第107話 報酬分配
グルテリッジの門をくぐると、いつもの喧騒が四人を迎えた。
見慣れた石畳の通りは、朝の光を浴びて白く照り返していた。露店からは威勢のいい売り声が飛び交い、荷車が石畳の上をがらがらと音を立てて横切っていく。焼き立てのパンや革細工の油、果物の甘さ──そういったものが全部混ざり合った、グルテリッジ特有の空気だ。
ここに来るのも随分と久しぶりな気がした。ミンガラムへ出発して、帰ってきて、そこからエレナたちの引っ越しと目まぐるしかったから、余計に久しぶりに感じる。
馬車を馬屋に預けてから、四人は通りを歩いた。行き交う人の間を縫うようにして、商会へ向かう。
フランがきょろきょろと露店を見回しては「あ、あれ美味しそう」「あっちも気になる」と忙しなかった。エレナが「帰りにしなさい」とその都度引き留めるのが、後ろから聞こえてくる。
バーマスティ商会の扉を開けると、帳場の奥にクロンの姿があった。
相変わらず見た目は少年そのものだ。机の上に積み上がった帳簿に埋もれるようにして座っている。だが、帳簿を前にペンを走らせる手つきだけは別だった。〝子供商人〟の異名は伊達ではない。
四人が揃って入ってきたのを見て、クロンはペンの手を止めた。
「おや、四人揃いとは珍しい」
椅子の上で背筋を伸ばして、こちらを見る。
「生きて帰ってきたようで何よりだよ」
口調は軽い。いつもの、ふざけているのか本気なのかわからない喋り方だ。
ただ──ほんの一瞬だけ、安堵のような色が目の奥に過ぎったのを、ロイドは見逃さなかった。彼なりに心配はしていたのだろう。口には出さないだけで。
「報告と、報酬の受け取りに来たよ」
「ああ。わかってるよ」
ロイドが単刀直入に切り出すと、クロンは四人にソファへ腰掛けるように促した。
四人が座ったのを確認してから、クロンが帳簿を閉じる。テーブルの上にペンを置いて、こちらに向き直った。
「で、ミンガラムはどうだった? 君たちが助っ人を求めたくらいだから、かなり苦戦してるってのは何となくわかってたけど。結局瘴気の原因は何だったわけ?」
「瘴気の元は、森の奥にあった地下神殿だ。大昔に封印されていた瘴印王が、中から祠をぶっ壊しやがった。そいつが全ての元凶だよ」
「瘴印王?」
その単語に、クロンの目が鋭くなった。
いつものおどけた空気が、すっと引いていく。
「不死王級、ってことかい?」
「ああ」
さすがに、不死王が絡んでいたとは想定外だったらしい。
クロンは珍しく黙り込んだ。ペンの軸を指先で回しながら、情報を整理している。
ロイドは簡潔に経緯を説明した。村の瘴気調査から地下神殿の発見、内部での戦闘、瘴印王の討伐まで。あの戦いの全貌を語ろうとすれば何時間あっても足りないが、商人に必要な情報は要点だけだ。
ちなみに、昔の聖女だの剣士だのについては触れなかった。ロイド自身、あの壁画だけで自分たちが生まれ変わりだとかいう話を信じるつもりはない。
ただ、それだけでもクロンの顔色は少しずつ変わっていった。特に、地下神殿の最深部で瘴印王と対峙した経緯を話した時には、ペンを回す手が完全に止まっていた。
「それ、普通に王国騎士団に任せるレベルの案件だよ。下手をすれば、国単位で専門の討伐隊が編成されてもおかしくない」
クロンは額に手を当てて、小さく息を吐いた。
「君たちが普通じゃないのは今に始まったことじゃないけど……そんな場所に行って、五体満足で帰って来れるとはね。聖女様と元勇者パーティーが組めば、こうなるってことか。凄いや」
苦笑混じりに言ってから、クロンはエレナとフランの方をちらりと見た。
「途中から合流した私たちが言うのもなんだけど」
エレナが呆れたように口を開いた。穏やかだが、確かな棘がある。
「ロイドとルーシャだけで行かせたのは、さすがにどうかと思うわよ? もしふたりが私たちを頼ってくれなかったら、それこそ五体満足で帰って来れるか怪しかったもの。瘴印王はそれくらい強かったわ」
「耳が痛いな」
クロンは両手を上げて降参のポーズを取った。
「でも、依頼を出した時点ではここまで危険な案件だと思ってなかったんだ。瘴気の調査と浄化、せいぜい中級の穢れ持ち程度だと踏んでたからね」
「踏み違えてたじゃない」
「結果論だよ、結果論」
「全く……無責任なんだから。あたしらが行ってなかったら、ほんとに危なかったんだからね?」
エレナの追及をのらりくらりと躱すクロンに、今度はフランが食いついた。
頬を膨らませて、身を乗り出して〝子供商人〟に詰め寄っている。
「……まあ、ロイドとルーシャなら、ふたりで何とかなってたかもって思うところもあるけどね」
そんなさ中、ジト目でエレナがこちらを見て小声で言った。
思わず、ロイドとルーシャは苦笑を交わす。
最後の〈共鳴・聖呪〉──ロイドとルーシャが力を重ね合わせた、あの一撃を以てして、そう思ったのだろう。確かにあれは規格外だった。自分たちですら、あの技の威力は測りかねている部分もある。最初から力を把握していれば、もっと簡単に倒せていたのかもしれない。
だが、エレナとフランがいなくても大丈夫だったかというと、全然そんなことはなかった。あの場に彼女たちがいなければ、〈共鳴スキル〉を発動するところまで辿り着けなかった可能性すらあったのだから。
クロンはそれを受け流すように、にやりと笑った。
「だからこそ、報酬は弾むよ」
そう言って、机の引き出しから革袋を取り出した。
ずしり、と重い音がテーブルの上に落ちる。
ロイドが紐を解いて中を確かめると、金貨の量は当初の想定よりかなり多かった。瘴気の調査と浄化だけなら、こんな額にはならない。
「ミンガラム村の長老からの謝礼も含まれてる。あの村は隊商の中継地だから、安全が確保されたことで商会としても助かった。瘴気が晴れたことで、止まっていた隊商が動き出せるようになったしね。それと、不死王討伐という結果を踏まえて、僕の方でも上乗せさせてもらうよ」
クロンが淡々と説明する。自腹を切って上乗せするあたり、こいつなりの誠意だろう。言葉ではなく金額で示すのが、商人らしかった。
ロイドは革袋の中身をふたつに分けようとした。報酬は二組で山分けという話を以前エレナから聞いていたからだ。
しかし、その手をエレナが止めた。
「待って」
落ち着いた声だった。
「元々はロイドとルーシャへの依頼だったでしょう? 私たちは途中から助っ人で入っただけだし、最初から戦っていたのはふたりなんだから、山分けはやっぱりおかしいわ」
「そうそう。あたしらが合流するまではふたりだけで頑張ってたんだし。ロイドたちが大めに貰っていいよ」
フランも同調する。
借りを作りたがらないのが、彼女たちだ。家の修繕費に関してもそうだった。それは美徳だと思うし、エレナの矜持も理解できる。
でも、今回に関しては譲る気はなかった。
ロイドは少し考えてから、はっきりと言った。
「助っ人を頼んだのは、その俺たちだ。受け取ってくれ」
短く、有無を言わせない口調で。理屈よりも、言い切った方が通る。相手がエレナなら尚更だ。
実際、エレナとフランがいなければ、最深部に辿り着くまでにもっと消耗していただろう。瘴印王の攻撃からルーシャを守り切るのも難しかった。ロイドが攻めに専念し、ルーシャが支援に集中できたのは、エレナとフランのお陰だ。
エレナが口を開きかけたが、ルーシャが静かに言葉を添えた。
「私からもお願いです。どうか、受け取ってください」
穏やかな声だった。でも、芯がある。
「私たちだけでは、本当にどうにもならなかったと思いますから」
あの神殿の中で起きたことを、ルーシャは誰より知っている。
ロイドの〈呪印〉を完全に解放せずに戦い抜けたのは、ふたりの支援があったからだ。あの状態でルーシャを守ろうと思えば、ロイドはもっと〈呪印〉の力に頼らなければならなかっただろう。暴走覚悟で力を解放していたなら、ルーシャの〈光の抱擁〉でも制御できなかった可能性もある。
そうなっていたら──今頃、こうして五体満足でソファに並んでなどいない。
エレナは一瞬、言葉に詰まった。唇を引き結んで、何かを飲み込むようにしている。
やがて顔を上げて、小さく笑った。
「……わかったわよ。有り難く頂戴するわ」
「えへへ、じゃあ遠慮なく! 何買おっかなー」
フランは素直に喜んだ。ぱっと表情が明るくなる。
ロイドは金貨をふたつの山に分けて、それぞれの前に置いた。
均等に、きっちりと。
分ける金があって分けたい相手がいる……何だか、それはそれで、悪くない気分だった。
報酬の分配が終わったところで、クロンがペンを置いて頬杖をついた。
視線がロイドとルーシャの間を行ったり来たりしている。何か、嫌な予感がした。
「ところでさ」
やっぱり来た。
「なんか、出発前より距離近くなってない? ミンガラムで何かあった?」
にやり、と。子供の顔でやるから余計にたちが悪い笑みだった。
「別に」
ロイドは反射的に顔を逸らした。嘘ではないが、本当でもない。何があったかをクロンに報告する義理はない。
「ほーん?」
クロンの目が細くなる。彼の観察眼は商談の場で鍛え上げられたものだ。隠し事をしても、この〝子供商人〟の前では大抵ばれる。
ルーシャの方はというと、案の定、頬を染めてもじもじしていた。指先で髪を弄って、目が泳いでいる。わかりやすすぎた。ロイドがいくら平静を装ったところで、隣がこれでは全部台無しだ。
そこに、フランが身を乗り出してきた。
「あー、あったねえ、色々。ロイドとルーシャったらね──」
「フラン、やめなさい」
エレナが即座にフランの口を手で塞いだ。条件反射のような鮮やかさだった。
フランが「むぐむぐ」と抗議しているが、エレナは微動だにしない。
「仲が良くて何よりだよ」
クロンは愉快そうに笑った。何もかもお見通しという顔をしていながらも、深くは突っ込んでこない。このあたりの引き際の良さが、彼らしかった。
「じゃ、今回はここまで。また仕事があれば、声を掛けさせてもらうよ」
クロンがにっこり笑った。
〝子供商人〟の営業スマイルは、何度見ても不思議な迫力がある。




