7話 シェリル先生によるお作法講座
散歩から帰ってお着替えして、お昼ごはんをいただいて、またお着替えして、シェリルちゃんとの約束の時間になった。
貴族って何回お着替えするんだろうね。貴族生活3日目だけど早くもお着替えに関してはもう好きにしてください……って感じになってきた。
「アンジェリカお嬢様、シェリルお嬢様がいらっしゃいました」
シェリルちゃんの訪問を告げるメアリに私は頷く。
さあ! 頑張って練習したご挨拶を見てもらおう! きっとシェリルちゃんもびっくりするはずだ。
私はどきどきしながらシェリルちゃんの入室を待ち構えた。
入室してきたシェリルちゃんが口を開こうとする。その前に私は動いた。
「ごきげんよう、シェリルちゃん。今日はよろしくお願いいたします」
スカートの裾をそっと指でつまみ、左足を後ろに引いて軽く腰を落とす。……決まった!
シェリルちゃんはうっすらと笑みを浮かべた表情のまま固まっている。……おかしいな? なんだか怒ってる気がする……。
「もう、イヤですわ、お姉様。お手本をお見せいただかなくても、私はもうご挨拶くらいちゃんとできてますでしょう? それとも、昨日のご挨拶でなにか良くない点がありましたかしら」
ふふふ、と笑いながらシェリルちゃんが親密そうに私の両手を包み込む。
「え、ええっと」
「ご指摘いただくの、いつもとってもありがたいのですけれど、さすがに人前では恥ずかしいですわ。メアリには下がってもらってもいいかしら」
「どうぞ……」
私がそう言うとメアリは礼をして控室へ下がる。扉が閉まったのをのを確認して、シェリルちゃんはため息をついてからこちらをじとりと見た。
「あのね、リア」
「はい、シェリル先生!」
昨日と同じくシェリルちゃんの口調が変わる。お説教を覚悟して私はまた背筋を伸ばした。
「はぁ……。私はあなたの妹にあたるのだから、挨拶は私がするものよ。昨日の本は読みまして?」
「読んだけど……今日はシェリルちゃんが先生だから、先生の方が偉いんじゃないかと思ったんだけど」
おずおずそう言うと、シェリルちゃんは目を丸くしたあと、納得がいったというように目を細めて口元に弧を描いた。
「ああ、なるほど。そういう勘違いをしていたのね。先生でも爵位が下なら先生がご挨拶なさるのよ。もっとも、私たちより爵位の高い先生なんていらっしゃらないけれど。……うーん、お姉様なら王妃様から直接ご指導いただくこともあるかもしれないわね。そのときはちゃんと挨拶なさい」
「い、いや、その時までにアンジェリカさんに体を返せることを願います……」
ぜっったいに遠慮したい。粗相をする予感しかないよ! もしそうなったら……ううん……考えたくない……。
想像して身を震わせているとシェリルちゃんが苦笑した。
「せっかくだからお茶をいただきましょうか」
シェリルちゃんはそう言うと、私の座るそばに置かれていたティーワゴンを自分の方に運んでお茶の準備をしてくれた。
「私も練習中だからメアリほどおいしくは淹れられないのだけれど、あなたが淹れるよりはきっとマシね」
どうぞ、と差し出されたティーカップをそっと持ち上げる。心臓がばくばくいっているのが分かった。だ、大丈夫大丈夫、昨日はこぼしちゃったけど今朝はセーフだったもん、大丈夫……!
ティーカップの持ち手をつまむ指先が力が入りすぎて白くなっているけれど、なんとかこぼさず飲むことができた。うーん、お砂糖はうまく混ぜられてない気がするね。
「ぎこちないわね……。ティーカップは持ったことがないのかしら?」
「うーん、たぶんないかなあ……」
ちょっと思い出せないけれど、少なくともこんな持ち方では持ったことなかったと思うなぁ……。
「そう……。しかたないわね。たくさん練習しなさい。近々セドリック殿下がお越しになるでしょうから、それまでにもう少し見れるようにしておいた方がいいわ」
「で、でんか……? ちかぢか……?」
ええっと、そうだ、アンジーちゃんの婚約者が王子様だったね……。
柑橘のジャムが挟まれた小さなケーキを食べようとしていた私はそのまま固まった。
「婚約者が突然倒れてなかなか意識が戻らず、やっと目覚めたとなったら当然来るでしょうよ」
シェリルちゃんはそう言って優雅にケーキを口に運んでいる。確かにそりゃそうだ。来なかったら相当冷え切った関係だよね。
「まあ、殿下ならお作法のことはそんなに心配しなくてもいいわ。見苦しくない程度でいいのよ。だってどうせすぐあなたがお姉様じゃないってバレるもの」
「もしかして、とても仲睦まじい感じのご関係で……?」
「殿下の片思いよ。お姉様が一番愛してくださってるのは私なんだから!」
あっ、なんか地雷を踏んだ。すみませんでした。
「お姉様は私がより美しくなるためにひとつひとつ丁寧にご指摘くださるし、どこかへ出掛けられた時には私へのお土産を必ず買ってきてくださるし、お勉強が嫌になっていたり少し失敗してしまって落ち込んでいる時には私の好きなお菓子を用意してたくさんお話を聞いてくださるのよ。もちろんよくできた時には『よくできたわね、私のかわいいシェリル』って褒めてくださるの!」
あっはい。愛が、愛が、思ったより重い……。
アンジーちゃん……出てきて……妹さんがこんなに熱烈に愛を訴えてますよ……。
今日ももちろんこの問いかけに返事はなかった。
シェリルちゃんは一気にまくし立てたと思いきや、急速に元気を失ってしょんぼりと紅茶を飲む。
「お姉様探しもしたいのだけど、非現実的な話すぎてどうしていいか分からないのよね……。どうせ殿下にはあなたのこと隠し通せないのだから、いっそ協力してもらうのがいいかしらね」
「大切な婚約者の体を奪った不届き者として処刑されない……?」
「そんな短気で野蛮な方じゃないから安心して。でもそうねぇ、殿下には事前にお父様から事情を話していただいてから面会した方が良いでしょうね」
「そういえば、クロードさんとは一昨日に会ってから会えてないなあ」
「私もお会いできてないわ。タウンハウスにいる間は議会や社交でお父様はお忙しいのよ。あなたの教育に関して相談したいから今日こそはお会いできるといいのですけれど」
王都のタウンハウスに滞在している間は社交シーズンだから大人はとても忙しいらしい。クロードさんは日中は紳士クラブや議会、ミリアーナさんはお茶会や他家への訪問、夜は二人で夜会や晩餐会に参加するのだそうで、家にはほとんどいないとか。
頬に手を当てて悩ましげにため息をつく美少女シェリルちゃん。あまりにも絵になる。私が画家なら思わずスケッチを始めていたところだ。
「とりあえず、今やるべきは王族への失礼のないご挨拶の練習と、お茶はもう少しまともに飲めるようにすることと……デビュタントに備えて、所作の改善と…………ダンス、かしらね」
「ダンス!???」
「当たり前でしょう? デビュタントの舞踏会で踊るのだから。ダンスの先生にお願いすることはできないし、私も教えるなんてできないし……困ったわね」
「そんな3ヶ月程度で踊れるようになんてなれなくない???」
「お姉様に体を返せなければやるしかないのよ、リア。あなた元は平民のようだけど平民だって収穫祭で踊ったりするでしょう。基本形は一緒よ」
「待って待って待って、私こんな踊りしかできない!」
私はパニック気味に立ち上がってうろ覚えの盆踊りを踊った。基本形なんて知らないと分かってもらおうとしたのだ。舞踏会のダンスって社交ダンスみたいなやつでしょ? 無理だよ!
「何その変な……いいえ、ごめんなさい。あなたの国の文化に失礼だったわね。なるほど、あなたの祖国は文化がずいぶん違うようね……」
シェリルちゃんは頭を抱えている。ご、ごめんね、社交ダンス習ってなくて……。
「と、とりあえずダンスより殿下へのご挨拶完璧にするのが先だよね! シェリル先生、見てくださいっ!」
私は必死に練習した王族へのご挨拶をシェリルちゃんに披露した。膝を折って何か言われるまで静止……!
「……顔をあげなさい」
私はゆっくり立ち上がった。スクワットよりしんどいんだよこれ。昨日の特訓のせいでちょっと筋肉痛気味だから余計に!
「お会いできて光栄です、殿下…………。どうかな?」
評価を求めるとシェリルちゃんは立ち上がって私の正面にきて、私がさっきしたのと同じように深く礼取った。
「もう少し深く沈み込んで……これくらいかしらね。あと頭を下げすぎよ。目を伏せるくらいでいいの。それから、立ち上がる速さは腰を落とす時と同じ速さが美しいわ」
ふむふむ。もう一度やってみる。
「そう、その角度。もう少しスムーズにできたらいいわね」
それは練習あるのみだね、がんばります!
そう思いながら力強く頷くとシェリルちゃんはふっと笑った。
シェリルちゃんって最初は過激で高圧的な子かと思ったけど、わりとお世話好きな優しい子だ。最初に抱いた恐怖心はもうすっかり消えていた。
「王族の方々とお会いする時は緊張するでしょうから、何も考えなくてもできるくらいに練習するといいわ」
「がんばります……!」
今日の残りの時間はご挨拶やお茶の飲み方をもっと優雅にできるように練習だ!




