第103話 引越しのお手伝い
結局、頭を冷やす手段は力仕事だった。
ルーシャと一緒に寝台を出てからは、ふたりで黙々と朝の支度をこなした。井戸から水を汲んで、ここ数日分の洗濯物を済ます。ロイドが裏手で薪を割っている間に、ルーシャが台所で火を起こした。
斧を振り下ろすたび、乾いた音が朝の空気に弾ける。
薪が綺麗に割れていくのは気持ちがいい。身体を動かしていると、頭の方もだいぶ落ち着いてきた。さっきまで頬に残っていた唇の感触も、汗と一緒に薄れていった。
……というのは、嘘だ。全然薄れてない。
ただ、ルーシャの前では平静を装えるくらいには戻れた。それで十分だろう。
朝食は、ルーシャが焼いたパンと、干し肉のスープ。庭先に生えているハーブをちぎって添えた、いつもの朝飯だった。
向かい合って、他愛のない話をしながら食べる。エレナたちが来たら台所はどう使い分けるか、とか。薪の備蓄はまだ足りるか、とか。
話題はどれも日常の延長で、特別なことは何もない。
でも、そのありふれた朝食の時間が、ロイドは好きだった。ほんの少し前まで、ひとりで黙って食べていた飯が、向かいにルーシャがいるだけで全く別のものになる。
食事を終えて片付けを済ませると、もうそろそろエレナたちが到着する頃合いだ。
ロイドとルーシャは連れ立って家を出た。
目指すのは、少し離れた場所にあるエレナたちの新居だ。数日かけて修繕した隣の空き家──と言っても、歩いて数分はかかる。廃村の中では近所だが、一般的な感覚では微妙な距離だ。
緩やかな坂道を並んで歩いていると、ルーシャが小さく息を吸った。
「今日から四人ですね」
もともとルーシャは、人が近くにいることを望む性質だ。聖女として人のために祈ることが彼女の在り方だったし、同年代の同性の友達となればなおさらだろう。
ロイドとふたりきりの暮らしに不満があったわけではないだろうが、エレナとフランがすぐ近くに住むとなれば、素直に嬉しいはずだ。
「そうだな」
ロイドは頷き、短く返した。
自分だってそうだ。悪い気はしない。むしろ、心のどこかで楽しみにしていた自分がいた。誰かがすぐ傍にいるという感覚を、こうも自然に受け入れられるようになったのは、やっぱりルーシャのおかげだったからだ。
エレナたちの家に着くと、ふたりはまだ来ていなかった。
修繕を終えた家は、前とは見違えるほど綺麗になっている。壁の隙間は埋まり、屋根の板も張り直した。窓枠も歪みを直して、ちゃんと開け閉めできるようになっている。ルーシャの〈修繕魔法〉で仕上げた箇所は特に滑らかで、元の木目が蘇ったように馴染んでいた。
玄関先で腰を下ろし、ぼんやりと廃村の景色を眺める。
朝の空気はまだ冷たいが、陽射しは暖かかった。風が吹くたびに木の葉がさらさらと鳴って、遠くで鳥が啼いている。人の気配がない静かな集落に、自分たちの息遣いだけが溶けていた。
考えてみれば、贅沢な場所だ。静かで、広くて、空が近い。ここを最初に見つけた時は荒れ果てた廃墟でしかなかったが、今はもう、ちゃんと『帰る場所』になっていた。
しばらくして、砂利を踏む音と車輪の軋みが近づいてきた。
「来たか」
立ち上がると、森道の向こうからエレナとフランが姿を現した。
手を振るフランの後ろに、荷台を引いた馬がいる。その荷台には、山のように荷物が積まれていた。
(……荷物、多くないか?)
ロイドは内心で首を傾げた。
ふたりはしばらく安宿暮らしだったはずだ。いつの間にこんなに溜め込んだのだろうか。
「じゃあ、ふたりとも。迷惑かけるだろうけど、今日からよろしくね」
「よろしくー!」
「おう」
「よろしくお願いいたします」
それぞれ簡単な挨拶を交わして、早速荷解きに取り掛かった。
──が、開始早々、問題が発生した。
フランの荷物が、明らかにおかしい。
「フラン、何だこれ」
木箱を開けたロイドは、思わず声を上げた。
中には予備の鉄槌、モーニングスター、それから用途のわからない金属製の何かが、ぎっしりと詰まっていた。ひとつひとつが重いし、異常に重い。
「えへへ……グルテリッジの市場で気になって、つい」
フランは悪びれもせず笑う。回復術師がこんな物騒なコレクションを持っているのは、どう考えても普通ではない。もはや、完全な僧兵にでもなるつもりだろうか。
「あんた、これ全部自分の部屋に入れる気?」
エレナが額に手を当てて呆れていた。
「だって、見てたらどんどん欲しくなっちゃって! あと、この丸いのは武器じゃなくて鍋敷きだよ!」
「鍋敷きにモーニングスターを使う人間は、この世にお前しかいないと思うぞ」
ロイドは鉄球をひとつ持ち上げながら、溜息混じりに言った。
結局、フランの荷物だけで全体の半分以上を占めていることが判明し、エレナの嘆息がさらに深くなる。
ロイドが重い荷物を運び入れ、ルーシャとエレナが中の配置を考えていた。フランは……主に邪魔をする係だ。
部屋の中を行ったり来たりしながら、ルーシャが窓辺に立って首を傾げた。
「ここにはカーテンがあった方がいいですね。西日が入りやすいので、布を一枚掛けるだけでも違うと思います。あと、寝台はこちらの壁沿いにした方が、朝の光で目が覚めやすいかと」
「ルーシャ、ハウジングの天才じゃん!」
フランが目を輝かせて手を叩いた。
「もう……結局ルーシャに任せっきりになってるじゃない」
エレナは苦笑しつつ、窓辺に歩み寄った。
窓の向こうには、木々の間を縫うようにして、遠くにロイドたちの家が見える。距離がある分、建物自体は小さいが──夜であれば、窓の灯りがほんの微かに見える程度だろう。近すぎず、遠すぎず。ちょうどいい距離感だった。
(エレナ……ちょっと変わったな)
ロイドの目に映るエレナの横顔は、穏やかだった。
少し前まで、彼女にはどこか翳りがあった。そこには、ロイドに対する罪悪感や後悔が、どこかしらに滲んでいたように思う。
でも今は、それがなかった。ミンガラムでの共闘が、彼女を変えたのかもしれない。
よかった、と素直に思う。ロイド自身は最初から気にしていなかったし、あの時の彼女たちの立場からすれば、引き留められないのは仕方なかった。
互いに苦難を乗り越えて再会し、今は仲間でご近所さん。それでいいではないか。
そうして作業を続けること数時間。
昼下がりになる頃には、荷物もある程度片付いた。まだ細かい整理は残っているが、ひとまず生活はできそうだ。
ロイドが庭先にテーブルと椅子を運び出すと、ルーシャが新居の台所に立った。新しい竈に火を入れて、簡単な昼食を作る。パンと、ありあわせの野菜を使ったスープ。引っ越し祝いと呼ぶには質素だが、身体を動かした後の温かい食事は、それだけで十分だった。
四人で、庭先のテーブルを囲む。
木漏れ日が白いテーブルクロスの代わりに模様を落として、湯気の立つスープが昼の光に透けていた。フランが「おいしー!」と声を上げて、エレナが「行儀よく食べなさい」と窘める。ルーシャはそんなふたりを見て、嬉しそうに目を細めていた。
がやがやとした、遅めの昼食。
静かだった廃村に、少しだけ賑やかな風が吹き始めていた。




