第106話 騒がしい移動
朝食を済ませてから、四人でグルテリッジへと向かった。
エレナたちも別途馬車と馬を購入したようだが、今日はロイドたちの馬車で向かうことにした。
廃村に馬を置いていくことにエレナたちは若干の不安を覚えていたが、あそこ一帯はルーシャの結界で覆われている。野生動物や魔物などは、基本的にあの結界内には入ってこれないようになっているそうだ。
唯一の危険は、賊の類が侵入してきた時だが──ロイドたちが住むようになってから、あの廃村に人がきた形跡はない。希望的観測ではあるが、おそらくは大丈夫のはずだ。
森の縁を抜け、かつての里を示す道標が苔に沈んだ三叉路の分岐点に出たところで、エレナが声を上げた。
「あ、ちょっと待って」
「ん?」
「いいことを思いついたわ」
エレナは馬車から降りるや否や、突然詠唱を始めた。
「道よ、忘れよ。目よ、通り過ぎよ──〈忘却の道〉」
彼女が魔法を唱えると、ふわりと魔力の光が満ち溢れて、ザクソン村跡地へ続く道へと吸い込まれていく。
「これで完了。もう行っていいわよ」
エレナはすぐに荷馬車に戻ってきた。
御者席から振り返って、ロイドが訊いた。
「何をやったんだ?」
「わかりやすく言うと、正しい道を見落とさせる魔法かな? この分岐点に立っても、こっちの道を意識から外して別の道を選んでしまうようにさせたの。よく古代遺跡とかにも仕掛けられてる魔法よ」
「目的地に辿り着けないようにする魔法、ということでしょうか?」
「そういうこと。結構いいアイデアでしょ」
エレナがルーシャに片目を瞑ってみせた。
「はい! そういう魔法は神聖魔法にはないので、発想にありませんでした」
ルーシャは感心した様子で言った。
曰く、神聖魔法は治癒や支援系の魔法には強いが、こういった目くらましや便利系の魔法は少ないらしい。せいぜいルーシャの〈修繕魔法〉ぐらいだそうだが、これも使い手がかなり限られていて、一般的ではない。それを考えると、生活魔法含め様々な魔法を使える魔導師の存在は有り難かった。
ルーシャの結界だけでは、諸々不安があったのは事実だ。だが、そこにエレナの〈忘却の道〉が加われば、ザクソン村跡地の存在はかなり知られにくくなる。
「でも、完璧ってわけではないのよ?」
エレナは続けて、〈忘却の道〉の欠点も説明した。
この魔法はあくまでも道の存在を認知しにくくなる魔法であって、ザクソン村跡地の場所をしっかりとわかっている人には効果がない。賊などが意図せず何となく辿り着いてしまう、という事態は避けられるが、ロイドたちのように場所と道筋を完全に把握している場合には効かないということだ。
(よかった……帰れなくなるかと思った)
その話を聞いて、胸の中でほっと安堵の息を漏らす。
毎回グルテリッジから帰る度に、道を探さなければならないかと思った。
フランがエレナに訊いた。
「あたしらも道がわからなくなるような幻惑魔法もあるの?」
「もちろんあるわよ。でも、どっちかというとそれは結界魔法に近いかも」
「妖精族とかが自分たちの里を隠すためによく使ってますよね」
ルーシャもそこに参加して、三人で魔法談義に花を咲かせる。
魔法のことなどこれっぽっちもわからないロイドは、黙って手綱を握ったまま聞いていた。
そのまま、のんびりと道を進んでいく。
街道は、朝の光が木漏れ日になって地面に散らばっていた。空気は澄んでいて、小鳥の鳴き声が遠くから聞こえてくる。
道中は特に魔物と出くわすこともなく、穏やかだった。
途中からルーシャも御者席の隣に腰掛け、ロイドが会話の仲間外れにならないように気に掛けてくれていた。
別にそんな気を遣わなくてもいいのに、と思いつつ、こういった彼女の気遣いが、ロイドは好きだった。
街道の遠く向こうにグルテリッジの町並みが見えてくると、フランが荷馬車から身を乗り出してしみじみと呟いた。
「やっぱりまだこっちの方が帰ってきた感あるねー」
「まあ、昨日の今日だものね」
エレナもフランに同意する。
彼女たちにとって、ここ暫くの生活の基盤はグルテリッジだった。まだ廃村での生活に慣れていないというのもあるのだろう。
ロイドたちは廃村での生活が最初から基となっていたので、エレナたちのような感覚はなかった。
「でも、ほんとここ数日は体感的には長かったよねー。瘴印王と戦ったり、エレナが怖がって泣いてたり」
「いつ私が泣いたのよ」
フランの軽口に、エレナが呆れた様子で応えた。
もはや怒ってさえいなかった。きっと、こんなやり取りがこのふたりの間では当たり前なのだろう。
「あれは泣いてたね! でも、気持ちはわかるよ? あいつ、強すぎて超怖かったし」
「ああ、それであの日あなたが履いてた下着に変なシミがあったのね。怖かったからか……」
「言うなあああああッ! てか何でエレナがそれ知ってるの!?」
「洗濯物を丸投げしてきたのはそっちでしょ?」
ちょっとした軽口でとんでもない反撃を食らったフランが、頭を抱えたまま奇声を上げていた。
荷馬車のふたりの掛け合いを聞きながら、ルーシャが小声で言った。
「賑やかですね」
「ああ。……ちょっと賑やか過ぎるけどな」
「そうですか? 私は楽しいですけど」
ルーシャは頬を綻ばせたまま、小首を傾げた。
言葉通り、本当に楽しそうだ。
ふたりだけの時は静かな道中だった。
それも好きだが、こうしてずっと笑い声が絶えないのも、悪くはない。
何となく、ロイドもそう考えるようになっていた。




