第108話 デートでは?
商会を出ると、グルテリッジの通りは午後の日差しに満ちていた。
商会に入った時はまだ午前中だったはずだが、報告やら報酬の分配やらクロンの冷やかしやらで、思ったよりも時間を食ったらしい。石畳が白く照り返して、行き交う人々の影を短く落としている。
朝に通った時よりも人の数が増えていた。昼を越えた市場が一番活気づく時間帯なのだろう。通りのあちこちから食べ物の匂いが漂ってきて、そういえば朝から何も食べていないことに気がついた。
まとまった報酬が手に入ったこともあって、四人の空気がどことなく浮ついている。特にフランは目に見えて上機嫌で、足取りまで軽い。
「何に使おうかなー! やっぱり武器かなー? 新しい鉄槌が欲しいんだよねー!」
「まず生活用品でしょ。昨日見たでしょ、うちの状態。棚も足りないし、鍋も予備がないし」
エレナが現実を突きつけると、フランが「うっ」と怯んだ。
「鉄槌は後回しにしなさい」
「ええ……」
しょんぼりするフランの肩を、エレナが軽く叩く。
ロイドもルーシャと並んで歩きながら、頭の中で必要なものを数え始めていた。
「俺たちも、そろそろ買い足したいものがあるな」
「そうですね。調味料も減ってきましたし、あと毛布も……もう少し厚手のものが欲しいです。それに、エレナたちの家のカーテンも、もう少しちゃんとしたものを──」
ルーシャが指折り数え始める。自分たちの家だけでなく、エレナたちの家のことまで気に掛けているあたりが、いかにもルーシャらしかった。
そこで、エレナが足を止めた。
「あ、でも私たちは今日はこのまま帰るわ。家の中、まだ全然片付いてないし……フランの荷物が」
「えー、あたしのせい?」
「あんたの荷物が部屋の半分占拠してるのよ」
昨日の引っ越し作業で、フランの謎コレクション──鉄槌やらモーニングスターやら──が部屋の隅に山積みになっていたのを思い出す。あれを放置したまま買い物に行くわけにはいかないだろう。それ以外にも、棚の配置や寝台周りの整理など、やることは山積みのはずだ。
「買い物は、ふたりで行ってきたら? 私たちは家の片付けに専念するから」
エレナがロイドたちに向き直って、さらりと言った。
本当に片付けが必要なのだろう。ただ──その裏にある気遣いを、ロイドは何となく感じ取っていた。
「手伝おうか?」
ロイドが言いかけると、エレナは首を横に振った。
「いいのよ。昨日も手伝ってもらったし、これ以上甘えてばかりもいられないわ」
フランがロイドとルーシャの方を見て、意味ありげに目を細めた。
「そうそう、ふたりで仲良く買い物してきなよー」
仲良く、に妙なアクセントを付けている。目が完全に笑っていた。
「……ふたりで、ですか?」
ルーシャの声が、ほんの少し上ずった。頬にうっすらと赤みが差している。
「まあ、そうなるか」
ロイドは頬を掻いた。
フランの「仲良く」が余計だったが、事実としてふたりで行くことになる。
「あ、お前ら帰りの足はどうする気だ? 馬車、うちのやつしかないだろ」
ロイドとルーシャが買い物をしている間に先に帰るとなると、足がない。
だが、エレナはさして困った様子もなく答えた。
「途中まで誰かに乗せてもらうわ。あなたたちの家に遊びに行った時もそうしたしね」
「それにほら、あたしら今お金持ちだから」
フランがどや顔で革袋を見せた。
さっきまで「何に使おう」と悩んでいたくせに、使い道がもうひとつ決まったらしい。いざとなれば、金を出して途中まで馬車を利用するつもりなのだろう。まあ、確かに今なら多少の出費は痛くない。
結局、エレナたちとは中央通りで別れることとなった。食堂で昼食を食べてから帰るそうだ。フランが「あそこの定食屋、前から気になってたんだよね!」とはしゃいでいるのを、エレナが「お金の使いどころを間違えないでよ」と早速釘を刺していた。
「じゃあ、また明日ねー!」
フランが大きく手を振った。エレナは小さく手を上げて、穏やかに微笑む。
「ゆっくりしてきなさいね」
その一言に込められた意味を、ロイドは深く考えないことにした。考え始めると、たぶん顔に出る。
ふたりの背中が、食堂の中に消えていった。フランの賑やかな声が遠ざかり、やがて店の喧騒に紛れていく。
四人でいた時の空気が、すうっと引いていて。
途端に、静かになった。
通りの喧騒は変わらない。露店の売り声も、荷車の音も、さっきと同じように流れていた。変わったのは、こちらの方だ。さっきまで四人分あった足音が、ふたり分になっている。
隣には、ルーシャだけがいる。
「ふたりきりでお買い物、ですね」
ルーシャがこちらを見上げて、微笑んだ。午後の陽光が、彼女の白銀の髪をきらきらと照らしている。
「ああ」
返しながら、ロイドはふと気づいた。
ふたりきりでの買い物。市場を並んで歩いて、あれこれ品物を見て回って、一緒に昼飯でも食べて。
それは──いわゆるデートというやつではないだろうか。
今更ながらそう思い至って、急に落ち着かなくなった。これまでもふたりで買い物くらい行ったことはある。でも、あの頃とは関係が違う。結ばれた今のふたりが、わざわざ一日かけて街を歩くとなれば、それはもう、そういうことだ。
フランの「仲良く買い物してきなよー」が、今になって破壊力を発揮してきた。あいつ、絶対にわかって言っている。
(……デートなんて、したことないんだけど)
何をどうすれば正解なのか、さっぱりわからなかった。
市場へ向かう途中、ルーシャと並んで歩きながら、何を買うかを話した。調味料、布、保存食、薬草。実用品のリストは次々に出てくる。
「あ、冬用のお洋服を少し見ておきたいです」
「確かに。冬用の服ってあんまり持ってないもんな」
「それと、ロイドの上着も袖口がほつれてきていますから、替えを買わないとですね」
にこにこと当たり前のように提案する彼女に、少し驚いた。
まさか、そんな細かいところまで見ていたとは。
(なんか……恋人っていうより、夫婦みたいだな)
ロイドは思わず苦笑いを浮かべた
会話の内容が、完全に所帯じみている。もうちょっとこう、甘い話題のひとつくらいあってもいい気がするが──ロイドにもルーシャにも、そういう引き出しは元からなかった。
ただ、ロイドの頭にはもうひとつ別のことがある。
以前、市場の露店を眺めていた時のことだ。ルーシャが足を止めて、でも何も言わずに通り過ぎた小物屋がひとつあった。あの時、彼女の目がほんの一瞬だけ輝いたのを、ロイドは覚えている。
何を見ていたのかまでは確認できなかった。だが、欲しそうにしていたこと自体は覚えていた。あの時は買い出しの目的が別にあったから素通りしてしまったが──今日なら、時間にも金銭的にも余裕がある。
あの小物屋がまだあれば。
こっそり何か見繕って、贈ってやりたい。ルーシャの喜ぶ顔が見たい──というのは少し気恥ずかしいが、それが本音だった。
市場の入口が見えてきた。色とりどりの天幕が連なって、人の波が吸い込まれていく。
隣を歩くルーシャが、小さく「わあ」と声を上げた。
そんな横顔を見ていたら、さっきまでの緊張が少しだけ和らいだ。
──楽しくなりそうだな、と。
柄にもなく、そう思った。




