第 16 章:家族の重圧
リリーはどうやって病院までたどり着いたのか、記憶になかった。
つい先刻までオフィスで仕事に集中しようとしていたはずなのに、気づけばニューヨークの街を急ぎ足で走り抜け、思考はぐちゃぐちゃに絡まっていた。父は留置場から彼女を呼び出し、今、リリーは父と対面するために向かっていた。母から事情を聞いた。仕事の取引が失敗し、不透明な投資案件に関与したことがついに露見し、問題に巻き込まれたという。
リリーと父の関係は、ずっとぎくしゃくしたままだった。幼い頃から父は情緒的に不在で、妻や娘よりも仕事ばかりに執着していた。両親が離婚した時、リリーは悲しみよりも安堵感を覚えた。それでも今、父が助けを求めてきた以上、好むと好まざるとに関わらず、彼は紛れもない家族だ。
病院は人でにぎわっていたが、リリーはそんな景色に目もくれず、ヒールをタイル張りの床にカツカツと響かせ、廊下を急いで進んだ。病室の前に立ち、深く息を吸い込む。これから何が待ち受けているのか、想像もつかなかった。
ベッドに横たわる父は、各種医療機器に繋がれていた。記憶よりもずっと老け、儚げに見える。かつての堂々とした雰囲気は消え失せ、瞳に宿る弱々しい様子がリリーの心を騒がせた。
ドアから入ってくる気配に気づき、父はゆっくりと顔を向けた。瞳に微かな面影の認識が宿る。
「リリー……」
しわがれた、かすれた声でつぶやいた。
「君が来てくれると、分かっていた」
リリーはベッドの足元に立ち、胸の前で腕を強く組んだ。この瞬間にどんな感情を抱けばいいのか分からなかった。ずっと距離を置いてきた父がついに自分を頼ってきた安堵か、厄介事に巻き込まれた怒りか、それとも、自分が彼に関心を持てないことへの罪悪感か。
「呼び出したのはあなたでしょ」
冷めた距離感のある口調で言う。
「私は、あなたに何の義理もないわ」
彼女の言葉を聞き、父は顔をしかめた。だが瞳に恨みつらみはなく、ただ静かな懇願が滲んでいた。
「分かっている、リリー。俺は人生で数え切れない過ちを犯してきた。だけど、君の助けが必要なんだ。父親としてずっと落ちこぼれだった俺だが、せめてこの問題だけは失敗したくない」
リリーの心はわずかに揺らいだが、表情には出さない。長い年月、自分を守るために心に壁を築き、こうした状況から逃れてきた。だけど真実は、簡単に見捨てることはできないということだ。弱り果て、助けを乞う父を前に、今だけは逃げられない。
「何があったの?」
少し柔らかな声で問いかけた。
父は大きくため息をついた。
「取引が完全に失敗した。悪い人間たちと関わってしまい、今、彼らに追われている。この窮地を抜け出すため、君の力を貸してほしい。無理なお願いだと分かっている。だが、もう頼れる人が誰もいないんだ」
強いいらだちがリリーの胸を突き刺した。父の過ちや厄介事から距離を置くため、必死に頑張ってきたのに。今や、父の身勝手な選択のせいで、自分が積み上げてきたすべてを失う瀬戸際に立たされている。
「私に何をしろと言うの?」
首を振りながら答える。
「あなたの失敗を、簡単になかったことにはできないわ、お父さん」
「全部を直してくれとは言わない」
静かな声で続ける。
「せめて…… 弁護士の手配だけでも手伝ってくれないか。君は成功を収め、人脈も持っている。頼む、リリー。もう、君しか頼れない」
リリーはしばらく立ち尽くし、選択を天秤にかけた。これまで何度もそうしてきたように、背を向けて逃げることもできる。だが今回だけは、心の奥底がそれを拒んだ。いつも支え合える家族を夢見てきた。頼れる絆を求めてきた。そして今、すべてを許せなくても、父を助ける責任が自分にはある気がした。
「分かったわ」
ついに諦めの混じった声で告げる。
「手伝う。だけど、これで私たちの関係が変わるなんて、一瞬たりとも思わないで」
父は弱々しく微笑んだ。その瞬間、遠くて冷たい存在ではなく、かつて自分のそばにいた父の面影が、ほんのりと見えた。
だけど、長年の育児放棄や与えられた痛みは、簡単に消し去れるものではない。リリーはずっと一人で強く生きてきた。だが父を助けるという試練は、自分が覚悟できていない重たい課題となるだろう。




