5話 小さな淑女になるために
シェリルちゃんはこのあとも家庭教師の授業があると言って去っていった。古典語は苦手なのよね……とため息交じりに言っていたのがなんだか日本の中学生や高校生と一緒で少し親近感が湧いた。
貴族のお嬢様って忙しいんだなぁ……。
もっとのんびりお茶会とか刺繍、楽器を弾いたり読書しているんだと思っていた。今度、どんなことを習っているのか聞いてみよう。
少しの間、ひとりで引き続きお茶やお菓子(まぶされた砂糖がきらきらして綺麗なドライフルーツだった)を楽しんでのんびりしていると、シェリルちゃんからという贈り物が届いた。
さっき言ってた茶葉かな?と思ったけれど、それにしてはなんだか大きな箱だ。
しゅるりとリボンをほどくと、中に入っていたのはやはり茶葉と…………本? メッセージカードが添えられていたのでまずはそちらに目を通す。
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リアへ
明日までにこのお作法の教本を読みなさい
明日テストするからしっかり練習するように
このカードは読んだら燃やして処分すること
シェリル
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燃やす……寝る前までは暖炉にほんの少しだけ火がついてるから、あとでタイミングを見てそっと燃やしてしまおう……。
私はメッセージカードをとりあえず本に挟み込んだ。
本は午前中に図書室で見た歴史書よりもずいぶん薄く、よく使い込まれているようでちょっとくたりとしていた。
表紙には「小さな可愛い淑女のマナーレッスン」と書かれている。子供向けの本かな……?
「メアリさん……じゃなくてメアリ。シェリルちゃんがまた茶葉をくれたからしまっておいてくれる? あと、これから本を読もうと思うから下がっていてほしいの」
「はい、かしこまりました。隣の控室におりますので、御用がございましたらこちらのベルを鳴らしてお知らせくださいませ」
メアリは私から茶葉を受け取ると、机に小さなベルを置いて行った。
「よし、読むぞ!」
私は気合い十分に可愛らしい本を開いた。
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『小さな可愛い淑女のマナーレッスン』
1. ごあいさつのしかた その1
まず、小さな淑女になりたいみなさまが気になるのはご挨拶のお作法でしょう。お母様やお姉さまのように素敵なご挨拶ができるようになって、お友達を驚かせましょう。
ご挨拶をしたいお相手を見つけたら、まずは走らず、落ち着いてゆったりと歩いて近づきます。背筋はピンと伸ばしましょう。お顔は、にっこりではなく、少し微笑むように。あなたのあこがれの淑女の微笑みを思い出してください。口角を少し上げて、歯は見せない。その微笑みです。
ご挨拶できる距離に近づいて、お相手があなたの方を向きましたら、いよいよご挨拶です。
立ち止まったあと一呼吸分止まってから、両手でスカートの裾を2本の指でそっと持ち、片足を斜め後ろに引きます。
そのまま膝を曲げて腰を落とします。背筋はまっすぐ伸ばしたままで。ふらついてはいけません。
指先足先までしっかり意識して、流れるように美しくできるようになるまでしっかり練習しましょう。
腰を落とす深さや目を伏せるかどうかはお相手の立場やあなたとの関係性によって変わります。実際にご挨拶する前には乳母やお母様に確認するとよいでしょう。
まずは親しいお相手や同格のお相手への軽い挨拶から練習してみましょう。
軽い挨拶では、膝はほんの少し折り曲げ、目線はしっかり合わせたままで行います。速すぎる動作ははしたないですが、あまり遅すぎるのも教養がないと疑われることになるでしょう。
さあ、やってみましょう。
〜以下略〜
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本には可愛い女の子の絵とともに挨拶の仕方が載っていた。相手との関係で挨拶が変わるなんて難しいな……と思ったけど、日本でだってこんな身分差はなくても友達への挨拶と初対面の大人への挨拶や怖くて厳しい先生への挨拶の仕方はちがうし、確かお辞儀の角度も色々あったよね…? と考えるとどこでもそんなものなんだろう。
まあ、とりあえずやってみよう!
気恥ずかしいので部屋に誰もいないのを確認してから練習する。
私はお姫様……私はお姫様……
自己暗示をかけながら何度か練習する。
こんなの簡単と思いきや、意外に難しい。なぜって、スカートが長くて重くて布がたっぷりあるから、油断すると後ろに回した足を引っかけたりするのだ。なるほどね、これは練習がいるね……。
本の続きには、王族相手には膝が地面に付くほどまでに深く足を曲げ、顔を上げていいと言われるまでそのまま静止すると書いてあった。ひぇ……。
王族になんて会いたくない……。あれ? アンジーちゃんの婚約者は王子様だったような……?
震えたくなるような記憶が一瞬ひょっこり顔を出したが、ふるふる頭を振って脳裏から追い出した。
今はそんなことより明日までにこれを読み切って"小さな可愛い淑女"くらいにはならないと……!
挨拶編、そしてそれに続くお茶と食事編を読み終わったところでメアリを呼んで一旦お茶を淹れてもらった。お茶の時間のマナーの実践だ。
とはいえお茶菓子はさっきしっかり食べちゃったから、紅茶だけ。
「ええっと……お砂糖を入れたら音を立てずに静かに混ぜる……そして、カップの持ち手を指でつまんで飲む……いや、重っ!? ――熱っ!?」
「お嬢様?! 急いで冷やしましょう!」
指がプルプルしてこぼしてしまった。
血相を変えたメアリが大慌てで火傷の処置をしてくれて、それからお着替えだ。
「やっちゃった……ごめんなさい」
可愛くてお高そうなドレスが紅茶で染まってしまった……。ああぁ……これ、染み抜ききっと大変だよ……。
「謝罪は不要ですよ、お嬢様。私たち使用人はお嬢様のために働くのがお仕事ですからね。むしろ、火傷させてしまったのはこちらの落ち度です。大変申し訳ございません」
心底申し訳なさそうに謝罪するメアリに私は気にしないでと言う代わりに首を振る。
やけどと言っても、ちょっと赤くなっただけだ。すぐ治る。
……私としては全然メアリが責任を感じることじゃないと思うんだけど、この体はアンジーちゃんの体だから、気にしないでともなんだか言いにくい……。
「メアリは私のことずっと見ててくれてるから分かってると思うけど、私記憶がなくなってからお作法も全然分からなくてね。だからシェリルちゃんに借りた本を読みながら練習してたんだけど……、難しいね。元々は全部できてたはずなのにね」
「ずいぶんとお変わりになられ――いえ、穏やかになられたと思っておりましたが……。さきほどからお作法の練習をなされていたのですね。大丈夫ですよ。体はしっかりと覚えているでしょうから、すぐにまたできるようになられますよ」
慰めがつらい……! メアリの寂しそうな笑顔を見ると、元のアンジーちゃんに戻ってほしいと思っているのがぴしぴし伝わってくる。
ううぅ……まずはアンジーちゃんの評判を傷つけないためにお作法頑張るよ……




