第102話 ふたりきりの朝
カーテンの隙間から、細い光が差し込んでいた。
白い筋が床に落ちて、壁をゆっくりと這い上がっている。雲ひとつない朝特有の、鋭くまっすぐな光の差し方だった。空気はまだ少しひんやりとしていて、布団の外に出る気にはなれない。
ロイドはぼんやりと目を開けた。
まだ覚醒しきらない頭で、昨夜の記憶がとろりと蘇る。風呂から上がって、ふたりで髪を乾かして。それから、流れるように寝台へ倒れ込んだ。
久しぶりの帰宅だった。
ミンガラム村への旅路、村近辺での攻防、神殿内の攻略と瘴印王との死闘──それら全部を放り出すようにして、昨夜は遅くまでルーシャを求めた。溜め込んだものが溢れるみたいに、何度抱いても足りなかった。そうしているうちに、気付けば意識が途切れていた。どちらが先に寝落ちしたかまでは、覚えていない。
そして今──隣に、ルーシャの寝顔があった。
白銀の髪が枕の上に広がって、朝の光に透けている。薄い唇がわずかに開いて、穏やかな寝息が規則正しく繰り返されていた。長い睫毛が頬に淡い影を落として、その下で瞼がかすかに動いている。夢でも見ているのだろうか。
ロイドはしばらく、その横顔を見つめた。
もう、この光景にも慣れてきたはずだった。一緒に暮らし始めてから、もう何度も目にしている朝の風景だ。隣にルーシャがいて、穏やかに眠っている……ただそれだけのことなのに、毎朝少しだけ心臓が跳ねてしまう。
不思議だ。慣れたのではなく、毎回噛みしめているのかもしれない。
自分はここにいていいのだ、と。隣で眠る彼女の温もりが、朝を迎える度に教えてくれている気がした。呪いに蝕まれたまま、独りで終わる未来しか描けなかった頃の自分がこの光景を見たら、きっと信じないだろう。
でも、その今は、確かにここにある。
問題としては、ルーシャの寝顔を見ていると、時間が止まったような錯覚に陥ってしまうことだろうか。この静かな朝が、いつまでも続けばいいのにと思ってしまう。そういう感情を自分が持てるようになったこと自体、少し前までは想像もできなかった。
「んっ……」
ルーシャが僅かに声を漏らした。
もぞもぞと肩のあたりが動いて、毛布がずれる。白い肩から鎖骨にかけての柔肌が、朝の光に晒された。
昨夜のまま、何も纏っていないようだ。
光を受けたその肌は白くて滑らかで──こんな時でなければ純粋に見惚れていたし、こんな時だからこそたちが悪かった。
ロイドは毛布の中で手を伸ばし、ルーシャの腰にそっと腕を回した。
指先に触れた肌は、吸い付くように柔らかい。温かさが手のひらから腕ごと伝わってくる。昨夜さんざん触れたはずの肌なのに、こうして朝の静けさの中で触れると、また別の熱が胸の奥から込み上げてきた。
(少しくらい、いいよな?)
そんな都合のいい言い訳を自分にしながら、ロイドはルーシャの額にそっと唇を落とした。
反応はない。疲れもあるのか、眠りが深いようだ。
続けて、瞼に。頬に。鼻先に。小さな口付けをひとつずつ、確かめるように落としていく。触れるたびに彼女の睫毛が微かに揺れて、吐息が唇のすぐ近くで聞こえた。
「……?」
何度目かのキスで、ようやくルーシャの瞼がぴくりと動いた。
薄く目を開いて、寝惚け眼でこちらを見上げる。焦点の合わない浅葱色の瞳が、ゆっくりとロイドの顔を捉えた。
数秒ほど、ぼんやりとした沈黙。
まだ半分夢の中にいるような顔で、こちらをじっと見ている。起きたての瞳は少し潤んでいて、普段の雰囲気とはどこか違っていた。少なくとも、〝白聖女〟のこんな無防備な顔は、ロイドしか知らないはずだ。
やがて、自分がどこにいて誰の隣で寝ていたのかを思い出したのだろう。ルーシャはふにゃりと表情を緩めて、小さく微笑んだ。
「……おはようございます、ロイド」
「おはよう」
寝起きの声はかすれていて、いつもより甘い。半分まだ夢の中にいるような、ゆるい声音だった。
ルーシャがこちらに身体を向けようとした──その拍子に、ロイドは腰に回していた腕にそのまま力を込めて、覆いかぶさるように身体を寄せた。
毛布の下で、肌と肌が重なる。
ルーシャの瞳がぱちくりと瞬いて、一瞬で覚醒した。ロイドが何をしようとしているか、はっきり察したのだろう。慌ててロイドの胸に両手を当てて押し返してくる。
「だ、ダメです」
「え? 何で」
ルーシャに拒まれること自体が滅多にない。ロイドは素直に面食らった。
「だって……今日、エレナたちが引っ越してくる日ですよ?」
「……あっ」
そういえば、昨日の別れ際、エレナが「明日から本格的に引っ越しするから、手伝ってね」と言っていたのを、ここでようやく思い出した。以前丸一日かけて修繕した近所の空き家に、いよいよふたりが引っ越してくる。昼前には来ると言っていた。
つまり、のんびりしている暇はあまりない。ましてや、こんなことをしている場合では断じてなかった。
一気に現実に引き戻されて、さっきまでの気分が急速に萎んでいく。
「あー……そうだった」
ロイドは大人しく身を起こして、がしがしと頭を掻いた。
完全に忘れていた。昨夜の余韻が残りすぎていたのが悪い。いや、悪いのはこんな寝顔を無防備に晒すルーシャの方だ。あんな柔肌をちらつかせておいて、触れるなというのはあまりにも酷な注文だった。
「そんなに残念そうにしなくても」
ルーシャも起き上がって、毛布を胸元まで引き上げて前を隠したまま、くすくすと笑った。
「いや、まあ。残念だろ」
隠すつもりもなく言い切った。実際、残念なのだから仕方ない。
ルーシャは呆れたように眉を下げたが、唇の端は嬉しそうに綻んでいた。嫌がっているわけではないのだと、その顔を見ればわかる。
「もう。ロイドったら」
そう言いながら、彼女はそっとロイドの方に身を寄せた。
毛布を片手で押さえたまま、顔を近づけて──ちゅっ、と頬に軽くキスを落とす。柔らかい唇の感触が一瞬だけ頬に触れて、すぐに離れた。
「今は、これで我慢してくださいね?」
「……わかったよ」
ロイドは頬を掻いた。照れ笑いが勝手に浮かんで、どうにも誤魔化しようがない。ルーシャもまた恥ずかしそうにはにかんで、朝の光の中でお互いの視線が交わった。
穏やかで、少しだけくすぐったい朝。
……ただ、ルーシャはわかっていないのだ。
こういうことをされると、余計に意識するのだという男心を。唇の感触がまだ頬に残っていて、それが昨夜の記憶と混ざり合い、もう完全に火に油だった。
エレナたちが来るまでに、頭を冷やさねばならない。色々な意味で。
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