2話
狼の死体を前に、トンボはほっと息を吐いた。
「……助かったぁ」
地面に座り込む。
だが、すぐに立ち上がる。
「よし」
腰のナイフを抜いた。
遊真が眉をひそめる。
「……何する気だ?」
「え?」
トンボはきょとんとする。
「解体するに決まってんじゃん」
当たり前のように言った。
遊真は一瞬だけ黙る。
「…できるのか?」
トンボは狼の横にしゃがみ込む。
「当たり前だろ?」
手慣れている。
迷いがない。
「兄ちゃん、こういうの初めて?」
「まあな」
「そっか」
トンボは少しだけ得意げに笑う。
「見てろよ、ちゃんとやれば全部使えるんだ」
ナイフを入れる。
無駄がない。
血が流れる。
だが、動きは落ち着いている。
「まず皮な。売れるし、防具にもなる」
丁寧に剥いでいく。
遊真はその様子を見ていた。
(……慣れてるな)
子供の動きじゃない。
生活の一部。
「次に肉。これは食える」
「食えるのか」
「ちゃんと処理すればな」
軽く言う。
そして――
胸元にナイフを入れる。
「で、これが一番大事」
中から、小さな青い石を取り出した。
光がわずかに揺れている。
「魔石」
トンボが言う。
遊真の目が細くなる。
「さっき見えてたのはこれか」
「見えてた?」
「いや、なんでもない」
トンボは石を掲げる。
「これが一番金になるんだ」
少し誇らしげ。
「魔道具に使うし、冒険者がよく買ってく」
「でもな、たまに変なのもあるんだよ」
「変?」
「中身がスカスカのやつ」
遊真の動きが止まる。
「……スカスカ?」
「うん。光が弱くて、ほとんど価値ないやつ」
トンボは肩をすくめる。
「最近ちょいちょい見るんだよな」
遊真の目がわずかに鋭くなる。
トンボは解体を続ける。
手際よく。
無駄なく。
「ほら、こんな感じ」
肉と皮、魔石を並べる。
「全部無駄にしないのが基本な」
遊真は少しだけ頷く。
「大したもんだな」
「だろ?」
トンボが笑う。
その笑顔は、さっきまで命のやり取りをしていたとは思えないほど、普通だった。
遊真はその様子を見て――
少しだけ、柔らかい表情になる。
「……悪くないな」
「何が?」
「こんな生活も悪くないなと思っただけだ」
トンボは少し照れくさそうに笑った。
森を抜ける道は、思ったよりも歩きやすかった。
「さっきのは、よく出るのか?」
遊真が聞くと、トンボは振り返る。
「たまにかな、でも最近増えてるって聞いた」
「……そうか。無事でよかったな」
トンボが一瞬きょとんとしてから、笑った。
「うん!」
「色々と教えてくれて助かる」
トンボが少し嬉しそうにする。
「兄ちゃん、ほんと何も知らないんだな」
「まあな」
否定しない。
「迷ってるって言ってたもんな」
「そうだな。だから、トンボに会えたのはラッキーだよ。」
「任せろ!」
トンボが胸を張る。
その様子に、遊真は少しだけ表情を緩めた。
森を抜けると、視界が一気に開けた。
畑。
小さな家々。
柵に囲まれた集落。
煙を上げるかまど。
道を走る子供たち。
その向こうには、巨大な街が見えた。
山肌に広がる無数の建物。
煙を吐く大きな煙突。
鉱山へ続く線路のようなもの。
遠くからでも分かるほど大きな外壁。
「あれが村か……」
ユーマは思わず呟いた。
想像していたよりずっと大きい。
もはや村ではない。
一つの都市だった。
「すげえだろ?」
トンボは胸を張る。
「オレたちの村はあの近くなんだ。あのでかい街に物を売ったり、働きに行ったりしてる」
集落へ近づくにつれ、人の姿が増えていく。
荷車を引く男。
畑仕事をする女たち。
薪を運ぶ老人。
穏やかな空気だった。
その時。
「トンボ!!」
鋭い声が飛んだ。
トンボの肩がびくりと跳ねる。
集落の入口に、一人の少女が立っていた。
長い黒髪。
白い肌。
大きな瞳。
整いすぎているほど整った顔立ち。
派手ではない。
だが、目を引く。
なぜか視線を奪われる。
細身だが健康的な体つき。
簡素な服装なのに、不思議なくらい綺麗だった。
トンボは露骨に目を逸らした。
「やべ……」
少女は早足で近づいてくる。
「また一人で森に入ったの!?」
「い、いや、その……」
「危ないって何回言えば分かるの!? 今日は帰りが遅いから、みんな心配してたんだから!」
本気で怒っている。
だが、その声には心配が混じっていた。
トンボは慌てて手を振る。
「ち、違うんだ! 今日は本当に危なかったんだぞ! 魔物に襲われて!」
少女の顔色が変わる。
「怪我は!?」
「オレは平気!」
「本当に?」
少女はトンボの肩や腕を確認する。
そこで初めて、ユーマの存在に気づいた。
視線が向く。
強い目だった。
警戒しているのが分かる。
「……誰?」
「ユーマ!」
トンボはすぐに答えた。
「オレを助けてくれたんだ! 魔狼を三匹倒した!」
少女は一瞬、信じられないという顔をした。
「魔狼を三匹?」
「うん! 一人で!」
少女はユーマを見る。
長い黒髪が風で揺れる。
近くで見ると、本当に綺麗だった。
だが、それ以上に印象に残るのは目だった。
真っ直ぐで、強い。
誤魔化しの効かない目。
少女は少しだけユーマを見つめたあと、小さく息を吐いた。
「……トンボを助けてくれたのは本当?」
「ああ」
「そう」
少女は少し迷うように目を伏せ、それから小さく頭を下げた。
「ありがとう」
素直な声だった。
「私はナキ」
ナキ。
その名前が妙に似合うと思った。
飾り気はない。
だが、目を離せない。
そんな少女だった。
「ユーマだ」
「……村長のところに案内する。事情を話した方がいい」
ナキはそう言って背を向けた。
夕陽が、長い黒髪を赤く染める。
その横顔は、思わず息を呑むほど綺麗だった。
ユーマは、その背中を見つめながら静かに歩き出した。
この世界で初めて出会った少女。
その存在が、なぜか妙に心に残っていた。




