38話 アンジェリカの帰還
ジェイクはあの夜、錯乱する私を受け止めてくれて、私の嫌悪する本当の姿をお風呂と食事さえあれば解決だと言ってくれた。本当に嬉しかった。けれど、どうしても信じられずにいる。
だって、彼はフィーリアの姿を直接見たわけじゃない。あの気味の悪い姿を見て、それでもそう言えるだなんて到底思えなかった。
ジェイクもフィーリアも、身分だけで言えば同じ平民だ。だからこそ軽く考えているのかもしれない。
ジェイクは平民といっても公爵家の庭師長というかなり恵まれた生まれだ。片や私は家名なんて当然なく、頼る親族すらいない、最下層の存在。
きっとジェイクはそんな最底辺の人を見たことがない。公爵家で雇われるような人たちはきちんと身元の保証された人たちしかいないのだから。
あの姿を見たら、きっとみんな気持ち悪いと思うはずだ。穢らわしいと思うはず。受け入れてもらえるだなんて、そして生きていける環境を提供してもらえるだなんて、とても思えなかった。それはあまりにも私に都合が良すぎる。
だから、私はずっとこの日を恐れていた。
アンジーちゃんが、"フィーリア"が帰ってくるこの日が。
***
デビュタントまであと3日。とうとうフィーリアという少女が屋敷へ明日到着するとの知らせがやってきた。やってきてしまった。
時が止まればいいのにという願いも虚しく、時間は刻々と進んでいく。
翌日、下働きたちもまだ働き出していない早い時間に、静かにその馬車は公爵家の敷地へと入ってきた。
彼女の到着を待ちわびていた公爵一家の3人とともに私はその出迎えのために外に出ていた。3人が声を潜めつつも華やいだおしゃべりをしているのを聞いて時折にこやかに相槌を打ちながら、私は震えそうになる体を抑え込んでいた。
こわい。
見たくない。
あの薄汚い死にかけの姿が他者の目にどう映るのか、知りたくない。
馬車がゆっくりと目の前に止まる。御者がうやうやしく扉を開く。
私は思わずうつむいた。
足元には干からびたミミズが落ちている。それに似た自分の姿をどうしても直視することが怖かった。
「みなさま、ただいま戻りましたわ」
こつりこつりと馬車を降りる足音の後、張りのある優美な声が聞こえて思わず顔を上げる。
棒切れのような手足。ぱさぱさでいくら櫛を通しても絡まる艶のない髪。でも、意志の強い目がいきいきと光り輝き、纏う雰囲気は気品と威厳に満ちていた。
そこにいるのは紛れのない私なのに、私じゃなかった。
アンジーちゃんを囲って喜びを露わにする3人に交じることもできず、私は呆然と立ち尽くす。その場にへたり込まないようにするだけで精一杯だった。
喜びを爆発させた家族の問いかけに余裕のある笑みを浮かべ悠然と頷く彼女を信じられない気持ちで凝視していると、ぱちりと視線が絡んだ。
慈しむような笑みをたたえ、こちらに近づいてくる。後退りたかったけれど、体が金縛りにあったかのように動かない。
「また後でゆっくりお話しましょうね」
かさついた指が、するりと頬を撫でた。声が震えて返答ができないことを気に留めることもなく、アンジーちゃんは家族を引き連れて屋敷の中へと入っていった。
***
どうやって自分の部屋に戻ったのか覚えていない。気がついたら部屋のソファに座っていて、目の前に置かれた紅茶はすっかり冷めきっていた。
あれは私の体だ。あれは私のはずだ。
外見は私がフィーリアとして生きていたあの時から何も変わってない。なのに、今日見た姿は全然見窄らしくなかった。薄汚れてただ死ぬのを待つだけの私じゃなかった。
——ああ、なんだ。そうか。わかってしまった。
私を見窄らしくしていたのは、本当に見窄らしかったのは私の心だったんだ。
なにもかもを諦めて、生きようと、足掻こうとしなかった私の心が私を貶めていたんだ。
ぐったりとソファにもたれて窓辺の花を見る。
ジェイクはあの夜、不潔で痩せ細った体は変えられると言った。私のことを、アンジーちゃんの代役としてよく頑張ったと言ってくれた。
もし、もし、今の私があのフィーリアの体に戻ったとしても、人並みの生活を求めて一生懸命に生きれば、かつてのような見窄らしく卑しい存在でなくなることができるのだろうか。
アンジーちゃんのように、堂々と強い輝きを持って生きることができるんだろうか。
馬車から降り立ったアンジーちゃんの姿が、脳裏に焼き付いて離れなかった。
短いですが、キリがいいのでここで切ります。
あと6話で完結です。
最後までどうぞよろしくお願い致します。




