第百六十五話【幕間】「江戸城編―手柄の覚書(前編)」
一
卯月十二日の朝は、初夏というにはまだいくらか涼を残していて、大手門の内へ入ってくる風には、濠の水を渡ってきた青い匂いがかすかに混じっていた。
石垣の裾にはこの時節らしく苔が濃く回っており、その上を這うようにして、朝の光が水面の照り返しを細かく揺らしている。城内の若楓はすでに葉を広げきって、枝先のあたりだけがまだ淡く、風が入るたびにその明るい緑が一斉に翻っては、また元の濃さへ沈んでいった。
燕が二羽、櫓の軒下から滑り出て、濠の上を低く一巡りしてから、また同じ軒へ吸い込まれていく。
本丸へ続く長廊下の板は、幾百年もの間、幾千の足に踏まれ続けてきた鈍い艶を帯びていて、そこへ庭の梢を透かしてきた光が細かい斑を落とすと、歩く者の足元だけが、ゆらゆらと水の底を進んでいるように見えるのだった。
評定の間の障子は、この日、半ば開け放たれていた。
冬から春にかけてのこの部屋は、骨の奥まで凍みるような底冷えが立ち込めることで知られているが、卯月に入ってしまえば話は逆で、閉め切っていると人いきれがこもって息が詰まる。畳は隅々まですり減って鈍い光を放ち、床の間に掛けられた軸には、季節を無視した太い墨跡で「正風」の二文字が、いつもと変わらぬ位置に下がっていた。
その部屋に、四人が居並んでいる。
上座に腰を下ろしているのは、老中首座・堀田備中守正睦である。齢は五十二を数え、もとより痩せ型の体躯がこの一年でさらに細くなったことは、袴の腰のあたりの余りようを見れば誰の目にも明らかであったが、切れ上がった目元に宿る光だけは、いささかも衰えを見せていない。時折、胸の奥から絞り出すように乾いた咳が漏れ、そのたびにこの男は袖を口へやって、何事もなかったように手を戻すのだった。
その斜め向かいには、海防を担う松平和泉守乗全が座している。長身で、座してなお肩幅の広さが際立つこの男は、この朝も背筋を一分も崩さぬまま、開いた障子の向こうの空をときおり眺めていた。
対面には、財政を司る板倉周防守勝静が控えている。痩躯に細い目、備中松山の山田方谷の薫陶を色濃く受けたその佇まいには、数字というものを扱う者だけが持つ、乾いた静けさがあった。
そして末席に、酒井雅楽頭忠績。年齢は三十半ばであったが、その瞳には、譜代最高峰の家格を負って生まれた者に特有の、冷ややかで揺るぎない重みが宿っている。
堀田の右隣、これまで安藤対馬守信正が着いていた座は、主を失って久しい。正月の坂下門の一件で背を裂かれ、ふた月後に役を解かれてからというもの、その畳の上には誰も座らず、また誰も座布団を片づけようとしなかった。片づければ、その事実がどこかへ記録されてしまう。誰もが、そういう面倒を避けたのである。
奥右筆が、京都所司代からの注進を読み上げはじめた。
「――京都所司代、酒井若狭守忠義より言上つかまつり候。去る卯月八日夜、伏見南浜町の船宿において、不逞の徒およそ四十名の集会これあり候につき、かねて増強いたし置き候夜廻りの手勢をもってこれを取り囲み、二十六名を討ち取り、十名を召し捕り申し候」
その声が畳の上を渡っていくあいだ、部屋のなかは静かであった。
「――なお、右の一件、いずれも手前どもの人数をもって相済ませ候。味方に討ち死に相成り候者は、これなく候」
読み終えた奥右筆が紙を巻き戻すと、末席のほうから、押し殺しきれない息が漏れた。
「……見事である」
酒井雅楽頭の声は、この一年ばかりのあいだ、この部屋でついぞ聞かれなかった調子を帯びていた。
この男が喜んだのは、四十人が片づいたことそのものではない。所司代という役が、決められた通りの職分に従って動き、定めた通りの成果を上げたという、その一事であった。町年寄が願い出て、所司代が夜廻りを増やし、増やしたところへ不逞の徒が集まって、そこを押さえた。順序に一分の破綻もなく、どこにも例外がない。
安政六年の冬に大老を屋敷ごと討たれ、この正月には老中が坂下門の前で背を裂かれ、幕府という古い建物は、柱を二本抜かれたまま辛うじて立っているに過ぎなかった。そこへようやく、二百数十年の仕組みが正しく回っているという証しが、京から届いたのである。
「若狭守どのには、ようやってくださった。かような働きこそ、御公儀の御威光というものにござろう」
「まことに、重畳でござる」
松平和泉守も、そこは素直に頷いた。この男にとって京の治安は、海防と並んで長く胸につかえていた懸案であり、そこへ良い報せが来たのならば、まずは喜んでおくのが筋だと考えている。
ただ一人、板倉周防守だけが、細い目をさらに細めていた。
この男の頭のなかでは、先ほどの読み上げが、そっくりそのまま数字の列へ置き換えられている。
京都所司代の与力が何人おり、同心が何人おり、そのうち夜間の見廻りに割ける者が実際に幾人であるか――それは、毎年の経費を通す役目を負ってきた自分が、誰よりも正確に把握している事柄であった。増やした提灯の数も、そこへ足された小者の人数も、上がってきた書き付けの上で確かめている。
その人数で、抜き身を持った四十人を押さえるという話には、どうしても行き着かないのである。
所司代の手勢というものは、そもそも合戦を想定して置かれてはいない。町を見廻り、訴えを取り上げ、喧嘩口論を捌くための人数であって、腹を括った浪士どもと切り結ぶための陣立てではなかった。まして相手が薩摩の者を含んでいるならば、その一人を押さえるのに幾人を割かねばならぬかということも、この男は数字として知っている。
押さえられるはずが、ないのであった。
しかも、討ち取り二十六に召し捕り十という数を出しておきながら、味方の死人が一人もない。同数程度の斬り合いであれば、この帳尻はまず立たない。
板倉は口をひらきかけて、そのまま閉じた。
いま自分がこの数字を持ち出せば、この座がどう動くかを、この男は正確に予想できてしまう。誰かが眉を寄せ、誰かが咳払いをし、そして末席あたりから「周防守どのは、また算盤の話をなさる」という一言が出て、それで終わりである。喜んでいる者たちの前へ計算を置く行いが、この部屋でどれほど嫌われるかということを、板倉は数年前の小栗の一件で嫌というほど学んでいた。
あの折、あの若い目付は、鉄の量とねじの精度の話をして、この座から弾き出されたのである。
「――備中守どの。ご首座としての、ご所感を承りたく」
酒井雅楽頭が、上座へ水を向けた。
堀田は、湯呑みの縁を指の腹でひとなでしてから、胸の奥に溜まったものを押し戻すように、ごく短く息を吸った。
「……それは、めでたい」
言葉は、それだけであった。
座の者たちはその一言を、病の身を押した首座らしい寡黙な祝辞として受け取り、それぞれに頷いてみせたが、板倉だけが、そこに温度というものが一分も含まれていなかったことに気づいていた。
めでたいと言うとき、人はふつう、語尾のどこかをわずかに緩めるものである。堀田正睦の口から出たその言葉には、その緩みがまったくなかった。
「されば、この一件、上様へご言上つかまつらねばなりますまい」
松平和泉守が、いつもの手順を口にした。
その瞬間、座がわずかに止まった。
止まったといっても、誰かが息を呑んだわけでも、視線を交わしたわけでもない。ただ、次の言葉が出てくるまでの間が、ほんの一拍だけ長くなったのである。
「では、いつもの通りに」
堀田がそう言うと、控えていた者が心得た様子で頭を下げ、奥医師の見立てを待って御機嫌のよろしき折を見計らい、御側の者を通じて要点のみを申し上げる、というくだりを、まるで幾度も繰り返してきた文言を読み上げるように述べていった。
実際、幾度も繰り返してきた文言であった。
この城で最も重い決裁は、もう何年も、そういう手順を経てなされている。上様のお言葉は返らず、返らぬことをもって御異存なしと解し、その解釈のうえに幕政という巨大なからくりが、きしみながらも回りつづけてきた。
誰も、それを異常だとは言わなかった。
言えば、その先にある一つの問いに突き当たってしまうからであり、その問いを口にした者が背負わねばならぬものの重さを、この座にいる全員が承知していたからである。
散会を告げる声がかかり、四人が順に立って、それぞれの方角へ退がっていった。
人の去った評定の間には、開いた障子から入ってくる風だけが残り、庭の若楓の葉擦れの音が、畳の目を撫でるようにして低く流れていた。
その部屋には、まだ座が一つ、空いたままであった。
二
その日の夕刻、西の丸下の役宅に戻った堀田正睦は、書斎の障子をわずかに開け、庭に落ちはじめた薄い影をしばらく眺めていた。
卯月の日は長く、暮れきるまでにはまだ間があって、庭の躑躅は盛りを過ぎた花びらを土の上に散らしている。その赤が、湿った黒土の上ではひどく生々しく見えた。
胸の奥が、また軋んだ。
こらえきれずに漏れた咳を袖で受け、腕を戻したとき、白い絹の上には薄紅の斑が滲んでいた。この一年で、その色は明らかに濃くなり、広がりも大きくなっている。堀田はそれを一瞥しただけで、何事もなかったかのように袖を懐の奥へたたみ込んだ。
燭台に火を入れさせてから、この男はようやく、昼のあいだずっと押さえつけていた思考を解き放った。
――所司代の手勢で、四十人。
板倉が気づいたことに、堀田もまた気づいていた。というよりも、注進が読み上げられている最中に、この男の頭のなかではその不整合がとうに立ち上がっていて、以後は座の空気を読むことのほうへ意識を割いていたに過ぎない。
気づいていて、なお言わなかった。
言えば、次に来る問いは決まっている。ではあの夜、伏見で刃を振るったのは誰か、という問いである。
その問いを追いはじめれば、糸はどこへ伸びていくか。
堀田は湯呑みを畳へ置き、目を伏せた。
伸びる先が、この男にはおおよそ見えていた。見えていながら、その先で自分がどう振る舞うべきかを、まだ決められずにいる。真相を暴いて幕府の面目を守るという道もあれば、暴かぬまま手柄を頂戴して、京の静謐という結果だけを取るという道もある。
前者は、いま最も痩せている御公儀の権威を、さらに削ることになりかねない。
後者は――後者が何を意味するのかを考えかけて、堀田はいったん思考を止めた。
止めたのは、疲れていたからではなかった。
止めねば、答えが出てしまうからである。
もう一つ、この男の胸に重く沈んでいるものがあった。
安藤対馬守がいない。
あの男は、腑に落ちぬことがあれば腑に落ちるまで問いを重ねずにはいられぬという、ほとんど病に近い聡明さを持っていて、幕閣のうちで唯一、届いた紙の裏側を読もうとする男であった。神田の学び舎の一件にしても、誰の同意も得ぬまま己の懐から人を出し、一人で網を回していたのである。
その網が、正月の朝から止まったままだった。
止まっているだけでなく、代わりを埋める者がいない。目付も御庭番筋も、依然として市中の話を拾ってはくるのだが、それらを並べ替えて意味へ変える頭が、いま、この城には一つも残っていなかった。
――手はある。目が、ないのだ。
堀田がそう胸のうちで呟いたとき、廊下のほうから足音が近づいてきて、取次の者が客人の名を告げた。
勝麟太郎であった。
軍艦操練所のほうの用向きにかこつけてこの役宅へ滑り込んでくるのは、この男にとって珍しいことではない。案内も待たずに障子を開け、いつもの人を食ったような面構えで敷居をまたぐと、勝は勝手に脇息の脇へ腰を下ろした。
「お疲れのようで」
「……見て分かるか」
「そりゃあ、分かります。堀田様は、お顔じゃなくて肩に出なさる」
堀田は苦笑して、茶を出させた。
しばらく取り止めのない話が続いたあと、勝はふと湯呑みを置いて、火鉢の縁を指の腹で軽く叩いた。
「時に、堀田様」
「うむ」
「所司代が四十人を片づけたって話、信じておいでで?」
堀田の指が、湯呑みの上でわずかに止まった。
この男は、いつもこうである。核心のところだけを、世間話の切れ端のような顔をして置いていく。
「……信じるも信じぬも、注進はそう申しておる」
「そりゃあ、そうでございましょう」
勝はあっさりと引き下がり、それきりその話を続けようとしなかった。ただ、京の空気が近ごろ妙に変わっているという言い方だけを一度して、あとはまた軍艦の話へ戻していく。西からの為替の流れがどうの、長崎の船足がどうの、そういう細かい話を勝は好んだ。
やがて日がすっかり落ちてから、勝は膝を払って立ち上がった。
障子を開けて廊下へ出しなに、この男は振り返りもせずに言った。
「――もらったもんは、いつか払うんですぜ」
堀田は答えなかった。
そうこうしているうちに、足音はもう遠ざかっていた。
その夜、堀田正睦は寝つけぬまま、その一行だけを幾度も口のなかで転がしていた。転がすたびに、昼間の評定の間で漏れた自分の声が重なってくる。それは、めでたい――そう言った己の声の平坦さが、いま思い返すと、我ながら不気味であった。
*
同じ刻限、板倉勝静を乗せた乗物は、大名小路の暗がりをゆっくりと進んでいた。
垂れを半ば上げてあるので、通り沿いの塀の内から漏れてくる灯が、規則正しい間隔で膝の上を過ぎていく。その明るさが差すたびに、板倉は懐から出した小ぶりの帳面へ目を落とした。
この男の帳面には、日々の入出と人の動きが、几帳面な楷書で細かく記されている。数字を扱う者の癖として、板倉は感想というものをこの帳面へ書かない。書けば、あとで読み返したときに、事実と自分の推測とが混ざってしまうからである。
それでもこの晩、この男は筆を執った。
書いたのは、一行だけであった。
――合わぬ。
書いてから、しばらくそれを眺めていた。
合わぬものは、いずれ必ず、合う形で説明がつく。数字というものはそういうもので、桁が一つ違っていたか、前提が一つ抜けていたか、あるいは誰かが意図して別の数を書いたか、そのどれかである。どれであるにせよ、答えが出るまでは、この頁は閉じられない。
板倉は帳面を懐へ戻し、垂れの隙間から夜の町を見た。
江戸の空には、卯月らしい薄い雲がかかっていて、月はその向こうでぼんやりと滲んでいる。この男は、そのおぼろな光の下で、遠く京の夜にも同じ月がかかっているであろうことを、ふと思った。
しかし、それ以上はどこへも繋がらなかった。
三
卯月も下旬に入ると、江戸の風は日ごとに湿りを増して、朝のうちから障子の紙がわずかに撓むようになっていた。
城内の楓はもう若葉の淡さを失い、濠の面には水草が浮きはじめて、渡ってくる風には泥と青葉の混じった、重たい匂いが乗っている。梅雨の走りが近いのである。
その朝、京から二枚目の紙が届いた。
帝より京都所司代・酒井若狭守へ、都の静謐を保った働きを賞する旨の御言葉が下されたという報せであった。
城内は、沸いた。
沸いた…という言い方が誇張でないほどに、その日の本丸の空気は明るかった。御用部屋の外を行き来する役人の足取りまでが軽くなり、廊下ですれ違う者どうしが、用もないのに立ち止まって二言三言を交わしていく。
無理もないことであった。
大老を失い、その後は井伊の名を掲げてきた者たちが総崩れとなり、この正月には坂下門の前で老中が背を裂かれ、幕府はここ数年、朝廷に対して詫びと言い訳しか差し出してこなかったのである。そこへ初めて、京の側から良い言葉が下りてきた。
「――やはり、朝廷は御公儀を頼りにしておられるのだ」
評定の間で、酒井雅楽頭は珍しく声を張った。
「都の治安を保つは、古来より所司代の職分にござる。その職分を果たしたことに御言葉を賜ったということは、すなわち、公と武との間はいまだ断たれておらぬということ。……この一事、軽くお考えあってはなりませぬぞ」
この男の言葉には、明らかな熱があった。
朝廷からの褒詞という事実が、公武の関係修復を信じる彼に、これ以上ない根拠を与えていたのである。
その熱の脇で、板倉勝静が、ぽつりと言った。
「……我らは、いつから、褒められる側になったのでござろうか」
座が、一瞬だけ静まった。
褒詞とは上から下へ賜るものであり、授受の時点で不可避の上下関係が生じる。京都所司代が帝に賞されたということは、幕府が己の職分に対する評価権を、この日初めて朝廷へ明け渡したことに他ならない。あろうことか幕府は、その事実を喜んで受け入れてしまったのだ。
板倉が言いたかったのは、その一点であった。
だが座は、その一点にとどまらなかった。
「周防守どのは、御言葉を賜ることを不服とでも仰せか」
「いや、左様なことは申しておりませぬ」
「ならば、まずは素直にお喜びなされ」
それで話は流れ、あとは祝賀の調子に飲まれていった。
正しい読みというものは、しばしば、こういう流され方をする。板倉は膝の上で手を組み直し、二度と同じことを言わなかった。
やがて、松平和泉守が実務の話へ引き戻した。
「もっとも、喜んでばかりもおられませぬ。都の内に不逞の徒が四十も集まっていたということは、裏を返せば、これまで所司代の目が届いておらなんだということにござる。若狭守どのの手勢では、いかにも足りませぬ」
「では、増やすか」
「増やすか、あるいは――」
和泉守はそこで一度、言葉を選ぶように間を置いた。
「京の警備のみを預かる役を、新たに立てるか。所司代は禁裏の御用と町の治安と、双方を負うておりますゆえ、いずれ立ちゆかなくなりましょう」
その案そのものは、悪くなかった。
板倉が数字を出したのは、そのすぐあとである。
「和泉守どの。増員なされるとして、一人あたりの扶持と役料、江戸からの差遣ならば道中の入り用、詰所と長屋の普請、それに、そこへ武具を揃えるとなれば――」
板倉が並べていく数を、座の者たちは黙って聞いた。
「――右をひととおり足しますと、まず年に八千両では利きませぬ。仮に新たな役を立てるとなれば、格に応じた支度が要りますゆえ、初年は二万を超えましょう。……して、その財源はどちらから?」
誰も答えなかった。
金銀の流出と物価の高騰で、幕府の勘定はすでに火の車であり、去年から今年にかけて先送りにされた普請だけでも、両手では数えきれない。板倉は毎年その帳尻を合わせるために、どこを削るかという話ばかりをしてきた男であった。
「……致し方あるまい」
和泉守が、諦めるでもなく、納得するでもなく、そう言って引いた。
京の警備を専管する新たな役という思いつきは、この日、金がないという一事によって、誰の記憶にも残らぬまま流れていった。
――それからおよそ半刻の後、二枚目の紙が届いた。
同じ京都所司代の名で出された、別筋の報せである。
「――薩摩藩兵、去る卯月中旬より、京市中の主だった辻に、二人ひと組にて立ち番いたし候。昼夜の交代を組み、夜間は提灯を提げ、通行の者を誰何することはこれなく候。不審の者を捕らえ候節は、その場にて縄ごと所司代へ引き渡し、手柄については一言も申し立てず候」
読み上げが終わっても、しばらく誰も口をきかなかった。
「――僭越であろう」
最初に声を出したのは、やはり酒井雅楽頭であった。
「外様の大名家が、京の辻に兵を並べるなどと。都の治安は所司代の職分にござる。若狭守どのに申し付けて、即刻取り締まらせるべきでござろう」
「取り締まる人数が、ござらぬ」
松平和泉守が、静かに返した。
「いま板倉どのが仰せられた通りにござる。所司代には、薩摩の千を押しのけて辻を明け渡させるだけの手勢がない。……それに雅楽頭どの、彼の者どもは、何ぞ悪しきことをいたしておりますか」
「なんと」
「誰何もせず、咎めもせず、捕らえた者は残らず所司代へ渡し、手柄は申し立てぬ。……これを罪に問える条が、御公儀のいずれの書き付けにござる」
酒井は言葉に詰まり、そのまま口を引き結んだ。
板倉勝静は、この間じゅう、何も言わなかった。
この男の頭のなかでは、卯月十二日に届いた一枚目の紙と、いま読み上げられたばかりの二枚目の紙とが、静かに並べ置かれていた。
所司代の手勢で押さえられぬはずの四十人が、押さえられた。
押さえられた直後から、薩摩の兵が辻に立って、都の治安を実際に担いはじめた。
そして、その二つのあいだに挟まるようにして、帝の御言葉が幕府へ下されている。
三枚を順に並べれば、そこには一つの形が浮かび上がってくるはずであった。だが板倉は、その形にまだ名を与えることができない。そのための一片が、決定的に足りないのである。
その日の評定は、誰一人として「反転」という言葉を思いつかぬまま、散会した。
四
同じ卯月の末、日本橋から神田へ抜ける通りには、初鰹の売り声がそろそろ立ちはじめていた。
徒目付・安西平助は、その声を背に聞きながら、いつもの道順で町を歩いていた。
齢は四十を一つ二つ越えたところで、家は代々の下級である。役目は市中の風説を拾い、書き取り、上へ差し出すことであり、この十数年、その一事だけを愚直に続けてきた。
平助が歩くのは、決まって同じ道筋であった。
まず両国の広小路に立って、大道芸の人だかりのまわりを一巡りする。それから浅草橋を渡って米沢町の煮売り屋を覗き、昼を過ぎたころに小網町の河岸へ出て、荷揚げの者どもの雑談を拾う。夕方には神田の裏長屋のあたりまで足を伸ばし、暗くなる前に切り上げて役宅へ戻る。
この道筋を、平助は自分で組んだのではない。かつて上役から教わったものを、そのまま守っているだけである。
「――京じゃあ、薩摩のお侍が町を守っておるそうな」
その一言を最初に聞いたのは、小網町の河岸であった。
荷を担いだ若い衆が、当たり前のことのように口にしたのである。平助は足を止めず、通り過ぎながら耳だけを残した。
「なんで薩摩が」
「そりゃあ、お上の役人が何もせんからじゃろ」
「そうかい」
そこで話は途切れ、笑い声に変わった。
平助は、通りの角を折れてから懐の矢立を出し、歩きながら小さな紙へ書きつけた。書きつけながら、この男は妙な心持ちになっていた。
――違う。所司代は、四十人を召し捕っておる。
その報せは、江戸城下でもとうに知られている。知られているはずなのに、町の話はそれを飛び越して、幕府の役人は何もしていないという形へ落ち着いてしまっている。
噂というものは、伝わるあいだに必ず削れ、削れたところへ別のものが埋まる。そして埋まるものは、たいてい、聞き手が聞きたがっている形をしているのだった。
その日拾ってきたものを、平助は役宅で清書した。
覚書は三枚になった。
一枚目には市中の風説を、二枚目には両替商の動きを書いた。この一月ほど、西からの為替の立て方がわずかに変わっている、と両替町の手代が漏らしていたのである。もっとも、米の相場はまだ動いていない。江戸の町は、いつもと変わらぬ顔をして、いつもと変わらぬ量の米を食っていた。
三枚目には、拾いきれなかった端切れを並べた。
この頁には、平助自身にも意味の分からぬ言葉がいくつか混じっている。江戸惣会所という名が二度出てきたこと、松屋という店の名がその近くで出たこと、それから天朝物産会所という、耳慣れぬ呼び名を口にした者が神田にいたこと。
平助は、それらを商いの名だと思って書き流した。
実際、そう思うのが自然であった。会所といえば銭の集まる場所であり、松屋といえば呉服か薬種であろう。この男には、それ以上の想像をするための材料が、何一つ与えられていない。
翌朝、平助は三枚を上役の詰所へ持っていった。
上役は、書見台の脇に積み上がった紙の山から目を上げもせず、片手を出した。
「置いておけ」
「はっ」
平助が差し出した三枚は、その手から、束の一番上へ移された。
束は、平助の膝の高さほどまで積み上がっていた。
かつて、この束を読む相手が城内にいた。書いたものが呼び出され、どこで聞いたのか、話していたのは何者か、幾度も問い返された時期がある。厄介なことだと当時は思っていたが、いま思えば、あれは自分の書いたものが誰かの頭のなかへ入っていくということであった。
その相手は、正月から城へ上っていない。
平助は一礼して詰所を出た。
廊下の窓の外では、初夏の日がすでに高く上がっていて、瓦の照り返しがまぶしかった。
束のなかに、この先の半年を決める一行が、確かに入っていた。
五
皐月に入って五日目の朝、江戸は前夜からの雨が上がったばかりで、城内のいたるところに水の匂いが残っていた。
庭土は黒々と湿り、葉先には昨夜の雫がまだ残っていて、それが風に押されるたびに、ぽたりと重い音を立てて苔の上へ落ちる。空は洗われたように高く、けれども東の空の低いあたりには、次の雨を孕んだ雲が薄く控えていた。
評定の間には、この日、五人目の座が用意されなかった。
安藤対馬守の座は、相変わらず空いたままである。
京からの第三の紙は、その朝、いつもより早い刻限に届いた。
奥右筆が読み上げたのは、去る皐月二日、薩摩藩国父・島津三郎久光が参内し、御所の白砂の上に膝を折って建白書を差し上げたという報せと、その建白の中身を、伝え聞くかぎり箇条にして書き写したものであった。
「――一つ。安政の一件にて処分を蒙り候者どもの赦免ならびに復権の事」
最初の一条で、座の空気はまだ動かなかった。
「――一つ。越前藩主・松平春嶽どのを、大老の職に据えらるべき事」
酒井雅楽頭の眉が、そこで動いた。
「――一つ。一橋刑部卿慶喜どのを、将軍後見職に据えらるべき事」
その言葉が、畳の上へ落ちた。
それ以外に言いようのない落ち方であった。読み上げの声そのものは平坦で、前後の条と何ひとつ調子が変わらなかったのに、その言葉が畳へ届いた瞬間、部屋の空気の重さが目に見えて変わったのである。
「――一つ。都に潜み候過激の徒、厳しく取り締まらるべき事。……以上にござりまする」
奥右筆が紙を巻き、退がっていく気配だけが、しばらく部屋のなかを流れていた。
最初に立ち上がりかけたのは、末席であった。
「――何と申した」
酒井忠績の声は、掠れていた。
「後見と申したか。……後見職と」
「雅楽頭どの、お鎮まりくだされ」
「鎮まれるものか!」
この男が評定の間で声を荒げるのを、居並ぶ者たちは初めて見た。譜代最高峰の家に生まれ、幼いころから振る舞いの一分の乱れも許されずに育てられてきた男である。その男が、膝の上で拳を握り、正面の畳を睨みつけていた。
「上様が、おわすのだぞ!」
「……」
「そのお方に、後見とは何事か!!」
「後見と申すは…家督を継ぐべき者がいまだ幼きか、あるいは政を執るに堪えぬときに置くもの。すなわちこれを置くということは、上様は御政務をお執りになれぬと、天下へ向かって触れ回るということにござろう」
酒井の言うことに、誤りは一つもなかった。
「しかもだ。後見を置けば、次に来るのは何か。後見に据えた者が、そのまま御宗家の跡目に繋がるということではないか。……つまりこれは、御公儀の跡目を誰にするかという話にほかならぬ」
「……」
「その話を、よりにもよって外様の島津が持ち込んでまいったのだ! 関ヶ原以来、ただの一度も幕政に関わらぬ家柄が、千の兵を率いて上洛し、朝廷の威を借りて徳川の跡目に口を出しておる。……これを僭越と申さずして、この世に僭越という言葉が要るか」
言い切って、酒井忠績は肩で息をした。
誰も、彼の言葉に反論しなかった。
反論できなかったのである。この男の論には破綻がなく、家の格からいっても、二百六十年の慣例からいっても、そして武家の筋道からいっても、言っていることはすべて正しかった。
しかし、その正しさは、この場で何ひとつ動かすことができない。
しばらくの沈黙のあと、松平和泉守乗全が、静かに顔を上げた。
この長身の男は、それまで一度も口をひらいていなかった。その代わりに、庭の濡れた苔をずっと眺めていた。
「……雅楽頭どの」
「何でござる」
「上様は、もう幾年、御政務をお執りになっておられませぬ」
座が、凍った。
誰かが息を呑む音さえ聞こえなかった。ただ、庭の葉先から雫が落ちる音が、やけに大きく部屋の奥まで届いた。
「和泉守どの、それは――」
「申しては、なりませなんだか」
和泉守の声には、責める色も、嘆く色もなかった。この男はただ、算盤を弾くのと同じ調子で、目の前にある事実を一つ置いただけである。
「なれど、この座の誰一人として、それを知らぬ者はござりますまい。決裁は御側を通し、御異存なきものとして扱い、その積み重ねの上に御公儀は回っております。……それを何と申すか。それを、後見と申すのでござろう」
誰も答えなかった。
和泉守は、そこでようやく視線を庭から室内へ戻した。
「後見が要るということは、薩摩に言われずとも、我らはとうに知っておったのです。足りなんだのは、後見という仕組みではござらぬ。それを言い出す者にござる。……そして、言い出したのが薩摩であった。それだけのことにござろう」
酒井忠績は、口をひらきかけて、そのまま閉じた。
この男がこの朝ほど、己の正しさの無力さを味わったことはなかったであろう。彼は間違っていない。ただ、彼が守ろうとしている形は、すでに中身を失って久しかったのである。
*
やがて、話はもう一つの条へ移った。
「――越前どのを、大老に…と」
その一条を口にした瞬間、酒井忠績は、すがるようにして家格の話を持ち出した。
「これも、断じてなりませぬ。大老は譜代の職にござる。井伊、酒井、土井、堀田――代々、そう決まっておる。越前松平家は御家門であって、譜代ではござらぬ。御家門を大老に据えた例など、二百六十年、ただの一度もない」
「前例がない、と仰せか」
「左様。前例がござらぬ」
そこで、上座から、乾いた咳が一つ落ちた。
堀田正睦が、袖を口から離して、ゆっくりと首を横に振った。
「……家格ではない」
「備中守どの?」
「あの職は、もう置けぬのだ」
堀田の声は低く、そのぶん、かえって座の隅々まで届いた。
「安政六年の冬に、何があったかをお忘れか。彦根の御屋敷へ百を超える浪士が押し入り、大老が、屋敷のなかで首を落とされた」
その一件の名を、この部屋で口にする者は、もう長いあいだ絶えていた。
「あれ以来、大老という言葉は、この国では役職の名ではなくなった。誰であれ、その座に着いた者は、着いた翌日から的になる。……越前どのを大老に据えるということは、越前どのの首の値を、天下に触れ回るのと同じことにござろう」
誰も、返す言葉を持たなかった。
酒井忠績でさえ、そこには頷いた。この男が守ろうとしてきた前例と格式の体系のなかで、大老という頂点だけが、いま、抜け落ちた歯のようにぽっかりと空いている。空いたまま埋められないのは、家格のためではなく、そこへ座った者が殺されるからであった。
しばらくして、板倉勝静が、誰に向けるでもなく呟いた。
「……ならば、別の名で拵えるほかありませぬな」
その一言を、拾う者はいなかった。
酒井は前例の話を続けており、和泉守は庭のほうを見ており、堀田は咳をこらえていた。板倉自身、それを提案として口にしたわけでもない。ただ、数字の合わぬ帳面を眺めているうちに、勘定の側から自然と湧いてきた一行を、そのまま漏らしただけであった。
だが、この一行は消えなかった。
そのまま、この部屋の畳の目のどこかへ落ちて、そこで静かに芽を待つことになる。
*
散会のあと、堀田正睦は一人で廊下へ出た。
雨上がりの光が、磨き込まれた板の上に細く長く伸びていて、歩くたびに、その光の帯を踏んでは越えていく。廊下の突き当たりを右へ折れれば御用部屋へ戻る道であり、左へ折れれば、奥へ続く長廊下であった。
堀田は、突き当たりで足を止めた。
左のほうから、薬の匂いがしていた。
煎じ薬の、あの甘苦い匂いである。奥では朝夕に薬湯が用意され、その匂いが日に二度、こうして廊下の途中まで流れてくる。もう何年もそうであるから、城の者はもうそれを匂いとしても認識しなくなっていた。
その匂いの向こうで、奥医師が誰かに何かを告げている声が、切れ切れに届いた。御脈はいつも通り、御食は昨日と同じほど、御眠りはよろしいご様子――そういう、幾度も繰り返されてきた文言の断片である。
堀田は、しばらくその方角を見ていた。
奥へ上がって、いま届いた紙の中身を申し上げたところで、返ってくるものは何もない。返らぬことをもって御異存なしと解する――その手順を組み立てた者のなかに、自分も含まれている。
それはこの数年、この城を保たせるために必要な仕組みであった。必要であったが、必要であったからこそ、いまこうして薩摩に突かれている。
堀田は右へ折れ、御用部屋のほうへ歩き出した。
そのとき、後ろから足音が追いついてきた。
松平和泉守であった。この男は堀田の隣に並んで、しばらく無言のまま同じ歩調で歩いていたが、廊下が曲がる手前で、ふと足を緩めた。
「備中守どの」
「うむ」
「一つ、伺ってもよろしいか」
「申せ」
「……もし京から、上様に上洛せよと申してまいったら、いかがなさる」
堀田は、足を止めた。
止めてから、しばらく何も言わなかった。
将軍が京へ上るなど、二百三十年、ただの一度もなかったことである。それが行われるということは、徳川の当主が帝の臣下であることを、あらためて天下へ示すということにほかならない。
だが、堀田の頭のなかを最初に横切ったのは、そういう理屈ではなかった。
――上様は、乗物に乗れぬ。
それだけであった。
建前も、格式も、二百三十年の慣例も、その一事の前ではまるで意味を持たない。京から命が下ろうと下るまいと、あの奥の帳台にいる方は、この城の門を出ることさえできないのである。
「……和泉守どの」
「はっ」
「その問いは、いま口になさるな」
「なにゆえ」
「答えが出ぬからだ」
堀田はそう言って、また歩き出した。
和泉守はそれ以上訊かず、廊下の分かれ目で一礼して、別の方角へ去っていった。
その日、江戸の空は昼過ぎからまた曇り、夕刻には細い雨が落ちはじめた。
六
皐月十二日の朝、江戸は雨であった。
昨夜から降り続いた雨は勢いこそ弱いものの、途切れる気配がまるでなく、濠の面には無数の輪が生まれては重なり合って消えていく。城内の楓は葉を垂らし、そこから伝った水が石灯籠の笠の上で細い筋を作っていた。
評定の間の障子は、この日は閉められていた。
閉め切った部屋のなかは湿気で重く、畳が水気を吸って、足の裏にわずかな粘りを返してくる。四人はいつもの位置に座り、いつものように京からの紙を待った。
届いた紙は、短かった。
短いぶん、読み上げる奥右筆の声だけが、部屋のなかで長く響いた。
「――去る皐月九日、朝議において、幕政改革を促すため、江戸へ勅使を差し下さるること、相決し候。勅使には、大原重徳どの。……なお、その道中の護衛には、薩摩藩兵およそ一千が付き添い候由に候」
読み終えて、奥右筆が退がった。
部屋のなかは、完全に静まり返った。
雨の音だけが、閉じた障子の向こうから、単調に降りつづけている。
最初に口をひらいたのは、松平和泉守であった。
「……止める兵は、ござる」
誰も返事をしなかったので、この男は続けた。
「箱根に関がござり、川崎には御番所がござる。品川まで下がっても、まだ手はござる。兵を出して街道を塞げば、一千といえども、そう易々とは押し通れますまい」
「ならば、塞げばよかろう」
酒井忠績が言うと、和泉守は静かに首を振った。
「なれど雅楽頭どの、それは薩摩を止めるということではござらぬ。……勅使を止めるということにござる」
その一言で、座は再び黙った。
勅使とは、帝の使いである。その行列を武力で押し戻せば、押し戻した者は、その瞬間に朝敵となる。二百六十年、徳川がこの国を治めてこられた根拠は、征夷大将軍という、帝から賜った職名の一点にあった。その根拠を、自分の手で断ち切ることになるのである。
「呑めば、いかがなりまするか」
板倉勝静が、細い目を上げた。
この男の声は相変わらず乾いていて、そのぶん、言っていることの中身だけが正確に伝わってきた。
「呑めば、御公儀の人事は、今日を限りに朝廷のものになりまする。……いや、正しくは、朝廷の御威光を借りた者のものに」
「……」
「一度その形が通れば、次も同じ道が使われましょう。次の次も、そのまた次も。誰かが京で言わせ、勅として下し、江戸がそれを呑む。……三度も繰り返せば、それはもう慣例と呼ばれます。慣例になったものは、前例として使われまする」
板倉が「前例」という語を選んだのは、明らかに意図してのことであった。
酒井忠績の顔から、血の気が引いた。この男が生涯をかけて守ろうとしてきたもの、すなわち前例という積み重ねが、いま、そのまま敵の武器として組み上がろうとしている。
「――呑まぬ」
酒井は、低く言った。
「呑まぬ。断じて……」
そこで言葉が切れた。
この男は、続きを持っていなかった。呑まぬとして、では勅使が江戸へ着いたときにどうするのか。門を閉ざすのか、追い返すのか、あるいは兵を並べるのか。そのいずれについても、酒井忠績は具体の一語を出すことができない。
出せば、それは和泉守の言った「勅使を止める」ということになるからであった。
部屋のなかには、また雨の音だけが残った。
やがて、上座から乾いた咳が一つ落ちて、堀田正睦が顔を上げた。
「……では、いかがなさる」
その問いに、誰も答えなかった。
答えられる者が、この部屋に一人もいなかったのである。
*
散会のあと、堀田正睦は、いつものように一人で廊下を歩いた。
雨のせいで廊下は薄暗く、遠くの角を曲がっていく人影が灰色に滲んで見える。板は湿気を吸って、踏むたびにわずかな軋みを返してきた。
胸の奥がせり上がってきて、堀田は袖を口へやった。
腕を戻したとき、白い絹の上には、もう驚くほどのものではない濃さの紅が滲んでいた。この男はそれを一瞥し、丁寧に折り込んで懐へしまった。
人の気配の絶えた突き当たりで、堀田は壁に背を預け、目を閉じた。
閉じた暗がりのなかで、この一月ばかりのあいだに届いた紙が、勝手に順番を作りはじめた。
卯月十二日。伏見の手柄。所司代の手勢で、四十人。
卯月下旬。帝の褒詞。井伊以来はじめて、京から下りてきた良い言葉。
同じころ。薩摩の兵が辻に立ち、都の治安を担いはじめる。
皐月五日。久光の建白。慶喜を後見職に、春嶽を大老に。
そして今日。勅使、大原重徳、護衛は薩摩一千。
堀田は、その順番を頭のなかでもう一度なぞり、そこで、指の先が冷えていくのを感じた。
――逆だ。
順序が、逆なのである。
自分たちは、卯月に褒美を受け取ったのだと思っていた。だが実際に起きていたのは、そういうことではなかった。
褒美というものは、働きの後に下されるものである。ところがあの手柄は、そもそも自分たちが挙げたものではなかった。挙げていないものに対して言葉が下り、それを喜んで受け取ってしまった。
受け取った時点で、幕府は認めていたのである。京の治安という己の職分の一部を、朝廷から恵まれた形で保っている、と。
恵まれた者は、恵んだ者に対して、否と言いにくくなる。
(……手柄ではなかった)
堀田は、目を閉じたまま、胸のうちでそう言った。
(あれは――覚書の…控えであったか)
勝麟太郎の声が、そこへ重なってきた。あの夕暮れ、障子を開けて廊下へ出しなに、振り返りもせずに置いていった一行である。
『もらったもんは、いつか払うんですぜ』
あの男は、知っていたのだ。少なくとも、勘づいていた。そして、それを核心の手前で止めて帰った。
「――いったい誰が」
その問いが、ようやく、堀田の頭のなかへ正面から立ち上がってきた。
伏見で四十人を片づけ、その手柄を丸ごと所司代へ譲り渡し、朝廷を動かして褒詞まで出させ、そのうえで薩摩に辻を守らせ、いままた勅使を仕立てて江戸へ寄越そうとしている者が、どこかにいる。
久光ではない。あの男は建白を上げて、その建白が容れられたことを誇っているだけである。大原重徳でもない。あれは声の大きい老公家であって、絵図を引く者ではない。
「ならば――」
堀田の脳裏に、輪郭が浮かんだ。
顔は見えない。御簾の奥にいる方である。ただ、その存在の重みだけが、勝海舟という男の肉声を通じて、何年も前からこの胸のうちに巨大な影を落としつづけていた。
「――まさか、あの方が薩摩を?」
そこまで思って、堀田正睦は、その考えを打ち消した。
そうしたのは、あり得ないと思ったからではない。
むしろ逆で、あまりにも辻褄が合ってしまうからであった。
だが、仮にそれが正しかったとして、この男に何ができるというのか。証しは一片もなく、あるのは合わぬ数字と、順序の妙だけである。それを評定の間へ持ち出せば、まず信じられまい。信じられたところで、勅使はもう京を発っているであろうし、幕府にはそれを止める手立てがない。
考えても、打つ手が一つもないのだ。
そのことを考えつづけるだけの体力が、いまのこの体には残っていなかった。
堀田は目を開け、壁から背を離した。
廊下の障子を指先でわずかに開けると、雨に濡れた庭が見えた。石灯籠の笠から水が細く落ち、その下の苔が、雨を吸って黒々と光っている。楓の葉は重く垂れ、風もないのに、ときおり一枚だけがひとりでに揺れていた。
堀田は、その庭をしばらく眺めてから、障子を閉じた。
閉じてから、ゆっくりと来た道を戻っていく。
通りかかった評定の間は、すでに人が払われて、燭の火も落とされていた。開いたままの襖の向こうに、四人分の座と、その脇の一つが、雨の日の薄明かりのなかにぼんやりと沈んでいる。
評定の間には、まだ座が一つ、空いたままであった。
その座に、誰が据えられるのかを決めるのは――もはや、この城ではない。
第百六十五話 了
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