3.再会
父の会社を出た帰り道、クレジットを止められたり遣う金を制限される等の話しがあったにも関わらず、自分でも不思議な程ガックリしなかったのは以前から時折考えていた計画があったからだ。
生まれついて一度もバイトをした事もない等というのは人生経験上どうなのか、親の庇護の元でなく全く縁もゆかりも無い場所で自分の身一つで金を稼いでみたい、金の匂いを振り撒きもせずひっそり仕事をして万一そんな自分に対して優しく接してくれるような女性と出会えたりしたならそれこそ人生の宝物になるのではないのだろうかと密かに期待もしている。
誠実な女性など求めてみたところで今まで付きあって来たような人達の中では出逢い難いのであれば、自分から違う世界に飛び込んでみるのも良いと考えていたのだ。
東京じゃなく大阪などの関西圏では結構良家の子女であれ普通に人生経験を積む為にバイトしたりしているし、お金や経営に関し改めて色々と見つめ直すのに決して無駄な時間とはならない筈だ。
そのコミュニティに適応する必要は多少あったにしても面白いから是非一度やってみようと思った、金に困ってる訳でもないから別にバイト代なんか高くなくて良いし嫌ならいつ辞めても良いのだから。差し当たってどういう職種がいいか等いろいろと考えてみると自分は今まで他人といらぬ関わりを持つのがとても面倒臭く考えていた事がすこし妨げになるかも知れないとふと思った。
一週間ほど前にあの写真を撮られた次の日の朝、気持ち悪くなりながらせっかくお金を下ろして渡そうとしたのに居なくなっていた化粧気もない娘が何故か頭に浮かんできた、ただ綺麗とか可愛い娘なら東京には幾らでもいそうだが直前に夢でみた女性に雰囲気が非常に良く似ていて優しく実直そうで柔らかく包み込むような佇まいが共通しているのが気になった。
あの服装は面接だったのだろうか、そのせいもあったかも知れないけど急いでいたようだ、ならばあの事はその障害にならなかっただろうか?
彼女は一体どんな会社に行くつもりだったんだろう六本木の会社か、IT産業か何かか大学生ならどこの学生なんだろう真面目そうな感じだったけれど、でも二日酔いでどんな顔をしてたかもハッキリとは思いだせないけれど。ちょっと怒っていなければ肌の色も白く相当可愛いかったかもしれない。
暫くぼんやりと様々に推理を廻らしたりしていたが、そんなことをいつまで長々と考えていても仕方がないと封じ込めた、広い東京では多分二度と会うことも出来無いのだろうから。
こっそりとバイトするなら大学の近辺は絶対にまずい、オタクも同級生にも沢山いるから神田や秋葉原は駄目だし、六本木や西麻布も遊び仲間のテリトリーだから見つかる危険があり考えただけで面倒そうだ、銀座は何気なく食事などで父親やその周辺の部下などが顔を出す可能性がある、品川も父の会社近辺だからこれも駄目、中野や吉祥寺辺りはいいかもしれないけど空き時間に通うのには少し不便そうだ、そう考えてみると東京広しといえど案外難しい。
職種だっていったい何がいいんだろう人手不足なのは外食産業だろうか確かに求人は多いけれど辞められなくなっても困るから小規模の店は避けるべきだし履歴書にうるさいようでも困る、そう考えるとなかなか無いものだ。
回りの者は平日にあまり来ないだろうから神楽坂なんか近くていいのかもしれない、そもそも自分自身があまり遊びに行ったりもしていないのだから、とりあえず後で神楽坂に地下鉄で行き求人と見比べながら店の雰囲気でもリサーチしようと思った。
次の日のランチタイムに飯田橋の駅から坂を登って行くと右手にお誂え向きのファミリーレストランがあった、小さな家族経営でもないチェーン店だし人員を募集しているのを確認してから半地下のコンビニの上という立地の店中に入ってみた。
仕事の内容をまずは見てみないと始まらないから偵察してみたが特に洒落た雰囲気の店内ではない、こういう店に有りがちな普通の内装だ。厨房の中は一番人目に付かず目立たないがレンジやオーブン皿洗いにと追い立てられる仕事のようだ、ホールスタッフは客の動きをずっと観察していて注文やドリンクバーの補充をしたり水を継ぎに行ったりと様々な気を配るのが要求される、レジは決まったスタッフが打っている様に見える多分クレジットの扱い等も有るからなんだろう、忙し過ぎない程度には客も入っているし店内も明るく良い感じだ。
何もずっと働かなくて良いんだしと一度この店で働いてみることに決めた、面接は形式的には行なわれ履歴書の学歴の欄で不思議そうにされたが研究職は小遣いにも困る位報酬が少ないのでと言うと納得され特に何の問題もなく入れた。
勤め始めて暫くの間は厨房でレンジやオーブンでマニュアル通りの調理をしたり皿洗い等を担当していたがバイトの者の都合で表の接客に出ることも増えてきた、最初は他人に丁寧にサービスするというのにひどく戸惑ったが慣れれば何という事はなく全くのルーティンで仕事が出来た。
そんな頃に女子大生のバイトが一人加入してきた、派手さはなくあっさりとした育ちの良さそうな感じの娘で目はアーモンド型、背は少し高目だが全体的にほっそりしていて程よく筋肉の付いた脚がすらりと伸びているので決して大柄には見えない、化粧はしているかどうかも解らない程にナチュラルで肌の色も白く透明感のある女性だ。髪の毛の色はほんの少しだけ茶色が入っているのだろうかほとんど黒髪で落ち着いた感じがする。
全体的に真面目な学生という印象だ、でも何処かで会った気がするのは何故だ。まさかあの時か?頭に浮かんだその時ではない事を強く祈った。彼女は阿部結希という名前だった最初の頃は朴訥として取っつきにくく少し影のある感じで近寄りがたかったが慣れてくれば仕事は良く出来るし愛想も良く人当たりがとても柔らかいのでスタッフの受けも良かったが、時折気の抜けた瞬間に何か虚無感というのか寂しそうな表情をするのも垣間見えた。
佑真はいつのまにか出勤するとまず彼女のことを最初に目で追うようになった。結希はそんな佑真が口元を緩めた感じで見つめている視線に気付いていて、何だかちょっと小馬鹿にされている感じがして苦手だった。
ある時彼女がホールを担当している時に禁煙席でタバコを吸い出した客がいて彼女が。
「お客様こちらは禁煙席ですので喫煙席の方に移動して頂けますでしょうか?」
と話し懸けるともっと分かる様に表示しとけよ店長を呼べとかクレームをつけ質が悪くまだ何かしつこく言いたそうな客だった。
ああ何だかとってもイライラする、俺がもっと桁の違う金を使っていた時でもあんな言い方で店の従業員を責め立てたりはしなかったぞ大股で近寄り
「お客様ファミリーレストランごときに高級ホテルのようなホスピタリティーをお求めでしょうか?」
と冷厳に告げると二の句が出なくなった。
結希はそんな状況を見てその客に
「大変失礼な事を。本当に申し訳ございません」
と深くお辞儀をして裏に急いで佑真を連れて行き。
「私を助けてくれる積もりだったのでしょう、それは有難いけれどお客様を侮辱してやり込める様な言い方をしては駄目じゃないですか、私はあれ位の苦情なら聞き流してしまうから大丈夫です、あなたの立場が悪くなったら困ります」
佑真は憮然とした表情で
「別に俺はただ全ての物事にはコストに見合う見返りしかないという事をあの客に言いたかっただけだ」と結希に言ってホールに戻ったら、その騒ぎを見ていたのか男二人連れの客の内一人が。
「佑真さんではありませんか?」
と以前家で会った事のある父の会社の部下小池に声を掛けられた、内心こんな処を見られたのを面倒だと思ったが
「お久しぶりです、ちょっと訳あって学びたい事があるので父には此処で働いていることを少しの間黙っていてもらえますか」
そう言ってみるとさすがに営業の第一線で活躍している人間は違う、余計な事は一切尋かずに
「分かりました」
と小声で応え帰り間際に軽く会釈して出ていった。その様子を見ていた彼女は何か聞きたそうにしていたが仕事中なのでそのままになってそのうち忘れ去られた。
一方その小池は部下らしき者と駐車場に向かいながら
「あのお坊ちゃんがファミレスでバイトとはいったい何の気まぐれかな、一緒に働いているあの娘の素性もちょっと気になる、大したことではないんだろうが一応調べておいてくれないか」
と部下に命令してから車に乗り込んだ。
佑真は結希が余り特に男性陣とは目も合わさないようにし軽々しく寄せ付けない雰囲気を纏っていたので最初の内は言葉もほとんど交わさなかったのだが、そのうち段々と挨拶を交わすようになり一緒に働いていると勤務時間にとても正確に出勤して来るし、スタッフ全員が時計がわりに彼女の爽やかなおはようございますという挨拶を聞くのを楽しみにするようになっている。
夜遊びしていた頃に出会った女の子達とは明らかに違って人慣れはしにくいが一旦気心が知れれば笑顔に品と清潔感があり、細やかな心配りが出来る人だし何より周りに向ける視線に優しさが感じられるので、この辺りには多いフランス人を担当する時には彼女にお願いして代わって貰うようになった、常連になった人の中には彼女を指名する人さえいた。
フランス語も出来るし教養も有り芸術や音楽、文学、社会情勢等それなりにかなりの部分まで理解している様でそれにも増して食にとても詳しそうで美味しいパン屋さんや新しいスイーツの店等をフランス人に訊かれても即座に二、三件の候補をすぐに挙げたりして紹介している。
それを見ていると写真に撮られたような娘達とは内面からの違いが明らかであると感じた。大分仲良くなって一緒に休憩している時に彼女に恐る恐る、誰か馬鹿な事をした奴に朝の六本木で服にコーヒー掛けられたような事はなかったか尋ねた。




