5話
夜明け前の空は、まだ青みを残していた。
村には薄い霧が流れ、ひんやりとした空気が肌に触れる。
ユーマは窓を開けた。
外からは、人の動く気配が聞こえてくる。
畑へ向かう足音。
井戸の水を汲む音。
家畜の鳴き声。
(……落ち着くな)
昨日まで知らなかった場所のはずなのに、不思議と懐かしい。
四十五年の記憶の中にある、どこかの朝に似ていた。
「なんだ、もう起きてたの?」
振り向くと、ナキが立っていた。
今日は外に出る支度をしている。
髪を後ろでまとめ、動きやすい服装だ。
「今日は早いな」
「うん、今日はメイセキに行く日だから」
「買い出しか」
「そう。村の分まとめてね」
少しだけ得意そうに言う。
「ユーマも一緒に行くわよ。服とか必要でしょ?」
「……確かに、このままだと目立つな」
「目立つっていうか、不潔」
「言い方が遠慮ないな」
「事実だもの」
ナキは平然としている。
ユーマは小さく笑った。
⸻
村の入口には荷車が集まっていた。
御者は村長。
荷台には麻袋や木箱、乾燥肉や薬草、そして魔狼の素材が積まれている。
「兄ちゃん!メイセキだぞ!」
トンボが後ろから顔を出す。
「そんなに楽しみなのか」
「当たり前だろ!屋台があるんだぞ!」
「食べ物ばかりだな」
「大事だろ!」
ナキが呆れたように息を吐く。
「毎回これ」
荷車はゆっくりと村を出た。
⸻
森を抜け、畑を越え、しばらく進む。
やがて——それは見えた。
石造りの外壁。
高く伸びる見張り台。
煙を上げる鉱山と、その周囲に広がる街。
メイセキ。
「……すごいな」
思わず口に出る。
「でしょ」
ナキが少しだけ誇らしげに笑う。
⸻
門をくぐった瞬間、空気が変わった。
熱気。
喧騒。
匂い。
鉄を打つ音が響き、肉を焼く香りが漂う。
鉱山帰りの男たちが笑いながら酒場へ入っていく。
村とは別の世界だった。
⸻
「先に素材売るわ」
ナキは迷いなく通りを進む。
その背中を見ながら、ユーマは思う。
(……頼りになるな)
⸻
入った店には、魔物の素材が所狭しと並んでいた。
店主が顔を上げる。
「お、ナキちゃんじゃねえか」
「こんにちは」
「今日は何持ってきた?」
「魔狼三匹分」
店主の眉が上がる。
「……三匹?」
「この人が倒したの」
視線がユーマに向く。
「兄ちゃんが?」
「運が良かっただけだ」
穏やかに答える。
店主は笑ったが、その目は少しだけ真剣になった。
素材を確認していく。
「……いいな、これ」
魔石を持ち上げる。
「流れが乱れてねえ」
ユーマは黙って頷いた。
(やっぱり、そういうものか)
⸻
「でもな」
店主の声が少し低くなる。
「最近、妙なんだ」
ナキが首を傾げる。
「妙って?」
「変な魔石が出てる」
店主は奥から布を取り出した。
「見るか」
布がゆっくり開かれる。
そこにあったのは——
赤い魔石だった。
濁ったような赤。
それを見た瞬間。
「……」
ユーマの視線が止まる。
(……なんだ、これ)
理由は分からない。
だが——
嫌だった。
胸の奥がざわつく。
じっと見ているのに、どこか目を逸らしたくなる。
中で何かが動いているような気がする。
はっきり見えるわけじゃない。
ただ、落ち着かない。
触れたくないと、本能が言っている。
「……これは」
言葉を探す。
うまく出てこない。
「……あまり、良くない気がする」
店主が眉をひそめる。
「気がする?」
ユーマは小さく頷く。
「理由は分からない。ただ……」
少しだけ間を置く。
「近づきたくない感じがする」
⸻
「やっぱりそう思う?」
ぱっと明るい声が横から飛んできた。
振り向くと、すぐ隣に女がいた。
近い。
いつの間にいたのか分からないくらい自然に。
「ね、変だよねこれ」
顔が近い。
距離が近すぎる。
ユーマの腕を軽く叩く。
「私もずっと思ってたの。なんか嫌な感じするの」
笑っている。
けれど、言っていることは同じだった。
「でもね、誰も分かってくれなくてさ。“気のせいだろ”って」
今度は勝手に肩に手を置く。
「あなた分かる人?分かるよね?」
「……ああ」
「やっぱり!」
ぱっと顔が明るくなる。
「初めて同じこと言う人見つけた!」
そのままぐっと距離を詰める。
「名前は?」
「ユーマ」
「ユーマね。私はエレナ」
にっと笑う。
「メイセキ自警団、調査班。魔導士やってるの」
軽い口調だった。
だが、その目はどこか鋭い。
⸻
「最近ね」
エレナは赤い魔石を見たまま言う。
「調査班が一つ、戻ってないの」
店の空気がわずかに変わる。
ナキの表情が固くなる。
「……どこで?」
ユーマが静かに聞く。
「鉱山の奥」
エレナは肩をすくめる。
「最後に見つかったのは装備だけ」
軽く言っているが、その内容は重い。
「人は?」
「いなかった」
短く答える。
赤い魔石が、そこにある。
⸻
「ね」
エレナがまたユーマを見る。
「もうちょっと話聞かせてよ」
手を伸ばす。
その瞬間——
ナキが一歩前に出た。
「……エレナさん、近いです」
「え?」
「近いです」
少しだけ低い声。
エレナはきょとんとして、それから笑う。
「なにそれ、怒ってる?」
「怒ってません」
間。
「……普通です」
⸻
「ふーん」
エレナは面白そうに笑う。
「じゃあさ、一緒に行こ?」
あっさり言う。
「ユーマ、これから服買うんでしょ?ついでに案内するよ」
ナキがすぐに返す。
「私が案内します」
「えー、いいじゃん一緒で」
「だめです」
「なんで?」
「……なんでもです」
一瞬、視線がぶつかる。
エレナはくすっと笑った。
「面白いね」
そう言いながら、また自然にユーマの腕を掴む。
「ほら、行こ」
ナキの眉がわずかに動く。
⸻
ユーマは小さく息を吐いた。
(……賑やかだな)
だが、悪くない。
視線を落とす。
頭の中には、さっきの赤い魔石が残っていた。
理由は分からない。
ただ——
関わるべきではない何か。
そんな感覚だけが、はっきりと残っている。
⸻
街の喧騒の中で、
確かに“何か”が動き始めていた。




