26話 トンボ①
朝。
防衛部隊の訓練場は、すでに動いていた。
剣がぶつかる音。
槍が風を裂く音。
短い指示と、それに応える動き。
無駄がない。
「……すげぇ」
トンボは思わず呟いた。
目の前にあるのは、“本物”だった。
自分がこれまで見てきた戦いとは違う。
速い。
正確。
そして――迷いがない。
「おい」
低い声。
トンボが振り向く。
槍を持った男が立っていた。
無駄のない体。
鋭い目。
「お前が見習いか」
トンボは背筋を伸ばす。
「はい!トンボっす!」
男はじっと見る。
頭から足先まで。
測るように。
「……小さいな」
「え?」
「そのままの意味だ」
それ以上は言わない。
「グレンだ」
短く名乗る。
「今日から俺がお前の面倒を見ることになった」
トンボの顔が明るくなる。
「よろしくお願いします!」
グレンは反応しない。
ただ一言。
「まず見してもらおうか」
「え?」
「戦わせる意味があるかどうかだ」
少しだけ空気が変わる。
トンボは一瞬だけ戸惑う。
だがすぐに頷く。
「はい!」
グレンは顎で外周を示す。
「とりあえず走れ。十周だ」
トンボは笑う。
「了解っす!」
走り出す。
軽い足取り。
(いけるっすね)
一周。
二周。
余裕。
三周。
四周。
呼吸が少し上がる。
五周。
足が重くなる。
六周。
呼吸が荒い。
七周。
視界が揺れる。
(……あれ)
八周。
足がついてこない。
九周。
転びそうになる。
「……っ」
なんとか踏みとどまる。
最後の一周。
もう走り方じゃない。
ただ前に進んでいるだけ。
十周。
止まる。
膝に手をつく。
「はぁ……っ……はぁ……っ……」
息が整わない。
グレンが歩いてくる。
「もう終わりか?」
トンボは無理やり顔を上げる。
「……まだ、いけます!」
グレンは一瞬だけ見る。
「そうか」
それだけ言う。
「じゃあ次は…」
地面を指す。
「これ持て」
木箱。
中身は石。
トンボは持ち上げる。
「……っ、重……」
思わず声が漏れる。
グレンは言う。
「他の奴らが運んでる量の半分だぞ」
トンボは歯を食いしばる。
持ち上げる。
腕が震える。
「あそこまで運ぶんだ」
指された先は、訓練場の端。
距離はある。
トンボは歩き出す。
一歩。
重い。
二歩。
腕がきつい。
三歩。
呼吸がまた乱れる。
(こんなもん……)
(いけるっす……)
その時。
横を団員が通る。
同じ箱を――二つ。
軽々と運んでいく。
トンボの横を、何事もなく。
「……え」
思わず目で追う。
足が止まる。
「止まるな」
グレンの声。
トンボは慌てて動く。
だが遅い。
重い。
苦しい。
やっとの思いで、指定の場所に辿り着く。
箱を下ろす。
「はぁ……っ……」
手が震えている。
グレンが近づく。
「次」
「え……?」
「終わりじゃないぞ」
トンボは言葉を失う。
グレンは続ける。
「戦闘に必要なのは体力だけじゃない」
一瞬、間。
「判断力だ」
その直後。
グレンが動く。
一歩で距離を詰める。
「――っ!?」
見えない。
気づいた時には、目の前。
槍の先が、トンボの喉元で止まる。
動けない。
「今、何ができた?」
トンボは何も言えない。
「石を投げるか」
「避けるか」
「距離を取るか」
一つもできていない。
「……怖かったか?」
トンボの喉が鳴る。
答えられない。
でも、図星だった。
「その一瞬で勝負は決まっちまう」
グレンが言う。
「今のままで前に出るなら――」
一瞬、間。
「死ぬぞ」
トンボの手から力が抜ける。
何もできなかった。
ただ“やられる側”だった。
グレンは槍を引く。
「結論だ」
淡々と。
「前線はまだ早い」
言い切る。
トンボは何も言えない。
悔しい。
でも――分かってしまった。
周囲を見る。
他の団員たちは、普通に動いている。
走っている。
戦っている。
運んでいる。
さっき自分ができなかったことを。
当たり前みたいに。
「……なんで」
小さく呟く。
「なんであいつら……普通にできるんだよ……」
誰にも聞こえない声。
グレンはそれを聞いていた。
だが何も言わない。
そして、短く言う。
「午後は別の仕事を回す」
トンボが顔を上げる。
「……別の?」
「今のお前に前線は無理だ」
淡々と。
事実だけ。
グレンは背を向ける。
「ついてこい」
それだけ言って歩き出す。
トンボは少しだけ立ち尽くす。
拳を握る。
悔しさと。
情けなさと。
怖さ。
全部残ったまま。
それでも――
足を動かす。
止まったままじゃ、何も変わらないと分かっていたから。




