36話 恐怖と歓喜
ふと目を覚ますと、ベッドの上だった。また倒れたらしい。部屋の窓からは夕日が差し込んでいる。倒れたのはおやつの時だから、数時間くらい寝てしまったのかな。
起き上がろうとしたけれど、めまいが起きて起き上がれない。なんだか体も熱くて、熱がある気がした。
ぼんやりと天井を眺める。
——思い出してしまった。
あれだけ思い出そうと努力していたのに、実際蘇った記憶はあまりにも受け入れがたい。
私はまだ生きていた。しかも、この世界で、見窄らしい死にかけの姿で。
そんな私とアンジーちゃんが入れ替わってしまっているのは大問題だ。
みんなに求められ、大事にされているアンジーちゃんはあんな姿であんな環境にいるべきじゃない。
できるかぎり早急に元の姿に戻さないといけない。
でも、でも、そうしたら、私は…………あの薄汚くて醜い、誰にも顧みられない姿でこれから生きていかなくちゃいけないの?
記憶が戻ったら、綺麗に消えておしまいになると思っていたのに。
あんな姿になんて、戻りたくない。
人を呼んですぐにアンジーちゃんの居場所を白状するべきなのに、私は目覚めたことに気づかれないように息を潜めて涙をこぼした。
***
女の子の泣く声がしてふたたび目を開く。またいつの間にか眠っていたらしかった。ステラリリィの花でいっぱいの花畑の中で、小さな女の子が泣いている。
「ああぁ……よかったぁ……! やっと会えた!」
女の子は背中に生えた透き通る羽で飛んできて私にぎゅうぎゅうと抱きついた。5歳くらいに見えるその子の涙声に、あの暗闇の中の女の子だと気づく。
「あなた、もしかしてずっと呼びかけてきてた女の子?」
泣きじゃくる女の子の銀色の頭をよしよしと撫でながらそう問いかけると、嗚咽しつつ彼女は頷いた。
「間違えてお願い叶えちゃって………ごめんなさいぃ……」
泣きながらたどたどしく女の子が話す事情を辛抱強く聞き取る。
どうやら、誰かの作った偽の腕輪による願いを叶えてしまった結果、私とアンジーちゃんの入れ替わりが起こったらしい。私が貴族なら良かったのにと願ったせいで入れ替わりが起きたわけではないということに少しだけ安堵した。
「元に戻すから……そのために腕輪を探してきてほしいの」
「え、ええっと……」
わかった、まかせて。
そう答えるべきなのに、どうしても言えなかった。
期待した返事がもらえなくて、女の子の顔はまたくしゃくしゃになる。
「元に戻すまでお家に帰ってきちゃだめって……ママがぁ……」
「わ、わ、わかった、ちょっとね、私今あれもこれもって頭がいっぱいいっぱいなの。少し考えさせて、ね?」
「うん……」
とりあえず時間を稼ごうとして言った言葉に、妖精の女の子は納得してくれたらしい。私はほっと息を吐いた。
嘘は言ってない。遠野莉愛の記憶とフィーリアの記憶を思い出したところで、本当にいっぱいいっぱいだ。落ち着いたって、なにか気持ちに変化が起こるとも思えなかったけれど。
小さな女の子を泣かせたくない。
でも、元の姿になんて戻りたくないよ。
***
気がつくと窓からは柔らかな日差しが差し込んでいた。
頭痛で倒れて、一度目が覚めた時は夕方だったはずだから……次の日の朝だろうか。
記憶が戻ったことを言うべきか、黙っているべきか……正解なんてわかりきっているのに、話したくない。窓から差し込む日差しとは対象的に、私の心は暗く沈んでいる。
「アンジェリカお嬢様。失礼いたします」
メアリじゃない誰かの声がした。返事をするより先に扉が開き、目を丸くした侍女と視線が合う。
「お目覚めになられたのですね」
「また倒れてしまって……心配をかけてしまったわね。メアリはどうしたの?」
「メアリは旦那様から緊急の用事を仰せつかりまして、申し訳ございませんが本日は私どもでお世話させていただきます」
「緊急の用事?」
「はい。また後ほど、旦那様方からお話があるかと」
侍女さんは一通りの朝の支度が済むと、旦那様に報告に行ってまいります、と告げて部屋を去っていった。
ぽつんとひとり部屋に残される。
言わなきゃ。言わなきゃいけない。
クロードさんが来たら、「記憶を全部取り戻したんです。アンジェリカさんはシュケルフ孤児院というところにいるはずです。妖精の女の子が、願いを叶えるのに使われた偽の腕輪があれば元に戻せると言っていました」って。
言わなきゃいけない。
言いたくない。
終わりにしたくない。
でも、黙っていても、結局ずっとアンジーちゃんとしてふるまい続けることはできない。それに、何の罪もないアンジーちゃんをあの私の中に閉じ込め続けるなんて許されない。
ずっとずっとデビュタント前のこの暮らしが続けばいいのに。
あまりにも愚かで身勝手な願いに自嘲していると、寝室の扉が勢いよく開いた。
開いた扉から、にこにこと破顔したクロードさんと、ミリアーナさん、シェリルちゃんが次々に入ってくる。
みんな今にも歌って踊りだしそうなほど上機嫌だ。こんなに楽しそうな彼らを、私は初めて見た。
クロードさんは日に日に疲労でげっそりとやつれていたのが嘘のようにつややかで、ごきげんな口調で侍女たちを下げた。
困惑する私の手を取り、シェリルちゃんが私に話しかける。
「リア、体調はどう? ひどい熱だったでしょう」
「え、う、うん。たぶん、もう大丈夫よ」
「感謝するよ、リア。君のおかげでアンジーの居場所がわかった。先ほど報告があったよ」
「——え?」
クロードさんが何を言っているのか分からない。
アンジーちゃんがどこにいるかわかった? どうして?
理解できずに目を泳がせる私に、優しい笑みでミリアーナさんが語りかける。
「3日前に突然倒れた後、高熱にうなされながらあなたが話してくれたのよ」
「うそ……」
「うわ言で何度も言っていたよ。その言葉を頼りに王宮と協力して該当する孤児院を探し当てることが出来た。これから迎えを送るところだよ。本当にありがとう」
「あ……あ……そう、なのですか。アンジェリカさんがみつかって、よかった……」
みんなの晴れやかな笑顔に、私も笑わなくちゃと笑みを浮かべる。
「あとは偽の腕輪がいるんだろう? こんなふざけたことをしてくれた犯人を探さなくてはな」
「まあ、それはアンジーが帰ってからでいいではありませんの。あの子もなにか知ってるかもしれませんし」
「お姉様、ちゃんとお食事を取られているかしら。帰られる日にはお姉様のお好きなものをたくさん用意させなくちゃいけないわ」
3人とも、すごく嬉しそうで楽しそうだ。
私がこの体に入り込んでから決して見られなかった景色に、息ができなくなるくらい胸が締め付けられた。




