第百六十三話「京洛布陣編―凱歌と、掘られた河床」
一
相国寺の東、二本松と呼ばれるあたりに構えられた薩摩藩邸の庭では、卯月も十八日を数えるころになると、苔の照り返しがすっかり夏のそれに変わっていた。
朝のうちは風があった。
その風が昼前にぱたりと止み、あとは日ざしだけが遠慮なく降りてきて、庭石の表面が触れられぬほど熱を持つ。縁側の板は白く乾き、その上を歩くと足の裏に軋みが伝わってきた。塀の内側に植えられた楠の若葉が、時折思い出したように鳴るのだが、その音がかえって庭の静けさを際立たせている。
庭の隅では、鹿児島から運ばせた蘇鉄が、この京の土に慣れきらぬまま葉を広げていた。国父が上洛するにあたって藩邸の体裁を整えよという下知が出た折、誰かが気を利かせて船で運ばせたものである。京の庭に据えられたその一株だけが、周りの苔とも楠とも折り合わぬまま、南国の形をして立っている。
その静けさのなかへ、乗物が入ってきた。
近衛邸からの帰りである。
供の者が戸を引くより先に、島津久光は自分で身を屈めて外へ出た。この男は所作に隙を作らぬことで知られており、乗り物から降りるときですら、必ず一度は袴の膝を確かめてから足を運ぶ。その手順が、この日は一つ飛んだ。
玄関前で控えていた大久保一蔵が、まずそれに気づいた。
顔を上げると、久光の口許がわずかに緩んでいる。
真一文字に結ばれているのが常のあの口が、この日は左の端だけ、ほんの少し下がりきっていなかった。表情らしい表情を人前で作らぬ主君であるから、その一分の緩みは、余人にとっての破顔と同じ重さを持つ。
その隣で、小松帯刀も同じものを見ていた。
二十七歳のこの若い家老は、久光の顔色を読むことにかけては藩内でいちばん巧い。幼いころから病がちであったこの男は、人の顔色を読まねば生きてこられなかった。この日、その目に映ったのは、はっきりとした満足であった。
首尾は上々であったのだと、二人は同時に理解した。
座敷へ上がるなり、久光は脇息を引き寄せて腰を下ろし、茶が運ばれてくるのも待たずに口を開いた。
「帯刀」
「はっ」
「兵を出せ」
小松の背筋が伸びた。
「京ん中じゃ。三条から四条、河原町、東は祇園社ん門前まで、薩摩ん者ば昼夜置け。二人ひと組で立たせ、夜は提灯を持たせよ」
「……中ん、取締まりにござりもすか」
「そうじゃ」
久光は、そこで初めて茶碗を取り上げた。
「都ん内で四十人が刃を持っちょっ集まるよなこっを、二度と起こさせてはならん。所司代には所司代ん職分があろうが、あん人数では手が回らんこっは、先だってん一件で天下に知れた」
「……はっ」
「薩摩がやる。誰に頼まれたわけでもなか。褒美を求めるわけでもなか。帝ん御膝元が騒がしいのを、家礼たる者が黙っちょっ見ておられるかというだけのこっじゃ」
小松は、その言葉を一分の疑いもなく受け取った。
頭のなかでは既に人数の割り振りがはじまっている。二人ひと組で辻に立たせるなら、昼夜二交代として一辻あたり四人。主だった辻を二十も押さえれば八十人であり、そこへ巡邏の組と控えの組を足せば、二百は要る。宿の割り振りを直さねばならず、兵糧の出し方も変えねばならない。
この男は、そういう算段を苦にしなかった。
命じられた仕事を、疑わずに完璧へ持っていく。それがこの若い家老の最も優れたところであり、そして、この日にかぎっては、最も危ういところでもあった。
「――ただし、帯刀」
久光の声が、そこで一段低くなった。
「はっ」
「京都所司代とは、断じて揉むな」
小松の目が、わずかに動いた。
「向こうの縄張りへ勝手に踏み込むな。捕らえた者は必ず所司代へ渡せ。手柄を争うな。町人が薩摩を頼るのは構わんが、所司代を軽んじる言い方だけは、藩の者に一切させるな」
「……肝に銘じもす」
「よいか、帯刀。此度のこっで幕府と角を突き合わせては、すべてが台無しになる。おいたちが京へ来たのは、幕府を潰しに来たのではなか。幕府に正しく政を執らせに来たのじゃ。守る者が守る者と争うては、笑い話にもならん」
小松は深く頭を下げ、拝命して退がっていった。
その背中を見送りながら、久光は己の思慮の深さに酔っていた。
若い家老に任せきりにすれば、必ずどこかで所司代と摩擦が起こる。起こる前に釘を刺しておけるのは、上に立つ者の器量である――その確信に誤りはなかった。
ただ、その釘を打ったことによって、薩摩という藩は自分の手で自分を縛ったのである。京の治安を守れば守るほど幕府の職分を助けることになり、助けた分だけ幕府とは事を構えにくくなる。守る者になった以上、壊す側へは回りにくい。
久光は、思い出してもいなかった。
近衛邸の座敷で、あの温厚な公家がどのような順序で言葉を並べたかを、この男は正確に覚えている。だが、その言葉のあとに自分がどう動いたかとの繋がりまでは、辿り直していない。
示唆を受けたのは事実である。しかし、受けた示唆をどう使うかを決めたのは自分であり、決めた以上、これは自分の企てであった。
そう思うことに、何の無理もなかった。
その仕組みを、この座敷にいる誰も見ていなかった。
廊下を渡っていく小松の足取りは、いつもより速かった。
この若い家老は、大きな仕事を任されたときにだけ、痛む腹のことを忘れる。そのあいだだけは、寝食を削っても平気であった。削った分がまとめて戻ってくるのが数日後であることを、この男は承知していながら、それでも忘れることをやめられない。
*
小松が退がったあと、座敷には久光と大久保の二人だけが残った。
大久保一蔵は、いつもの場所に膝を揃えている。
長身で面長な大久保一蔵は、鋭い目つきのまま黙して控えていた。その存在だけで場の空気が締まるため、藩の若い者たちは大久保のいる部屋を通るときに、みな自然と足音を殺すようになっていた。
「一蔵」
「はっ」
「あの会談、どげん見た」
大久保は、少し間を置いてから答えた。
「おおむね、国父様のお望みどおりになったかと存じもす」
「うむ」
「上奏の取りなしを頂き、家礼としての礼をもって迎えられ、そのうえで御門への道筋まで示された。これ以上を望むのは、欲が過ぎもす」
久光は、その通りだというようにうなずいた。
うなずいたところへ、大久保が一つだけ差し出した。
「ただ」
「なんじゃ」
「それがしが気にかかりもしたは、近衛様の仰せられた――」
大久保は、そこで言葉を選ぶように一度切った。
「『貸し一つ』という、あの一言にごわす」
庭で、楠の葉が短く鳴った。
この男が引っかかっているのは、貸しの大きさではない。上奏の取りなしがどれほどの値打ちかということであれば、それは計れる。計れるものは、いずれ返せる。
問題は、形であった。
金でもなく、兵でもなく、米でもない。期限も定めず、内容も定めず、ただ「貸し一つ」とだけ言い置かれたのである。定めぬということは、いつでも、どんな形でも取り立てられるということであった。
しかも、この貸しを言葉にしたのは、貸した側の口からである。
本来、貸しとは借りた側が口にするものであり、貸した側がわざわざ数えてみせるのは、後日必ず取り立てるという合図にほかならなかった。
「……一体、わが等に何をさせる気やら」
大久保は、そう呟いた。
久光の返答には、迷いというものが一片もなかった。
「ふむ、確かにな」
湯呑みが、静かに置かれる。
「じゃっどん、薩摩は近衛家門流の臣じゃ。どげんなこっでん、無下には扱えん。此度のこっでは、なおさらぞ」
大久保は、その言葉を正面から受けた。
受けて、返す言葉がなかった。
この主君は、正しいのである。六百年にわたって近衛家を主家筋と仰いできた家の当主として、この返答に一分の誤りもない。鎌倉のころ、島津の初代が近衛家領の地頭として立ったところから、この関係は始まっている。その筋目を軽んじるということは、島津という家そのものを軽んじるということであった。
誤りがないからこそ、逃げ道が一本もない。
どんな取り立てが来ようと、薩摩はそれを断れない。断れば、六百年の家格が崩れる。家格が崩れれば、外様でありながら千の兵を動かせるというこの藩の立場そのものが、根から腐る。
「……国父様のおっしゃるとおりかと存じもす」
大久保は、そう答えて頭を下げた。
それ以上は言わなかった。
この男は、根拠のない不安を口にし続けるほど若くない。材料が足りていないうちに騒げば、次に本当に騒がねばならなくなったときに、誰も聞かなくなる。三十を過ぎたころから、大久保一蔵はそのことを骨身に染みて理解していた。
*
その日の夕刻、大久保は小松の部屋を訪ねた。
小松は文机の前で人数の割り振りを書いており、脇には既に何枚もの書き付けが積まれている。大久保が入ってきたのを見て筆を置き、腹のあたりを軽く押さえながら、少しだけ姿勢を崩した。この若い家老は、疲れが溜まるとまず下腹が痛む。
「一蔵さぁ。どげんしもした」
「……訊きたいことがごわす」
大久保は、膝を進めた。
「近衛様は、なしてあっこまで親切なこっか」
小松の手が、書き付けの上で止まった。
「国父様は、家礼の筋目じゃと仰せになった。それは正しか。じゃっどん、筋目だけで、あそこまでやりもすか」
大久保は、指を折りながら並べていった。
一つ。伏見の一件が、所司代の手勢だけで片づいたということ。同心の人数は上洛に先立って調べ上げてあり、その人数で四十人を押さえられる道理がない。
二つ。京の浪人が去年の暮れから騒いでいたという説明が、あまりにも無理なく通ったということ。それは結構だが、無理がなさすぎるものには、たいてい誰かが手を入れている。
そして三つめが、「貸し一つ」というあの言葉の形そのものであった。
小松は、それを黙って聞いていた。
聞き終えてから、この若い家老は自分の材料を差し出した。
「……それがしが気になったのは、間にごわす」
「間?」
「近衛様は、どの問いに対しても、同じ長さの間を置いてからお答えになりもした。長すぎもせず、短すぎもせず、寸分たがわず同じ間で」
大久保の眉が、そこで動いた。
「考えて答える者の間ではなか、というこっか」
「そう思いもした」
小松は、下腹を押さえていた手を離した。
「答えは初めからそこにあって、間のほうだけが後から置かれちょる。……そげん感じにごわした」
二人は、しばらく黙った。
庭では日が傾きはじめており、縁側の板に長い影が伸びている。どこかで蛙が鳴きはじめ、その声が塀を越えて入ってきた。
材料は、揃いつつある。
だが、繋がらない。伏見のことも浪人の噂のことも間の長さのことも、それぞれ単独では何の証拠にもならず、三つ並べたところで、せいぜい「妙だ」としか言えなかった。
「……一蔵さぁ」
「なんじゃ」
「近衛様には、我らの見えぬ算段がありもす」
小松は、そう言った。
言って、それ以上へは踏み込まなかった。それだけの材料が、この男にはまだ揃っていないのである。
「じゃっどん、それを言うたところで、いまの薩摩に何ができもすか。上奏の取りなしは既に頂いた。市中の取締りも、国父様がお決めになった。いまさら止められもはん」
「……分かっちょる」
「一蔵さぁ。それがしは、こう思いもす」
小松は、病がちの男らしい薄い笑みを、そこでわずかに浮かべた。
「人から情をかけられたときこそ、まずはその情の値をしかと知っておきたいものじゃ。値を知らんままに受け取れば、後々おそろしか対価を見て、腰を抜かすことになりもんど」
大久保は、その言葉に何も返さなかった。
返さぬまま、頭のなかの帳面へ、また一行を書き足した。この男の帳面は、この二十日ばかりのあいだに、閉じられぬ行ばかりが増えている。
二
薩摩の兵が京の辻に立ちはじめたのは、それから数日のうちであった。
三条大橋の東詰と西詰・四条の橋の袂・河原町の主だった辻・祇園社の門前――人の集まるそういった場所に、丸に十の字の紋を付けた男が二人ずつ立つようになった。
立っているだけである。
このやり方は、小松帯刀が三日かけて組み上げたものであった。
人を止めれば揉め事が起き、所司代の職分を侵して国父の厳命に背くことになる。ならば「止めずに済ませる」のが、この若い家老の出した答えであった。辻に人が立っているという事実そのものを、抑えとして使うのである。
その代わり、立たせる場所の選び方には手間をかけた。
どの辻とどの辻を押さえれば、夜に人が集まれる路地が減るのかを、小松は絵図の上で幾晩も数え直した。押さえるべきは人通りの多い辻ではなく、人通りの絶える辻へ抜けるための曲がり角である。その理屈を掴んだ日から、割り振りは驚くほど早く決まっていった。
誰何もせず、咎めもせず、ただ立っている。武張った様子はまるでなく、通りかかった年寄りが道を尋ねれば、丁寧に教えてやりさえした。それでいて、腰のものだけは常にきちんと差してあり、日が暮れると提灯が灯った。
河原町を上下する提灯の列を、町の者は最初のうち、遠巻きに眺めていた。
三条小橋の南に、加賀屋という小さな料理屋がある。
そこで働くおきぬという女中は、この年で二十二になる。十四のときから奉公に上がって、京の夜というものがどれほど剣呑なものであるかを、この八年のあいだに嫌というほど見てきた。
去年の秋には、店の二軒隣の質屋に押し込みが入った。
その少し前には、四条の河原で人が斬られたという話があり、朝になって見に行った者の話では、砂の色が変わったところがずいぶん広かったという。夜に使いを頼まれれば、必ず二人で行った。一人で行かされることになった晩は、店を出る前に手が震えた。
怖いというのは、慣れるものではなかった。
八年目になっても、日の落ちた通りへ出るときには、必ず一度、喉の奥が細くなる。誰かとすれ違うたびに、その相手が腰に何を差しているかを見てしまう。そして、見たことを気取られぬように目を伏せる。そういう歩き方が、おきぬにはすっかり身についていた。
その夜が、変わった。
卯月の末のことである。おきぬは主人に言いつけられて、四条の乾物屋まで一人で使いに出た。
出てから、自分が震えていないことに気づいた。
橋の袂に提灯が二つ立っている。その光の輪のなかに、丸に十の字を染めた羽織の男が二人、黙って立っていた。おきぬが通りかかると、若いほうが軽く会釈をした。それだけである。
用を済ませて戻る道でも、辻をひとつ折れるたびに、どこかに提灯があった。
店へ帰り着いて、おきぬは板場の前でしばらく立ち尽くしていた。
怖くなかったのである。
八年のあいだ、夜の道が怖くなかったことが、一度もなかった。
(……夜道が、恐ろしくない。そんなことが、ほんとうにあるどしたか)
その一晩の話は、翌日には店じゅうに広まり、三日のうちには近所の店にも回った。
効き目は、驚くほど早く出た。
夜の辻斬りが、ぴたりと止んだ。押し込みが減り、酔って絡む者もいなくなった。祇園の茶屋では、暮れてから客を送り出すのに男衆を付ける習いがあったのだが、それも自然と減っていった。
理由は、はっきりしている。
過激の徒の中身を最もよく知っているのは、つい先ごろまで同じ側にいた薩摩だからであった。どの宿に誰が集まり、どの合言葉が使われ、誰と誰が繋がっているかを、薩摩の目付は初めから知っている。知っている者が辻に立てば、集まる側は自然と足が遠のく。
町の者は、そういう理屈までは考えなかった。
考えぬまま、いつのまにか呼び方だけが変わった。
『薩摩の人』と言っていたのが、『薩摩様』になった。
誰が言い出したわけでもない。加賀屋のおきぬが橋の袂で会釈を返されたころには、既に高瀬川沿いの小店では、そう呼ぶ者が出はじめていた。
つい半月前まで、京で最も危ういと噂されていた藩である。
伏見に集まった四十人のうち、名の知れた者のほとんどが薩摩の家中であったことは、町の者もみな承知していた。それがいま、その同じ紋を見て安堵している。
そのことを、誰も不思議とは思わなかった。
人というものは、昨日まで恐れていたものが今日自分を守ってくれるならば、その入れ替わりの理屈など気にしないのである。安心のほうが先に来て、理屈はあとから、来ることもあれば来ないこともある。
所司代の役人と薩摩の者が、辻で行き合うこともあった。
そういうとき、薩摩の者は必ず先に道を空けた。そして、丁寧に頭を下げる。捕らえた者があれば、その場で縄ごと引き渡し、手柄については一言も言わない。
所司代の同心たちは、最初のうち、これを気味悪がった。
気味悪がっているうちはよかったのだが、そのうち慣れた。そうなれば、薩摩の者が先に見つけて渡してくれる分だけ、こちらの仕事は楽になる。そのぶんの手柄は、そのまま所司代の帳面に載った。
酒井忠義のもとへは、その帳面が月ごとに上がっていく。
上がってくる数字を見ながら、京都所司代はこのごろ、以前より深く茶碗を置くようになった。何かがおかしいということは分かっている。分かっているが、この数字を突き返す理由が、この男にはやはり一つも見つからないのであった。
*
ただし、この京には、安堵しない者たちもいた。
高瀬川の西、四条を少し下がったあたりに、名もない煮売り屋が一軒ある。
夕方から夜半まで開けており、客のほとんどは近くの町屋に間借りしている浪人であった。腰のものだけは立派で、袴の膝は擦り切れている――そういう男たちが、安酒を舐めながら天下の話をする場所である。
卯月が明けるころから、その店の話題は一つに絞られていた。
「薩摩は、堕ちたな」
誰かが、そう言った。
言った男は、去年の暮れに脱藩してきたばかりの若者である。伏見のことは人づてに聞いただけで、あの夜どこにいたかを訊かれても答えられない。
「国父が上ってくるというて、皆が心を躍らせたのは何であった。あれは幕府を糺すための兵であったはずじゃ。それが蓋を開けてみれば、辻に立って提灯を提げておる」
「町人に礼をされて、嬉しがっておるそうな」
「幕府の犬に成り下がった…ということよ」
笑いが起きた。
その笑いには、酒だけでは説明のつかぬ質のものが混じっていた。
彼らが本当に堪えているのは、薩摩が変節したことではない。その変節したことによって、自分たちの居場所が消えたということのほうである。ひと月前まで、京は彼らのものであった。夜の辻を歩けば道を空けられ、宿の主人は口をつぐみ、誰も彼らを咎めなかった。
いま、その辻に提灯が立っている。
それが幕府であれば、まだよかった。幕府は敵であり、敵に押さえられるのは戦のうちである。だが立てているのは薩摩であり、しかもその薩摩は、朝廷から取りなしを受けて堂々と京に居座っている。
敵ではない者に、居場所を奪われた。
その怒りは、行き場を探しはじめていた。
「……そもそも、誰が取りなした?」
奥の席から、そういう声が上がった。
店が、少し静かになった。
「薩摩の国父は無位無官じゃ。そのような身が、どうやって御所へ上がる。取りなした者がおるはずじゃ」
「聞いた話では、朝議で所司代を褒めよと言い出したのも、同じ御方じゃそうな」
「幕府の役人を褒めよ、じゃと」
「朝廷が、幕府に媚びておるということではないか」
名が、そこで出た。
誰も『近衛』とは言わなかった。
言われたのは、別の名である。その名を口にした者は、自分がなぜその名を知っているのかを説明できなかったが、京というところでは、噂の出どころを訊く者はいない。
*
伏見の道場では、山南敬助がその話を聞いていた。
板敷きに座り、膝の上で書き付けを繰りながら、報せに来た者の話を最後まで聞いた。
薩摩の兵が辻に立ちはじめたこと、そして町の者がいつのまにか薩摩様と呼ぶようになったこと。さらには浪人どもが薩摩を罵るうちに、その矛先が一人の公家の名へ向かいはじめているということ。
――報せは、そこまで揃っていた。
山南は、うなずいただけであった。
驚かなかったのである。
三
同じころ、江戸の一橋上屋敷では、庭の緑がすっかり重くなっていた。
卯月も末となれば、江戸の朝はもう汗ばむ。障子を細く開けておくと、青葉と土の匂いに混じって、遠く海のほうから塩の気配が流れ込んでくる。池のほとりでは、去年より一株増えた花菖蒲が、まだ固い蕾を立てはじめていた。
その奥御殿の一室で、近衛糸子は文机の前に座っている。
文箱の一番下には、七つの名を書いた紙が納めてある。
納めたのは、近藤が退がっていった、あの日である。それから幾日が経ったかを、彼女は数えていない。この数日というもの、糸子は普段どおりに文を読み、普段どおりに指図を出してはいつものように湯を飲んでいた。
この十日ばかりのあいだに、糸子の暮らしぶりで変わったことがある。
朝の稽古を再開したことであった。沖田がいないので相手はいないのだが、庭へ降りて型だけをなぞる。体を動かしていると、頭のなかの盤が勝手に動きださずに済む。
葵が、茶を運んできた。
膝をついて茶托を置き、湯呑みの向きを一度だけ直したところで、糸子が顔を上げた。
「葵」
「はい」
「善次郎と近藤殿を呼びしてくださいまし」
葵は、それ以上のことを何も訊かなかった。彼女は近ごろ、部屋へ入ってきても余計なことを言わなくなっている。言いかけて飲み込んでいるのが、糸子には分かったのである。
障子が閉まり、その足音が廊下の奥へ遠ざかっていった。
*
糸子は、湯呑みへ手を伸ばしかけて、途中でやめた。
まだ熱い。
立ちのぼる湯気が障子越しの光のなかで細く曲がり、そのまま天井のほうへ消えていくのを、彼女はしばらく眺めていた。庭では葉擦れの音が絶えず続いており、その隙間に、遠くで荷車の軋む音が混じっては消えていく。
江戸は、静かであった。
この屋敷では、望めば茶が出てくる。障子は白く、畳は乾いていて、廊下の板は毎朝きちんと磨かれている。伏見の土間に何が流れたかを知っている者は、この屋敷のどこにもいない。
湯気が細くなり、やがて見えなくなった。
糸子は、湯呑みを両手で包むようにして持ち上げ、一口だけ含んだ。
ちょうどよい温さになっていた。
それだけ長いあいだ自分が何もせずに座っていたのだということに、彼女はそこで気づいた。庭の音も、荷車の音も、湯気の消えていく速さも、この数日というもの何一つ変わってはいない。変わらぬものを眺めているうちに、時だけが過ぎていた。
湯呑みを、静かに置く。
置いたときの音が、思ったよりも高く鳴った。
糸子の背筋がわずかに伸びた。
*
松屋善次郎が座敷へ通されたのは、その日の昼過ぎであった。
二十を過ぎたこの男は、父である善兵衛の背中を追いつつ、天朝物産会所の実務を一身に背負う若き二代目である。父よりも一段と引き締まった口元には商人の厳しさが宿り、御簾の向こうの姫君様と直接やり取りを交わす重責を担うその背筋には、微塵の緩みもなかった。
「お呼びと伺いまして、参上いたしました」
「善次郎。急なことで、申し訳ござりませぬがーー」
糸子の声は、いつもと同じ調子であった。
「あなたは横浜へ、商いに参っていただきとうございまする」
「横浜…にございますか?」
「はい」
善次郎は、頭のなかで店の帳面をめくった。横浜の居留地との取引は、天朝物産の会所を通す形で既に幾筋も通っている。新しい相手ということであれば、生糸か、茶か、あるいは織物か。
「お相手は……」
糸子は、名を告げた。
善次郎の知らぬ名であった。居留地に拠点を構えているイギリスの商人であるという。扱っているのは主に生糸であるらしい。
「規模は、いかほどの」
「多分、大きくはござりませぬ」
「……と、申されますと」
「うちの会所が相手にするほどの商人ではござりませぬ。取引の額で申せば、善次郎が一日に動かしている金の、幾分の一というところでしょう」
善次郎の眉が、わずかに動いた。
「その相手と、商いを始めていただきとうございます」
「……承知いたしました」
商人であるから、まず引き受けてから条件を詰める。それがこの男の順序であった。
「して、こちらの取り分は、いかほどに」
「取り分は、要りませぬ」
その一言で、善次郎の頭のなかの算盤が止まった。
「……姫様」
「先方に便宜を図ってでも、話をまとめてくださいまし。値は先方の言い値で構いませぬし、支払いの期日も先方の都合に合わせてくださって結構です。こちらが損をしても、続けていただきとうございます」
善次郎は、しばらく口を開かなかった。
商人にとって、これほど不自然な指図はない。
儲けの薄い商いはあるし、付き合いのために引き受ける仕事もある。だが「損をしてもよいから取れ」という指図は、その商いに商い以外の目的があるということを意味していた。
「……姫様。差し出がましいことを伺いますが、その商い、何のためのものにございましょうか」
御簾の向こうで、糸子はしばらく口を閉ざした。庭の葉擦れの音がひとしきり鳴って、また収まる。
「善次郎」
やがて、糸子は静かに口を開いた。
「儲けは度外視してくださって結構です。わたくしが欲しいのは、品でも金でもござりませぬ。その方が、こちらと縁を結び続けていらっしゃる――その形そのものが要るのでござります」
善次郎は、それきり訊かなかった。
父の善兵衛から教わったことのなかで、最も繰り返し言われたのが、口の固さで暖簾を守れということであった。商人が潰れるのは、たいてい金が尽きるからではなく、余計なことを喋ったからである。訊かねば喋る中身を持たずに済み、持たずに済めば漏らしようがないからである。
「承知いたしました。手前どもの損は、手前どもで飲みます」
「……ありがとう存じます」
「ただ、一つだけ」
「はい」
「その方に、こちらが手を回していると気取られてはなりませぬか」
糸子は、少し驚いたように間を置いてから答えた。
「……ええ。気取られてはなりませぬ」
「それならば、話は易うございます。あちらから来た話に、こちらが渋々乗ったという形にいたしましょう。商人は、渋々乗せられた相手のことを、疑いませぬゆえ」
善次郎は、そう言って頭を下げ、退がっていった。
*
入れ替わりに入ってきたのは、近藤勇であった。
「お呼びにございますか」
「近藤殿。頼み事がござります」
「はっ」
近藤は、膝を揃えて控えた。
「文月に入り、清国は上海から、観光旅行を兼ねてある異人が横浜へ来日しまする」
糸子は、名を告げた。
先ほど善次郎に告げた名とは、別の名であった。
「その方を、旭狼衛で探し出してくださいまし。どこに滞在し、誰と付き合い、どのような道をどのような時に通るか。それを、書き留めていただきとうございます」
「承知いたしました」
「条件が、二つござります」
糸子は、そこで声をわずかに強めた。
「一つ。絶対に気取られてはなりませぬ。一度でも先方に見られたと思われましたら、その者は外して、別の者に替えてくださいまし」
「はっ」
「二つ。何がござりましても、手を出してはなりませぬ」
近藤の目が、そこで一度動いた。
「……何がございましても、ですか?」
「はい」
「たとえ、その者がこちらに害を為そうといたしましても」
「手を出してはなりませぬ」
近藤は、しばらくその言葉の中身を測っていた。
測ってから、一点だけを確かめた。
「姫様。伺います。……その者は、姫様に害を為す者にございますか」
糸子は、正直に答えた。
「今のところは、何も為しませぬ」
「では」
「何も為さぬままでいていただくために、見張るのでござります」
近藤は、それ以上何も訊かなかった。
旭狼衛の長として、理不尽な命の裏にある重みを、この男はこれまでの経験から嫌というほど知っていた。
「――畏まりました。人は、こちらで選びます」
「おおきに」
近藤は一礼して、退がっていった。
*
部屋には、また糸子一人が残された。
障子の隙間から入ってくる風が、文机の上の紙をわずかに揺らしている。
糸子は、その揺れる紙を押さえもせずに眺めていた。
あの二つの指図を出すことに、彼女はいささかも迷わなかった。順序も、言い回しも、二人それぞれへの伝え方も、頭のなかでは十日も前から決まっていた。決まっていたものを、決まっていた通りに出しただけである。
文箱の一番下には、七つの名を書いた紙が納まっている。
名を覚えたからといって、彼女の手つきが変わるわけではなかった。覚えたうえで次を打つ。それができぬのなら、そもそも人を送り出す資格がなかったというだけの話である。
(……止まりませぬのね、わたくしは)
その一行を胸のうちで済ませて、糸子は後悔することをやめた。手が鈍れば、この国は異国に食い散らかされるのだから……
庭の池で、鯉が跳ねた。
水音は一度きりで、あとはまた葉擦れの音だけになった。
四
京の近衛邸に、江戸からの封書が届いたのは、卯月の末のことである。
厚みが、思ったよりあった。
巻いた紙が三枚と、上書きに娘の手蹟が一行あるだけであった。開いてみれば、前置きも結びもない、ただの文案である。ただし一枚目より二枚目が長く、二枚目より三枚目が長かった。
忠房は、まず一枚目だけを読んだ。三枚とも読んでしまえば、その日は他のことが手につかなくなると分かっていたからである。
近衛忠房は、それを三度、通して読んだ。
*
皐月の朔日を過ぎたころの京は、朝と夜の落差が大きい。
昼のうちは初夏の日ざしが庭の白砂を焼き、その照り返しで座敷の天井まで明るくなるのだが、日が落ちると急に冷え、夜半には単衣では肌寒いほどになる。庭の糸桜はすっかり青葉を繁らせ、初夏の風を受けてざわざわと重たい葉音を立てていた。
その座敷で、忠房は一人、筆を持っている。
文机の上には、二枚の紙が並べて置かれていた。
右が娘の文案であり、左が白紙である。
仕事そのものは単純であって、右にあるものを左へ移すというだけのことである。ただし、そのまま写すのではない。
娘の書いたものは、理としては完璧であった。どこにも隙がなく、どこにも無駄がなく、読めば読むほど、この一枚を作るのにどれだけの時が費やされたかが分かる。
だが、この文体は朝廷の紙には載らない。
勅というものには、千年にわたって定まってきた型がある。語の順序があり、用いてよい言葉と用いてはならぬ言葉があり、断定の度合いにも作法がある。その型を外れた紙は、どれほど中身が正しくとも、公家たちの手のなかで「これは勅ではない」と判じられて終わる。
忠房の仕事は、翻訳であった。
中身を一分も損なわぬまま、千年の型のなかへ移し替える。
*
作業は、思いのほか進んだ。
語の順序を入れ替え、和文の助辞を足し、漢語の据わりの悪いところを言い換える。断定の強すぎるところは一段だけ和らげ、和らげたぶんの重さは、別の一句を後ろへ置いて締め直す。
難しかったのは、位取りであった。
勅というものは、誰が誰へ向けて発するのかによって語の重さが変わる。帝から幕府へ下るものであれば、そこには自然と高低が生まれるのだが、その高低を付けすぎれば命令になり、付けなければただの伝言になる。
忠房は、その高低を、指の腹で撫でるようにして揃えていった。
娘の文案は、そういう手入れによく耐えた。
骨組みの弱い文章は少し触っただけで意味が崩れるものだが、この一枚は、どこを押しても揺るがなかった。
半刻ばかりで、大方は移し終えた。
残されたのは、最後の一行であった。
*
忠房は、その一句のところで、筆を止めた。
命令には見えず、しかし後から解釈で逃げられぬ書き方――娘が幾日もかけて探し当てたのが、この一句であることは、読めば分かった。
強い文字で書けば、幕府は必ず意地になる。命じられたと受け取った者は、たとえ中身が正しくても、まず突っぱねてから考える。かといって弱く書けば、後になっていくらでも反故にされる。都合が悪くなれば、あれは願いであって命ではなかった、と言い逃れられてしまう。
その絶妙な隙間を、その言葉は正確に通っていた。
忠房は、そこへ手を入れた。
朝廷の型に寄せるならば、こう書くべきであろうというところへ直した。直してから、しばらく眺めた。
眺めて、元へ戻した。
もう一度、別の直し方を試して、今度は語尾だけを触ってみた。触ってからまた眺めて、そしてまた戻した。
三度目は、助辞を一つ抜いてみた。
抜けば、たしかに勅らしくはなる。勅らしくはなるが、抜いた瞬間に、この一句は「願い」の側へ半歩傾いた。傾いた分だけ、後日の言い逃れの道が、幅にして指一本ぶんだけ開いた。
忠房は、その指一本を見ていた。
やがて、抜いた助辞を書き戻した。
(……敵わぬな)
この男は、胸のうちでそう思った。
自分は千年の型を知っており、娘のほうは知らない。知らぬ者が書いたものを、知っている自分が直すのが道理であるはずだった。
その道理が、この一句にかぎっては通らない。
娘は、型を知らぬまま、型よりも狭い隙間を先に見つけていた。三度手を入れて三度とも戻したということは、この一句については、江戸の奥御殿で書かれたものが最善であったということである。
忠房は、その一句だけを、一字も変えずに左の紙へ移した。
*
途中で一度、忠房は筆を止めて、別の紙を引き寄せた。
そこには、去年の秋に聖断が下された三つの柱が書き留めてある。相互に同じものを認め合うこと。将来において税の率を改め得る道を残しておくこと。そして、金銀の交換を正しい比で行わせること――メリケン国との交渉のなかで娘が認めさせた、帝が是とされた、あの三つである。
この勅の数行は、その三つの上に建っていた。
しかしそれを、この紙の上には一字も書かない。書かずに、支えだけを利かせる。土台の見えぬ家というものが世にないように、見えぬ土台を持つ文章は、読んだ者に理由の分からぬ重さを感じさせるのであった。
書き終えて、忠房は筆を置いた。
紙の上には、慶喜を将軍後見職に据えるという一事と、その職の権限や期限、そして誰の意によって据えられたことになるのかを定めた数行が並んでいる。
そこには、近衛の名が一字もない。
糸子の名も、当然のようにない。
この紙を読み上げるのは大原重徳であり、江戸まで運ぶのは薩摩であり、そして発するのは帝である。三者ともが、この数行を自分たちの側のものだと思うであろう。誰も、この文言がどこの座敷で生まれたかを問わない。
忠房は、書き上がったばかりの紙を、少し離してもう一度読み返した。
読み返しながら、この男が測っていたのは、読み上げられたときの音である。勅というものは目で読まれるより先に、耳で聞かれる。江戸城の広間で大原重徳がこれを読み上げたとき、居並ぶ幕閣の耳にどう届くか――そこまでを見ておかねば、この仕事は終わらない。
声に出さぬまま、忠房は口のなかで一度だけ通した。
通してみて、悪くはないと思った。決して強い文ではないのだが、聞き終えたあとで「では断ろう」と言い出すには、どこか座りの悪い紙になっている。断る理由を探そうとした者は、必ず一度、読み返すことになる。読み返せば、そのぶん時が経つ。
そして時が経てば、外からの圧が掛かりはじめる。そのころには、千の兵が江戸へ入っているはずであった。
条件だけが、誰の口からも出ないまま、紙の上に潜り込んだ。
*
行灯の油が減って、炎がわずかに揺れた。
忠房は、乾きかけた墨のあとを見つめながら、一度だけ、自分の胸のうちを覗いた。
娘は江戸にいて、この紙を見ていない。
この紙が江戸城へ運ばれ、幕閣の前で読み上げられ、そこで何が動くのかを、あの子は見ることができない。それは可哀想なことであろうかと、忠房は考えかけて、途中でやめた。
あの子は、そんなものを見なくても分かっているだろう。
むしろ見ずに書いたからこそ、この一句はこれほど正確なのだ。江戸城の座敷の空気に触れていれば、必ずどこかで情に流される。流されずに済んだのは、あの子が畳の上で紙だけを相手にしていたからであった。
忠房が恐れているのは、娘の未熟さではない。
娘の完成度のほうであった。
十四になった姫が、幕府の言い逃れの道を指一本の幅で塞ぎにかかる。そういうことができる者は、必ず、できることを続けさせられるのである。
(……糸子)
名だけを、忠房は胸のうちで呼んだ。
そして、その先を言葉にしなかった。
*
紙を巻き、封をして、忠房は文机の隅へ置いた。
それから、器の絵をもう一度、頭のなかで並べ直した。
座と名誉は久光へ渡した。そして、市中の取締りという鎖を、あの男は自分の手で薩摩に掛けた。
公武合体の旗は薩摩に持たせてある。旗を持つ者は目立つのであって、目立つ者は必ず責めを負うことになる。
朝廷の側の顔には岩倉具視を据えたが、あの男はいま、望んで矢面に立ちつづけている。
勅使は大原重徳とした。六十を越えてなお血気の失せぬあの老公家は、江戸で存分に幕府を怒鳴りつけ、己の力で天下を動かしたと信じるであろう。
器は、これで満ちる。
残ったのは、この紙一枚に書かれた数行だけであった。
外から見れば、近衛家は何一つ持っていない。座も持たず、旗も持たず、顔も持たず、使いも出していない。
持っているのは、中身である。
忠房は、行灯の火を落とした。
闇のなかで、庭の糸桜が一度だけ、重たく鳴った。
第百六十三話 了
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