33話 アンジーちゃんになりきって
「ごきげんよう、おねえさま。ずいぶん顔色が良くなりましたわね」
次の日、リハビリのお散歩を済ませた私のもとへ、シェリルちゃんがお見舞いに来てくれた。柔らかな笑みを浮かべ、私の顔を見てうんうんと満足そうに頷いている。
「いらっしゃい、シェリル。お茶を淹れるわね」
私がそう言うと、メアリたちはティーワゴンを置いて控室へと下がった。置かれた茶葉の中からシェリルちゃんの好きなものを選んで丁寧にお茶を淹れた。
「まったく、あんな状態になる前にちゃんと相談しなさい。大丈夫大丈夫って強がって、全然大丈夫じゃなかったじゃない」
私の淹れた紅茶を一口飲んだ後、シェリルちゃんは唇を尖らせてそう言った。心配してるのが伝わってくる。
ごめんね。アンジーちゃんの評判を落とさないように、私がしっかりしないといけないのに。
「ごめんなさい。でも、もう本当に大丈夫よ。お薬を飲めばあの声も聞こえなくなるからしっかり寝られるの」
「それは良かったわ。妖精が語りかけてるのだか知らないけれど、毎夜毎夜だなんてしつこいことね。一度言えば分かるでしょうに」
「妖精にそんなこと言っちゃだめよ。この国を作られた偉大な存在でしょう?」
そう言って曖昧にへにゃりと笑いかけると、シェリルちゃんは眉間にしわを寄せる。
アンジーちゃんらしい笑い方じゃなかったな、気をつけないと。
「ま、いいわ。そういえば明日はセドリック殿下がお見舞いに来られるんでしょう? また不安なら付き添ってあげるわ」
「ありがとう。でも、もう一人で大丈夫よ」
そう言って穏やかに微笑みかけると、シェリルちゃんはなんとも言えない難しい顔をして黙り込んだ。
***
「今日の花はアステリですよ」
花瓶に鮮やかな黄色の、星のような形をした花が加わった。花瓶の中は知らない花ばかりだ。私が朦朧としている間も、ジェイクは花を届け続けてくれていたのだ。意識がはっきりとしたこの3日間で花言葉を調べたけれど、私の健康や快復を祈るような言葉ばかりだった。
ジェイクにはもう10日ほど会えていない。ひたすらに泣くという情けない姿を見せたのが最後だ。部屋に閉じ込められる生活はおしまいになったけれど、夜になると眠るための薬は飲まされてそのまま眠ってしまう。次に会えるのはいつになるのだろう。
薬を飲むことでよく眠れるのは嬉しいけれど、「今度話したいことがある」と言ったまま長い期間会いに行けてないのは申し訳なく思う。
ジェイクはずっと優しいけれど、あんな小さな子供みたいな姿を晒して、長い時間泣き続けて、うんざりしていないだろうか。雇用主の娘だから、仕方なく優しくしているだけで。
恥ずかしいのと怖いのとで会いたくない気持ちと、会っておしゃべりしたい気持ちで心が揺れている。
***
今日はセドリック殿下がお越しになる日だ。私のお見舞いの名目だったけれど、少し無理を言ってダンスの練習にしてもらった。部屋の外に出られるようになってからは屋敷の中やお庭をたくさん歩き回っているし、メアリとのダンス練習も再開しているし、体力と筋力は大丈夫なはずだ。
そう言ってミリアーナさんを説得したけれど、ミリアーナさんは呆れた顔をしていた。
「もう無理はしないように言ってるのにまったく……」
「もう体は大丈夫ですわ。ぐっすり眠れているので元気なのですよ!」
ね? とアピールしてもミリアーナさんは渋い顔だ。しばらくして、私がもうだめだと思ったらそこで止めるわよ、と言ってため息をついて了承してくれた。
「お見舞いのつもりだったけれど、ダンスをしたいんだって?」
公爵家に到着したセドリック殿下は、挨拶の後に穏やかな笑みをたたえながらそう言って花束を手渡してきた。鮮烈な真紅の大輪の花が中心の花束は、私の部屋を彩る淡くて可愛い花たちとは違う趣だ。
——でもきっと、華やかなアンジーちゃんにはこちらの方が本当はよく似合う。
「素敵なお花ありがとうございます。せっかくご多忙なセドリック殿下にお越しいただいたんですもの。少しでも多くダンスをしたいのですわ」
「デビュタントまでもう少しだからね。熱心でいいことだ」
セドリック殿下は満足気にそう言って私を舞踏室までエスコートする。距離が近くて緊張する。でも、私は今アンジーちゃんの代役なのだから、そんなことでうろたえてはいけない。
動揺を胸の奥底に押し込んで、私は微笑んだ。
今度のダンスは、拍子抜けするほどスムーズだった。
なんだ。ちゃんと自分がアンジーちゃんの代わりなのだとしっかり認識していればなんてことないんだ。
もちろん、セドリック殿下のリードがあってこその出来だし、散々だった前回と比べるとうまくなっただけで、求められるレベルにはまだ達していないのだけど。
「驚いたな。ずいぶん力を抜いて踊れるようになったね」
「自分はアンジェリカなのだと言い聞かせているのですわ」
「なるほど、自己暗示か。いいね」
そこまでにしましょう、とミリアーナさんが楽器を奏でる手を止め、私達は踊るのをやめた。
額に汗が滲んでいる。久々のしっかりした運動だったから、ちょっと疲れたな。
ふぅと息を吐きたいのをこらえ、疲れを感じていないように柔らかに微笑む。アンジーちゃんは疲れた表情なんて見せないはずだからね。
「セドリック殿下、本日は娘の練習にお付き合いいただきありがとうございました」
「いや、こちらとしてもできる限り練習しておきたかったからね、助かったよ。この調子ならデビュタントもなんとかこなせるんじゃないかと思うんだけれど、どうだろうか」
「そうですわね。気を抜くと姿勢が崩れるのと、体の先端への意識がまだ足りませんから、あとはそれらを叩き込めばと思っておりますわ」
ミリアーナさんの視線がこちらに向いて、私は慌てて姿勢を正した。その姿を見てミリアーナさんが頷く。少しでも気を抜くと背が丸まってみっともない姿になってしまう。気を抜いちゃいけない。求められたことはすべてできるようになる私でいないと。
***
くたくたの体に鞭を打ちつつ、疲労を感じていないような涼しい顔でセドリック殿下を見送った後、自室で一人になった私はようやく息を吐いた。
だらしなくソファに寄りかかろうとして、はっとして姿勢を正す。私に戻る時間があるのは許されない気がした。アンジーちゃんらしい気品のあるふるまいを身に染み込ませないといけないって、さっきミリアーナさんが言ってたじゃない。シェリルちゃんだって、私がアンジーちゃんらしくない笑い方をしたら眉をひそめたじゃない。
***
——思い出して。おねがい。思い出して! そうしないと元に戻せないの!
はっとして顔を上げる。どうやらソファに座ったままうたた寝をしてしまったらしい。
今にも泣き出しそうな女の子の声。
私が記憶を取り戻すことが入れ替わり解消のトリガーらしい。なんとなく、そんな気はしていたけれど。
思わず自嘲の笑みがこぼれた。
みんなそうやって、私を要らないと言うのね。




