006
「お……俺としたことが肝心なことを忘れていた……!」
少年がワナワナと手を震わせる。
「そう! ここは異世界! ならば唱えるしかなかろう!」
ガタリと勢いよく立ち上がり右手を高く掲げて叫ぶ。
また始まった、と少女から呆れた声が聞こえてきた。
「いざッ! 『ステータス、オープン』!!」
一瞬の静寂。
何かの必殺技のようにポーズを決め高らかに叫んだ少年は、しばし固まっていた。
特に何も変化はない。
……と思っていたのだが。
「ふ……ふぉぉ……!」
ぽかんとした表情から一転、目をキラキラと輝かせて少年は嬉しそうに声をあげた。
「視える……ッ! 視えるぞッ!! 王道展開どおりだッ!」
「え? 何もないけど?」
少女が言うように、私にも特に何も見えていない。彼には何が見えているのだろうか。
「あ、あの……別に叫ばなくても見れるみたいですよ……? 心の中で見たいなって思えば……」
春貴さんが申し訳なさそうに言った。
どれ、と私も情報が見たいと念じてみる。
「うわっ、本当に出た!」
少女が驚く声を上げるのにつられたわけではないが、私も驚いていた。
目の前に半透明のモニター画面のようなものが浮かび、そこに文字が出ていたからだ。
拡張現実だろうか。
思わず気になって手を伸ばすと、何かに触れる感触があった。タブレットやスマートフォンの画面をタップした時と同じ感覚だ。
すり抜けないのだろうか? と思ったら手は画面をすり抜けた。
無意識に触れると思ったからだろうか。触りたいと思えばしっかりと触れる感覚が感じられ、触らないようにと思えばそのまま指先はすり抜ける。実に不思議な感覚だ。
「ふふ……」
横から春貴さんが小さく笑う声が聞こえた。
「あっ、す、すみません! 私もさっき似たようなことをしたのですが、人から見るとこんな感じなんだなぁって……」
眉をへにゃりと下げて春貴さんが微笑んだ。
ずっと困ったり慌てたりしていたので、少し落ち着いたようで安心した。
新人が初めて先方のクレーム対応をした時のような反応だったのが、プレゼンを初めてする時くらいまでには緊張の度合いが下がってきたように思う。もう少し緊張をといても良さそうとも思ったが、我々がいるのは異世界。まだ緊張はとかないほうがいいのかもしれない。
異世界に召喚されたと言えばそれらしさがあるが、私たちの意思とは無関係に行われたこれは、実質拉致とも言える。
和平交渉のためとはいえ、自国のものですらないものを『聖女』などと祭り上げて……。
鑑定とやらの結果、実際に聖女という職がこの世界にあるのはまだいい。だが、聖女というものは宗教的な意味合いのある場合もあるだろうが、弱者を救済したり慈愛に満ちた高潔な人物をさすはずだ。本来は女性を示す言葉だが、ジェンダーフリーに取り組んでいる昨今、職業名や呼称も変わりつつある。それがまだ追いついていないだけかもしれない。
聖女を言い換えるのであれば……聖職者か? いやそれだと従事している人々をさしてしまうか。巫女、は何かイメージが和に寄ってしまうし、修道女では役職が適していない気がする。尼――は違うな、これは。
画面をじーっと見ながらまったく関係ないことを考えていると、向かいから「ねぇねぇ、これってみんなの見れないのかな?」と楽しそうに声がした。
改めて自分の画面を見る。
名前。年齢。職業。スキル。あとは何らかの数値が並んでいるだけではあるが。
「私たち同士であればまだいいですが、この情報はかなり個人の情報が記載されていると思います。本名もしっかり記載されていますし、スキルなどの能力はこの世界では不用意に明かさないほうがいいかもしれません」
「そ、そうですよね! 私もあまり見られたくないですし……聖女、とか……」
春貴さんはごにょごにょと呟いた。
「そうか……今の俺たちはこの世界においては異物……! 特殊なスキルがあれば狙われることも必然! そういうことですね、部長ッ!」
「ですから、部長はよしてくださいと」
藍くんはどこか肩書に憧れているところがあるのかもしれない。
聖女や勇者という単語には過剰に反応していたし。若者らしい反応と言えばそうなのだが、だからって部長という一般的な肩書にまで反応するとは思わなかった。
「まー、確かにそのとおりなんですよねー」
何の気配もなかった。
部屋の中に、いつの間にか出ていったはずの男がいて、優雅にティーカップを傾けていた。




