶喜はそう言って、それきりその話をしなかった。
平助は、この人物が何を確かめようとしたのか、まるで分からぬまま座敷を退がった。
*
帰りしな、案内の者について長い廊下を戻っているとき、平助は、奥へ折れていく廊下の先に灯を見た。
まだ日のあるうちである。それでも奥まった一角には障子越しの薄明かりだけが届いていて、その奥に、行灯とおぼしき小さな灯が一つ、静かに点っていた。
案内の者が、聞かれもしないのに言った。
「朝廷よりお下りの御使者が、ご逗留にござります」
平助は、『ああ…』とだけ思った。
公家の御方が徳川の御屋敷におられる――それは、平助にとって、公武の間が繕われている何よりの証しであった。むしろ結構なことである。近ごろは京の風向きが悪いという話ばかり聞こえてくるが、こうして御所の方が江戸へ下って、御三卿の屋敷に落ち着いておられるのならば、世間で言われるほど公と武とは離れていないのであろう。
平助は、そう解釈した。
彼の持つ材料のなかでは、それはまったく妥当な解釈であった。
その灯の下で、いま江戸へ向かっている紙の一字一句が書かれたことなど、知る由もない。
知る者は、この城には一人もいなかった。
*
総門を出ようとしたところで、平助は一人の男とすれ違った。
着流しに羽織を引っかけただけの、およそ御三卿の屋敷へ上がる格好ではない男である。歳のころは四十前後、歩き方に妙な軽さがあって、門番に何か言って笑わせながら、そのまま奥へ入っていった。
軍艦方の、あの変わり者であろうと平助は思った。
名までは思い出さなかったし、思い出す必要も感じなかった。
平助は一礼して門を出、雨上がりの道を城へ向かって歩き出した。
五
行列が京を発ったのは、皐月二十二日であった。
その報せは三日後に江戸へ届き、江戸城はそこからようやく、逆算という作業を始めた。日に六里から七里で下るとして、東海道の宿場をどう繋いでいくか。箱根の関にいつかかり、小田原にいつ入り、神奈川へいつ達するか。
安西平助が江戸を発ったのは、水無月の朔日である。
梅雨のさなかであった。
東海道は、どの宿場を抜けても土が黒く湿っていて、荷駄の轍がそのまま水を溜めている。菅笠の縁からは絶えず雫が落ち、脚絆は膝から下が泥で色を変えていた。それでも道端の紫陽花だけは雨を喜んでいるようで、青とも紫ともつかぬ色の毬を、宿場のはずれごとに幾つも並べていた。
平助が小田原に入ったのは、水無月三日の夕刻である。
行列は、その前日から小田原に泊まっていた。
*
薩摩の陣屋というのは、宿場の本陣とその周りの旅籠をまとめて借り上げたものであったが、平助が驚いたのはその広さではなく、静けさのほうであった。
千の人間が泊まっているとは思えぬほど、物音がしないのである。
通りに人を出しておらず、荷は一箇所へまとめて積み上げられ、その脇に見張りが二人ずつ立っている。厠へ行く者も、水を汲みに出る者も、決められた道筋だけを黙って歩いていた。
平助は、市中の風説を拾って歩いた十数年の目で、それを見た。
――これは、慣れておる。
昨日今日で身についた統制ではない。二月のあいだ、毎晩これを繰り返してきた者たちの動き方であった。
通された座敷に出てきたのは、まだ若い男であった。
まだ三十にも届かぬ若さであろう。顔色があまりよくなく、座るときにわずかに腹のあたりを庇う仕草をしたが、応対そのものには一分の隙もなかった。
「薩摩藩家老、小松帯刀と申しあげもす」
平助は口上を述べた。
武家諸法度に照らし、御公儀の許しなく兵を率いて江戸へ入ることは許されぬ。勅使さまのみお下りいただくのは歓迎するが、島津三郎さまには供を辞し、京へお戻りいただきたい――酒井雅楽頭が組み立て、そのまま持たされてきた論である。
小松は、最後まで黙って聞いた。
聞き終えてから、深く頭を下げた。
「わざわざ、こん雨のなかを御足労いただきもした」
「は」
「じゃっどん、国父様は、勅使様の御護衛の任にございもす」
小松の声は静かで、丁重で、そして少しも動かなかった。
「任を解くも解かぬも、朝廷の御沙汰次第にございもす。御公儀より仰せられましても、某どもには、お答え申し上げようがございはん」
平助は、返す言葉を探した。
探したが、見つからなかった。
筋が通りすぎていて、崩しようがないのだ。
「……国父様に、直に申し上げたく存じまする」
「国父様は、本日はお疲れにございもす」
小松はもう一度頭を下げ、それきり動かなかった。
平助が退がるまで、この若い家老は終始丁重であった。だが、どれほど丁寧に応じても、何一つ動かなかった。
*
二度目は、神奈川宿であった。
水無月五日、雨が上がって、久しぶりに空の高いところが見えた日である。
海が近いせいか、宿場には潮の匂いが混じっていて、遠くの浜のほうから漁師の声が切れ切れに届いてきた。街道の両側には、行列の通過を見物しようという土地の者が朝から出ていて、その頭越しに、丸に十の字の幟が幾旒も並んでいるのが見えた。
今度は、久光本人が会うという。
通された座敷の上座に、その男はいた。
烏帽子も直衣もない。無位無官の身であるから、着られるものは決まっているのだが、仕立てには一分の隙もなく、袴の襞は朝の光のなかで刃のようにまっすぐ立っていた。太い眉の下の目は細く、そこに浮かんでいるものを読み取ることは、平助のような男にはとうてい叶わなかった。
平助は、江戸で持たされてきた口上を、一言一句たがえずに述べた。
久光は、腕を組んだまま聞いていた。
聞き終えて、ゆっくりと口をひらいた。
「一つ、違うちょる」
「は」
「儂は、兵を率いて江戸へ参るのではなか!」
久光の声は、決して大きくなかった。それでも、座敷の隅まで届いた。
「勅使様を御護りして参るのじゃ。護衛を解けと申さるるなら、それは幕府じゃなく、朝廷へ申されよ。朝廷が解けと仰せられたなら、儂は今日にでも国へ帰っ」
平助は、頭を下げたまま動けなかった。
その通りである。護衛を命じたのは朝廷であり、幕府ではない。
「二つ」
久光は、指を一本立てた。
「参勤の途にある大名が供を連れっとは、法度の内じゃ。……して、幾人までが供で、幾人からが軍勢か」
「……」
「御公儀の書き付けに、その数が記してあっとなら、見せてもらおう」
平助は、そこで初めて顔を上げた。
上げて、すぐに下げた。
書き付けは…ない。武家諸法度は率兵入府を禁じてはいるが、供の人数の上限を数として定めた条文は存在しないのである。運用のうえで、家格に応じたおおよその慣例があるだけで、その慣例は書かれていない。
書かれていないものを、書かれてあると言うことはできなかった。
「……三つ目じゃ」
久光は、そこで初めて腕を解いた。
「もし、そいでも通さぬと申さるるなら……」
「……は」
「止めてみやんせ」
座敷が、静まった。
その一言に、久光は力みというものを一分も込めていなかった。脅しではなく、挑発でもなく、この男はただ、事実の一つを机の上へ置いたのである。
平助は、答えられなかった。
その理由を、平助は身をもって知っている。
江戸を発つ前、使者の役を仰せ付けられた際に、平助は城門警固の書き付けを見せられている。使者として街道へ出る以上、万一の折の江戸の備えを承知しておけと言われて、目を通したのである。
あの書き付けの末尾にあった言葉を、平助は覚えていた。
『――万全に候』
あの言葉を書いた御方が、それを書きながらどういう顔をしていたのかを、平助は知らない。しかし、いま、この座敷でその言葉を思い出したとき、この男の背筋を這っていったものの正体だけは、はっきりしていた。
止められないのである。
そうだと分かっている相手に、『止める』と言って脅しても、脅しにはならない。
「……ご無礼、つかまつりました」
平助は畳に額をつけ、そのまま退がった。
久光は、去っていく背中に一度だけ声をかけた。
「使いの衆」
「はっ」
「儂は、幕府を潰しに行くのではなか。……幕府に、正しく政を執らせに行くのじゃ。そげん言うちょったと、江戸で伝えてくいやい」
平助は深く頭を下げて、座敷を出た。
出てから、宿場のはずれまで一気に歩いた。
悔しさというものは、不思議と湧いてこなかった。自分が負けたのではないということが、この男には分かっていたからである。持たされてきた論が、はじめから空だっただけであった。
空の袋を担いで、雨のなかを三日歩いてきたのだ。
*
江戸へ戻った平助が復命したのは、水無月五日の夜であった。
報告を受けた評定の間で、酒井雅楽頭忠績は激昂した。
「幾人からが軍勢かとは、何たる申しようか! 供と軍勢の別も分からぬのか。法度を何と心得ておる」
誰も、その怒りを止めなかった。
止めなかったのは、酒井が間違っているからではない。この男の言うことは、この座にいる誰もが正しいと思っていた。
ただ、その法度を執行する手立てが、誰の手にもなかったのである。
法度は、守らせる力があってこそ法度である。
そして、その力がどれほどのものかを、この城の内で身をもって知っている者が、この座には二人いた。
松平和泉守乗全は、膝の上で手を組んだまま、一度も顔を上げなかった。
そして下座に控えていた安西平助もまた、額に汗を浮かべたまま、畳の目だけを見ていた。
六
水無月六日、行列は川崎に入った。
安西平助は三度目の使者として、その宿場へ向かった。
もはや形式であることは承知している。それでも口上を述べるのが役目だ。意味があるから務めるのではない。務めること自体が役目なのだと、平助はようやく悟っていた。
久光は、今度は会わなかった。
取次の者が出てきて、丁重に、しかし一分の余地もなく、『承った』とだけ告げて奥へ戻っていった。平助は雨のなかで頭を下げ、その場を離れた。
*
水無月七日の朝、江戸は霧のような細かい雨に包まれていた。
平助が品川の坂の上に立ったとき、街道は、すでに埋まっていた。
丸に十の字の幟が、雨に濡れて色を濃くしながら、坂の下から先の見えないところまで、途切れることなく続いている。具足櫃を担ぐ者、鉄砲を負う者、荷駄の馬を引く者。槍の穂先が、灰色の空の下で細かく揺れながら、ゆっくりと東へ流れていった。
行列の先頭が品川の宿場を過ぎても、最後尾はまだ坂の下に見えていなかった。
平助はその場に立って、しばらく動けなかった。
この十数年、この男は江戸の町を歩き回って風説を拾ってきた。拾ってきた話のなかには、薩摩の兵が京の辻に立っているという話も、幕府の役人は何もしていないという話もあった。書いて差し出し、束に積まれた。
いま、その話が坂の下を歩いている。
*
その日の午後から、江戸の町が動きはじめた。
最初に走ったのは、噂であった。
『薩摩が兵を率いて城へ乗り込むらしい』
『城下で戦になるらしい』
誰がどこで聞いてきたのか分からぬ話が、両国から神田へ、神田から下谷へと、雨に濡れた町を伝って走っていく。
夕刻には、米屋の前に列ができていた。
平助が拾ってきたときには動いていなかった相場が、この日の午後だけで跳ねた。両替商の店先には人が詰めかけ、番頭が奥へ引っ込んだきり出てこない店もあった。
夜になると、荷を積んだ大八車が、いくつも郊外へ向かって出ていくのが見られた。所帯道具を積み、子供を乗せ、傘もささずに雨のなかを歩いていく者たちが、板橋のほうへ、あるいは千住のほうへ、細く長く続いていく。
城が、それを把握したのは翌日のことである。
板倉勝静のもとへ米相場と両替の数字が上がってきたとき、この男はしばらくその紙を睨んで、それから詰所の隅に積まれていた徒目付の覚書の束を持ってこさせた。
束の下のほうから、二月ばかり前の一枚が出てきた。
『――西からの為替の立て方、わずかに変わり候由。米相場は動かず候』
書いた者の名は、束の隅に小さく記されていた。
板倉は、その一行をしばらく見つめていた。
*
同じ日の夕刻、堀田正睦は一人で奥へ上がった。
長廊下の突き当たりを、この日はじめて左へ折れた。
薬の匂いが、進むにつれて濃くなっていく。煎じ薬の甘苦い匂いのなかに、床を拭いた水の匂いと、香の匂いとが薄く混じっていた。廊下の奥では、御小姓が二人、こちらに気づいて音もなく脇へ寄った。
通されたのは、帳台の手前の間である。
几帳の向こうに、上様がおられた。
顔は見えない。ただ、寝具のふくらみと、そこからごくわずかに聞こえてくる呼吸の気配だけが、そこに人がいるということを伝えている。目が開いているのか閉じているのかも、堀田の位置からは分からなかった。
奥医師が控えの間から出てきて、御脈はいつも通りであると小さく告げ、また退がっていった。
堀田は畳に手をつき、深く頭を下げた。
それから、いつもと同じ姿勢、同じ手順で、言上をはじめた。
「――薩摩守が父、島津三郎久光、朝廷の勅使を奉じ、藩兵およそ一千を率いて、本日、品川に達しましてござりまする」
返事はなかった。
堀田は続けた。
勅使は大原重徳という公家であること。求めておりますのは幕政の改革であり、その中身は一橋刑部卿さまを将軍後見職に据えること、越前守さまを政の総裁の座に据えること、そしてもう一条があると伝え聞くこと。すでに越前守さまには参与として登城を願っておること。諸門の警固は相整えてあること。
要点を順序よく、省かずに述べた。
『省かない』――それが、この男の流儀であった。
返事がないからといって報告を省きはじめれば、その日から、この城には本当に将軍がいなくなってしまう。報告を省かず、述べ続けるかぎり、上様はこの国の御政務をお聞き届けになっているのである。
十年、そうしてきた。
言い終えて、堀田は平伏した。
しばらく、頭を上げなかった。
几帳の向こうから聞こえてくるのは、雨の音と、ごくかすかな呼吸だけであった。それでも堀田は、そのまま畳に額をつけていた。
この城には、まだ将軍がおられる。
その事実だけが、この城に残された最後の拠り所であった。
*
奥から退がって長廊下へ出たところで、堀田は激しく咳き込んだ。
袖で口を押さえ、腕を戻すと、白い絹の上に紅が滲んでいた。もう驚くほどの色ではない。この男は淡々とそれを折り込み、懐の奥へしまった。
廊下の障子はどこも閉ざされていて、外の雨音だけが、板の下からせり上がってくるように響いている。
堀田は、来た道を戻った。
途中、評定の間の前を通りかかると、襖が開いたままになっていて、明日の支度のために座が改められているところであった。
畳の上に、座布団が並べられている。
上座から順に四つ。そのうちの一つ、堀田の右隣は、相変わらず空いたままであった。
そして、その並びの端に、もう一つ、新しい座布団が置かれていた。
参与として登城する越前守のための座である。
堀田はしばらく、その二つを見比べていた。
空いている座と、これから埋まる座。増えたのは座であって、この城の力ではない。
三つの策は、いずれも打たれた。
道中で引き返しを求め、越前どのを召し出し、城門を固めた。いずれも、空を切った。
勅使が城へ上がる。
堀田は襖を閉め、廊下の暗がりを、ゆっくりと歩いていった。
第百六十六話 了
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