第百五十四話「京洛布陣編―静かなる左府」
一
文久二年の京は、弥生に入ってもなお盆地の底へ沈んだ冷えを手放そうとせず、夜のあいだに石畳へ降りた露は、朝の光を受けてもしばらくのあいだ白いままそこに残っていた。
近衛邸の庭は東山のほうから流れ寄る霞をうっすらと吸い込んで、築地塀の際まで青みを帯びた光に満たされており、その光の底で白木蓮がひとつ、またひとつと厚ぼったい花弁を天へ向けて開きかけている。
遠く比叡の山肌には、まだ拭い残したような雪の白がわずかに張りついていて、それが京の春というものの、ぬるみきらぬ質を静かに証し立てていた。
近衛忠房は縁に立ち、袷の襟をかるく掻き合わせながら、庭の隅に据えられた古い椿の木を眺めていた。年ごとに枝ぶりを太らせてきたその木は、今年もまた首の据わった重たげな紅を幾つも点している。下生えの苔の上には、朝までのあいだに落ちたらしい花がいくつか、まるく形を保ったまま転がっていた。
時の鐘が遠くで鳴り、その音が塀を越えて庭へ入ってくるころ、白髪の老人が音もなく背後の廊へ膝をついた。
「殿。朝餉のお支度、整うてござりまする」
「うむ、藤右衛門か。今しばし、この庭を見ておる」
忠房は振り向きもせずにそう答えたが、その声には主人としての張りよりも、朝の光を惜しむ者の緩みのほうが濃く滲んでいた。藤右衛門は心得たもので、そのまま廊に控えたまま、主の背へ静かに次の用件を差し出していく。
「昨日、庭の松の手入れをいたしました吉次めが、脚立より落ちて足首を挫きましてござりまする。幸い、骨には障りがないとの由に」
「なんと。あの者は、あの高さを平気で登る癖があるでな。以前より案じておった」
忠房はようやく身を返し、老人のほうへ顔を向けた。
「医者は呼んだのか」
「はっ。堀川の柏木先生に診せましてござりまする」
「ならばよい。治るまでのあいだ、あの者の給金は減じてはならぬぞ。庭を美しゅうしておるのは、あの者らの手じゃ。手が痛んでおるときに銭まで痛ませては、次の年に良い枝が出ぬ」
藤右衛門はわずかに目を細め、深く頭を下げた。
「かしこまりましてござりまする。……つい先日は、女中頭のお種の子が麻疹にかかりました折にも、殿は同じことを仰せになりました」
「そうであったかの。老いると同じことばかり言うようになっていかぬ」
忠房は苦笑しながら、また庭へ向き直った。この家の奉殿人たちのあいだで、近衛の殿様はまことにお優しいお方であるという評判は、もはや誰も疑わぬ一つの事実として通っていた。
五摂家の筆頭という途方もない家格を背負いながら、この主人は下働きの者の名を一人残らず覚えており、病を得た者には必ず医者を回し、葬いがあれば香典を欠かさない。
奉殿人たちは、それを当たり前のことのように享受しながら、他家へ嫁いだ知り合いから主家の話を聞かされるたびに、自分たちがどれほど恵まれた屋敷にいるかを思い知らされるのだった。
その優しい主人は、いま庭の椿を見つめながら、まったく別のことを考えていた。
江戸のことである。娘の糸子が江戸へ発ってから、季節はもう幾度も入れ替わっていた。あれは無理をしておらぬだろうか、寒さに障ってはおらぬだろうか、飯はきちんと食うておるのだろうか。
そんな父親としてはいかにも凡庸な心配が、朝ごとに胸の底から湧いてくるのであった。あの娘はどれほど大事に至っても、書状には必ず「息災にしております」としか書いてこないのだから、こちらは行間の墨の濃さから察するほかない。
「……あれの文も、そろそろ届いてもよいころではあるが」
呟いた声はごく小さく、庭石のあたりで散って消えた。
そのとき、椿の花がひとつ、枝から離れて苔の上へ落ちた。ぼとりと鈍い音を立てたそれは、花弁を一枚も散らさぬまま、まるい形のままで転がって止まる。忠房はその落ち方をしばらく見つめてから、ふと口を開きかけた。
「あれは、まるで首が――」
言いかけて、忠房は途中で言葉を呑んだ。
なんでもない、というふうに首を振り、袖のなかで手を組み直す。藤右衛門は聞き咎めることもせず、ただ黙って主の背に控えていた。
「朝餉にいたそう。冷めては、作った者に済まぬでな」
忠房は縁を離れ、廊の奥へと歩き出した。その足取りは、いつもと変わらぬ穏やかなものであった。
二
同じころ、東海道の宿場を、一人の男が走り抜けていた。
男は肩から斜めに掛けた文箱を右手で押さえながら、朝もやの立ちこめる街道を土煙とともに駆け抜けて、宿場の外れで待つ次の走者へ、走りながら文箱を受け渡していく。
受け取った男はろくに言葉も交わさぬまま、そのまま西へ向けて走り出し、峠の登りにかかると馬に乗り換え、下りではまた己の脚に頼って土を蹴った。夜になっても足は止まらず、松明を掲げた先導が闇を切り開いては、次の宿場の明かりへ向けて一行を導いていく。
江戸から京まで、およそ百二十里余りある。旅人が己の脚で東海道を歩き通せば、健脚の者でも半月ほどはかかる道のりであり、荷を負うて宿を取り、雨に降られでもすれば二十日を超えることも珍しくはなかった。だが宿場ごとに人と馬を継ぎ、昼夜の別なく走り通す継飛脚であれば、この距離はわずか三日から三日半にまで縮む。
そしてこの一通は、殿儀の継飛脚の網には乗っていなかった。
天朝物産会所――米や絹や薬種を扱う商いの網として、この二年のうちに西国から東国までを覆い尽くしたその仕組みは、荷を運ぶ道である以上、当然のように文を運ぶ道でもあった。荷にまぎれて走る文は誰の目にも留まらず、番所の帳面にも残らない。
三日目の夕暮れ、その文箱は近衛邸の裏手の潜り戸を叩いた。
迎えたのは家司の藤右衛門ではなく、忠房が直に用いる若い供の者であった。若者は無言で文箱を受け取ると、そのまま台所口も通らず、庭伝いに主人の私室へと消えていく。
その一部始終を、たまたま裏庭で洗い物をしていた下女が見ていた。
妙なことだ、と彼女は思った。この家の文というものは、どれほど急ぎのものであっても、必ず一度は家司の手を通る。それが近衛家の作法であり、藤右衛門の目を経ぬ書き物などこの屋敷には一枚も存在しない――はずであった。
下女は首をかしげ、それからすぐに、自分には関わりのないことだと思い直して、盥の水へ視線を戻した。
優しい主人の屋敷に、その日はじめて、ごく細い罅が入った。
三
私室の灯をひとつだけ灯させると、忠房は人払いを命じた。
障子が閉ざされ、廊の足音が遠のいていくのを待ってから、彼はようやく文箱を膝の前へ引き寄せる。蓋を開け、油紙に包まれた書状を取り出し、封を切る前に、まずは宛名の筆跡をじっと見つめた。
――乱れておらぬ。
その一事を確かめただけで、忠房の肩から力が抜けた。字というものは正直なもので、書き手の眠りの浅さも手先の震えも、そして心の焦りまでもが、隠しおおせぬままそこへ滲み出てしまう。この宛名を書いた娘は、少なくとも筆を持つときには、まだ十分に落ち着いている。
誇らしさと、寂しさとが、同じ速さで胸に届いた。
封を切ると、見慣れた糸子の字が、灯の下へゆっくりと立ち上がってきた。
父上、お元気にしておられましょうや。
ご無沙汰しております。糸子でございます。江戸は如月も末となり、庭の梅がようやく散りかけております。京の春は、江戸よりも底冷えがすると聞き及びますゆえ、御身おいといくださりませ。わたくしは息災にしておりますので、何卒ご案じくださいませぬよう。
「……息災に、な」
忠房が口元をわずかに緩めたのは、この娘が必ずこの一句を書いてくると承知していたからであり、書いてこなくなったときこそが本当に危ういのだということも、父にはもう分かっていた。
さて、本日の書状は、いつもとは事の重さが異なりまする。以下、箇条にて申し上げますゆえ、御一読の後、必ず火中へ投じ給わりたく存じます。
その一行で、灯の色が変わったように感じられた。
一、薩摩率兵上京の事
薩摩国父・島津久光殿、来たる弥生中頃、鹿児島城下を発し、およそ千の兵を率いて上洛の途に就かれ候。道筋は薩摩街道を北へ、肥後を経て筑前大里に至り、関門を渡りて赤間関、そこより船に乗り換え瀬戸内を東し、大坂に上陸、淀川を溯りて伏見に着き申すべく候。到着は卯月中頃と見積もり申し候。凡そ一月の行程に御座候。
忠房は、その道筋を頭のなかで一度なぞった。薩摩街道を北上し、肥後を抜けて筑前へ出て、関門の海峡を渡ってから船に乗る。無駄がなく、しかも要所ごとに味方の湊を踏んでいく。千の兵とは、戦をするには足りず、朝廷を怯えさせるには過ぎる数であった。
――脅しでもなければ、押しつけでもない。これは、飾りを纏わせて差し出される圧というものであった。
一、久光殿の御所存の事
久光殿の求めておられるものは、討幕にはこれなく候。兄君・斉彬殿の御遺志を継ぎ、薩摩の手をもってこの国を動かすこと、その一事に御座候。すなわち武力を背景に朝廷へ接近し、朝廷の御威光を借りて幕政の改革を迫り、天下の主導権を握らんとするものに御座候。求むる改革の中身は、一橋慶喜殿を将軍後見職に、松平春嶽殿を政事総裁職に据えること、ならびに参勤交代の緩和などと存じ奉り候。
ここで忠房は、はじめて眉を動かした。
薩摩が上ってくることそのものは、この京にいる者ならば誰でも遠からず察したであろう。だが、久光の腹の底にあるものが討幕ではなく主導権であり、しかも求める改革の中身が一橋の後見職と越前の総裁職という、極めて具体的な二つの椅子であるところまで書き切ってある。まだ鹿児島の城下から一歩も出ていない男の頭のなかを、この娘は江戸の屋敷に座ったまま、まるで覗いてきたかのように書き写していた。
一、応接の心得の事
これに争うてはなりませぬ。表の座も、名誉も、天下の耳目も、すべて久光殿に差し上げてよろしゅうございます。近衛が握るべきは二つのみに御座候。座に着く人と、この国の進む舵。この二つさえ手中にあれば、旗を誰が持とうと構いませぬ。正面より迎え撃たず、あらかじめ河床を掘りて、その上を流れさせるが上策と存じ奉り候。
忠房はそこで目を上げ、灯の芯がわずかに揺れるのをしばらく見つめていた。
――河床を掘りて、その上を流れさせる。
娘が思いついたその言い回しに、彼は一種の懐かしさに近いものを覚えた。水を止めようとする者は必ず堤とともに流されるが、あらかじめ掘っておいた溝へ水を導いた者は、指一本濡らさずに水の行き先を決められる。それは、この京の殿殿たちが千年のあいだ繰り返してきた作法そのものであった。
武を持たぬ者が武を持つ者を扱うための法であって、与えて奪い、名を渡して実を残す。
娘はその古い技を、どこで覚えたわけでもなく、算盤と帳面の理屈だけで組み立て直してみせている。
一、公武合体の称の事
久光殿は「公武合体」の四字を旗として掲げられましょう。この語は、朝廷の側からは決して先に出されませぬよう伏して願い上げ奉り候。旗は薩摩のものとし、近衛はただ、これに「現状において」の一句を添えるのみにて足り申し候。今日の急を救うための道である、と。左様に定めておけば、幕府の永きにわたる存続を認めたことにはならず、また誰も異を唱えられませぬ。
――「現状において」か。
忠房は思わず声を漏らしそうになり、慌てて息だけで笑った。たった六文字を添えるだけで、永の誓いが仮の便法に化ける。しかもその六文字は、誰の面目も潰さぬがゆえに、誰にも削らせずに済む。
一、岩倉具視殿の事
久光殿の側近・大久保一蔵なる者、近く岩倉具視殿へ接近いたす由に御座候。この者、利をもって動き、情には動かぬ、まことに冷徹なる才物と見受け申し候。ここにて父上に申し上げたきは、岩倉殿を公武合体の表看板として前へ据え給うことに御座候。かの殿は表舞台に立つことを渇望しておられまする。喜んで前へ出られましょう。さすれば、公武合体を非とする過激の徒の憎しみは、近衛家にはこれなく、岩倉殿へと向かい申すべく候。心苦しき差配なれど、この一手なくしては父上の御身が危のうございます。
紙の上をたどっていた忠房の指が、そこで一度だけ止まった。
この娘は、父の身を案じている。案じたうえで、その案じ方を岩倉具視という生身の人間の配置として書いている。心苦しき差配なれど、と一言だけ添えてあるのが、かえって痛かった。
一、伏見の不穏の事
卯月の下旬、京の旅籠に、薩摩の過激なる者ども集い申すべく候。首謀は有馬新七なる者、これに他藩の志士も加わり、京都所司代ならびに公武合体を唱うる殿卿方の御命を狙う企てに御座候。彼らは久光殿の上洛を討幕の挙兵と読み違えておるのでございます。これを未然に鎮め、しかもその功はすべて京都所司代へ譲り渡すべく、別途手配いたしておりまする。近衛の名も、鎮めし者の名も、決して残してはなりませぬ。
一、御門様の御褒詞の事
右の一件が鎮まりし後、父上の御力をもって朝議を回し、御門様より京都所司代へ御褒詞を賜わりますよう、お取り計らい願い上げ奉り候。幕府は井伊の一件より、坂下門の変に至るまで失点続きにて、今まさに勝ちに飢えておりまする。乾いた喉に水を差し出せば、幕府は喜んでこれを飲みましょう。なれどその水は、返さねばならぬ貸しに御座候。栄誉の出どころが朝廷にあると、幕府自らが認めることになりまするゆえ。この貸しは、後日、必ず慶喜殿の一件にて取り立て申し候。
忠房は書状を膝へ置き、しばらくのあいだ天井の暗がりを見上げていた。
――手柄を、くれてやるのか。
自ら鎮めておきながら、その功を丸ごと幕府へ渡す。渡された幕府は喜び、失点続きの渇きを癒し、そして気づかぬうちに、己の栄誉の源が朝廷にあることを天下へ向けて認めてしまう。褒美を受け取った者は、褒美を出した者より下に立つ。それは、この国のあらゆる場所で通用してきた、身も蓋もない道理であった。
一、勅使の事
久光殿は必ず、勅使を奉じて江戸へ下ることを求められましょう。その折の勅使には、大原重徳殿を据え給わりますよう。かの者は血気に富み、行動を好まれる御方ゆえ、舞台さえ与えれば存分に前へ出て、幕府を強く押されましょう。肝要なるは人選にはこれなく、勅の中身に御座候。慶喜殿の後見職を、いかなる条件、いかなる枠にて据えるか。その文案はわたくしが調え、追って差し上げ申し候。薩摩には、勅の中身を一字たりとも知らせてはなりませぬ。久光殿は護衛の任に誇りを持たれ、大原殿は己が幕府を動かしたと信じられましょう。それでよろしゅうございます。
一、秘匿の事
最後に、最も大切なる一事を申し上げ奉り候。朝廷が薩摩の企みを先に知っていると、決して悟らせてはなりませぬ。露見いたせば、問いは必ず会所の網を遡り、わたくしに届きまする。ゆえに父上には、知っていたのではなく、先に用意していたとのみ見えるよう振る舞い給わりたく存じます。御門様はかねてより国事を憂えておられ、既にいくつもの企てに勅を下しておられまする。されば「朝廷はかねてよりこれを望んでおられた」と申しても、偽りにはならず、ただ先回りに見えるのみに御座候。
なお、右の一件を担わせるべく、江戸の旭狼衛隊士を数名、京へ差し向け申し候。この書状は継飛脚を仕立て候ゆえ三日にて御手許へ達し申すべく候えども、人の足はさにはあらず、東海道を十四、五日かけて上り申す仕儀にござ候。されば一行の京着は、この書状より十日あまり遅れ申すべく、それまでの間は山南ひとりにて事に当たらせ候ほか無く、この一事、なにとぞ御含みおき下されたく候。
実の手立てにつきましては、一切を書中にしたため、山南へ宛てて持たせ申し候。この一通は飛脚にも託さず、隊士の懐より一度も離しませぬ。京に着き次第、山南より父上へ言上させまする。かの者は父上の御身辺を守りし縁もあり、近衛の御門を潜りましても、誰ひとり怪しみは致しませぬ。
父上には、山南の申すことを、そのままお聞き届けくださりませ。書面に残せぬ事どもに御座候ゆえ、何卒お含みおきくださりませ。
長々と書き連ね、御目を疲れさせましたること、お詫び申し上げます。
父上、どうかご無理をなさいませぬよう。魑魅魍魎の巣くう朝廷にて、父上がどれほど気を張っておられるか、江戸にいるわたくしにも察せられまする。それでもなお、この重荷を父上に負わせねばならぬこと、娘として心苦しゅう存じます。
春になりましたら、京の糸桜も咲きましょう。いつか父上と、あの桜を見上げる日が参りますよう。
文久二年 如月
恐惶謹言 糸子拝
父上様
四
読み終えたあと、忠房はしばらく身じろぎもしなかった。
灯芯がわずかに音を立て、部屋の隅の闇がゆっくりと呼吸するように揺れている。庭のほうでは、夜風に押された椿の葉が、乾いた音を立てて擦れ合っていた。
やがて忠房は書状を膝の上に伏せ、ゆっくりと息を吐いた。
その顔から、優しさが抜けた。
そこへ新しく何かが加わったのではなく、怒りが差したのでも冷たさが宿ったのでもなく、ただ長いあいだ被っていたものが、するりと落ちただけであった。灯に照らされたその面には、下働きの者の足首を案じていた男の名残がもはやどこにも見当たらなかった。代わりにそこへ残っていたのは、近衛家、当主という生き物が千年かけて磨き上げてきた、感情を通さぬ薄い硝子のような表面である。
忠房が最初に測ったのは、娘が書いた危険ではなかった。
娘が書かなかった危険のほうであった。
――もしも、朝廷が薩摩の企みを先に知っていたと露見すれば、何が起きるか。
問われるのは「知っていたか」ではなく、「なぜ知ったか」のほうであって、しかも問いというものは、必ず来た道を遡っていく。
朝廷が知っていたと誰かが気づけば、ならば誰から聞いたのかと問われ、答えを探すうちに、話は必ず物の流れる道へと行き着く。米と絹と薬種が動く道は、そのまま文の動く道であり、その網の主は江戸にいる。江戸を遡れば、行き着く先はただ一人しかいない。
――あれに、届く。
膝の上の書状が、急に重さを増したように感じられた。
この一通は、娘が父を守るために書いたものである。だがその同じ一通が、江戸にいる娘の首へ、細く丈夫な縄をひと巻きしていることに、書いた本人はどこまで気づいているのか。
忠房の口から、低い声が漏れた。
「……糸子。そなたは、己の首に縄をかける書きようをしておるぞ」
誰も答える者のいない部屋で、彼はもう一度、今度は自分自身へ向けて言い直した。
「知っておったと申せば、なぜ知ったと問われる。問われれば、遡られる。遡られれば、あれに届く」
ならば、答えは一つしかない。
忠房は目を閉じ、その一つを、己の頭のなかで丁寧に組み上げた。
――知っておったのではなく、かねてより案じておられたのじゃ。
嘘ではないというところこそが、この言い方の肝であった。
帝はかねてより国事を憂えておられ、この数年のあいだ、いくつもの企てに勅を下してこられた。海の向こうとの応接についても、国の富についても、既に何度も御心を示しておられる。ならば「朝廷はかねてよりこれを望んでおられた」という言い方は、一片の偽りも含まない。含まないままで、しかも聞く者の耳には、先に知っていたのではなく先に用意していた、という響きだけを残す。
真実でありながら、先回りに見える。それが、この京で千年ものあいだ磨かれてきた言葉の使い方であった。
忠房は目を開け、膝の上の書状を持ち上げた。
娘は、火中へ投じよと書いている。父はしばらくその指示を見つめてから、静かに首を振った。
燃やせば、灰が出る。灰は、燃やすという行いがあったことの証しになる。それよりも、この紙が何年も前からこの屋敷にあったかのように扱うほうが、はるかにこの一件の理にかなっていた。
忠房は文机の脇に置かれた古い桐の文箱を引き寄せて蓋を開けると、何十年も前の歌の反故や色の褪せた贈答の目録の下へ、娘の書状をそっと差し入れた。上から古紙を重ね、紙の角をわずかに揃えぬままにして、蓋を閉ざす。
こうしておけば、たとえ誰かがこの箱を開けたところで、そこにあるのは古い紙の山でしかない。新しい紙も、古い紙のなかに紛れれば、古びて見える。
「御所とは、そういうところにござりますれば」
声に出して言ってから、忠房は自分がひどく静かな口調で喋っていることに気づいた。
これは、朝議の場で使う声であった。誰も傷つけず、誰の反論も呼ばず、それでいて相手の逃げ道だけを一つずつ塞いでいくときの声である。娘の前では、数話十年のあいだ一度も使ったことのない声でもあった。
五
文箱の蓋に手を置いたまま、忠房はしばらく動かずにいた。
冷えは足元から這い上がってきて、袷の裾を通り抜け、膝の骨のあたりに溜まっていく。彼はその冷えを追い払おうともせず、灯の輪のなかにぼんやりと座っていた。
考えていたのは、政のことではなかった。
娘の才が、娘自身をこの国に食わせていく――その一事であった。
器量というものは、持てば持つほど使われる。糸子ほどの頭を持って生まれてしまった以上、この国は必ずあの子を欲しがるし、欲しがった以上は使い減りするまで使うだろう。そして厄介なことに、あの娘自身がそれを厭うていない。厭うどころか、面白がってさえいる節がある。
――もしも、あれが凡庸に生まれておったなら。
叶わぬ仮定を、忠房はこの夜、一度だけ胸のなかで通してみた。
どこぞの家格の釣り合う殿家へ嫁がせ、季節ごとの歌を詠み、子を産み、その子の成長を数えながら穏やかに老いていく。父はそれを縁側から眺め、時折孫を抱いては、庭の椿がまた咲いたと呟くだけの余生を過ごす。ありふれた、退屈で、そして誰も血を流さぬ人生であった。
そういう道は、この家に生まれた時点で既に細く、あの娘が己の頭を使い始めた瞬間に完全に消えた。
忠房はそれを娘に告げたことがない。告げれば、あの子は必ず気に病んだうえで、それでもやめようとはしないだろう。ならば言わぬほうがよい。父の痛みというものは、父の腹のなかで始末をつけておくのが筋であった。
――そういえば、あの件も、いつまでも寝かせてはおけぬ。
ふと頭の隅をよぎったのは、政とも薩摩とも直接的には関わりのない、まったく別の一事であった。
帝が人払いをして、忠房ひとりを近くへ召されたことがある。あのとき帝は、しばらく庭のほうへ目をやってから、静かにこう仰せになった。
『実はな、以前からずっと、朕の胸に想うていたことがあるのだ』――と。
忠房の指が、文箱の蓋の上で一度こわばった。
あの件は、まだ動かせぬ。動かせぬが、いつまでも先延ばしにできるものでもない。結論は早めに出さねばならぬし、御門様も『最後はあの子自身の意思を尊重したい』と仰せになっている。だからこそ、今はまだ娘に話す時期ではないのだ――
そこまで考えて、忠房は意識してその思考に蓋をした。
考えるべきときが来れば考えればよく、それは今ではない。今この一夜のうちに抱えられるものには、おのずと限りというものがあった。
そして、その蓋の縁から、まったく別の感情がひとつだけ滲み出した。
「……ちっ、薩摩め。忙しくしてくれる」
位人臣を極めた左大臣が、誰もいない一室で、下卑た音を立てて舌打ちした。
それきり、忠房は口を閉じた。灯芯がまた小さく鳴り、部屋の空気がゆっくりと元の静けさへ戻っていく。
六
翌朝、忠房は朝餉の膳を前にして、箸を取る前に藤右衛門を呼んだ。
「藤右衛門。山南を、至急これへ呼べ」
「はい、しばしお待ちくださりませ」
老人はそれ以上何も問わず、静かに下がっていった。長年この家の家政を預かってきた男は、主人がどの声で用を言いつけたかによって、問うてよい用と問うてはならぬ用とを聞き分ける。今朝の声は、後者であった。
半刻ほどののち、廊を進んでくる足音がひとつ、障子の外で止まった。
「山南敬助、参上いたしました」
入ってきたのは、旭狼衛の京支部を束ねる者であった。山南は敷居際で膝をつき、丁寧に頭を下げてから、膝行して主の前へ進み出た。
「山南、近う寄れ。……人払いは、済んでおる。まず申しておくが、これより話すことは一切、他言無用だ。わかったな」
「……承知いたしました」
山南の笑みは崩れなかったが、目のなかの光がわずかに深くなった。
忠房は、文箱から取り出した書状を、文机の上へ滑らせた。山南は一礼してからそれを手に取り、明かり障子のほうへ紙を傾けて読み始める。
最初の数行を追ったところで、その柔らかな面が、ゆっくりと動きを止めた。
「……これは」
読み進めるにつれ、山南の指が紙の縁をわずかに強く挟んだ。読み終えたあとも、しばらく彼は書状から目を離さず、それからようやく顔を上げて、丁寧に紙を伏せた。
「姫様は、江戸におられます。この事どもは、まだ、どこにも起こっておりませぬ」
「そうじゃ。何ひとつ起こっておらぬ」
忠房は、山南の顔をまっすぐに見た。
「山南。そなたら旭狼衛が、常より京の町を見ておることは知っておる。そのうえで聞く。何か変わった動きはあるか?」
山南は少しのあいだ目を伏せ、頭のなかの帳面を繰るように黙り込んでから、静かに口を開いた。
「はっ。つい先頃より、薩摩の者と思われる輩が動き始めているとの報せが、幾つか上がってござります。伏見の船宿と、三条の裏手の旅籠に、国訛りの若い衆が出入りしておるとのことで。ただ、数はまだ多くはなく、界隈で騒ぎを起こしておるわけでもござりませぬゆえ、こちらは見ているだけに留めておりました」
そこで山南は言葉を切り、伏せた書状へ視線を落とした。
「……まさか、この書状の中身と関わりが」
「間違いなくあろうな」
忠房の答えは短かった。
「まだ火は点いておらぬ。だが、火口は既に置かれておる。置いた者どもは、おそらく己が何を点けようとしておるかも分かってはおらぬ」
「久光殿の上洛を、討幕の挙兵と読み違える――と、姫様は書いておられますな」
「読み違えるのではない。読みたいように読むのじゃ。人はな、山南、己の望むものを見たときにだけ、目がよくなる」
山南は、なるほど、というふうに小さく頷いた。
「山南。まずは一つ、そなたに命じる。糸子の書状にある、有馬新七なる者を見つけ出せ。捕らえるな、脅すな、悟らせるな。ただ、どこにおり、誰と会い、何を語うておるかを、こちらが常に知っておる状態にせよ」
「畏まりました。……網は、既に半ば張ってござります。あとは、その名を糸に結ぶだけかと」
「よい。それともう一つ。江戸より、旭狼衛の者が数名、こちらへ向かっておる。着くのは十日ばかり後になろう。その者らが持参する話を、そなたが直に聞き取り、余すところなくわしに聞かせよ」
山南の目が、そこで初めてはっきりと動いた。
「江戸から、こちらへ。……姫様は、書面に残せぬ手立てを、人の口に載せてお送りになったのですな」
「そうじゃ。紙は焼けば済むが、焼いた跡は残る。口は、焼く必要すらない」
山南はしばらく黙り、それから深く平伏した。
「御意」
顔を上げたその男は、もう笑ってはいなかった。柔和な町人の顔のまま、目のなかだけが、刃物を研ぐ者の静けさに満たされている。山南は書状を丁重に文机へ戻すと、音も立てずに立ち上がり、来たときと同じ穏やかな足取りで廊の奥へ消えていった。
障子が閉まり、部屋には忠房ひとりが残された。
七
忠房は膳を脇へ寄せさせると、書棚から暦を引き寄せ、膝の前に開いた。
紙の上を指でたどりながら、彼はまず今日の日を押さえた。弥生の朔日である。
次いで、娘の書状にあった日を暦のうえに探していく。久光が鹿児島の城下を発つのは弥生の中頃であり、指をそこまで滑らせて、あいだの日を折り込むように数えていくと、答えは十五日であった。
さらに指を進めていく。伏見に着くのは卯月の中頃であると娘は書いており、そこまでの日を数え上げてみると、およそ四十日あまりであった。
――十五日であの男は動き出し、四十日でこの京に立つ。
忠房は指を折ったまま、しばらく暦を見下ろしていた。
この四十日という時間の意味を、彼は正確に測り直した。四十日のあいだ、何ひとつ起きない。薩摩の兵はまだ動かず、伏見の若い衆はまだ集まらず、勅使という言葉すら誰の口にも上っていない。つまりこの四十日は、事が起きる前に器だけを据えておける、まったく静かな四十日であった。
器が先にあれば、後から来る者はその器に収まるほかない。
もし器がなければ、久光は己で座を作るだろう。武力を背に朝廷へ迫り、恫喝と交渉の末に椅子をもぎ取り、そして誇らしげにそこへ座る。奪って得た座には、必ず遺恨が付いてくる。奪われた側は忘れず、奪った側は次も奪おうとする。
だが、あらかじめ用意された座へ導かれた者は、感謝を残す。
――争って奪わせれば遺恨が残り、先に用意して与えれば感謝が残る。
同じ椅子に、同じ男が座るというのに、その一点の順序を入れ替えるだけで、後に残るものが正反対になる。娘が書いた河床の話は、つまりそういうことであった。
忠房は指を解き、据えるべき器の骨組みを、頭のなかで一つずつ並べていった。
表の座と名誉は、久光へ渡してやればよい。惜しむべきものではないうえに、近衛家にはそれを渡すための最も自然な形式が、既に備わっている。島津は近衛の家礼であり、その関係は数百年にわたって双方が承知してきた事実であった。主家が家礼を遇するという体裁を取れば、久光は面目を潰されるどころか、むしろ格を上げられたと感じるだろう。
公武合体の旗は薩摩に持たせておき、近衛のほうからは決して先に出さない。出さぬ代わりに、その旗の裾へ『現状において』の一句だけを縫い付けておく。今日の急を救うための道である…と。この一句があれば、幕府の永きにわたる存続を認めたことにはならず、しかも誰も異を唱えられない。
握るのは、座に着く人と国の舵という、その二つだけでよい。
――残りはすべて、くれてやってかまわぬ。
忠房は暦を閉じると、思考をもう一つ先へと進めた。
娘の書状には、大久保という薩摩の男が岩倉具視へ近づくとある。あの岩倉が動き出せば、京の空気は目に見えて変わる。だが今のところ、その気配はどこにもなかった。岩倉は相変わらず、己の家格に見合わぬ狭い屋敷で、通り一遍の宮仕えの顔をしている。
――まだ、動いておらぬ。
その一事を確かめただけで、忠房は自分の立っている場所を正確に把握できた。彼は、これから起きることを既に知っている。そして、まだ何も起きていない。この二つが同時に成り立っている時間は、そう長くは続かない。
八
暦を閉じたあとで、忠房はもう一度だけ、己自身に条件を課した。
この予見は、外へは一切漏らしてはならぬ。
驚くべき者は、帝と内廷のほかにあってはならなかった。そこから外へ一歩でも漏れれば、驚きというものは必ず質を変えてしまう。人は驚いた次の瞬間に、必ずこう問うからである――なぜ、この御方は知っておられたのか…と。
その問いさえ立たなければ、あとはどうとでもなる。朝廷はかねてより国事を憂えておられたゆえに、器のほうはとうに用意してあった。話をそれだけのものにしてしまえば、誰ひとりその先へは辿り着けない。
参内の日取りを、忠房は頭のなかで探した。早すぎれば、なぜ今なのかと不審を招く。遅すぎれば、器を据える手間が間に合わない。薩摩が鹿児島を発ったという一報が、まだ京の噂にはならず、しかし内廷の耳には入り始める――そのわずかな重なりの時に参内するのが、最も自然であった。
――弥生の半ば過ぎ、そのあたりが頃合いであろうな。
忠房は立ち上がると、障子を細く開けて庭のほうへ目をやった。
そこには、昨日の朝とまったく同じ光が、変わらず静かに満ちている。東山の霞も、比叡の残雪も、白木蓮の厚い花弁も、何ひとつ変わってはいない。苔の上には、また新しい椿がひとつ落ちて、まるい形のまま転がっている。
昨日、彼はその落ち方に不吉を感じかけて、言葉を呑んだ。
今朝の忠房は、もはやその言葉を呑み込もうとはしなかった。
落ちた花は、落ちる場所を選べない。だが、木の下に何を敷いておくかは、庭を持つ者が決められる。苔を敷けば花は傷まず、石を敷けば花は割れる。どちらにせよ花は落ちるのだから、選ぶべきは落とさぬ工夫ではなく、落ちた先の設えのほうであった。
忠房は障子を閉め、文箱の蓋を音もなく閉ざすと、袖のなかで両の手を組んで、静かに立ち上がった。
驚くべき者は、この京にただ二人でよかった。帝と、己と――それだけである。
第百五十四話 了
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