第100話 ただのなんでも屋さん
祠を背にして歩き出すと、森の道はさっき来た時よりもずっと明るく見えた。木々の影が薄く、足元の土も乾いている。瘴気が残していた黒い沈みが、どこにもなかった。
ロイドはルーシャの腕を支えながら、歩幅を少しだけ落とした。大丈夫と言い張るくせに、彼女の身体には力が全然入っていない。魔力を使い過ぎた後の、独特の脱力に襲われているのだろう。息は整っているのに、芯だけがふわふわしていた。
「無理して早く歩こうとするなよ。転んだら洒落にならないから」
「子供じゃないんだから、転びませんよ。……たぶん、ですけど」
「たぶんかよ」
ぶっきらぼうに言い返すと、ルーシャは笑って頷いた。その笑みだけで、胸の奥が少し軽くなる。
後ろでは、エレナとフランが並んで歩いていた。ふたりとも疲労は隠しきれないが、歩幅はしっかりしている。時折、フランが「うぇぇ……疲れたよぉ」と変な声を漏らし、エレナが「情けない声出さない」と小突いていた。
村へ続く道に出ると、空気の変わりようは歴然だった。
瘴気の匂いがない。鼻腔に残っていた腐った甘さが消えて、吸い込んだ息がただの冷たい外気として胸へ落ちる。
遠くで鳥が鳴き、木の上で小枝が揺れていた。森が、当たり前の音を取り戻っている。
フランが明るい声で言った。
「もうこっちの方まで晴れてるねー!」
「……さっきまでの暗さが嘘みたいね」
エレナが吐息混じりに言う。目を細めて、太陽の光を確かめるような顔をしていた。
やがて、ミンガラム村の入口が見えた。
柵は相変わらず簡素で、見張り台も立派とは言えない。今は、その柵がこうしてちゃんと残ってくれていることを嬉しく思うばかりだ。
見張りの若者がこちらに気づいて、目を丸くした。
一拍遅れて、信じられないものを見たみたいに叫び、そのまま走っていく。
「帰ってきた! ロイドさんたちが帰ってきたぞ!」
声が、村の中へ吸い込まれていく。
すると、広場の方から人が溢れてきた。誰かが鍋を火にかけていたらしく、湯気と匂いが一緒に流れてくる。子どもが転げるように走り、大人がそれを追って駆けてきた。
「やったー! 生きてる!」
「ほんとに帰ってきた!」
「よかった……!」
生きて帰ったことへの歓声が、次々と押し寄せてくる。
ロイドは面食らって、思わず足を止めた。こんなふうに迎えられるのは久しぶりだ。いや、久しぶりどころか──人生で初めてかもしれない。
だが、次の歓声は少し質が違った。
「おい……森の空気が、変わってるぞ」
誰かが呟いた。
すると、村人たちが一斉に鼻をひくつかせて、空を見上げ、遠くの森を見やる。
確信が、じわじわと広がっていく。
「黒い霧が、ない?」
「晴れてる……ほんとに……?」
「嘘だろ!?」
村人たちの目がロイドたちに集まった。疲れ果ててドロドロになった四人を見て、全員が察したのだろう。
フランが親指をぐっと立てて見せると、どっと歓声が上がった。
村人たちに促されるようにして広場の中心まで進むと、村長が出てきた。
いつもは背を丸めて歩く彼が、今日は背筋を伸ばそうとしている。ただ、膝が震えていて、声も上手く出ていなかった。何かを言いたいのに、喉が詰まっているようだ。
村長は空を見上げたまま、震える声で言った。
「空が、明るい。戻ったんじゃな……」
その言葉を皮切りに、広場が一気にざわめいた。
「瘴窟を浄化した英雄たちのご帰還だ!」
「勇者ロイド!」
「勇者様が本当にいたぞー」
──勇者。
その称号が耳に入って、ロイドの胸の奥がひやりと冷えた。
その称号には、重みがある。栄光だけではない。責任と期待と、都合のいい偶像。そして何より、過去にあまりにも酷い〝勇者〟を実際に見てきた。
ロイドは苦笑して、首を振った。
「……違うさ。俺たちは、ただの〝なんでも屋〟だよ」
言い切ると、広場が一瞬だけ静まった。
村人たちはきょとんとした顔で互いを見合っている。勇者でも英雄でもないなら、何なんだ、と。
そのまま、言葉を続けた。
「村を守ったのは俺たちが〝勇者〟だからじゃない。依頼されたからやっただけだ。俺たちは、ただの便利屋だからな」
肩を竦めて言うと、少しだけ空気が柔らかくなる。
そこで、エレナが鼻で笑いながら吐き捨てるように言った。
「ええ、全くよ。二度と勇者だなんてごめんだわ」
「ひとり変態もいるしね」
「……嫌なこと思い出させないでくれる?」
「ごめんって」
フランも乗っかって余計なことを言ったせいで、一気にエレナの機嫌が悪くなる。
彼女たちにとって〝勇者パーティー〟は、誇りでも何でもなく、ただの人生の汚点でしかないのだろう。そう言いたくなる気持ちもわかった。
ロイドはちらりとふたりを見た。
〝勇者パーティー〟と呼ばれることの嫌悪感を、この三人は共有している。無責任にいきなり勇者パーティーに加えられて、縛り付けられ、人生の選択肢そのものを奪われる……それが、ロイドたちにとっての〝勇者〟だった。
だが、今の自分たちはそれらの制約を一切受けることがない。
(別に……肩書なんて、何でもいいよな)
心の中で、ひっそりと思う。
勇者だろうが便利屋だろうが、困っている人がいて救えたなら、何でもいい。
喧騒が少し落ち着いたころ、ルーシャがロイドの隣に寄ってきた。
彼女はロイドの耳元に口を寄せると、こそっとこう囁いたのだった。
「でも……ロイド、勇者様みたいでかっこよかったですよ?」
「…………」
思ってもいなかったことを言われて、思わずロイドは言葉に詰まってしまった。ついでに、顔が熱い。
「……バカ。こんな呪われた勇者がいて堪るかっての」
何とか、そうとだけ言い返した。
言い方は乱暴なのに、口元はすっかり緩んでしまっている。
ルーシャも楽しそうに笑っていて、そんな彼女を見ていると、結局ロイドも笑ってしまう。
勇者と呼ばれたいとは思わない。
でも──ルーシャにかっこいいと言われるためなら、また頑張ってもいいかな、と思わなくもなかった。




