37話 衝動のままに (後半ジェイク視点)
途中からジェイク視点です
シュケルフ孤児院へお迎えの馬車が出発して二週間。迎えの馬車がようやく孤児院へ到着し、フィーリアという名の少女を引き取ったという知らせが来た。
アンジーちゃんの居場所が分かった時から喜びに満ちていた屋敷の雰囲気は、この知らせによってさらにひときわ明るくなる。
孤児院からこの公爵家の屋敷まで二週間。
デビュタントまでもあと二週間。
アンジーちゃんが間に合うか間に合わないかの瀬戸際だ。
アンジーちゃんがデビュタントに間に合えば、これまでの私の努力は全て水の泡だ。この、私のために作り直した素敵なドレスも、このドレスに縫い込まれるジェイクのポプリも、全部アンジーちゃんのものになる。
ドレスの最終調整のために屋敷にやってきたマダム・コレットにドレスを着せられながら、私は投げやりな気持ちだった。
もちろん、表面上はピンと背筋を伸ばして、たおやかに微笑んでいる。
純白のドレスは、前世のウエディングドレスに似ている。薄く透けるつややかな布地が幾重にも重なって、ふわふわとしてお姫様のよう。そして、一番表面のスカートには私の一番気に入ったステラリリィの刺繍が丁寧に施されている。たくさん縫い付けられたビーズやスパンコールが光の加減でキラキラと輝いて、うっとりする美しさだ。
「本当にすてきね」
「アンジェリカお嬢様の美しさがあってのものですわ」
思わず漏らした声にマダム・コレットも満足げに微笑んだ。
そう。アンジーちゃんの美貌があってこそ、このドレスが似合う。
私のためのドレスだなんて馬鹿みたい。思い上がりも甚だしい。枯れ木みたいな死にかけの醜い女には身に付ける資格なんてない。
***
「アンジェリカお嬢様。ごゆっくりとおやすみくださいませ」
今日も侍女はメアリじゃない。メアリは帰ってきたと思ったらまたいなくなるのを繰り返している。
お世話ができなくて申し訳ない、ということをいつも言っているけれど、ずっとなんだか嬉しそうにそわそわしている。メアリが頼まれているクロードさんの緊急の用事、というのは帰ってくるアンジーちゃんに関わることなんだろうと容易に想像できた。何も聞きたくないから何ひとつ聞かないけれど。
いつものように睡眠薬を飲んで寝ようとして、手を止めた。
やっぱり飲むか、やめるか——ばかみたいに何度も繰り返して、最終的に飲むのをやめた。
音を立てないように気をつけながら外履きを引っ張り出して履き、部屋を抜け出す。
衝動のままに庭をずんずんと奥へ進んだ。
ジェイクに会って、私は何を話したいんだろう。
どんな言葉を聞きたいのだろう。
わからない。わからないけれど、どうしても顔が見たかった。
******
いつもの合図に家を飛び出る。
目の前のお嬢様は、なんだかいつもと雰囲気がちがっていた。
「こんばんは、ジェイク」
「はい。こんばんは、お嬢様」
声に普段の甘やかさはなく、かといって泣き出しそうでもない。少しトゲのある口調に俺は狼狽えていた。
「ジェイク。使用人の間で話は伝わってる?」
何の話かわからなかった。はなし? 話ってなんだ。
お嬢様の口は固く引き結ばれていて、補足の説明はなさそうだ。
「いえ。ええっと、なんのことでしょう」
聞きながら、お嬢様は記憶を取り戻されたのかなと思った。あのいっしょに過ごしたお嬢様はいなくなって、元のアンジェリカお嬢様に戻り、俺を糾弾しに来たのかと。
一瞬そう考えて、やっぱり違うなと考えを打ち消した。
口調はきついけれど、瞳が揺れている。怯えて威嚇する子猫といっしょだ。
「わからないならいいの。私の話を黙って聞いて。何も言わないで」
「かしこまりました。椅子に座りましょうか」
椅子を二つ並べる。いつもは間を空けて置くけれど、今日はぴったり横並びにした。お嬢様になにかあったらすぐ動けるように。
すとんと椅子に座ったお嬢様は、膝に置いた自分の手元をじっと見て淡々と語りだす。
「私ね、あなたにずっと嘘をついていたの。私はね、アンジェリカお嬢様じゃないの。記憶喪失なのは本当で、自分が誰だかわからなかったけれど、私がアンジェリカじゃないっていうのはずっとわかってたの」
吐き捨てるように自嘲的にそう言う。口を挟みたいけれど、黙って聞くよう言われたんだったと思い出して、開きかけた口を閉じた。
「二週間くらい前にね、全部思い出したの。自分が、汚くて、臭くて、死にかけの孤児だって! それを知ってみんなみんな喜んでるの。大事な大事なアンジェリカを取り戻せるって。私が醜い孤児に戻ることを喜んでるの!」
怒鳴るような、感情に身を任せたような声は悲鳴のように聞こえる。たまらず口を挟んだ。
「お嬢様、俺は——」
「黙ってて! 聞きたくない! 綺麗なお嬢様の中身が孤児だなんて失望したんでしょ! 何も言わないで! もう……もう……何も聞きたくないの」
悲痛な声で激昂していたお嬢様は両手で顔を覆って泣き出した。
思わず手を伸ばして、震えるその体を強く抱きしめる。
お嬢様の話の内容はいまいち分からないけれど、今はお嬢様の苦しみを和らげるのが先だ。
「な、な、なにしてるの、だめでしょ。こんな、こんなこと、したら——」
困惑しながらもぐいぐいと俺の胸を押してお嬢様は離れようとする。これがどれほどに罪深いことかなんて、そんなこと言われなくたってよくわかってる。それでも、こんな状態のお嬢様を前にして、罰を恐れて何もせずに突っ立っているだけなんて、どうしても耐えられなかった。
「お嬢様が嫌ならやめます」
「い、嫌じゃないけど……けど……そうじゃなくて……」
お嬢様は小さな声でごにょごにょと言い続けたけれど、さらに強く抱きしめると抵抗をやめて大人しくよりかかってきた。
「…………元の姿は嫌なの。戻りたくない。ジェイクだって今は優しくしてくれるけれど、ほんとの姿を見たら幻滅するに決まってる。こんな風に優しくしようだなんて絶対思わなくなるの。……でも、でも、アンジーちゃんはきっと今、私の体でおなかを空かせて苦しんでるはずで、それも嫌なの。私、どうしたらいいの……」
俺の胸の中でお嬢様が涙を零しながらか細い声でそう呟く。落ち着いたことにほっとしながら、お嬢様の話の内容を理解しようと努めた。
「まだよく事情を飲み込めていないんですけれど……お嬢様はええっと、孤児の女の子なんですね……?」
「うん……。なんかね、妖精が間違えて入れ替えちゃったんだって。がっかりでしょう? 髪の毛はぼさぼさだし、お風呂もあんまり入れてないから汚いし、ごはんも食べれてないからがりがりだし、顔も可愛くないの」
お嬢様の話の内容はにわかには信じがたい。妖精と共存していた大昔にはそういうこともあったらしいけれど。
でも、お嬢様は以前ステラリリィの腕輪を見て不思議な現象に見舞われたと話していた。その時から妖精の語りかける声が聞こえる、とも。
嘘を吐いているようには到底思えない。もし、お嬢様の話が全て真実で、彼女の本当の姿が孤児の女の子なのなら——
「じゃあ、お風呂に入ってしっかりごはんを食べれば解決ですね。元に戻ったらこの家で暮らしますか? 今のお嬢様ほどの暮らしは出来ないですけれど、食事と風呂に困ることはないですよ。公爵家のみなさんもうちの親も、だめとは言わないでしょう」
そう提案しながら腕の中のお嬢様の顔を覗き込むと、すっかり泣きやんで、きょとんと目を瞬かせていた。
「そ、そんなことが許されるの?」
「どうして許されないと思うのですか?」
「だって、だって…………わかんないけど……」
「ごはんも食べられないくらい苦しい生活をしていた女の子が、急に貴族のお嬢様になってデビュタントで代役を務めるために必死に頑張ったんですよ。それくらい望んだってわがままじゃありませんよ」
「そう……なの? そうかなぁ……」
お嬢様はいまいち納得できていないようだけれど、とりあえず涙も止まってすっかり落ち着いたらしい。普段の柔らかな声色が戻ってきた。
「ところで、お嬢様の本当のお名前はなんとおっしゃるのですか」
「ほんとの名前? フィーリアだよ」
「フィーリア。……そうだ。お嬢様が最初にご所望になった花がフィーリアでしたね」
「……そっか、私、忘れてなかったんだね」
フィーリアお嬢様は俺の胸にくたりともたれかかって、切ない声でそう呟いた。




