第百四十六話「深宮の灯、父の願い」
文久二年の初春
京にはなお底冷えの寒さが居座り、朝ごとに置く薄氷が淡い光の下でゆるゆると溶けてゆくばかりで、御所の庭にほころびかけた梅のつぼみだけが凍てつく空気のなかに春の名をかろうじて繋いでいた。築地塀の内に固く閉ざされた広大な禁裏は、外の喧噪をいっさい寄せつけぬまま、ただ古びた檜の匂いと、焚き残された香のけはいと、幾百年も変わらぬ静けさとを湛えている。
その静けさは安らぎというよりも、むしろ重石のように人の胸を押し下げるたぐいのもので、朝廷第百二十一代の主たる帝――孝明天皇にとって、この息の詰まるような静寂こそが、生まれてこのかた一度として外へ踏み出したことのない世界のすべてであった。
夜の白みかける頃合いに、帝の一日は始まる。まだ薄暗い常御殿の一室で身を清め、衣を整えたのち、四方の神々と伊勢の大神、そして歴代の御陵に向かって深く頭を垂れる毎朝御拝こそが、帝の朝の第一の務めであった。
国の安寧と、民の息災と、この国難の一日も早く去らんことを――そう念じながら額を床へ近づけるとき、帝の胸をかすめるのは、いつも決まって塀の外に渦巻く不穏なけはいである。祈りが終われば御湯殿へ移され、湯で身を拭われ、髪を結い直される。その身に触れることを許されるのは幾人かの高位の典侍のみで、彼女たちの白い指先だけが、神聖とされるこの身体に触れうる唯一の縁であった。
朝餉の膳が運ばれてくる頃には、日はすでに高く昇っている。とはいえその膳に湯気の立っていたためしは、帝の遠い記憶をたどってもほとんど見当たらない。毒を恐れるがゆえに、まず調理を担う者が、次いで女官が、最後に御前近くに控える側近が、と幾度も繰り返される毒見の作法があり、そのうえ御膳所から常御殿までの長い廊下を渡り運ばれる道のりが、鯛も、旬の若菜も、椀の汁物も、ことごとく冷やしてしまうのだ。
薄味に決められた伝統の調理は舌を刺すような濃さとは無縁で、冷めきった飯を静かに口へ運びながら、帝はいつも胸の底で同じことを思う。――朕という者は、炊きたての温かい飯というものを、ついぞ知らぬまま生涯を終えるのであろうかと。
帝がこの京の街並みを、あるいは遠く連なる東山の稜線を目にできるのは、御所の内に設えられた御涼所の、あの高みに立って遠くを望むときだけであった。塀の外の暮らしを、市井の人の声を、雑踏のにおいを、帝は一度として直に知らぬ。
世界のすべては、この数町四方の内裏の内にあり、その外側は、格子越しに切り取られた一枚の絵のように、ただ遠く眺めるほかないものだった。ふと、その格子の隙間から見える淡い春の空を仰ぐたび、帝の胸には、生まれながらに翼を持ちながら、決して籠の外へは羽ばたけぬ鳥の思いが、静かに兆すのである。神聖なる存在であるがゆえに、と誰もが言う。
だがその神聖さとは、裏を返せば、幾重もの塀と作法と人の目とをもって、この身を世から遠ざけ、閉じ込めておくための、美しい名の別のよびようにすぎぬのではないか――そう考えかけては、帝はいつも、危ういところで思いを打ち切るのだった。
膳が下げられれば、待ち構えていたように国事が始まる。文久二年という年は、諸国から届く書状の量そのものが、これまでの世とはまるで違っていた。幕府からの報告書、公家や諸藩からの建白書、京の治安をめぐる急報――そうした文書の山が、日ごとに常御殿の御前へ積み上げられていく。
帝はそれらを一枚また一枚とめくりながら、文字だけを頼りにこの国の行く末を思案せねばならなかった。武士であれ諸藩の当主であれ、たとえそれが薩摩の国父・島津久光であろうとも、帝が彼らと直に顔を合わせて言葉を交わすことは、古きしきたりのもとで固く禁じられている。
すべては議奏や武家伝奏といった取次の公家を介し、さらにその手前で上臈の女官たちが書状を「御次」へと運ぶ――そうして幾重にも人の手を経てはじめて、外の声はようやく帝の耳へと届くのだ。
この取次という仕組みこそが、御所の奥に閉じ込められた女たちに、思いがけぬ力を与えていた。彼女たちがどの書状をいつ帝の目に触れさせるか、その順序ひとつを違えるだけで、朝廷の意思はたやすく左右されうる。誰それの公家が近ごろ不忠であるという噂を、そっと帝の耳へ吹き込むこともできれば、ある建白をわざと後回しにして握りつぶすこともできた。
それを知る幕府も諸藩も、まずは上臈たちに贈り物を届けて味方につけようと、血眼になって女官工作に走る始末である。なかでも今城重子という典侍は、関白の権威すら凌ぐと囁かれるほどの手練れで、朝廷の裏面を静かに動かしていた。帝はその重子の政略の切れ味を頼もしく思う一方で、いつしか自分の周りが、目に見えぬ蜘蛛の糸で幾重にも絡め取られてゆくような、そら恐ろしさをも覚えるのだった。
昼餉もまた冷えていた。午後には御進講の刻が設けられ、有職故実や古典を学ぶ日もあれば、宮中祭祀や年中行事に丸ごと費やされる日もある。束帯を幾重にも重ねて着込めば、その重みだけで肩は軋み、正しい姿勢のまま何刻も座り続けるうちに、腰も膝も鈍く痺れてくる。
神聖なる存在たる帝は、家臣や女官の前で声を上げて笑うことも、まして取り乱すことも、作法のうえでは許されていない。常に不動のまま、感情を面に出さぬことを求められる――その見えぬ枷こそが、じつは何より帝の心をすり減らしていた。もっとも、生来の気性の激しさゆえに、あまりのやるせなさに近臣の前でつい声を荒らげることも、この一年は少なくなかったのだが。
夕餉を終えても、緊張の糸が緩むことはない。京の治安は日を追うごとに崩れ、天誅と称する暗殺が夜ごと繰り返され、御所のすぐ外の辻には晒し首が転がるという噂さえ、女官たちの声をひそめた囁きに乗って奥まで届いていた。
夜半に急報がもたらされることも増え、薄暗い蝋燭の灯のもと、帝は側近たちと遅くまで善後策を練らねばならぬ。ようやく夜御殿へ退いても、そこにひとりきりのやすらぎがあるわけではなかった。すぐ隣の御次の間には宿直の女官たちが交代で控え、帝の寝息までも聞き取れる近さで、二六時中このおん身を見守り続けている。守られているのか、監視されているのか――ときおり帝は、その境目がわからなくなるのだった。
そんな息の詰まる日々のなかで、後宮の奥へ退いたときにだけ、帝は人としての素顔を取り戻すことができた。女御・九条夙子は、幼い頃から共に育った、まさに苦楽を分かちあう同志のごとき妻である。夙子もまた帝と同じく異人を病的なまでに嫌う攘夷の信奉者で、政局に怯える帝の弱音や不安を、誰よりも近くで受け止めてくれた。
ふたりのあいだには二人の皇女が生まれたものの、いずれも幼くして世を去っている。その底知れぬ悲しみを分かちあったことが、かえって夫婦の絆をいっそう深く結び直したのだと、帝は今にして思う。夙子にとっては義理の妹の身を案じる大きな心痛の種であり、ふたりは行く末への不安とを灯を落とした奥の間でそっと分かちあうのだった。
喪った二人の皇女のことを、帝と夙子は、口に出しては語らぬ。語れば胸の傷がふたたび疼くのを、たがいに知り抜いているからだ。それでも折にふれ、庭にほころびはじめた梅や、季節の菓子を前にして、どちらからともなく言葉が途切れることがある。
その沈黙のなかで、二人が同じ幼い面影を思い描いているのを、帝は痛いほど感じるのだった。子を喪うということ――それは、この世でもっとも神聖とされる身に生まれてなお、いや、その身であればこそ、いっそう深く肺腑をえぐる痛みであった。
天下万民の父と仰がれる身が、わが子ひとりの命さえ、天の理の前にはついに守りきれぬ。その無力を噛みしめるたび、帝は玉座というものの、光の裏に張りついた冷たい影の重さを、あらためて思い知らされるのである。
側室の中山慶子は、帝がとりわけ厚い信を置く女性であった。慶子は宮中随一と評されるほど聡明で、帝の身の回りの世話を寸分の隙もなくこなすばかりか、政の書状の整理や代筆までも、まるで秘書官のように任せられる。関白ら公式の筋からは決して上がってこぬ京の生々しい市中の動きを、帝はこの慶子とその実家・中山家を通じて、ひそかに耳へ入れていた。そうして幕末の暗い水面の下を、帝は人知れず泳いでいたのである。
だが、この慶子がもたらす存在のうち、帝にとって何ものにも代えがたいものが、ただ一つあった。慶子の産んだ、たった一人の男の子――祐宮である。
数え十一。満で言えば十になったばかりの、まだあどけなさの抜けきらぬ少年であった。数々の子を幼くして喪ってきた帝にとって、この祐宮こそは、荒れ狂う運命の波を潜り抜けて生き延びた、皇室の唯一の希望にほかならない。
目の中へ入れても痛くないとは、まさにこの心持ちを言うのだろう。宮中の古きしきたりにより、祐宮はながらく御所の外にある母の実家・中山邸で育てられており、そのため帝は、わが子の顔を毎日見ることすら叶わずにいた。
その暮らしを、帝はこの初春、断固として変えることに決めたのだ。
文久二年の京は、天誅の名を借りた暗殺が横行し、治安はもはや底が抜けたも同然であった。御所のすぐ近くにまで血なまぐさいけはいが漂い、いつわが子の身に凶刃が及ばぬとも限らない。そう思い至った帝は、公家の慣習を破ってでも、と側近に命じた。
「ただちに祐宮を御所の内へ迎え入れよ。手元に置く」
それは政の思惑からくだされた沙汰では、断じてなかった。何が何でもわが子をあの狂気の刃から守り抜きたいという、ただ一つの、まぎれもない父の親心である。古来、皇子を実家で養育するのが宮中の慣わしであり、この決断が幾人もの公家の眉をひそめさせることも、帝は承知のうえだった。だがこの京の乱れようを前にして、しきたりを盾にわが子を危地に置き続けることなど、父としてどうしてできようか。
祐宮が中山邸から御所の内へと迎え入れられた、その日のことを、帝は忘れない。金晴所へ落ち着いた幼い息子は、慣れぬ広い御殿のなかで、はじめのうちはどこか落ち着かぬ様子で、母の慶子の袖のあたりばかりを気にしていた。生まれ育った祖父の家の、あのささやかな温もりと、この深宮の張り詰めた静けさとの隔たりに、幼い心が戸惑っているのが、帝には手に取るようにわかった。
夜になり、遠くで物音がするたびに、祐宮の肩がびくりと震えるのを、帝は障子の陰からそっと見ていた。あの子もまた、この籠の内へ、新たに閉じ込められた一羽の雛なのだ――そう思うと、帝の胸は締めつけられた。だが同時に、その雛が、いまや自分の手の届くところで息をしているという、ただそれだけのことが、帝には何ものにも代えがたい安らぎでもあった。
こうして祐宮は金晴所へと移り、帝は日々、国難と格闘するおのれの張り詰めた背中を、この幼い息子の目の前に晒して暮らすこととなった。夜遅く、公家たちの議論の声が御殿の奥まで響き、大量の書状と格闘して疲れ果てた帝が、ふと廊下の先へ目をやると、そこに寝間着姿の祐宮が、こわごわと父の様子をうかがっていることがあった。
国のために苦しみ、時に激し、時に沈み込む父の背中を、この子は同じ屋根の下で、肌身に染み込ませるように見て育っている。それは書物のどこにも記されぬ、生きた帝王学そのものであった。
その祐宮は、宮中の女たちに大切に囲まれて育ったせいか、いささか内気で、涙もろいところのある少年であった。厳格な教育係――公家に仕える随身の出であった田中河内介は、そんな祐宮を甘やかすことをよしとせず、時にわざと厳しく律した。
ある日、学びを嫌がって祐宮が泣き出したとき、河内介は「一国の主となられるお方が、これしきのことで涙を流されるとは何事にござりますか」と一喝し、祐宮が涙を拭って机へ向き直るまで、決して一歩も引かなかったという。女官たちに甘やかされがちなこの奥深い宮居のなかで、あえて未来の帝としての責任と、強靱な意志とを植え付けようとした――河内介の厳しさの底には、たしかにそうした深い忠と情とがあった。
……とはいえ、どれほど厳しく鍛えられようと、祐宮はまだ十の子どもである。師の叱声に耐えきれず、人知れず袖を濡らす宵も、少なくはなかった。ある日のこと、河内介の稽古のあとで祐宮がひとり涙をこらえていると聞いた帝は、政の書状を脇へ押しやると、めずらしく自らわが子のもとへ足を運んだ。
父の姿に気づいた祐宮は、はっと居住まいを正そうとしたが、その頬にはまだ、乾ききらぬ涙の跡が残っていた。帝は、何も言わずにその傍らへ腰を下ろす。師に叱られて流した涙を、帝はこのとき、無理に拭わせようとはしなかった。ただ、幼い息子の背に、そっと大きな手を置いてやったのである。「泣くのもよい」と帝は低く言った。
「悔しさに流す涙は、恥ずべきものではない。河内介はな、そなたを憎うて叱るのではないぞ。あの者なりに、そなたの行く末を、誰よりも案じておるのだ」。
その一言に祐宮はこらえきれず、父の膝に顔を伏せて、声を殺して泣いた。帝は、その小さな体が震えるにまかせ、いつまでもその背を撫でていた。強くあれと諭す日もあれば、こうして涙を許してやる日もある――それもまた、帝がわが子に手ずから授ける、もう一つの帝王学であった。
――だからこそ、帝はこの子と向き合う時を、何より大切にした。
祐宮の学びは、伝統に則った英才教育そのものであった。『大学』『中庸』『論語』といった四書五経の漢籍を、意味を解するより先にまず正しい抑揚で美しく音読・暗唱できるよう叩き込まれ、皇室伝来の有栖川流の書風を来る日も来る日も模写して、気品ある文字を身につけていく。まだ幼い声で、たどたどしくも一心に経書を諳んじる祐宮の姿を、帝は御進講の間の障子越しに、ときおり足を止めて聞いていた。意味こそ半ばもわかってはいまい。
それでも、その声にこもる真摯さは、確かに父の胸を打った。文字は、そのまま朝廷の権威を映す鏡である。ゆえに一点一画の乱れも許されぬ厳しさのなかで、祐宮は小さな指に墨をつけ、幾度も幾度も同じ字を書き直しては、ようやく一枚を仕上げるのだった。
なかでも帝が自ら手をかけたのが、和歌の指導であった。歴代の帝にとって、和歌とは国を治める心の教養にほかならない。帝は祐宮に日々一首を詠むことを課し、その稚い歌に幾度も目を通しては、自らの筆で丁寧に添削してやるのだった。
ある宵のこと、祐宮が差し出した歌を、帝は灯のもとでしばし眺めていた。言葉こそ幼いが、生き物の命をいとおしむような、やわらかな情がにじんでいる。悪くない。悪くはないが――帝は静かに筆を執り、余白へ短く書き添えた。
「祐や」と、帝はやわらかく声をかけた。「歌というものはな、己の胸の内を、もっと大きく、もっと堂々と詠んでよいものだ。天を仰ぎ、山を望み、この国の千代を思うほどに、心を伸びやかに広げてみよ。小さくまとまろうとしてはならぬ」
祐宮は真剣な面持ちで、小さく「はい」と頷いた。そのひたむきな横顔に、帝はふと、遠い日の胸のうずきを思い出す。この、父から子へ手ずから歌を伝えるという細やかな営みこそが、のちにこの子が生涯に十万首もの歌を詠むという、あの尽きせぬ才の泉の、まぎれもない源となっていくのだが――そのようなことを、むろんこの初春の帝が知る由もなかった。
祐宮には、いま一つ、幼い頃から抜けきらぬ弱みがあった。雷である。空がにわかに光り、腹の底へ響くような音が轟くと、祐宮は決まって女官の懐へ顔を埋め、小さな肩を震わせてしまうのだ。
その日も、初春には珍しい春雷が、にわかに御所の真上へと湧き起こった。墨を刷いたような雲が東山の稜線を呑み、稲妻が幾筋も走っては、御殿の障子をまばゆく染め上げる。ほどなく大気を引き裂くような雷鳴が轟き、祐宮は思わず身をすくめて、傍らの女官の袖へ縋りついた。その怯えようを、帝は少し離れた御座から、じっと見ていた。
常であれば、帝はわが子を優しく抱き寄せてやったであろう。だがこの夜、帝はあえてそうはしなかった。静かに立ち上がり、震える祐宮のそばへ歩み寄ると、その細い肩へ手を置き、威厳をこめて、しかし決して声を荒らげることなく諭したのである。
「祐や。よく聞くのだ」
帝の声は、雷鳴の合間を縫うように低く響いた。
「そなたはやがて、この国を統べる者となる身ぞ。天の鳴らす音ひとつに怯えていて、どうして万民の心を安んじることができよう。恐れは誰の胸にもある。だが恐れに呑まれず、背筋を伸ばして立ち続けること――それが頂に立つ者の心構えというものだ」
祐宮は、袖から顔を上げた。まだ瞳は潤み、唇はかすかに震えている。それでも少年は、涙をこらえるようにぐっと奥歯を噛みしめ、女官の懐からゆっくりと身を離すと、稲妻の閃く庭のほうへと、その小さな体をまっすぐに向け直した。父の言葉は、幼い胸の奥深くへ、たしかに一本の楔として突き刺さったのだ。
――のちに帝位を継ぎ、明治の御代の主となってからのこと。どれほど激しい雷雨が空を裂こうとも、周囲が舌を巻くほど平然と構えて動じなかったという、あの有名な逸話――その原点は、まさしくこの初春の宵、深宮の一室で交わされた父子の短いやりとりのなかにこそ、静かに宿されていたのである。
むろん、どれほど厳しい帝王学を注がれようとも、祐宮はまだ十の子どもであった。学びの合間に見せる素顔は、御所のどの子とも変わらぬ、活発ないたずら盛りの少年のそれである。木製の台車にまたがっては馬に見立てて廊下を駆け、泥をこねて作った面子を兵に見立てて縁側にずらりと並べる――なかでもこの初春、祐宮がとりわけ夢中になっていたのが、「戦さごっこ」であった。
ある日の午後のことである。政の合間にふと足を止めた帝は、庭に面した縁側で、祐宮が一人、なにやら真剣な面持ちで小石と泥の面子を並べているのに気づいた。少年は帝の視線にも気づかぬほど没頭している。石のひとつを敵の砦に見立て、泥の兵を左右へ配し、口の中で低く号令をかけては、自分なりの作戦を組み立てているらしい。その一途な横顔を、帝はしばし物陰から、そっと見守った。
「祐や。何をしておる」
声をかけると、祐宮ははっと顔を上げ、一瞬きまり悪そうにしたものの、すぐに誇らしげに胸を張った。
「おもうさま。これは、いくさにございます。異国の船がこの浜へ攻め寄せてきたところを、わたくしの兵が追い返すのです。……おもうさまが、日ノ本をお守りくださっているように」
その一言に、帝の胸は不意に締めつけられた。祐宮は、父が「攘夷」の二字を掲げて、異国の脅威から神国を守らんと日々身を削っている、その張り詰めた背中を、間近でずっと見ていたのだ。そうして幼いなりに、自分も強い兵となって父を助けたい、と願っていたのである。
「……そうか」と、帝はようやく声を絞り出した。
「よき志だ。祐や、しかとその心を忘れるでない」
言いながら、帝の胸の底では、名状しがたい思いが渦を巻いていた。誇らしさ。いとおしさ。そして――それらを裏から冷たく浸してゆく、ひとすじの苦い憂いである。
この子は、いま、父の背中に憧れている。国を守る戦さの真似ごとに、瞳を輝かせている。だが、その父が守ろうとしているこの国が、いま、どれほど危うい淵に立たされているか――幼い祐宮には、まだ知る由もない。
異国の黒船は幾度も浦賀へ押し寄せ、開国を通商を、と休みなく迫り続けている。京の市中では夜ごと血が流れ、頼みとしてきた女官たちさえ、この暮れには過激な攘夷の徒に奸物と名指しされ、宮中から追われようとしていた。この閉ざされた深宮ですら、もはや安全ではない。それどころか、外の生々しい政局が、塀を乗り越えて容赦なく流れ込んでくる。時代は、これからさらに激しくうねっていくに違いなかった。
しかも帝には、うすうす予感していることがあった。京へ押し寄せた尊攘の徒は、宮中の女官たちを、帝の目を曇らせる奸物だと声高に非難しはじめている。過激な公家がその声に力を貸せば、遠からずこの年の暮れには、長年信を置いてきたあの練達の女官たちさえ、宮中から追われることになるだろう。
頼みの者が一人また一人と去り、代わって攘夷を叫ぶ勢いが奥深くまで入り込んでくる――その先に待つのは、いっそう深い精神の孤立にほかならない。守ってくれる者を失い、それでもなお、押し寄せる大政局を、たった一人で受け止め続けねばならぬのだ。帝の胸を、じわりと寒々しいものが浸していく。玉座とは、なんと孤独な場所であろうか。仰がれ、敬われ、神と崇められて、そのじつ、心を許せる者の手はひとつまたひとつと払い落とされ、いつしか自分だけが、この広い籠の底に取り残されていく。
帝は、庭に遊ぶ祐宮の小さな背を見つめながら、ふと、遠い京の空の下で、また江戸の奥深くで、この国の明日のためにひたむきに動く二つの影を思い起こした。
左大臣・近衛忠房。そして、その娘――糸子である。
あの父娘の献身を思うとき、帝の胸には、この時にあってなお、かすかな灯がともるのを覚える。糸子は、およそ公家の姫君とは思えぬ知略と胆力とをもって、血を一滴も流さぬ形でこの国を作り変えんとしていた。異国と刃を交えるのではなく、かといって唯々諾々と屈するのでもない。
相互の対等――たがいを一個の国として認めあう、その道理のうえに立って、外つ国と渡りあう。かつては攘夷こそが唯一の正義と信じて疑わなかった帝の胸にすら、あの姫の描く絵図は、いつしか静かな理として染み入り、いくつかの礎となる企てには、帝みずから勅を下してこれを認めるまでになっていた。
そして忠房もまた、娘の企てを近衛家の企てとして一身に背負い、万が一の際は、朕は知らぬと言えるようにする。全ての責は忠房が負う覚悟を持つ、この上なく頼もしい忠臣であった。
もっとも、帝はその頼もしさの裏に潜む危うさもまた、見抜いていた。朝廷の権威が、糸子の企ての後ろ盾として強く輝けば輝くほど、姫はいつしか、帝を惑わす奸臣として、過激な徒に狙われる的となりかねぬ。朝廷の力とは、味方に与えれば与えるほど、当のその者を危地へ追いやってしまう――そういう、諸刃の剣の性を帯びている。
帝が糸子に寄せる信が深まるほどに、立つ地は、かえって薄氷のごとく危うくなっていくのだ。その皮肉を思うたび、帝の胸には、頼もしさと、それを上回る後ろめたさとが、ないまぜになって渦を巻く。あの父娘に、これ以上どれほどの重荷を背負わせればよいのか。この忠臣と、若き姫の献身の上にのみ、この国のかそけき明日が支えられているという事実を、帝は決して当たり前のこととは思うまいと、みずからに固く戒めていた。
――あの父娘がいてくれる。だから、まだこの国は、かろうじて踏みとどまっていられるのやもしれぬ。
そう思うそばから、帝の眼差しは、ふたたび庭の祐宮へと戻っていく。
この子は、いつか帝位を継ぐ。そして、いまの朕とまったく同じように、この深宮に囚われ、冷めた飯を食み、重い衣に身を締めつけられ、外から押し寄せる政の書状の山と、たった一人で戦い続けることになるのだろうか。感情を殺し不動を強いられ、恐れと孤独をひたすら胸の内へ封じたまま――こんな気苦労を、この幼い子にまでさせねばならぬのか。
いや。
帝は、胸のうちで強くかぶりを振った。
――こんな苦しみは、この子には、決してさせたくない。
この子が帝位を継ぐそのときには、京の辻に首が晒されることもなく、異国の脅威に夜ごと怯えることもない、穏やかで安らかな日ノ本であってほしい。祐宮が、いくさの真似ごとではなく、心のままに歌を詠み、伸びやかに笑って過ごせる――そんな御代であってほしい。それこそが、いま帝が、この胸にただ一つ、切実に願うことであった。
庭では、春先のにわか雨の名残の風がほころびかけた梅のひと枝を揺らし、遊びに飽きた祐宮が、泥のついた手を無邪気に着物で拭っている。その屈託のない笑顔を、帝は目を細めて、しばし飽かず見つめていた。
――そして、その笑顔を見つめているうちに。
帝の胸の奥で、ずいぶん前から幾度となく浮かんでは消え、また浮かんでいた一つの思いが、いま、はっきりとした輪郭を結んだ。それは長らく口に出すことも、書き記すことも憚られてきた、あまりに重い一念であった。
だが、この子の未来のためならば――そう思い定めたとき、帝の迷いは、雨上がりの空のように、すっと晴れていったのである。
帝は静かに立ち上がると、御次の間に控える近臣を、低い声で呼んだ。
「――忠房を呼べ」
その一言に、控えていた者はわずかに息を呑んだ。それが、公式の手続きを踏まぬ、内々の召し出しであることを、即座に悟ったからである。幕末のこの動乱の世にあって、帝が側近を通じ、深夜であろうと急に人を召し寄せることは、もはや珍しいことではなくなっていた。近衛家の当主は国事御用掛の任にも携わり、帝の意向をひそかに承って政の地ならしを引き受けることも多い。この日の召しもまた、そうした内召の一つであった。
『御門より内々に、お話ししたき儀があるとのこと』
その伝えを受けた忠房が、御所の奥へ通されたのは、その日の暮れ方のことである。
常の政を執り行う小御所や清涼殿とは違い、私室たる御常御殿の一間では、格式ばった儀式の重々しさは影をひそめ、ただ密やかな緊張だけが、灯のまわりに満ちていた。忠房は御座から少し離れた敷居際に進み出ると、そこで深く平伏し、帝の声がかかるのをじっと待った。位人臣を極めた摂家の当主といえども、帝みずから「面を上げよ」と声をかけるまでは、頭を上げぬのが、内々の席であっても変わらぬ絶対の作法である。
「面を上げよ、忠房。近う直れ」
その御声を受け、忠房はようやくおもてを上げ、御前近くへとにじり寄った。密談ゆえに御簾は上げられ、間仕切りもない。帝と忠房は、灯を挟んで直に顔を合わせている。
「畏り奉りて候。臣・忠房、御前に参りて候」
最高の一等をもって述べる挨拶にも、忠房の声にはわずかな緊張がにじんでいた。帝みずから内々に召し出すというその重みを、この者が、誰よりも深く測りかねているのだ。
帝はしばし、灯の向こうの忠房の顔を、静かに見つめていた。
「此度そなたを呼び出したは、他でもない……」
そこで帝は、いったん言葉を切った。長らく胸の奥へしまい込んできた一念を、いざ口に出そうとするその一瞬に、なお迷いが尾を引いているのか。だが帝は、ゆっくりと息を継ぐと、これまでとは異なる、どこか肩の力の抜けた、けれど深いところで揺るがぬ声で、こう続けた。
「実はな、以前からずっと、朕の胸に想うていたことがあるのだ。……忠房。朕の相談に、のってはくれまいか」
その…あまりに率直な御言葉に、忠房ははっと息を呑んだ。帝みずから、臣下にむかって「相談にのってくれ」と乞う――それがいかに恐れ多く、いかに常ならぬことであるか。
「ははっ――」
忠房は、思わず今いちど深く平伏した。
「わたくしごときに、御門御自らそのように仰せられまするは、まことに、身に余る恐れ多きことにござります。……なれど」と、忠房は顔を上げ、帝の瞳をまっすぐに見つめ返した。
「この忠房にできますることあらば、なんなりと、お申し付けくださりませ」
その言葉に、灯の向こうの帝の面が、わずかにやわらいだ。強張っていた頬から力が抜け、深い安堵のいろが、そのおもてに広がっていく。
「そうか……」
帝は、しみじみと呟いた。
「その言葉を聞いて、朕は安心いたしたぞ。忠房……」
初春の宵の灯が、二つの影を障子にゆらりと映し出す。御所の奥深く、外の狂騒からは隔てられた、この密やかな一間で――帝が長らく胸にあたためてきた一念が、いままさに、初めて言葉となって語り出されようとしていた。
それが何であるか。
この夜の帝と忠房のほかに、それを知る者は、まだ誰一人としていない。
第百四十六話 了
最後まで読んでいただきありがとうございましたm(_ _)m
面白いと思ってくださった方は、下のブックマークや評価(☆☆☆☆☆)で応援していただけると、執筆の励みになります!




