9話 王子様の来訪
「お父様とお会いできたわ。明日、セドリック殿下がお見えになるそうよ」
定例のお茶会で、侍女さんたちを下がらせた後にシェリルちゃんは真剣な眼差しでそう告げた。
「あ、あした……!?」
思わず、緊張でごくりと喉が鳴る。
粗相したらどうしよう。アンジーちゃんを返せって怒鳴られたらどうしよう。こわい。
「……体調は大丈夫かしら」
「うん、頭痛はあの時だけ。大丈夫だよ」
シェリルちゃんが気遣わしげにそう尋ねてくれる。私はにっこり笑って心配ないことをアピールした。
「それはよかったわ。セドリック殿下はこの家にお越しになった後、まずはお父様と二人きりでお話なさるわ。そのあとあなたとお会いになる予定よ」
「シェリルちゃん…………おねがい、一緒にいて……」
胸の前で指を組んで情けない声でおねだりした。シェリルちゃんがため息をつく。
「大丈夫よ、そのつもりだから。情けない声を出さない。わがままな妹が、無理に同席をおねだりする予定よ」
神かな?? 女神様がここにいる!
シェリルちゃんの背後には普段は花が舞っているけれど、今日は後光が差しているように見えた。
「さあ、時間がないわ。セドリック殿下の前で見苦しくない程度に所作を練習するわよ」
そう言って立ち上がると、シェリルちゃんは殿下が部屋に入って来たときから一通りの流れをお手本を見せつつ指導してくれた。
歩き方や座り方も、シェリルちゃんやメアリを参考にして気をつけてはいたけれど、指先足先まで注意を払う動きは見様見真似ではなかなか難しい。何度もシェリルちゃんにお手本を見せてもらいつつ、実際の動作で細かく指摘してもらっては直す。
「この後はメアリにも見てもらうといいわ。…………大丈夫よ、四六時中意識しているのは習いたてではまだ難しいでしょうけれど、殿下のおられる間だけですもの、なんとかなるわ」
優しい励ましに涙腺が刺激される。ううぅ……がんばるよ……。
「私も、お姉様にこうして教えていただいたのよ。なつかしいわ……」
ぼそりと、切なげな声が落ちる。また胸がぎゅうっとなって、少し泣きそうになる。
窓辺では、今日追加された星のような水色の花が春の暖かな風を受けて揺れていた。
* * * * * * *
今日はセドリック殿下をお迎えするために正装している。お風呂でいつも以上にピカピカに磨き上げられ、コルセットも着け、刺繍とビーズがびっしりと入ってキラキラしているドレスを着せられた。
髪もいつも以上に複雑に結われ、重たい宝石のついたブローチを胸元につけた。深い緑色の宝石が日光を反射して艷やかに光る。
お、重い……苦しい……。これで優雅に……? 昨日猛特訓した動作を……? できるの……?
着付けられた時点で既にぐったりだ。緊張で吐きそうでもある。
私は今相当な表情をしているのだろう。メアリが気遣わしげに寄り添ってくれている。
ふらふらしないようになんとか足に力を込めて応接間まで歩く。優雅に……優雅に……。
メアリが応接室のドアを開けると、そこにはシェリルちゃんの姿が見えた。
「あらお姉様、いらっしゃったのね。セドリック殿下がお姉様を独り占めするなんていけませんから、私も来てしまいましたわ」
うふふ、とシェリルちゃんは可憐に笑顔を浮かべた。私の救いの女神だ。ほんの少しだけど、シェリルちゃんの顔を見て吐き気がマシになった気がする。
シェリルちゃんに促されて隣り合ってソファに座る。シェリルちゃんはぴったりと寄り添って、私に囁いた。
「お顔が真っ青よ。大丈夫、お父様が今ちゃんとうまく説明しているはずよ。少し落ち着きなさいな」
「そ、そ、そ、そう、ね……」
仕方がない子、みたいな顔で見られている。
落ち着け……落ち着け……せめてお嬢様っぽくは振る舞わないと……今ここにいる侍女さんたちが不審がる……。
何度かゆっくりゆっくり深呼吸する。
よし、よし、大丈夫……!
最後の深呼吸が終わったところで応接室のドアがノックされた。
「セドリック殿下がお見えになられます」
侍女さんの言葉を受けて、挨拶のためにシェリルちゃんと揃って立ち上がり、ドレスの裾を整える。
殿下の姿が見えたのを確認し、二人揃って深く膝を折り目を伏せた。
「お会いできて光栄です、セドリック殿下」
「ああ……いいよ、顔を上げてくれ」
悲しそうな声がした。
顔を上げると、目の前には悲しげに眉を寄せた、透き通るような金髪と鮮やかな青の目の王子がそこにいた。
侍女さんたちがお茶の用意をしてくれている間、三人は無言だった。セドリック殿下は心の整理をするように、目線をそらし何かを考えている。
侍女さんたちに下がってもらったところで、セドリック殿下は私をまっすぐ見ながら口を開いた。
「クロードから話は聞いたよ。信じられない気持ちでこの部屋に来たけれど……たしかに君はアンジーではないね」
殿下の声には深い悲しみが込められている。咄嗟に謝罪の言葉が飛び出した。
「申し訳ございません、セドリック殿下……」
「……いや、君も何もわかってないんだろう? 君がアンジーになにかしたという訳でないのなら、君が謝る理由はないよ」
いっそ、怒ってくれた方が楽だったかもしれない。もしそうなら、違うんです! 私も何もわからないんです! って必死に言い募ることができたから。こんなに、ただただ悲しげに、切なげに見られると、どうしていいか分からない。
「父からお聞きになったかもしれませんけれど、この不思議な現象の調査に殿下もご協力いただければ幸いですわ。今のところ、お姉様がどうなったのかさっぱり分かっておらず……」
「もちろん。クロードとも話したけれど、僕の婚約者――将来の王妃はアンジー以外考えられない。なんとしても彼女を取り戻したい気持ちは僕も一緒だ」
シェリルちゃんと話していたセドリック殿下は再びこちらを向く。一瞬また悲しそうな表情を浮かべた後、ふっと笑みを浮かべた。
「元に戻った後、もちろん君にも望むものを与えよう。遠い国の出身のようだけど、この国で貴族並みの生活ができるように手配してもいい。元の国で不自由なく一生暮らせるだけの報酬を用意してもいい。――だから、どうか協力してほしい」
元に戻ったら私はどうなるのだろう。シェリルちゃんもセドリック殿下も知らないけれど、実はもう死んでしまっているはずなのだ。消えてしまうのかな。
考えないようにしていたことが胸の奥から噴き出して、泣いてしまいたくなる。けれど、ぐっとこらえて頷いた。
消えたくなくても、アンジーちゃんの体にい続けるわけにもいかない。だってアンジーちゃんはこんなにも必要とされて、愛されているのだから。




