39話 憧憬
翌日、私は客室のひとつをセドリック殿下とともにこっそりと訪ねた。孤児を客として迎え入れていることも、その孤児がアンジーちゃんなことも、極一部の使用人たち以外には秘密だからだ。
部屋の扉を小さく叩くと、メアリが無言で私達に入室を促す。
それにしたがって部屋に足を踏み入れると、アンジーちゃんがゆったりとお茶を飲んでいた。
「ごきげんよう、フィーリア。少々お待ちになってね。——ねぇセディ、どうしてこんなところにいるのかしら」
アンジーちゃんは私にたおやかに微笑んだ後、セドリック殿下を見て軽く眉をひそめた。セドリック殿下はこれまでに見たことがないほどの愛おしそうな目でアンジーちゃんを見ていて、アンジーちゃんの発言に気を悪くした様子もない。
「そんなこと言わないでおくれよ。ずっと探していた愛しい婚約者がようやく見つかったんだ、会いに来るのは当然だろう?」
無事でよかった、とセドリック殿下が歩み寄ってアンジーちゃんの手を取り、指先に唇を落とそうとして払いのけられる。
「これはフィーリアの体だからだめよ。そんなことよりやることがあるのではなくて? 私を見つけたということは、シュケルフ孤児院の——あの領の問題に気づいたでしょう?」
「もちろん。王家からの孤児支援金を中抜きしていた領主や業者はすでに調べ上げてもう処罰を下したよ」
「そう、えらいわ」
アンジーちゃんはセドリック殿下の頭をするりと撫でた。殿下はとろけるような表情でそれを受けている。
アンジーちゃんが殿下の耳元で何かをささやく。殿下は困ったような、仕方ないというような笑みを浮かべた。
「じゃあ、私はこの子とふたりきりでお話をしたいから。よろしくね、セディ」
「仕方がないな。またあとでね、アンジー」
セドリック殿下は少し寂しそうに踵を返して部屋を出ていった。
「あの、あの、よろしいのでしょうか。殿下と先にお話されては……?」
「いいのよ。私はあなたと先にお話したいの」
王族の、しかも婚約者の方が普通は優先なのでは、と恐縮したけれど、アンジーちゃんがそう言うのならいいのかな。おずおず私はアンジーちゃんの向かいに座る。
アンジーちゃんと何を話すかを昨日色々と考えたけれど、まずは謝りたいと思っていた。
メアリが淹れてくれた紅茶で喉を湿らせてから、私は口を開く。
「えっと、まずは謝らせてください……。孤児院では食事もほとんど取れなかったのではないですか? 苦しい思いをさせてしまって本当にごめんなさい。私はアンジェリカ様としてその間とても贅沢に暮らさせていただいたのに……」
「あら、そんなのあなたのせいじゃないのだから気にすることないわ。むしろ、謝るのは私達の方。私達の目が行き届いていなくて辛い思いをさせて本当にごめんなさいね。それに、川でこっそり魚を取ったり、ご近所の方のお手伝いをして食料を分けていただいたりしてたから、それほどひもじい思いはしていないのよ」
アンジーちゃんがなんてことないように言ったことが信じられず、私は目をぱちくりさせる。
「え……お魚を勝手に取るのは違法ですし、近所の人達は近寄るだけで嫌な顔をされたのでは……」
「飢えた子供が数匹勝手に取ったところで誰も処罰なんてしないわ。非情だと自分の評判が悪くなるだけだもの。近所の方は……そうねぇ。手癖の悪い子達に誠心誠意謝罪させたら、お手伝いをさせてくださるようになったわ」
どうやって誠心誠意謝罪させたかは聞かないことにする。私は曖昧に微笑んで話題を変えた。
「私は体の入れ替わりが起きてから、それ以前の記憶がずっとなかったのですけれど、アンジェリカ様はいかがでしたか」
「私もよ。けれど、孤児院の子達や先生が話す以前の私の様子がどうしても私自身とは思えなくて、ずっと不思議に思っていたの。一月ほど前に突然記憶が戻って、スターチアの話を聞いてようやく違和感の原因がわかって納得したわ」
「スターチア?」
「あら? あなたの夢には出てきていない? 小さな銀髪の妖精さん」
「あ……! あの子はスターチアというお名前なのですね。……その、あの子には申し訳ないのですけれど、ずっと泣いているので会うのがつらくて避けていました……」
睡眠薬を飲んで寝ると会わずに済むのです、と罪悪感からぼそぼそと答えると、アンジーちゃんはくすくすと笑った。
「ふふふ、一喝したら私の前では泣かなくなったわ。あの子のお母様——ステラリリィの真似をしようとして、間違って身勝手な願いを叶えてしまったというのが今回の経緯らしいわね」
「そうなのですね……」
間違えたというのは泣きじゃくる彼女から聞いたけれど、深い事情は聞けなかった。一喝するのが正解だったのかは分からないけれど、失敗してしまった小さな子供なのだから、もう少し寄り添ってあげたらよかったと後悔の気持ちが湧く。
「入れ替わりを戻すには偽の腕輪が必要らしいですけれど、アンジェリカ様は腕輪のありかに心当たりがございますか?」
「そうねぇ。偽の腕輪を作れるということは王宮の宝物館にある本物を見たことがある、貴族に限られるわね。恨みや妬みを買っていそうな家はいくつかあるし、そのどこかじゃないかとは思っているのだけれど、証拠がないのよね」
物憂げにため息をついたアンジーちゃんは、その次の瞬間に私を見て目を細め、私を試すように微笑んだ。
「だからフィーリア、あなたに任務を与えるわ」
「任務……?」
「明日のデビュタントで犯人を探してきてちょうだい。孤児と入れ替えてデビュタントに出られないはずの私が会場に現れただけで、犯人はきっと動揺するわ。完璧に私の役をやり遂げて、犯人を炙り出すのよ」
「そ、そんなこと、私に……」
できない。そう言おうとした口を人差し指で押さえられる。
「できるわ。これまでの3ヶ月、あなたは必死に努力してきたのでしょう? やるのよ、フィーリア」
強い光を持った目が私を射抜く。アンジーちゃんの瞳の中の私は怯えて泣きそうな顔をしていた。
「そうすればきっと、あなたは自信と誇りを持って生きていけるようになるわ。だから、やりなさい」
アンジーちゃんの持つ雰囲気に飲み込まれたのかもしれない。
私なんて、という気持ちよりも、この人のようになりたいという願いの方が勝って、私は頷いた。




