第百六十一話「京洛布陣編―名を刻む(前編) 」
一
卯月九日の伏見は、明け方から水の匂いが濃かった。
夜のあいだに降った雨ではなく、宇治川から引かれた水路そのものが吐き出す匂いであって、それは泥と青苔と酒粕の入り混じった、この町に生まれた者ならば嗅ぎ分けるまでもない匂いである。南浜の通りには昨夜のうちに撒かれた砂がまだ乾ききらずに残っており、そこを踏んで歩くと、足の裏に細かい粒の感触がいつまでもついてきた。
空はよく晴れていた。
東の空のほうから差してくる光が水路の面を白く割って、繋がれたままの三十石船の舳先を順に照らしていくのだが、その光の届かぬ舟底のあたりには、まだ夜の色がわだかまったまま沈んでいる。町はいつもどおりに目を覚ましつつあり、酒蔵の裏手では蒸し米の匂いが立ちのぼりはじめ、豆腐屋の荷車が橋の板を軋ませて渡っていった。
誰もが、いつもの朝の顔をしていた。
寺田屋の前だけが、その朝の外側にあった。
表口の板戸は蝶番のあたりから割れて外側へ倒れており、その割れ口には人の掌ほどの大きさで刃の食い込んだ痕が幾つも残っている。土間から表の道へ流れ出した血は夜のうちに乾いて黒く固まり、そこへ砂が撒かれてはいたものの、砂の下から染み出してくる色までは隠しきれずにいた。
通りの左右には、いつのまにか人が集まりはじめていた。
朝の用足しに出てきた女房が水桶を足元に置いたまま動かなくなり、その隣では酒蔵の若い衆が三人ばかり肩を寄せ合って、口を動かさぬまま同じ方向を見ている。誰も大きな声を出さなかった。この町の者は水運とともに生きてきたぶん、余計なことを言わぬという習いが体に染みついており、見てはならぬものを見たときほど静かになるのであった。
その静けさのなかで、囁きだけが細く行き来している。
夜中に鉄の音がしたという者があり、悲鳴を数えていたという者があり、いや自分はぐっすり眠っていたと言い張る者もあった。どの話も少しずつ食い違っていたが、食い違ったまま重なって、やがて一つの形に落ち着いていく。所司代のお役人が、えらい捕物をなさったらしい――その形であった。
その割れた戸口の前に、山南敬助が立っていた。
いつもの薄鼠の着流しに、いつもと同じ角度で結ばれた帯である。色白の顔にも、髪の乱れにも、昨夜からこの場所を離れていないという痕跡は一つも見当たらない。伏見の町人が通りすがりに見たならば、手習いの師匠が朝の用足しに出てきたところだと思ったであろうし、事実この二年のあいだ、伏見の町人は彼をそういう男だと思って暮らしてきた。
ただ、いつも口許にあったはずのものが、この朝はなかった。
微笑が消えているというのではなく、そこに何も浮かんでいないのである。目の光の温さも話しかけられる前から相手を受け入れているような柔らかさも、その朝の山南の顔からはきれいに抜け落ちていて、残っていたのはただ事務を執る者の静けさだけであった。
通りの向こうから、提灯を提げた一団が近づいてくる。
京都所司代の捕方であった。先頭を歩いてくる与力は五十がらみの実直そうな男で、その後ろに同心が七人、さらにその後ろから捕縄と戸板を持った小者たちが列を作って続いている。彼らは夜半のうちにも一度この場所へ入っており、いま二度目の到着として、正式な引き渡しを受けにきたのである。
「町方の衆か」
与力がそう問うたので、山南は静かに頭を下げた。
「さようにござります。町年寄より預かりました手伝いの者にござりますれば、お指図のとおりに動きましてござります」
与力は、その返答を疑わなかった。
疑う理由がないというのが正しく、この与力の頭のなかにはすでに一本の線が引かれてしまっている。卯月三日に町年寄が願い出た夜廻りの強化と、その後に増やした提灯の数と、昨夜のこの一件とが、順序よく繋がっているのであった。所司代が動いていたところへ不逞の輩が集まり、集まったところを押さえた。ただそれだけの話であり、その筋書きの内側には、旭狼衛という名の入り込む隙間がどこにもなかった。
与力の後ろから、書役の若い同心が前へ出てきた。
脇に抱えていた帳面をひらいて、湿った朝の光にかざすようにしてから、その若者は読み上げをはじめた。読み上げるというよりも、数を確かめる声である。彼にとってこれは事件ではなく、この日のうちに片づけて上へ回さねばならぬ書き物であった。
「――伏見南浜町、船宿寺田屋方において召し捕り候一件、相改め申し候」
声は淡々としていた。
「討ち死に相成り候者、二十と六名。うち、姓名相知れ候者、十と一名にござる」
書役は帳面の面を少し傾けた。
「薩摩藩士、有馬新七。同じく柴山愛次郎。同じく橋口吉之丞。同じく橋口伝蔵。同じく弟子丸龍助。同じく西生一郎。同じく山本四郎。同じく西郷信吾。同じく大山弥助。同じく三島弥兵衛。秋月藩士、海賀宮門。――以上、十一名」
名を読む声には抑揚がなかった。
二十歳を出たばかりの者も、四十を越えた者も、その声のなかではまったく同じ重さで並べられていく。書役は名を読んでいるのではなく、数の合う印を一つずつ付けているのであって、それが役所というものの仕事の仕方であった。
「残る十五名は姓名相知れず。薩摩の浪士と見受け候者、十一名。他藩の浪士と見受け候者、四名。いずれも身許の詮議は、追って」
与力が短くうなずいた。
「手負いにて召し捕り候者、十名。薩摩藩士、田中謙助。同じく森山新五左衛門。島原藩士、中村主計。ほか薩摩三名、他藩四名」
そこで書役は一度言葉を切って、帳面の余白へ何かを書き足した。
「うち森山新五左衛門、腹に深手を負い居り候。医師の見立てにては、保ち申さぬ由」
「逃げた者は」
「四名と見立ててござります。宿の帳面と、召し捕り候者の申し立てとを突き合わせましたところ、数が合いませぬ」
与力は舌打ちをするでもなく、ただ「四名か」と繰り返した。
その四名のうちの一人が町人の身なりのまま裏口から水路沿いへ抜けていったことを、この朝の役所の帳面はまだ知らない。もう一人が裏庭の塀へ内側から踏み台を寄せて、誰にも気づかれぬまま向こう側へ消えたことも、同じく知らずにいる。知らぬまま、四という数字だけが墨で書き留められていくのであった。
山南は、その読み上げのあいだじゅう、一言も口を挟まなかった。
挟む必要がなかったからである。この帳面に書かれていく数はすべて彼が昨夜のうちに数え直したものであり、彼の頭のなかにある数と、いま読み上げられている数とのあいだには、ただの一つの食い違いもなかった。ただ、その数の一つ一つに顔と声とがついているという事実だけを、この男は誰にも渡さずに抱えていた。
やがて、召し捕られた者たちが戸板に乗せられて運び出されはじめた。
歩ける者は縄を打たれて数珠つなぎにされ、歩けぬ者は戸板ごと担がれて、通りに待たせてあった荷車へ順に移されていく。血と汗と、それに一晩ぶんの脂の匂いが、朝の水気を含んだ空気のなかへ重たく広がっていった。
その列のなかに、一枚の戸板があった。
乗せられているのは、大柄な男である。右の腕が肘のところで妙な角度に曲がったまま添え木に縛りつけられており、左手は掌の甲が黒く腫れ上がって、指が一本も動いていない。顔には血の気がなく、唇は乾ききって割れていたが、その目だけは開いていて、運ばれながらもまっすぐに空を見ていた。
田中謙助であった。
山南の斜め後ろに立っていた鳴海次郎の背が、そのときわずかに動いた。
左の二の腕には昨夜のうちに巻かれた晒しが幾重にも重ねられており、血はもう滲んではいなかったが、腕そのものはまだ上がらない。この男は一晩じゅう、あの戸板の上にいる相手から退がり続けてきた。受けず流さずにただ退がることだけを繰り返し、そして最後の一瞬にだけ前へ出たのである。小太刀二刀で右腕を挟んで肘の関節を裏返し、掴もうとした左手の甲を柄頭で潰したのは、この鳴海である。
その相手が、生きて運ばれていく。
鳴海の目が、戸板の上の顔を追った。追いながら、その目つきがゆっくりと変わっていくのを、山南は見ずに気づいていた。人が誰かの顔を覚えようとするときには、目のどこかに独特の力の入り方が生まれるものであって、山南はその力の入り方を、これまでの生涯で数え切れぬほど見てきた。
「鳴海殿」
声は低く、しかし刃のように短かった。
「覚えてはなりません」
鳴海の首が、わずかにこちらを向く。
「覚えれば、いつか取りに行くことになります」
山南は戸板のほうを見ないまま、そう言った。
鳴海は何も答えず、しばらくのあいだ動かずにいたが、やがて息をひとつ吐いて目を伏せた。伏せた目の下で、その視線が地面の砂の粒を見ているのか、それとも昨夜の土間を見ているのかは、山南にも分からない。分からぬまま、彼はもう一度だけ言葉を継いだ。
「あの男の名を、この京で覚えている者が一人でもおりましたら、我々は昨夜、何もしなかったことになりませぬ」
その一言の意味を、鳴海は正しく受け取った。
旭狼衛は名を残さぬ。それは戦いのあいだの決め事ではなく、戦いが終わったあとにこそ守られねばならぬ決め事であって、恨みを持ち帰るということは、そのまま名を残すということであった。轟鉄之助を刀ごと断ち割った男が生きて幕府へ渡っていくことに、この隊が一言でも異を唱えたならば、その瞬間に「昨夜あそこにいた何者か」は輪郭を持ってしまう。
荷車が軋みながら動きだし、戸板の列がゆっくりと通りを遠ざかっていった。
山南は、その背中が橋を渡って見えなくなるまで、そこに立っていた。
立っているあいだ、彼の頭のなかでは別の数が回りつづけていた。七という数である。轟鉄之助・田中健蔵・山田幸助・佐藤勘兵衛・浅黄隼人・朽木弦一郎・鈴木源次――その七つの名は、いま読み上げられた帳面のどこにも書かれておらず、これから先も幕府のいかなる帳面に載ることがない。
所司代の与力が、去り際に一度だけ振り返った。
「町方の衆。上へは、伏見の者どもがよく働いたと申し上げておく」
「痛み入りましてござります」
山南は深く頭を下げたが、頭を下げた顔の高さのところに、微笑は一つも浮かんでいなかった。
二
同じ日の昼下がり、京都所司代役宅の一室では、酒井忠義が二度目の書き付けを読み終えたところであった。
二条城の東に構えられたこの役宅は、幕府が京において持つ権威のかたちをそのまま建物にしたような造りである。部屋は広く天井は高く、床の間には代々の所司代が置いてきたものと同じ位置に、同じような掛物が下がっていた。庭には手入れの行き届いた松が枝を張っており、その葉のあいだから落ちてくる光が、磨き込まれた縁板の上に細かい斑を作っていた。
その光の斑を、酒井はしばらく見ていた。
小浜藩主にして京都所司代である。もう幾年もこの役にあり、その幾年のあいだ、この男が味わってきたものは達成感というよりも消耗に近かった。帝の御機嫌を損ねてはならず、幕閣の意向に背いてもならず、そのうえで京の治安を保たねばならぬ。三方から引かれる縄の真ん中に立ちつづけて、酒井の髪はこの数年でずいぶん薄くなった。
「……儂は、こんな下知を出したかの」
控えていた用人が、返答に窮した。
書き付けには、卯月三日の伏見町年寄からの願い出と、それを受けて所司代が夜廻りを増強したこととが、順序よく記されていた。そしてその結果として昨夜、伏見南浜町に集まっていた不逞の徒四十名を捕捉し、二十六名を討ち取って十名を召し捕ったのだという。すべてが辻褄の合った、疑いようのない書き付けであった。
疑いようがないからこそ、酒井は疑ったのである。
この男は愚かではない。愚かであったならば、この役をこれほど長く保ってはいられなかった。増やした提灯が幾つで、動かせる同心が何人であり、その人数で四十名の暴徒をどう押さえられるかという算段は、書き付けを読むより先に頭のなかで済んでいる。
押さえられるはずが、ないのであった。
所司代の手勢というものは、そもそも合戦を想定して置かれてはいない。町の見廻りをし、訴えを取り上げ、喧嘩口論を捌くための人数であって、抜き身を持った四十人の相手をさせられる陣立てではなかった。まして相手が薩摩の者であれば、その一人を押さえるのに何人を割かねばならぬかということを、この男は嫌というほど承知している。
それが、一晩で片づいた。
しかも味方の側からは、死人の報せが一つも上がってきていない。
「四十を、たった一晩で。……手前どもの人数で、それができるならば、儂はこの数年、何を苦労してきたのだ」
用人はうつむいたまま、何も言わなかった。
そこへ取り次ぎの声がかかり、近衛家の家司が参じていると告げられた。
通されて入ってきたのは、白髪を丁寧に撫でつけた老人であった。藤右衛門という。五摂家筆頭の家政を長年にわたって統べてきた男であり、その物腰には隙というものが一分もなく、敷居際で膝をついて頭を下げる、その角度からしてすでに完成されている。
「所司代様には、御機嫌うるわしゅう」
「近衛様の御家司どのが、こちらへ何用かな」
「主より、御祝いを申し上げてまいれとの仰せにござります」
酒井の眉が、わずかに動いた。
「祝い、とな」
「昨夜の伏見の一件にござります。都の内に不逞の徒が四十も集まりおったと聞き及び、主も肝を冷やしましてござりました。それを一夜のうちに鎮められましたること、まことに御手際の見事さと、感じ入っておりまする」
藤右衛門の言葉には、皮肉の色が一切なかった。
だからこそ酒井は、そこで背筋のあたりに冷たいものを感じたのである。
この家司は、昨夜の一件を知っている。知っているだけでなく、それを「所司代の手柄」という形に成型したうえで、その成型された形を、いまこちらへ差し出してきている。
酒井は茶碗に手を伸ばしかけて、途中でやめた。
「御家司どの。ひとつ、伺うてもよろしいか」
「何なりと」
「昨夜、伏見で刃を振るったのは、誰だ?」
沈黙は短かった。
藤右衛門は顔を上げ、老人らしい細い目で、真正面から酒井を見た。
「所司代様の、御手の者にござりましょう」
それだけであった。
その一言で、酒井忠義の頭のなかを、三つの理解が順に通り抜けていった。
一つ目は、これは自分の手柄ではないという理解である。それは書き付けを読んだ時点ですでに分かっていたことであり、いまさら驚くことでもなかった。
二つ目は、それを否定するわけにはいかぬという理解であった。
もし自分がここで「あれは所司代の働きではござらぬ」と言えばどうなるか。都の真ん中で四十人の暴徒が動き、それを鎮めたのが幕府ではない何者かであったという話が、そのまま江戸へ伝わっていく。坂下門の一件から幕府の権威は削られる一方であり、そこへ「京の治安すら幕府の手に負えぬ」という一事が加われば、削られるのは権威ではなく屋台骨のほうになる。
否定はできぬ。
そして三つ目が、酒井の胸をもっとも重くした。
受け取れば、この手柄の出どころは朝廷になるのである。
差し出されたものを受け取るという行いは、差し出した側の格をそのまま認めるという行いでもあった。今日この座敷で自分がうなずけば、幕府はこの先ずっと、京の治安という己の職分の一部を、朝廷から恵まれた形で保つことになる。恵まれた者は、恵んだ者に対して、否と言いにくくなるものである。
酒井は、その三つを順に飲み下した。
飲み下したうえで、なお受け取るほかないと結論した。断ることのできる手柄というものが、この世にはあるが、これはそれではない。
「……御家司どの」
「はっ」
「近衛様は、何と仰せであった」
藤右衛門は、そこで一度だけ目を伏せてから、主人の言葉をそのままの調子で伝えた。
「――そなたらはさぞ喜ばれるであろうなぁと」
庭で、松の葉を渡る風の音がした。
酒井忠義は、しばらく何も言わずにその音を聞いていた。この一言のうちに含まれているものを、この男は寸分たがわず読み取っている。強いてはいないのであって、頼んでもいなければ脅してもおらず、ただ喜ぶであろうと言われただけであった。
そして事実、江戸は喜ぶであろう。
喜ぶことが分かっているから断れず、それが分かっているから、あの御方はこの言い回しを選んだ。贈り物の包みを解いてしまえば、中に入っているのが縄であることに気づくのだが、包みを差し出された時点で、受け取らぬという道はもう塞がれている。
酒井は、ゆっくりと息を吐いた。
「……ありがたく、頂戴つかまつる」
「主も、喜びましょう」
藤右衛門は深く頭を下げ、退がるときも、入ってきたときとまったく同じ角度で敷居を越えていった。
その背を見送ってから、酒井は用人を呼んで、江戸への注進の下書きを命じた。
書かせながら、この男は自分がいま何をしているのかを正確に承知していた。筆を進めさせるほかないというところに、京都所司代という役の苦さが煮詰まっている。
筆を持たせた用人が、途中で顔を上げた。
「殿。討ち取り候者の数は、いかように」
「書き付けのとおりに書け」
「……手前どもの人数にて、と」
「そう書け」
酒井は、それきり庭のほうを向いた。
松の枝先が、風に押されて一度だけ大きく揺れた。
三
卯月十一日、御所の一室に、朝議に列する者たちが集まった。
紫宸殿から北へ回った奥まった一角であり、この時節になると建物の内側にまで青葉の匂いが差し込んでくる。御溝水の流れる音が、間を置いてかすかに届いた。畳の上には位のとおりに座が敷かれ、上座から順に、烏帽子と直衣の色が濃いところから淡いところへと、きれいな段を作って並んでいる。
簾のあいだから入ってくる風は、この季節にしてはまだ乾いていて、直衣の袖をわずかに揺らしては抜けていった。庭の若楓は日ごとに色を濃くしており、その葉先が朝の光を透かすたびに、畳の縁のあたりへ緑がかった影を落としてくる。千年のあいだ変わらぬ手順で開かれてきた場所であって、そこに集う者の口の重さもまた、悠久の時のあいだほとんど変わっていない。
議題は、伏見の一件であった。
都の内で四十人が捕らえられたという話は、卯月九日のうちに京中へ広がり、十日を待たずには町の子供までがその数を口にしていた。噂というものは正確さを持たぬ代わりに速さを持つのであって、伏見で夜のうちに大変な捕物があり、所司代の役人がずいぶんと手柄を立てたらしいという形に、その話はきれいに固まってしまっている。
左大臣・近衛忠房は、上座に近い位置に座っていた。
座って、ただ聞いていた。
この日、忠房が発した言葉は数えるほどしかない。誰かが問えば短く答え、問われなければ何も言わず、目を伏せるでもなく開くでもなく、ただそこにいた。上座からその姿を見た者は、左府はこの一件についてさして関心を持っておられぬのだと受け取ったであろうし、事実そう受け取った者が幾人もいた。
議論は、しばらくのあいだ形を成さなかった。
所司代が働いたのは幕府の職分であって朝廷の関わることではないという声があり、しかし都の治安が保たれたことは帝の御心にも適うのであるから何らかのお言葉があってもよいという声があり、そのどちらも押し切るだけの重さを持たぬまま、座は緩やかに漂っていた。
その漂いを断ち切ったのは、末席のほうから上がった声であった。
「――畏れながら」
顔が、いっせいにそちらへ向いた。
岩倉具視である。
公家らしい線の細さがまるでない、ごつごつとした顔と体つきの男であり、家格は堂上のうちでも下のほうにある。この座で末席に控えているのは当然であって、そこで黙って座っているのもまた当然であった。
その男が、この十日ばかりのあいだに二度、自分から口を開いている。
「都の内にて四十人からの徒党が組まれ、あわや大事に至らんとしたことは、まことに畏れ多きことにござりまする。それが未然に鎮められましたるは、幕府の役人が務めを果たしたゆえに相違ござりませぬ」
誰かが、小さくうなずいた。
「されど」
岩倉は、そこで一度だけ言葉を切った。
「務めを果たした者に、朝廷が何も申さぬというのは、いかがなものにござりましょうか」
座が、静かになった。
「褒めるということは、褒める側の格を示すことにござりまする。幕府の役人がよう働いたと帝が仰せになれば、その働きは帝の御心に適うたがゆえに働きとなるのでござりまして、朝廷が黙っておりましては、あれはただ幕府が幕府のために動いただけのこととなりまする」
誰も、すぐには返さなかった。
返せなかったのではなく、その理屈が正しいことを、この座にいる全員がすでに理解してしまっていたのである。理解したうえで、それを最初に言い出す役目を誰も引き受けたくなかったというだけの話であった。
「岩倉。そなた、近ごろ物を申すようになったな」
上座からそういう声がかかったが、そこに険はなかった。
岩倉は深く頭を下げた。
「畏れ入りまする。ただ、薩摩が千の兵を率いて上ってまいると聞き及びましてより、夜も落ち着きませぬゆえ」
その一言が、座の空気を決めた。
薩摩という言葉が出た瞬間に、この座にいる者たちの頭のなかで、伏見の一件と、近づきつつある千の足音とが繋がったのである。都の治安を誰が保っているのかという問いは、そのまま、都へ入ってこようとしている武力に対して朝廷が何を持っているのかという問いでもあった。
議は、そこから速く進んだ。
京都所司代・酒井忠義に対し、都の静謐を保ったことを賞する旨の御言葉を賜るということで、話はまとまった。文言の草案を誰が作るかという段になったとき、岩倉が自らそれを申し出て、座はさして異論もなくそれを認めた。
忠房は、最後まで一言も発しなかった。
発する必要が、まったくなかったからである。
この座で通したいことは初めから一つだけであって、それは「所司代への褒詞」という形をした、幕府への貸しであった。その貸しは、帝の御言葉という形で渡されることによってのみ貸しになる。誰の口から言い出されたかということは、後の世の記録にとっては大事であっても、貸し借りの成立にとってはどうでもよい。
むしろ、忠房の口から出ないほうがよかった。
朝議が散じたあと、忠房はひとり、庭に面した廊へ出た。
御溝水の流れる音が、先ほどよりも近く聞こえる。青葉のあいだから落ちてくる光が、廊の板の上に細かく散っていた。
その光を見下ろしながら、この男はいましがた自分がしたことの中身を、丁寧に並べ直していた。
岩倉具視は、望んで前へ出たのである。
あの男は「旗を掲げる者は必ず的になる」という一事を、はっきりと承知したうえで受けた。承知していることを確かめたのはこの自分であり、確かめたうえで、旗を持たせたのもこの自分であった。だから、そこに騙しは一つもない。
騙しがないということが、かえって重かった。
忠房が後ろめたく思うのは、岩倉を危うい場所へ置いたからではなかった。あの男が、嬉しそうに前へ出たからである。二十年にわたって誰の視界にも入らなかった男が、ようやく見られる場所へ立てたことを隠しきれずに喜んでいる――その喜びをこちらが用意したという一点が、この男の腹の底に重たく残った。
(……捨てるのではない)
忠房は、胸のうちでそう言い直した。
(預けるのだ。いずれ、返さねばならぬ)
言い直したところで軽くなるものではないと知りながら、それでもこの男は、そう言い直しておかねばならなかった。言い直しておかねば、この先も同じことを幾度でもできてしまう。できてしまう自分に慣れることのほうが、忠房にはよほど恐ろしかった。
その日から数日のあいだに、京の町では小さな変化が起きはじめた。
所司代を賞するお言葉が出るらしいという話が広まると、それを「朝廷が幕府に媚びた」と受け取る者が、志士どものなかから現れはじめたのである。そして、その言い出しっぺが誰であったかということまでが、なぜか驚くほど正確に伝わっていった。
近衛の名は、その噂のどこにも出てこなかった。
四
同じ日の午後、相国寺の東、二本松と呼ばれるあたりに構えられた薩摩藩邸では、庭の苔がこの日も朝から午後まで青い照り返しを浴びつづけていた。
塀の内側は静かである。
塀の外はそうでもなかった。伏見の一件の噂は二日のあいだに京中を巡っており、藩邸の門前を通る者は誰もが一度は足を緩めて、この邸のほうを窺ってから行き過ぎるようになっていた。捕らえられた者のなかに薩摩の名があるという話は、すでに町の隅々まで届いている。
その邸の一室で、西郷吉之助は座っていた。
二日前から、この男はほとんど動いていない。
六尺に近い体軀が狭い座敷で膝を折り、目の前には相変わらず幾山もの書き付けが用途ごとに分けて積まれていたが、その山は二日前から一枚も減っていなかった。宿の割り振りも、荷の置き場も、上級の者を何人どこへ入れるかという算段も、いまとなっては一枚残らず用のなくなった紙である。
抑えるつもりであった。
抑えられると思っていたわけではないが、抑えねばならぬと思っていたし、そのために手は打てるだけ打った。三条の宿を押さえ、年配の者を別々の日に別々の宿へ通わせ、己の名だけは決して出さぬようにして、内側から熱を冷ましにかかった。有馬新七という男の気性を知りぬいたうえでの、これが最善の手であったはずである。
その最善が、届く前に終わっていた。
「新八どん」
「はい」
村田新八が、部屋の隅で顔を上げた。この男もまた二日のあいだ、ほとんど口をきいていない。
「……分からんち」
西郷の声は、いつもどおり遅かった。
「四拾人が、一晩で片づっくいやった。所司代の役人がやったち、町じゃ言うておった。」
「そげん聞いちょりもす」
「新八どん。おはん、信じられっか」
村田は、答えなかった。
答えられなかったのである。この二日のあいだ、この男もまた同じ問いを幾度も繰り返し、そのたびに同じ場所で行き止まっていた。京都所司代の同心が幾人おり、その幾人でどれだけの夜廻りができるかということは、宿を押さえて回っていたあいだに嫌でも見えていた。あの人数で四十人は押さえられない。
それが、押さえられている。
「誰かが、おっと」
西郷は、太い指で己の膝を一度だけ叩いた。
「おいたっの他に、あん四十人を見ちょった者がおっ。しかも、おいたっより先に手を出せる者が、京におっど」
その者が誰であるかは、まったく分からない。
幕府の者であればこれほど静かには終わらぬし、他藩の者であれば、この二日のあいだに必ず名が漏れている。名が漏れぬということは、名を漏らさぬことを最初から仕事の一部として組み込んでいるということであり、そういうやり方をする者を、西郷はこれまでの生涯で一人も見たことがなかった。
見えぬ相手に、先を越された。
それが、この男の腹の底に沈んだ、たった一つの確かな感触であった。
そのとき、廊下を渡ってくる足音がした。
複数である。しかも、遠慮というものが一切ない足音であった。
障子が開けられ、藩の目付が二人、その後ろに士が四人、無言で立っていた。先頭の目付は西郷と旧知の男であり、その男が、旧知の顔をきれいに消した表情でそこにいた。
「西郷吉之助どん」
「……はい」
「国父様の御下知にございます。赤間関にて待てとの御命に背むかれた儀につき、身柄をお預かりしもす」
西郷は、驚かなかった。
この二日どころか、船に乗って赤間関を離れたあの日から、この瞬間が来ることは分かっていた。分かったうえで乗ったのであり、分かっていながら乗ったからこそ、この男に言い開きというものはない。
「……承知しもした」
膝を立てようとしたところで、目付が短く付け加えた。
「村田新八どんも、同じく」
部屋の隅で、村田が黙って頭を下げた。
縄が用意されるまでのあいだ、座敷には奇妙な静けさが落ちた。誰も何も言わず、庭の苔の照り返しだけが、障子越しに白く座敷の畳を照らしている。
その静けさのなかで、目付がもう一つ、口を開いた。
開かなくてもよい口であった。旧知であるがゆえに、この男は言わずにいられなかったのである。
「西郷どん。……一つ、お耳に入れっおかな、ならんこっがおじゃります」
「何じゃ」
「伏見にて討たれもした者ん中に、御舎弟の御名がございもした」
西郷は、目付の顔を見た。
「信吾どんにおじゃっど」
部屋の空気が、そこで止まった。
西郷吉之助は、何も言わなかった。
怒鳴りもせず、立ち上がりもせず、拳を握りもしなかった。ただ、いま聞いた言葉を、頭のなかでもう一度きちんと並べ直そうとしているような顔をして、そのまま動かずにいた。
信吾。
あの弟が伏見にいたことは知っていた。知っていたから抑えにかかったのであり、抑えるべき四十人のなかに弟が含まれているということは、この二日、この男が誰にも言わずに抱えていたことである。抱えていたから、いっそう静かに手を打った。名を出せば有馬が「やはり」と受け取ると分かっていたので、弟に直接会うことすら控えた。
控えたぶんだけ、間に合わなかった。
だが西郷の胸のうちで動いていたのは、悔いではなかった。悔いというものは、何をどうすればよかったかが分かっているときに生まれるのであって、この男にはそれが分からない。
誰が斬ったのかが、分からないのである。
所司代の役人が斬ったのだと、町の噂は言う。しかしそれが嘘であることを、この男はもう知っている。知っているが、では誰なのかという問いには、どこまで行っても答えが出ない。
弟は死んだ。
死んだのに、誰に殺されたのかが分からない。
その一事が、怒りの行き場を丸ごと奪っていった。憎むべき相手がいれば人は憎むことができるし、憎むことができれば、そこには少なくとも形というものが生まれる。だがこの男の前には、形がなかった。伏見の夜に何かが起こり、四十人が消え、弟が死に、そして誰の名も残っていない。
「……そげんこっが」
西郷は、それだけ言った。
言って、そのあとが続かなかった。
目付は、その顔を見て息を呑んだ。この男が知っている西郷吉之助という人物は、怒れば部屋の空気ごと押し返してくるような男であり、悲しめばその大きな体が二回りも小さく見えるような男であった。だが、いま目の前にあるのはそのどちらでもない。
理解できぬ…という顔である。
それは、この男の顔にはこれまで一度も浮かんだことのないものであった。
やがて縄が持ち出され、西郷は素直に手を後ろへ回した。
大柄な体が立ち上がると、座敷の天井が一段低くなったように見える。縄を打つ役の士は手が震えており、幾度か結び目を作り損ねたが、西郷はその間、一言も急かさなかった。
庭を横切って門へ向かうとき、この男は一度だけ足を止めて、空を見上げた。
卯月の京の空は、腹が立つほど晴れている。
(……誰が、やったとじゃ)
その問いに、この日から生涯にわたって答えが与えられぬことを、西郷吉之助はまだ知らなかった。
五
卯月十三日、島津久光は伏見に着いた。
千の兵が淀の水路を溯って上がってきたその日、伏見の岸は朝から人で埋まった。薩摩の紋を染めた幟が幾旒も並び、荷を担ぐ人足の掛け声と、隊伍を組み直す足音とが、水面に跳ね返って町じゅうに響いている。町人たちは仕事の手を止めて岸へ集まり、これほどの兵が都へ入ってくるのを見るのは生まれて初めてだと、口々に言い合っていた。
行列は、長かった。
先頭が街道へ入っても最後尾はまだ舟の上にあり、槍を立てた足軽の列が水際から町の奥へ向かって途切れることなく続いていく。具足櫃を担ぐ者、鉄砲を負う者、荷駄の馬を引く者が順に上がってきて、そのたびに岸の板が撓んで低く鳴った。これほどの兵が主家の許しも幕府の下知もなしに動いているという一事の異様さを、見物の町人たちはまだ理解していない。
久光は、駕籠を降りなかった。
降りぬまま、簾越しにその岸の賑わいを見ていた。無位無官の身でありながら千の兵を動かすということの意味を、この男は一日たりとも忘れたことがない。命令が絶対であると一片も疑わせぬ限りにおいてのみ、この行軍は成立するのであって、そのために薩摩を出てから今日まで、緩みらしい緩みを一つも許してこなかった。
その簾の外に、大久保一蔵が膝をついた。
「国父様」
「申せ」
「伏見の一件、相済んでござりもす」
簾の内側で、久光の目が動いた。
「……相済んだち言うとは?」
「四日前の夜でおじゃりもす。南浜町の船宿に集まっおった者ども、およそ四十名。京都所司代の手の者が押さえっ、二十六名が討ち死に、十名が召し捕られもした」
しばらくのあいだ、簾は動かなかった。
「有馬は」
「討ち死にの内にござりもす」
久光は、そこで初めて簾を上げさせた。
昼の光が駕籠の内へ差し込み、この男の顔をまともに照らした。太い眉の下の目は細く、そこに浮かんでいるものを読み取ることは、長年仕えてきた大久保にすら容易ではなかった。
久光の腹のなかでは、三つのものが同時に動いていた。
一つは、安堵であった。
これは認めねばならぬ。有馬新七以下の暴発をこの手で断つということは、薩摩が薩摩の家中を斬るということであり、その血の後始末を、久光は都へ入るより前から幾度も頭のなかで済ませてきた。剣客を選んで連れてきたのはそのためである。その仕事が、要らなくなった。
二つ目は、屈辱であった。
薩摩の若い者を、薩摩でない者が始末したのである。しかも幕府の役人がである。国父たる者が千の兵を率いて上ってきたその四日前に、都の治安は幕府の手によって回復されており、久光がこれから示すはずであった「身内を斬ってでも秩序を守る者」という姿は、示す機会ごと消えてなくなっていた。
三つ目は、沈黙であった。
抗議のしようが、どこにもないのである。所司代は職分に従って動き、動いた結果として不逞の徒を鎮めた。そこには一片の非もなく、非がない以上、久光には言うべき言葉が一つも残っていない。腹を立てる相手すら、いなかった。
「……幕府が、な」
久光は、低くそう言った。
その一言に含まれていたものを、大久保だけが正しく聞き取った。この主君は落胆しているのではなく、腑に落ちていないのである。
「国父様」
「何じゃ」
「所司代の人数で、四十を押さえたちの由でおじゃりもす」
久光の目が、大久保のほうへ動いた。
二人のあいだで、しばらく言葉が交わされなかった。京都所司代の同心が幾人であるかということは、上洛に先立って調べ上げた書き付けのなかに、すでに数字として入っている。その数字と、いま口にされた四十という数字とを並べたときに何が起きるかを、この二人は同時に理解していた。
「……調べっおけ」
「はっ」
「騒ぐな。ただ、調べっおけ」
大久保は深く頭を下げたが、その頭を下げた顔のなかで、この男はもう別のことを考えはじめていた。理に合わぬものが京にある。理に合わぬものは、いずれ必ず理に合う形で説明がつくのであって、その説明が手に入るまでは、薩摩は都で足元を確かめながら歩かねばならない。
やがて久光は、駕籠から出て岸に立った。
千の兵が、その姿を見て一斉に静まる。淀から吹き上げてくる風が幟をはためかせ、そのはためく音だけが、しばらく岸の上を渡っていった。
久光は、その風のなかで、はっきりと口を開いた。
「――よう聞け」
声は大きくなかったが、岸の端まで届いた。
「伏見の火は、消えちょった。おいが消すはずじゃった火を、他所ん者が先に消した。そいが悔しかち思う者もおっど」
兵のあいだで、身じろぐ気配があった。
「悔しがっな」
久光は、そこで一度だけ間を置いた。
「火を消しに来たのではなか。おいたっが上ってきたのは、この国の政を建て直すためじゃ。火は消えた。ならば、その先を始めるだけのこっじゃ」
小松帯刀が、わずかに顔を上げた。
「都に入れば、まず朝廷へ参いる。主上様の御意を頂き、勅使を奉じて江戸へ下っ。幕府に人を入れ替えさせ、この国の舵を、まっとうな者の手へ戻っ」
風が、幟を強く押した。
「失敗すっか、成功すっかではなか。万事、うまくいかすのじゃ!」
声は、それきり止んだ。
千の兵が一斉に頭を垂れ、岸の上に短い沈黙が落ちた。町人たちは何が起きたのかも分からぬまま、その沈黙につられて口を閉ざしている。
やがて隊列が動きだし、幟の列が街道を北へ向かって伸びていった。
その行列を、南浜の通りの外れから見送っていた者がある。
薄鼠の着流しの、色白の優男である。手習いの師匠のような風体のその男は、幟が橋を渡って見えなくなるまでそこに立ち、それから、誰にともなく小さく頭を下げてから踵を返した。
寺田屋の表口の板戸は、この日の朝までに新しいものへ替えられていた。
土間に撒かれた砂も、もう二度ほど掃き直されている。四日という日数は、町が元へ戻るには十分すぎるほどの長さであって、水路には昨日と同じように舟が繋がれ、酒蔵の裏手からは今日も蒸し米の匂いが立ちのぼっていた。
その町のどこにも、七つの名は残っていない。
残っていないままで済ませてよいはずがないと、京の左府はすでに動きはじめていたのだが、その差配が形を成すのは、もう幾日か先のことである。
第百六十一話 了
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