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幕末に転生したら近衛家の姫でした。まず屋根を直します【累計350万PV/80万UU突破‼ 幕末経済戦記】  作者: 1009


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第百六十四話「京洛布陣編―東へ」

一

 皐月二日の朝は、雲ひとつなかった。


 御所の砂は前夜のうちに掃き改められており、その白さが日を受けて、目を細めねば見ていられないほどに照り返している。築地塀の内側では若楓の葉がすっかり色を深め、風が入るたびに、その葉裏の明るい緑が一斉に翻った。


 建礼門の外に、薩摩の供の列が控えていた。


 人数は絞られている。千の兵は伏見と大坂に置いたままであり、この日ここまで上がってきたのは、供廻りのうちのごく一部にすぎない。それでも門の前に丸に十の字の紋が並んだというだけで、通りかかった公家の家来たちは、一様に足を緩めて振り返っていった。


 島津久光は、その列の先頭にいた。


 烏帽子も直衣もない。無位無官の身であるから、着られるものは決まっている。それでも仕立てには一分の隙もなく、袴の襞(ひだ)は朝の光のなかで刃のようにまっすぐ立っていた。


 この日、この男が御所へ上がること自体、本来はあり得ぬことであった。


 官位のない者はこの門をくぐれず、その言葉は朝廷にとって存在しないも同然だった。それが長年守られてきた仕組みであり、有職故実に通じた久光は、自分が今踏んでいる砂がどれほどの例外の上に敷かれているかも熟知していた。


 門の前で待つあいだ、久光は一言も発しなかった。


 供の者たちは、その沈黙を主君の威厳と受け取っていた。実のところ、この男の頭のなかでは、これから先の四半刻に踏むべき手順が、何度も繰り返し確かめられている。どこで足を止め、どの向きで礼をし、いつ額を下げていつ上げるか。そういうことを間違えれば、薩摩という家がまるごと嗤われることになる。


 有職故実に通じているとは、間違いを知っているということだ。そのぶん、この男は緊張していた。


 道を作ったのは、近衛忠房である。


 島津久光の律儀さは、受けた恩を決して忘れないことだった。恩を忘れない者は信用され、実際、彼は生涯それを忘れなかった。


 しかし、恩を忘れぬことは、そのまま己を縛ることでもあった。


  *


 通されたのは、小御所の南に面した庭であった。


 殿上ではない。


 久光は白砂の上に敷かれた筵に膝を折り、そこから先へは一歩も進まない。前方には御簾が下がっており、その奥は薄暗くて何も見えなかった。


 この形が、この男に許された最も高い場所である。


 白砂の照り返しが、膝の下から容赦なく上がってくる。


 この時節の御所の庭は、日が高くなるにつれて焼ける。掃き改められたばかりの砂は水気を含んでおらず、真上から落ちる朝の光の照り返しが、直に顔を焼いた。


 久光は、瞬きの数を減らして耐えた。


 建白書は、既に伝奏の手に渡っていた。


 読み上げるのは久光ではない。武家伝奏の公家が紙を受け取り、御簾の内へ奏上する。久光の言葉は一度その公家の口を経由して、ようやく帝の耳へ届くのである。


 その順序を、久光は不服とは思わなかった。


 むしろ、当然であると思っていた。


 やがて、伝奏の声が白砂の上をゆっくりと渡りはじめた。


 朝廷と幕府とが背を向け合っているかぎり、この国は異国の前に立てぬこと。朝廷には御威光があり、幕府には政の器があること。その二つを繋ぎ直すためには、幕府の政を執る者を改めねばならぬこと。そしてそれを幕府の内から言うても動かぬゆえ、朝廷の御威光をもって申し渡していただきたいということ。


 読み上げが終わり、しばらく、砂の上は静かであった。


 どこかで鳥が鳴いた。


 待つあいだが、長かった。


 実際の時間は分からない。半刻か、あるいはその半分か。膝の下の砂は熱を持ちつづけ、額から流れたものが顎の先で一度だけ止まって、それから落ちた。


 久光は、動かなかった。


 それだけが、この場でこの男に許された唯一の物言いであった。


 やがて、御簾の内でわずかに人の動く気配があり、それから伝奏が向き直った。


「――薩摩の申すところ、しかと聞こしめされた」


 久光の背が、深く折れた。


「委細は追って議に付す。今日は、その旨を伝えよとの仰せである」


 これで、済むはずであった。


 建白は受け取られた。少なくとも門前払いではないということである。ここから先は朝議の話であり、時のかかる話であり、自分にできることはもう多くない。


 久光は退がる支度をしかけた。


 そこへ、伝奏がもう一言を継いだ。


「――なお」


 久光の動きが、止まった。


「近ごろ、都の内が静かになったと聞こしめしておられる」


 白砂の照り返しが、いっそう強くなったような気がした。


「辻に立つ者があり、夜には提灯が上がると。おかげで町の者が安んじて眠れるようになったとの由、まことに殊勝なることである、と――そのように仰せであった」


 久光は、動かなかった。


 伝奏は、それだけ言って口を閉じた。褒詞というほどの格式を備えた言葉ではない。正式な口宣でもなければ、書き付けが下ったわけでもない。ただ、そう仰せであった、と伝えられただけである。


 それでも、久光にとっては違った。


 建白が取り上げられるのは、政の話であった。


 朝廷にとって薩摩の建白を議に付すことは、損にも得にもなり得る一つの選択であり、そこには当然、打算がある。そのような場所で受け取られたものを、久光は喜びはしても、感激はしない。


 しかし褒詞は、違う。


 都の辻に人を立てよと命じたのは、自分である。誰に頼まれたわけでもなく、褒美を求めたわけでもなく、幕府の職分に手を貸してやる義理もなかった。それでも、帝の御膝元が騒がしいのを家礼たる者が黙って見てはおられぬと、そう思って始めたのである。


 その仕事に、御言葉が下った。


 久光は、砂の上で額を下げた。


 しばらくのあいだ上げようとしなかった。


 伝奏が退がっていく足音が遠ざかっても、久光はまだ動かず、白砂に落ちる自分の影だけを見ていた。


(……兄上)


 胸のうちに浮かんだのは、その二字であった。


 島津斉彬という人は、生涯にわたってこの国のことばかりを考え、その途中で唐突に死んだ。あの人が生きていれば、この砂の上に膝をついていたのは自分ではなかったであろうし、そのほうがきっと、事はもっと早く運んでいたに違いない。


 自分は、代わりである。


 久光はこの四年、一日も忘れたことがなかった。兄の遺した書き付けを繰り返し読み、兄の登用した者を用い、兄の描いた絵図を継ごうとしてきた。


 その代わりの身に、いま、御言葉が下った。


「……ありがたこっじゃ」

 久光は、そう呟いた。


  *


 御所を出て、供の列が二本松へ向かって歩きだしたとき、この男の歩調はいつもより速かった。


 藩邸に戻ると、久光は座敷へ入るなり大久保と小松を呼んだ。


 二人が膝を揃えるより先に、久光は口を開いていた。


「建白(けんぱく)は、上げった」


「はっ」


「議に付すとの仰(お)せじゃ。時はかかろが、門前で返されはせなんだ」


「……祝着に存じもす」


 大久保がそう答えたところへ、久光が続けた。


「それと、帯刀」


「はっ」


「市中の取締いのこっ、主上様が御存じであいもした」


 小松の顔が、そこで上がった。


「都の内が静かになった、町の者(むん)が安(やす)んじて眠(ね)れるようになった――そう仰(お)せであいもしたと、伝奏(てんそう)どのが申されもした」


 小松は、しばらく何も言わなかった。


 この若い家老は、辻に立たせる場所を絵図の上で幾晩も数え直した男である。押さえるべきは人通りの多い辻ではなく、人通りの絶える辻へ抜けるための曲がり角であるという理屈を、自分で掴んだ。そして、割り振りを組んで、兵に頭を下げさせ方まで教え込んだ。


 その仕事が、御所まで届いていた。


「……もったいなきことにごわす」


 小松の声は、わずかに掠れていた。


 久光は、その顔を見て一度だけうなずいた。


「一蔵」


「はっ」


「よお聞け。……これよりは、薩摩がこん日ノ本を牽(ひ)っ張(ぱ)っ」


 声は大きくなかったが、座敷の隅まで届いた。


「幕府(ばっふ)は、もはや己(おどん)ひとりいでは舵を取れん。朝廷にゃ御威光があっても、兵がなか。兵を持ち、金を持ち、そのうえで朝廷の御信を頂(いただ)っちょる家が、いまこん国に幾(いく)っつある」


 久光は、脇息の上で拳を軽く握った。


「一つじゃ」


 大久保は、頭を下げたまま聞いていた。


「江戸へ下っ。勅使を奉(ほう)じ、幕府に政(まつりごと)を改めさす。それが済めば、こん国は動きだっ。おいたちは、その動きだす一日目(ついたちめ)を作りに行くのじゃ」


 この男の言葉に、誤りはなかった。


 建白は本物であり、褒詞もまた本物だった。京の治安が戻ったのも、まぎれもない成果である。千の兵を動かす力も、それを支える財も、薩摩には備わっている。


 ここまでの道を築き上げたのは、ほかでもない久光自身だった。


  *


 その晩、大久保一蔵は自室で帳面をひらいていた。


 この男の帳面には、日々の出納と人の動きが几帳面な字で記されている。ただし、この二十日ばかりのあいだに、その几帳面な列のあいだへ、行き場のない書き込みが幾つも挟まるようになった。


 筆を持ったまま、大久保はしばらく動かなかった。


 褒詞は、めでたいことである。だから、水を差す者は嫌われるし、そんなことをして得をすることは一つもない。


 それでも、この男の頭のなかでは、二つの日付が並んでしまっていた。


 国父様が近衛邸から戻られ、市中の取締りを命じられた日。


 その取締りに、御言葉が下った今日。


 あいだは、半月に満たない。


 そんな僅かな間に、命令は動きとなり、ついには御所まで届いたのだ。あまりにも早い。物事とは、本来これほど滑らかに進むものではない。


(……偶然なっとか? あまりいも綺麗すごっ)


 大久保は、その一行を書かなかった。


 書かずに帳面を閉じ、行灯の火を落とした。残せば、いずれ誰かに読まれる。不都合な事実は頭の中だけに留めておくのが、この男の解であった。


二

 皐月三日の朝、大久保一蔵は自室に籠もった。


 文机の上には、京へ入ってから書き溜めた紙が積み上がっている。宿の割り、兵糧の出納、寺社の位置、町年寄の名。そのなかから、この日大久保が抜き出したのは、公家の名だけを並べた一枚であった。


 四十ほどの名が、家格の順に上から書いてある。


 関白・九条尚忠。

 左府・近衛忠房。

 議奏・中山忠能、正親町三条実愛。

 武家伝奏・廣橋權中納言。


 大久保は、上から順に筆を走らせて、名を消していった。

 関白は、動かぬ。この老人が幕府との事を荒立てる気がないことは、上洛前の調べで分かっている。議奏も伝奏も動かぬ。あれは職掌に縛られた役であって、役に縛られた者は、役の外へは出ない。


 近衛も、消した。


 消したのは、頼めぬからではない。頼めば通る。そのことは、卯月十八日の座敷で嫌というほど思い知らされている。だからこそ消した。

 あの家に二つ目の願いを持ち込めば、貸しがもう一つ増える。中身も期限も定めぬ貸しが、二つになる。


(……そげんこっは、できん)


 残った名は、下のほうにあった。


 家格の列で言えば、堂上のなかでも下から数えたほうが早い場所に、この男は数日前、筆で小さな丸を付けていた。


『岩倉具視』


  *


 その名を大久保が拾ったのは、町の噂からである。


 卯月の末、御門から京都所司代・酒井忠義へ褒詞が下るらしいという話が、京中を走った。それだけならば、薩摩にとっては面白くもない話でしかない。


 面白いのは、その話に必ず一つの名が付いて回ったことであった。


 朝議でそれを言い出したのは、家格の低い堂上だという。名は岩倉。誰も聞いたことがない。その男が、なぜ言い出したのか。


 噂は、そこから先で必ず同じ形に落ちた。


『――幕府に媚びを売って、己の家格を上げようとしておる』


 藩邸の若い者がその話を持ち帰ってきたとき、座にいた者はみな笑った。京の公家というのは、そういうことをする者どもだと、薩摩ではそう思われている。


 大久保だけが、笑わなかった。


 この男が見たのは、噂の中身ではない。噂が付いた、という一事のほうであった。


 二十年、誰の口にも上らなかった男の名が、いま京中を回っている。しかも、その男は自分から前へ出て、そうなった。


(……動かせる者は、動きたがっちょる者じゃ)


 家格の高い者は、動かない。失うものがあるからである。


 失うもののない者は、強い。


  *


 問題は、会う道がないことであった。


 薩摩藩士・大久保一蔵は、陪臣である。堂上の門を叩いて、取り次ぎを願える身分ではない。名刺を出したところで、門番のところで止まって終わる。


 道は、一本しかなかった。


  *


 皐月五日の午後、大久保は近衛邸の門をくぐった。


 庭の糸桜は、卯月に見たときよりもさらに葉を厚くしている。取り次いだのは家司の藤右衛門で、この家司は大久保の名を聞いても眉ひとつ動かさず、次の間へ通してから、静かに障子を閉めていった。


 待たされたのは、四半刻に満たなかった。


 むしろ短すぎる、と大久保は思った。左大臣が陪臣ひとりのために四半刻で座敷を空けるということが、この京でどれほどのことなのか、この男には測りかねた。


「――不肖、薩摩藩士、大久保一蔵と申しもす」


 敷居際で額を畳につけた。


「知っておる」


 上座から、そういう声が下りてきた。


 大久保の額が、畳から離れなかった。


「先だって、三郎の後ろの、次の間に控えておったな。長身の、目つきの鋭いのがそなたであろう」


「……恐れ入りもす」


「面を上げよ」


 顔を上げた大久保の目に、扇子を膝に置いた近衛忠房の姿が入った。温厚な顔つきである。卯月に次の間の下座から見上げたときと、寸分も変わらない。


「用向きを申せ」


「はっ」


 大久保は、前置きを置かなかった。


「岩倉具視様に、お引き合わせを賜りとう存じもす」


 座敷が、静かになった。


 庭で、楠の葉が短く鳴った。


「……なにゆえ、岩倉か」


 忠房の声には、驚きも咎めもなかった。ただ問うただけの声である。


「幕政改革を促す勅使を、江戸へ下していただきたく存じもす。なれど、これは薩摩が申し立てて通るものではございもはん。朝廷の内より言い出す御方が、どうしても要りもす」


「それならば、いくらでもおろう」


「おりもはん」


 大久保は、そこで一度だけ言い切った。


「家格の高き御方々は、動かれもはん。動けば失うものがおありゆえに。……失うもののなか御方が、いちばん強うございもす」


 忠房は、しばらく答えなかった。


 それから、扇子を膝の上で少しだけ動かした。


「そなた、面白いことを申すのう」


「恐れ入りもす」


「よかろう。文をやる。会うてやれとな」


 大久保の頭が、また下がった。


「かたじけのう、ございもす」


「礼には及ばぬ」


 忠房は、そこで少しだけ間を置いた。


「ただし、一つだけ申しておこう」


「はっ」


「岩倉はな、旗を持ちたがっておる男じゃ」


 大久保の額が、畳の上で止まった。


「持たせれば、喜んで持つ。持ったあと、その者がどうなるかは……そなたも、承知しておろう」


 答えるまでに、わずかな間があった。


「……承知しておりもす」


「ならば、よい」


 忠房は、それきり何も言わなかった。


  *


 大久保が退がったあと、忠房は文机の前に座って、紹介の一行を書いた。


 短い文である。

『薩摩の者が伺うゆえ、会うてやれ』

 それだけを書いて、封をした。


 それから、忠房は自分の右手をしばらく見ていた。

 震えていなかった。


 三月ほど前、江戸から届いた娘の書状に、こう書いてあった。


『――久光殿の側近・大久保一蔵なる者、近く岩倉具視殿へ接近いたす由に御座候』


 あのとき忠房は、この一行だけがどうしても腑に落ちなかった。薩摩の家中の、まだ名も知れぬ一人の男が、京の下位の堂上へ近づくと、なぜ江戸の座敷に座ったままの娘に分かるのか。


 いま、その男が自分から来た。


 来て、娘が書いたとおりのものを求め、娘が書いたとおりの理屈でそれを求めた。こちらは何一つ仕掛けていない。断らなかっただけである。


 それだけで、器はまた一つ満ちた。


(……慣れたな)

 忠房は、そう思った。


 思ったことのほうが、自分の手が震えていないことよりも、よほど重かった。


  *


 皐月六日は、朝から蒸していた。


 岩倉具視の家は、御所の東、公家町のはずれにある。堂上の屋敷とはいっても、塀は低く、門は屋根を載せただけのささやかなもので、通りから見ればそのあたりの町家とさして変わらない。


 その門の手前で、大久保は一度だけ足を止めた。


 二十間ばかり先の辻に、男が一人立っている。荷も持たず、行き先を急ぐ風でもなく、ただ立っている。


 大久保には、それが何であるかが分かった。


(……見られちょっ)


 薩摩の者が岩倉の門をくぐった、という話は、今日のうちに京を回るであろう。そうなれば、噂は形を得る。あの男は薩摩に取り入ったのだ、と。


 大久保は、それを一瞬だけ計算した。

(見られて困っとは、こちらではなか)


 門をくぐった。


  *


 通された座敷は、狭かった。


 床の間の掛物は古く、庭には石が二つ置かれているだけである。近衛邸の座敷を見てきた目には、同じ京の公家の家とは思えない。


 やがて入ってきた男を見て、大久保はわずかに目を動かした。


 公家らしい線の細さが、まるでない。顔つきも体つきもごつごつとしており、袖から出た手首の太さは、そのへんの藩士よりも武張って見えた。


「岩倉にござります」


「薩摩藩、大久保一蔵にごわす」


 大久保は深く頭を下げた。


 岩倉は、それに対して、儀礼のぶんだけ頭を下げた。それ以上は下げず、それ以下でもない。


「近衛様の御指図がござりましたゆえ、お会いいたしました」


 最初の一言が、それであった。


 冷ややかとまでは言わない。ただ、この対面が自分の意思で成ったものではないということを、この男は初めに置いた。


 大久保は、それを気にしなかった。


 愛想を求めに来たのではない。


  *


「単刀直入に申し上げもす」

 大久保は、膝の前に手をついた。


「朝廷より江戸へ勅使を下し、幕政の改革をお命じいただきたく存じもす。中身は二つ。一橋慶喜殿を将軍後見職に、松平春嶽殿を政事総裁職に。この二つを幕府に呑ませもす」


 岩倉は、黙って聞いていた。


 聞き終えてから、この男が最初に発したのは、大久保の予期していなかった問いであった。


「それは、どなたの御為にござりまするか」


 大久保の目が、一度だけ止まった。


「……日ノ本の為にごわす」


 岩倉が、そこで初めて、口の端をわずかに動かした。


「よい答えではござりませぬな」


「はっ」


「されど、嘘ではない。それで十分でござります」

 岩倉は、そう言った。


 大久保の背筋を、そのとき何かが通った。薩摩を疑うでもなく、褒めるでもなく、ただ、いま差し出されたものの真贋だけを見て、それで足りると言った。


(……この御方は、算盤を弾いておられる)


 弾いているのは、こちらと同じ算盤であった。


  *


「岩倉様。……朝議で、通りもすか」


「通ります」

 岩倉の答えには、迷いがなかった。


「薩摩の建白は、すでに議に付されておりまする。都の静謐については御門の御言葉まで下っておりまする。都を静かにした者が幕府の政について申し立てておるのでござりますから、これを黙殺する理由が、どこにもござりませぬ」


「……左様でごわすか」


「ただし」


 岩倉は、そこで湯呑みを置いた。


「一つだけ、条件がござります」


「何でございもそうか」


「勅の文言の草案は、わたくしが作りまする」


 大久保は、その一言を受け取った。


 受け取って、頭のなかで一度だけ回した。


 人選は、押さえねばならない。血気に富み、幕府を怒鳴りつけられる老公家が要る。護衛の名目で薩摩の兵を江戸まで連れていくことも、譲れない。その二つさえ握れば、あとは形の問題である。


 文言など、誰が書いても同じことであった。


「――お任せ申しもす」


 大久保は、軽く頭を下げた。


 深く下げるほどのことではない。人選と護衛さえ握れば、あとは形の問題であって、その形を誰が整えるかということに、この男は値を付けなかった。


 岩倉は、受けたとも受けぬとも言わず、ただ湯呑みを膝の前へ戻した。


 この会談で最も高価なものが、値を付けられぬまま渡された瞬間であったが、そのことに気づいた者は、この座敷に一人もいなかった。


 もっとも、岩倉の頭のなかには、その筋道がすでに入っていた。


 どこから入ったのかを、この男は言わなかった。


  *


「もう一つ、お尋ね申したきことがごわす」


 話が畳まれかけたところで、大久保はそう切り出した。


「伏見の一件にごわす」


 岩倉の顔は、動かなかった。


「四十人が、所司代の手勢だけで一晩のうちに押さえられたと聞き及びもす。……所司代の同心の数は、上洛に先立って調べ上げてございもす。あの人数で、四十は押さえられもはん」


 しばらく、誰も何も言わなかった。


 庭で、蟬にはまだ早い季節の、何かの羽音が短く鳴った。


「所司代が、働いたのでござりましょう」


 岩倉は、そう答えた。


 大久保が聞いていたのは、答えよりも、それが返ってくるまでの間だった。


 速すぎた。


 考えて答える者の間ではなかった。答えを探すこと自体を避ける者の間である。この御方も、同じ場所で足を止めている。だが、その逡巡をこちらに悟らせる気はない。


「……左様でございもすな」


 大久保は、それ以上は押さなかった。


 押したところで、材料が増えるわけではない。材料が足りぬうちに騒げば、次に本当に騒がねばならなくなったときに、誰も聞かなくなる。


  *


 辞去の支度をしているとき、岩倉が不意に、それまでとは違う調子で言った。


「大久保殿」


「はっ」


「わたくしはな、この二十年、誰の目にも入らずに生きてまいりました」


 大久保は、手を止めた。


「家格は上がらず、才だけがあって、使い道がなかった。狡いと言われ、ヤモリと呼ばれ、それでも誰も、こちらを見はしませなんだ」


 岩倉の声には、湿ったところが一つもなかった。

 恨みでも、自嘲でもない。帳面を読み上げるような声であった。


「……薩摩の下士も、似たようなもんにごわす」


 大久保は、そう答えた。


 答えてから、余計なことを言ってしまったと思った。


 岩倉は、それを聞いて、何も返さなかった。返さぬまま、初めてこの男は、儀礼を超えた深さで頭を下げた。


「では、朝議で」


「はっ」


  *


 帰りの道は、蒸していた。


 鴨川の水は前夜の雨で少し濁っており、河原には洗い物の白い列が並んでいる。大久保は駕籠を使わず、供を一人だけ連れて歩いた。


 二本松の藩邸へ戻ったのは、日が傾いてからである。


 自室に入り、行灯に火を入れ、帳面を開いた。


 筆を執って、大久保は一行だけ書いた。


 『岩倉具視は使える』


 書いてから、しばらくその一行を見ていた。


 書かなかったことが、二つある。


 一つは、伏見の一件を問うたときの、あの短すぎる間のこと。


 もう一つは、近衛邸の座敷で聞いた、旗を持つ者の話である。


『――持ったあと、その者がどうなるかは、そなたも承知しておろう』


 あの一言を、左府はまるで隠す気もなく口にした。この男はそれを同志への忠告と受け止め、そのまま岩倉の門をくぐった。


 大久保は帳面を閉じ、行灯の火を落とした。


  *


 同じころ、岩倉具視は、客の去った狭い座敷に一人で座っていた。


 膝の前には、まだ湯呑みが二つ置かれたままである。


 この男は、今日の会談で何一つ新しいものを得ていない。勅使を出すという筋道は、すでに頭のなかにあった。誰が言い出すか、誰が文言を握るかということまで、とうに決めてあった。


 足りなかったものは、一つだけである。


 それを求めに来る者であった。


 求めに来た者は、薩摩から来た。千の兵を持ち、金を持ち、御門の御覚えを得たばかりの家である。その家の男が、自分の門を叩き、頭を下げて、文言を任せると言って帰っていった。


(……揃うたな)


 岩倉は、そう思った。


 これで、朝議で紙を読むための理由が、外側からも揃った。近衛の名を出さずに済み、しかも押し出してくれる家が付いた。これ以上の形はない。


 立ち上がって、障子を開けた。


 狭い庭の向こうに、低い塀がある。その塀の外を、見慣れぬ者が一人、ゆっくりと通っていった。

 岩倉は、それを見ていた。


 見ていたが、何も思わなかった。


 旗を持つ者が的になるということは、初めに聞かされている。聞かされたうえで、この男は自分から手を挙げたのである。


 そして今日、その旗に、薩摩という色が一つ加わった。


三

 皐月九日、御所の朝議は、いつもより早く始まった。


 この日の議題は幕政改革を求める勅使を江戸へ下すか否かであったが、実のところ、議論の余地はほとんど残っていなかった。


 薩摩の建白は既に取り上げられており、都の静謐が保たれていることについては帝の御言葉まで下っている。都を静かにした者が幕府の政について申し立てているのだから、これを黙殺する理由が誰にも見つからなかった。


 畳の上には位のとおりに座が敷かれ、上座から順に、烏帽子と直衣の色が濃いところから淡いところへときれいな段を作って並んでいる。開け放たれた戸の向こうでは、庭の苔が朝の水を含んで黒く光っていた。


 関白・九条尚忠は、上座で満足そうにしていた。


 この老人は、ここ幾日か機嫌がよい。


 勅使に大原重徳を据えるという案は、もともと自分が思いついたものである。左府がいささか激しすぎるのではないかと難色を示したのを、自分が押し切った。大原殿ならば必ず幕府を押し切るであろうと、そう言い募ったのも自分であった。


 その案が、いま朝議の中央で追認されようとしている。


 人選について、議論は起きなかった。


 誰かが「他に適任は?」と言いかけたが、その声はすぐに引っ込んだ。既に一度、関白が推した名である。推した当人が上座で満足そうにしているところへ、別の名を持ち出す者はいない。


 議は、そのまま次へ進んだ。


  *


 勅の文言の草案は、末席のほうから読み上げられた。


 岩倉具視である。


 この男が朝議で紙を読むところを見るのは、この座の誰にとっても初めてであった。


 公家らしい線の細さがまるでない、ごつごつとした顔と体つきの男である。家格は堂上のうちでも下のほうにあり、そういう者が末席で黙って座っているのは当然であって、そこで紙を読み上げるということは、本来ならばあり得ない。


 しかし、あり得ないことが、この日は起きた。


 文言の草案を作ると自ら申し出たのが岩倉であり、申し出た以上、読み上げるのも岩倉であるという単純な流れだ。だが、そこへ至るまでに二十年がかかっていた。


 岩倉は、紙を胸の高さに持ち上げた。


 声は、思いのほか通った。


 読み上げられていく文言は、強い言葉を一つも使っていない。命じるでもなく責めるでもなく、いまこの国が置かれている有様をまず述べ、そのうえで政を執る者の器を改めることが望ましいと、順序よく続けていくだけである。


 誰も、途中で口を挟まなかった。


 挟むきっかけが、どこにも見当たらなかったからである。強く出ているところがあれば咎められるし、弱すぎるところがあれば直せと言われる。この草案には、そのどちらの引っかかりもなかった。


 読み終えて、岩倉が紙を下ろした。


「――結構である」


 上座から、そういう声が下りた。


 それで、決まった。


  *


 岩倉具視は、その日、退出するまでのあいだ、ほとんど何も言わなかった。


 言う必要がなかったのである。


 朝議のあいだじゅう、この男の背には幾つもの視線が当たっていた。堂上でも下位の男が、いま座の中央で紙を読んでいる――全員がその事実を目撃していた。これこそが、この男の欲しかったものであった。


 二十年、誰の視界にも入らなかった。


 岩倉村の実家は貧しく、家格は上がる見込みがなく、才気だけがあって使い道がなかった。志士どもと交わったのも、身分を気にせず話ができる相手が、そこにしかいなかったからである。狡いと言われ、ヤモリと呼ばれ、それでもこの男は諦めなかった。


 もっとも、この男は喜びを顔に出さなかった。


 出せば、誰かの反感を買う。


 家格の低い者が、喜びを見せることほど危ういものはない。岩倉具視は、それを二十年の沈黙の中で学んでいた。


 だから、この日も表情を変えなかった。

 しかし、頭の中では次の手を考えていた。


 草案を引き受けたのは、勅使派遣を通すためだけではない。この文言を握る者こそが、一件の流れを握る。


 岩倉はそう考えていたが、一つだけ見落としがあった。


 紙に記された言葉は確かに岩倉の筆によるものだった。

 だが、その筋道を作ったのは岩倉ではない。


 近衛忠房が示した道筋を、岩倉は自分の言葉に直しただけだった。


 そのことに、まだ気づいていなかった。


 長く耐えた者の前に、ようやく道は開いた。


  *


 朝議が散じたあと、廊で、忠房と岩倉はすれ違った。


 忠房はこの日も、一言も発していない。


 議題の間じゅう座っていただけであり、問われれば短く答え、そうでなければ何も言わなかった。上座からその姿を見た者は、左府はこの一件についてさして関心を持っておられぬのだと受け取ったであろうし、そう受け取った者が幾人もいた。


 二人は、目を合わせた。


 合わせて、どちらからともなく会釈をした。


 それだけである。言葉は交わさず、足も止めず、二人はそのまま反対の方向へ歩いていった。


 歩きながら、忠房は一度だけ背後を振り返った。


 あの男はいま、二十年越しの願いを叶えたところにいる。しばらくは、自分の足元など見えまい。


(……済まぬな)


 忠房は胸の内で呟いた。


 その言葉を、消そうとは思わなかった。


 消してしまえば、次に誰かを犠牲にするとき、ためらいまで失う。


 だから、この詫びだけは残しておく。


 それが忠房に残された、唯一の歯止めだった。


  *


 その日のうちに、京の町では、一つの名が回りはじめた。


 高瀬川の西、四条を少し下がったあたりの煮売り屋では、その夕方から同じ話が繰り返されていた。


 朝廷が、幕府へ使いを出すという。


 幕府の政を改めよという使いである。理屈だけを見れば、悪い話ではない。だが、その始まりは薩摩の建白だった。


 そして、その薩摩は今、京の辻で自分たちを追い払っている。受け入れるべき話ほど、受け入れ難いこともある。


「……取りなしたのは、誰だ?」


 その問いは、卯月の末から幾度も出ていた。


 答えは、この日はっきりした。


 朝議で草案を読み上げた者の名が、どこからともなく町へ流れてきたのである。誰がそれを持ち出したのかは分からない。京というところでは、噂の出どころを訊く者はいない。


「岩倉、と申したか」


「聞かぬ名じゃ」


「聞かぬはずよ。家格は下じゃそうな」


「その男が、なぜ朝議の真ん中で紙を読む」


 誰かが、そこで盃を置いた。


「――薩摩に取り入って、己の家格を上げようとしておるのではないか」


 その一言が、座に落ちた。


 落ちたところで、話は形を得た。


 人は、怒りを向ける相手を欲しがる。相手の名がなければ、怒りは行き場を失う。だから人は、誰かを定めることで、自分の中の憤りを外へ逃がそうとする。


 名が、見つかった。


  *


 その翌日から、岩倉具視の家の前を、見慣れぬ者が通るようになった。


 同じ者が一日に二度も三度も通り、門の前で足を緩め、それからまた行ってしまう。夜になっても提灯を持たずに歩く者があり、その者は塀の角のところでしばらく立ち止まってから、暗いほうへ消えていった。


 家の者が気づいたのは、三日ほど経ってからである。


四

 皐月十二日の伏見は、朝から蒸していた。


 水路の面には靄が薄く残っており、その靄を透かして、繋がれた三十石船の輪郭がぼんやりと浮かんでいる。前の晩に雨が降ったので、南浜の通りは土の色が濃く、歩けば足の裏に湿った感触が返ってきた。


 この道場は伏見の町に馴染みきっていた。


 近所の子供が竹刀を借りにきては、若い隊士に転がされて帰っていく。町内の寄合があれば場所を貸し、祭りの折には幟の立て方まで手伝った。伏見の者にとって、ここは剣術のできる手習い師匠が構えている、少し変わった家というだけの場所である。


 その板戸が、この朝は早くから開いていた。


 伏見の道場――京都試衛館の看板を掲げた建物の前に、五人が立っていた。


 沖田総司。

 斎藤一。

 鳴海次郎。

 鷲尾官兵衛。

 壬生影明。


 いずれも菅笠に脚絆、振り分けの荷という旅装にすぎない。江戸まで二週間の道を歩くための、最低限の支度であった。


 山南敬助は、その五人の前に立って、順に顔を見ていった。


 急がなかった。


 八人が江戸を発ったとき、姫がひとりひとりの前に立って言葉をかけたという話を、山南は近藤からの文で読んでいた。それは随分と手間のかかることをなさるものだと思った。


 いまは、その手間の意味が分かる。


 人を送り出すときの言葉は、残る者のためではない。去る者が、後になって思い返すためのものだ。

胸に残る一言を持つ者と、何も持たぬ者では、同じ土間に立っても覚悟の置き方が違う。


 だから山南は、急がなかった。


 目の高さを合わせ、一人ずつ顔を確かめてから次へ移る。それだけのことに、この男はずいぶん長い時をかけた。


 鳴海次郎の左腕は、まだ完全には上がらない。


 晒しは取れているが、動かせる幅がもとの半分ほどしかなく、本人はそれを「まあ、そのうち戻りますよ」と言って笑っている。眠たげな三白眼が、いつもと同じ角度で少し垂れていた。


 鷲尾は、日焼けした顔をいつもどおり不敵に歪めている。


 この男は無傷であった。裏庭の包囲にも土間の乱戦にも加わりながら、掠り傷ひとつ負わずに帰る。野生の勘というものを、山南はこの男を通じて初めて信じるようになった。


 壬生影明は、いつもどおり何の表情も浮かべていない。


 しかし、この朝にかぎって、この若者の目だけが時折、東のほうへ向いた。


 江戸には、この男を待つ者がいる。そう言われたのは、壬生影明にとって初めてのことだった。誰にも見送られず、待たせる者もいなかった男が、初めて自分の帰りを願う者を得た。その一言だけを、影明は四十日のあいだ胸に抱いていた。


 斎藤一は、何も変わらない。


 変わらないように見えるだけだった。


 虚無の目も、重い口も、立ち姿も、江戸を発った日と変わらない。だが、伏見以来、この男は沖田総司から二尺以内を離れなかった。


 刀が届く距離。


 誰に命じられたわけでもない。


 伏見の夜を見た者には、その後を背負う役目がある。斎藤一は、そう決めていた。その役目を誰かに語るつもりもなかった。


 そして沖田である。


 この男は、四十日のあいだに二度、笑い方を失っている。


 一度目は伏見の夜が明けた朝であり、二度目は大徳寺で左大臣に肩を叩かれたときであった。いずれも、笑おうとして出てこなかった。それがこの男にとっては痛みよりも厄介である。


 沖田総司にとって、笑うことは呼吸のようなものであった。


 場が重くなれば笑い、誰かが迷えば先に笑ってみせる。強い相手を前にしても、この男は笑ったまま刀を抜いた。


 その笑顔は、沖田総司という人間そのものだった。だが、それはもう以前のようには出なかった。

顔色は戻らない。痩せた頬のせいで、目ばかりが深く見える。右の手首から先も、まだ思うようには動かなかった。


 五人の後ろに、誰もいない。


 山南は、そのことを言わなかった。


 言葉にした瞬間、それは現実になる。


 だから、この朝だけは沈黙を選んだ。


 この朝、山南が守ったのは、まだ言葉にされていないものだった。


 だから、ただ五人の顔を見た。


「――皆さん」


 山南が、そう呼んだ。


「はい」


「道中、無理をなさらないように」


 それだけであった。


 誰も、余計なことを言わなかった。


  *


 山南は、懐から一通の書状を取り出して、沖田へ渡した。


「左大臣様からのお預かりものです。江戸へ着かれましたら、姫様へ直接お渡しください」


「承知しました」


 沖田は両手で受け取り、懐へ収めた。


 中身は知らされておらず、沖田は訊きもしなかった。


 それから山南は、もう一つ、小さなものを取り出した。


 手控えであった。


 束になったそれを見た瞬間、沖田総司には誰のものか分かった。


 江戸を発つ前の朝、庭で並んだとき、あの男は懐から取り出した手控えと筆を帯の奥へ収め直していた。姫の前へ出る前に身なりを整えるつもりだったのだろう。それを終えてから、姫に向き直ったのだ。


 束になっていた。


 白紙のものもあれば字が書かれたものもあり、どれも縁がわずかに擦れていた。


「これは、浅黄さんの荷から出てきたものです」


 沖田の指が、そこで止まった。


「筆のほうは、折れておりました。……こちらだけ、お持ちください」


 沖田は、その束を受け取った。


 思ったより、重かった。


 紙の束は本来軽いはずなのに、その一束だけは掌にずっしりと沈むように感じられた。何枚あるのか数えかけ、途中でやめた。数えれば、文字のない白紙の枚数のほうが気になってしまうからだ。


 受け取って、しばらく手の中で眺めた。表になった一枚には、細かい字で何やら書き付けられている。伏見に着いた日の宿の見取り図らしく、部屋の数と柱の位置が几帳面な線で描かれていた。


「……浅黄さんは」


 沖田が、そう言いかけた。


「はい」


「江戸を出るとき、姫様に、書き留めるに足る首尾にしてご覧に入れますと言っていました」


 山南は、その言葉を黙って受けた。


「なりましたよ」


 沖田は、手控えの束を懐へ入れた。


「首尾は、なりました」


  *


 そのとき、山南敬助の口許に、笑みが浮かんだ。


 伏見の夜から、この男が笑ったのはこれが初めてである。


 あの朝、寺田屋の割れた戸口の前に立っていたとき、この男の顔にはいっさい何も浮かんでいなかった。所司代の与力に頭を下げたときも、大徳寺の砂の上に手を揃えたときも、口許は動かないままであった。


 いま、それが戻っている。


 ただし、伏見の前とは、質が違った。


 以前の笑みは、相手を包み込むための笑みであった。話しかけられる前から相手を受け入れているような、温かい、柔らかいものである。伏見の町人は、その笑みを見て、この人は手習いの師匠であると信じ込んでいた。


 いまの笑みは、そうではない。


 包むためのものではなく、こらえるためのものであった。この男は、笑っていなければ言えぬ言葉を、いま言おうとしている。


「沖田さん」


「はい」


「江戸へ帰られたら、しばらくは何もなさらぬがよろしい」


 沖田が、少し目を丸くした。


「刀は、置いておかれることです。あなたの手は、まだ刀を握れる。だからこそ、危ういのです」


 山南はそこで一度言葉を切り、静かに告げた。


「完全に握れなくなるまで待ちなさい。それから、改めて刀を持ちなさい」


 沖田は、返事をしなかった。


 返事の代わりに、深く頭を下げた。


  *


 街道の外れまで、権藤凱山と京組が見送りに出た。


 誰も、余計なことを言わなかった。


 伏見の宿場を抜けて、大津へ向かう坂にさしかかるあたりで、権藤が足を止める。京組の十七人もそこで止まり、五人だけが先へ進んだ。


 鳴海次郎が、荷を二つ担いでいた。


 沖田の分である。持つと言い出したのは鳴海であり、断ろうとした沖田を、この男は眠たげな顔のまま押し切った。


「……いやあ、沖田さんに持たせて途中で落とされたら、あたしが山南さんに叱られますから」


 左腕は、まだ上がらない。


 上がらぬ腕で、この男は二つの荷を右肩へまとめて担ぎ上げた。


  *


 東海道の二週間を、五人はほとんど黙って歩いた。


 大津から草津へ抜け、鈴鹿を越え、宮から桑名まで船に乗り、それからまた歩いた。梅雨の走りらしい雨に幾度か降られ、そのたびにどこかの茶屋の軒を借りて、雨が上がるのを待った。箱根の坂では、沖田の足が思うように運ばず、一日を余計に費やした。


 宿ではよく眠り、朝は早く発った。


 誰も、伏見のことを話さなかった。


 だが、それは忘れているということではない。


 鳴海次郎は、宿へ入ると必ずいちばん先に部屋の柱と鴨居の高さを見る。癖になったのである。鷲尾は夜中に幾度も目を覚まし、そのたびに廊下の物音を確かめてから、また寝た。壬生影明は、江戸が近づくにつれて口数が減った。


 箱根を越えた晩、宿の二階で、鷲尾がふと言った。


「……轟の野郎、飯だけはよく食いやがったな」


 それだけであった。


 誰も返さず、しばらくして誰かが笑い、それきりになった。笑ったのは沖田であったかもしれないし、鳴海であったかもしれない。灯りを落としたあとであったから、確かめた者はいない。


五

 皐月二十二日の京は、朝から人が出ていた。


 三条大橋の東詰から粟田口へ抜ける道の両側は、夜明け前から見物の者で埋まっている。京の町人にとって、千の兵が街道を下っていくところを見られる機会など、生涯に一度あるかないかであった。


 行列は、長かった。


 先頭が粟田口を越えても最後尾はまだ三条にあり、槍を立てた足軽の列が途切れることなく続いていく。具足櫃を担ぐ者、鉄砲を負う者、荷駄の馬を引く者。丸に十の字の紋を染めた幟が幾旒も並び、朝の風にひとしきり鳴った。


 見物の町人たちは、その行列を静かに見ていた。


 三条小橋の南の料理屋から出てきたおきぬも、そのなかにいた。この一月のあいだ、夜の使いに出るのが怖くなくなったのは、この紋のおかげである。その紋が、いま江戸へ向かって出ていく。


 誰かが、隣で「行ってしまわはるんどすなあ」と言った。


 残る組もあるという話ではあった。実際、辻に立つ者は当分そのままにすると触れが出ている。それでも、これだけの数が街道を下っていくのを見ていると、京がまた少し薄くなるような気がした。


 おきぬは、行列が粟田口の坂を上がっていくのを、最後まで見ていた。


  *


 その列の中ほどに、一挺の乗物があった。漆黒の輝きを放つ、大ぶりな「乗物(のりもの)」が、大勢の足軽たちの肩に担がれてゆったりと揺れていた。黒漆塗りの四角い車体には金泥の紋様が施され、引き戸の隙間からは、うっすらと御簾が覗いている。


 徳川の世にあっても、なお天下の頂に立つ朝廷の権威そのものである。


 勅使・大原重徳が乗っていた。


  *


 大原重徳は、この年で六十の坂を越えている。


 だが、この老公家の血気は、若い者を凌ぐほどに盛んであった。


 昨夜は、ほとんど眠っていない。


 眠れなかったのではなく、眠る気がなかったのである。夜半まで一人で勅書を読み返し、膝を打ってはまた初めから読み直した。


 よい文である、と大原は思っていた。


「うむ、実によい!」


 どこにも無理がなく、どこにも隙がなく、幕府が読めば必ず身を正すであろうと思われた。これを江戸城の広間で自分が読み上げるところを、この老人はもう幾度も頭のなかで演じていた。


 もっとも、と大原は思う。


 文というものは、書いてあることよりも、誰が読むかで決まるのである。


 同じ紙でも、腰の引けた者が読めば伝わらぬし、腹の据わった者が読めば通る。この紙の値打ちは、自分が読み上げてこそ完成するのだ――そう信じることに、この老公家は何の疑いも持たなかった。


 この老公家が朝廷で名を知られているのは、才によってではない。


 声によってであった。


 議の席で誰も言い出せずにいることを、この男は平気で言う。言えば角が立つと分かっていて言うため、たいていの者は大原を敬遠した。それでも、六十を越えるまで一度も口をつぐむことはなかった。


 そういう男が、初めて舞台を与えられたのである。


 自分が、幕府を動かす。


 もっとも、この老人が読んでいるのは、書いてある言葉だけであった。


 一句一句が何を縛るかまでは、読めていない。


 後見職という職にどこまでの権限を認め、どこまでの期限を切り、誰の意によって据えられたことになるのか――その数行が、この先十年の国の形を決めてしまう。そのことに、大原重徳は気づいていなかった。


 気づかぬまま、この老人はその紙を「強い文である」と受け取っている。


 強くはないのであって、ただ断りにくいというだけの紙である。断りにくい紙を強い紙だと思い込んだ者は、それを最も強い調子で読み上げるであろうし、そのほうがこの紙にとっては都合がよかった。


 その確信を、大原重徳は乗物のなかで温めていた。


  *


 久光は、行列の後方にいた。


 護衛の任にある以上、前へは出ないのが筋であった。


 勅使を奉じて江戸へ下るというこの任を、久光は誇りに思っていた。無位無官の身が、主上様の使いを守って東海道を行くのである。これほどの名誉が、島津の家にかつてあったであろうか。


 勅の中身を、この男は一字も知らない。


 知らぬことを、不満とも思わなかった。


 勅というものは、勅使が奉じて運ぶものである。護衛の役目は、その勅使を無事に江戸まで届けることであって、紙の中身を読むことではない。役目の境目をきちんと守るということが、この男にとっては忠義そのものであった。


  *


 その行列の全員が、それぞれ違うものを誇りに思っていた。


 大原重徳は、自分がこの紙を読み上げるという一事を誇っている。


 久光は、主上様の使いを守るという任を誇っている。


 小松帯刀は、京に残して置いてきた市中取締りの組が、自分のいないあいだも回ることを誇っている。


 大久保一蔵は、この行列がここまで一日の遅れもなく組み上がったという事実を誇っている。


 足軽たちは、京の町人が道の両側から自分たちを見ているということを誇っている。


 誰一人として、同じものを見ていない。


 それでいて、全員が同じ方角へ歩いていた。


  *


 小松帯刀は、粟田口の坂を上がりきったところで、一度だけ京を振り返った。


 振り返って、下腹を軽く押さえた。


 この一月、この若い家老はほとんど眠っていない。市中の取締りを組み、割り振りを直し、そのうえで千の兵を東海道へ出す支度をした。痛みは三日前から戻ってきており、いまは歩くたびに腰の奥へ響く。


 それでも、悪くない気分であった。


 自分の組んだものが、京に残る。そして、自分のいないあいだも人を守る。武士の仕事として、これ以上に手応えのあるものを、この男はまだ知らなかった。


  *


 その朝、近衛忠房は、邸の庭にいた。


 この朝、忠房は見送りには出ていなかった。


 出る理由がなかったのである。勅使を送るのは朝廷であり、朝廷を代表して見送る者は既に決まっており、そこへ左大臣が加わる必要はどこにもない。加わればむしろ、なぜ左府がと問う者が出る。


 だから、庭にいた。


 糸桜の下に立って、東の空を見ている。


 邸からは街道は見えない。見えないが、粟田口のほうから細い砂埃が上がっているのは分かった。風のない朝であるから、埃は横へ流れず、まっすぐ上へ昇っていく。


 忠房は、それをしばらく眺めていた。


(……与えるものは、すべて与えた)


 座は久光へ渡した。


 名誉も渡し、旗も持たせた。朝廷の顔は岩倉に据え、勅使には大原を立て、市中の取締りという功名まで薩摩の手に握らせた。


 外から見れば、近衛家はこの一件で何一つ得ていない。


 それどころか、伏見では隊士七名を失った。その名を石に刻むこともなく、手柄さえ幕府へ渡した。残ったものは、失ったものばかりだった。それでも、忠房は名を求めず、ただ役目だけを果たしている。


 残ったのは、紙一枚に書かれた数行だけであった。


(……それで、足りる)


 忠房は、そう思った。


 それ以上は考えなかった。ここから先は、江戸にいる娘の道である。父にできることは、器を整えるところまでだった。


 その器に何が満ちるのか――それは、もう自分の手の届かぬ場所で決まる。


 砂埃が、ゆっくりと薄れていった。


 糸桜の葉が、風もないのに一度だけ大きく揺れた。


六

 東海道は、その皐月のあいだ、二つの群れを運んだ。


 一方は、千の兵と一挺の乗物。幟を立て、槍を並べ、宿場ごとに人払いをさせながら、日に六里か七里の速さで下っていく。街道は半日ふさがり、商人も飛脚も、皆が脇へ寄って通り過ぎるのを待った。


 もう一方は、たった五人だった。


 菅笠に脚絆、振り分けの荷。誰も気に留めず、宿場で名を問われることも、脇へ寄れと言われることもない。行列より十日早く京を発ち、より速く歩いて、先回りして江戸へ着いた。


 同じ道であり、箱根の関では同じ役人に手形を検められた。五人のときは咳をする若者を役人がわずかに避け、一千のときは役人が道の脇へ寄って頭を下げた。


  *


 沖田総司たちが江戸へ戻ってきたのは、それからさらに日を経てからのことであった。


 顔色は悪く、痩せて、歩き方に力がなかった。それでも屋敷の庭に立ったとき、彼はいつものように笑ってみせた。


「ただいま戻りました。……いやあ、ちょっと、無理をしましてね」


 糸子は、その笑い方をよく知っている。


 だからこそ、それが作られたものであることも判った。


「沖田殿」


「はい」


「……よく、帰ってきてくださいました」


 それ以上の言葉を、彼女は選べなかった。労いも、詫びも、感謝も、どれを言っても足りないか、あるいは軽すぎる。


 沖田は少し目をまるくし、今度は作らずに笑った。


「姫様。約束、守れませんでした……」


「……いえ、守っていただきましたよ」


 糸子はそう返した。自分の声が思ったよりも落ち着いていることに、彼女自身が少し驚いていた。


「人数は少なくなりましたが、あなた方はちゃんと帰ってきてくださいました。それが約束でござりました。他のことは、わたくしが引き受けまする」


「まずはゆっくり…京での疲れをとってくださいまし」


 沖田は何か言おうとして、言えずに、そのまま黙って頭を下げた。痩せた肩の上下が、呼吸というより何かをこらえるための動作であることを、糸子は見て取った。


 そして、そこへ踏み込むことはしなかった。本人がその気になるまで待てばいい。話したくないなら、そのままで構わない……


 風が通り、青葉の匂いが座敷の奥まで届いてくる。江戸の初夏はこうして毎年やってきて、去年もその前も、彼女はこの匂いを同じ場所で嗅いでいた。


 伏見の水路の匂いも、蛙の声も、糸子は知らない。そして、これからも人を出し続けることになる。


 彼女は、止まるわけにはいかないのだから。


 第百六十四話 了

Aパート「京洛布陣編」はこれで終わりです。

やっと終わったよーー(;^ω^A


次回からは、幕間を数話挟んで…後半のBパート「将軍後見編」をお楽しみくださいヽ(´▽`)ノワーイ♪


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― 新着の感想 ―
悲しいけど良い話だった。
京都布陣編は色々暗い展開がありましたが、忠房さんの墓参りのシーンと最後の糸子と沖田の会話でちょっと救われました。
読んて楽しかった
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