8話 建国神話と消えていく記憶
翌日。届いたお花を窓辺の花瓶に挿して眺めながら、今日の過ごし方を考えていた。
ちなみに、今日届いた花はサクラソウのような、薄いピンクの小さな花がいくつもまとまって咲いているかわいい花だ。毎日一種類を数本だけ届けてもらうようにお願いしているので、日ごとに少しずつ雰囲気が変わっていく花瓶の様子が楽しい。
どうしようかなとなんとなく部屋を見渡すと、飾り棚に飾られたキラキラ光る本が目に入った。
近寄って見ると、きんぴかな本の表紙は紙じゃなかった。惹かれるように手に取るとずっしりとした金の重みと冷たさが手に伝わる。
「これは……」
「アンジェリカお嬢様が7歳になられた際のお祝いにご当主様が贈られた本だと伺っております」
私はまじまじとその装丁を眺めた。金でできた表紙は全面に繊細な模様が彫り込まれていて、あちこちに色とりどりの宝石が留められている。真ん中には羽根の生えた小さな女の子たちが踊っている様子が彫られていた。
「『妖精女王セスタリア』……童話かな?」
「この国の神話を子供向けに書いたものですね。教育が始まる7歳の頃に家族が贈るしきたりがあるのですよ」
これほど豪華なものではないですが私も持っています、とメアリは微笑んだ。
「これ、読んでみてもいいかな」
「ええ、もちろんです」
メアリは手袋をはめて私から本を受け取ると、ほかの侍女さんたちを呼んで書き物机に柔らかそうな布を敷いてくれた。メアリはその布の上にそっと本を置いてくれる。
「お待たせいたしました」
な、なんだか緊張するな……。
ちょっとどきどきしながら本の留め具を外して本を開く。ふわりとインクの香りが漂った。
本の内容は要約すると――
この国は妖精女王とその子供たちが創り給うたもので、魔法を使えなくとも日々懸命に生きる人間たちを慈しんでいた。そのためかつては妖精と人間の間で交流があって、人間のお願いを妖精が魔法で叶えることもよくあったそうだ。日照りが続くから雨を降らして欲しいと願って叶えてもらうだとか、子宝に恵まれなかった夫婦が子を授けてもらうだとか。だけど、次第に人間は自分勝手な、醜く強欲な願いを叶えてもらおうとするようになって、妖精女王とその子供たちは愛想を尽かして次々と国から去ってしまった。
妖精女王の子供たちの中でも一番心優しいステラリリィは最後まで国に残ったけれど、やっぱり耐えられなくて、その時の王に「なにか本当に困った時にはこれを使って。一度きりだけどあなたやあなたの子供たちを助けに来るから」と腕輪を授けて去っていったのだとか。その腕輪は今も王宮で大切に保管されているという。
ステラリリィちゃんと王様、明言されてないけどきっと恋仲だったんだね! って感じの切なく壮大なラブストーリーだった。
腕輪は実在するのかな? 王族の権威付けみたいなお話だったからきっとあるんだろうな。見てみたいな。
――もし、もし、本当に願いが叶うのなら、アンジーちゃんと私をもとに戻すこともできるのかな。
本を夢中で読んで体をほぐしたくなった私は、昼食後にコンサバトリーを見に行くことにした。
図書室に図鑑があるというのでそれを借りて、わくわくした気分で向かう。庭師長に案内させますか、とも聞かれたけど、お仕事中に申し訳なくて断った。
「こちらがコンサバトリーです」
メアリが扉を開くと、むっとした空気が開いた隙間から漏れてくる。天井までガラス張りのコンサバトリーでは、ヤシのような背の高い木やシダ系の植物が青々と葉を茂らせ、あちこちで極彩色の大輪の花が咲いていた。植物園の温室みたいだ。
あちこちをきょろきょろと見回っていると、誰かの話し声が聞こえた。いつも屋敷の中は静かで誰かが話しているのを聞こえることはない。だから物珍しく思ってその話し声の方にふらりと近寄ると、使用人の男性が二人、剪定作業をしていた。ベストを着て長袖シャツを肘までまくった中年の男性と私と同じ歳くらいの青年だ。2人ともがっしりした体格でよく日に焼けている。
2人はこちらにはっと気がつくと慌てて帽子を外して胸に当てて深々と頭を下げた。
「これはこれはアンジェリカお嬢様、大変失礼いたしました」
「いいの、気にしないで。作業の邪魔をしてごめんなさい」
ぺこりとお辞儀をしそうになって慌てて踏ん張る。お嬢様は使用人に頭を下げない!
ここでメアリがそっと私に、庭師長トーマスとその息子ジェイクですと耳打ちした。
「あ……! トーマス、毎日素敵なお花ありがとう。とっても気に入ってるの」
私がそう言うとトーマスさんは一瞬目を見張ってから目尻を下げて優しそうな笑みを浮かべた。
「お喜びいただけて光栄です。こちらのジェイクが選んだ花なのですよ」
トーマスさんがそう言ってジェイクの方を見ると、ジェイクは緊張した面持ちでもう一度頭を下げた。
「そうなのね。明日も楽しみにしてます」
そう笑いかけると、ジェイクは少し震えた声でかしこまりましたと返した。
「我々は作業が終わりましたので御前失礼させていただきますが、もしこちらのコンサバトリーの花もご所望でしたら、どうぞお申し付けください」
トーマスさんはそう言った後、まだ緊張した面持ちのジェイクを促して、籠いっぱいの枝を持って去っていった。
花を選んでくれたのはあの人だったんだ……。
私は背の高い黒髪の青年の顔を思い返す。緊張で揺れる鮮やかな緑の目がなんだかとても印象に残った。
*****
今日もおやつの時間にシェリルちゃんがやってきた。
今日はこれまでと違って侍女さんも連れていた。その侍女さんはなにやら筒状に巻いた大きな紙を持っている。
「ごきげんよう、お姉様。今日は地理のことで聞きたいことがあって地図を持ってきましたの。いいかしら」
「も、もちろん! どうぞ」
地理に関する質問というのは侍女さんたちに対する嘘だろうけど、なんだか緊張してしまった。
侍女さんたちは地図を机の上に広げると、いつものようにティーワゴンを置いて退室した。
「リア、あなたのいたニホンという国はどこかしら?」
シェリルちゃんの問いに私は広げられた地図を見る。
……予想通り、私の知っている世界地図じゃなかった。日本、なさそうだよ。どうしよう……。
「ええっと……小さな島国なはずなんだけど……」
何かの間違いで記載されてたりしないかな? と地図の中を探すも見つからない。日本っぽい形も、世界地図で見たことがある形も見当たらない。
「もしかして、あなた地図を見たことがないの……?」
困り果てた顔で地図を眺めていたら、そう解釈したシェリルちゃんが愕然とした声でつぶやいた。
「うん……その、ごめん……」
「いえ、そうね、あなたはどうやら平民だったようだもの。仕方ないわ……。この数日、いろいろ調べたけれどニホンという国は見つからなかったの。セスタリア王国がまだ見つけていない国かと思って地図を持ってきたのだけれど……。そもそも、もしかしたら国名ではなくて地域名や島の住人による俗称かもしれないわね……」
はぁ……と深い溜息をついて、シェリルちゃんは地図をまた筒状に丸めて紐で縛った。
シェリルちゃんが淹れてくれた紅茶を2人で飲む。おいしいけれど空気は重い。
「ニホンってどんな国なの? あなたがどんな生活をしていたか知りたいわ」
「えっとね……」
何から話したらいいかな……? そう思って考えたけれど、あるはずの記憶がうまく形にならないことに気づいた。確かに"ある"のに、もやがかってそれが何かわからない。目覚めてすぐの時には色々覚えていたはずなのに。
私は遠野莉愛。死んだはずだ。普通の女子高生だった。じょしこーせーってなに? 私の親は誰? どんな顔をしていた?
煙のような記憶を掴もうとするほど、頭がずきずきと痛む。
「――リア! 大丈夫?」
はっと我に返ると、いつの間にかうずくまっていたらしい。知らない間に隣に来ていたシェリルちゃんが心配そうに私の顔をのぞき込んでいる。
「ど、どうしよう……どうしよう……シェリルちゃん……。わたし、なにもわからない……」
「落ち着きなさい。大丈夫、大丈夫だから」
しばらくの間シェリルちゃんが背中を擦ってくれて、なんとか動揺と頭痛は治まった。
「記憶がもやがかってはっきりしない、ね。お姉様の体に別人が入り込むなんていう不思議な現象が起きているのだから、追加で何があったっておかしくないわね」
シェリルちゃんはやるせなさそうな表情で呟く。シェリルちゃんたちはこれでアンジーちゃんをもとに戻す手がかりを完全に失ったのだと思うと、申し訳なくて何も言えなかった。




