32話 現実を受け入れる時
いつの間にか朝を迎えていた。カーテンの隙間から朝の日差しが漏れている。あの夢も頭痛もいつも通り変わらない。
ジェイクには結局迷惑をかけてしまった。子供みたいではずかしい。
覚醒しきらない頭でそうぼんやり考えながら起き上がる。目は腫れぼったくて、きっとひどい顔だ。
私が目覚めたことに気づいてメアリが部屋に入ってくる。ベッドに腰掛けたまま、ぼやっとメアリの動きを眺めた。
「あらあら。目元を冷やしましょうね」
「うん……」
あらかじめ用意されていたタオルが目元に当てられる。冷たくて気持ちいい。
どうして必要なことがわかったんだろう。昨日部屋でも泣いてしまったっけ? ジェイクと別れた後の記憶があいまいだ。
ぼんやりしている間にメアリが朝の支度を整えてくれて、寝室から出るように促される。されるがままに隣の部屋に移動して、並べられた朝食に手を付けた。
時折意識が途切れて、手に持ったパンが落ちそうになる。慌ててぎゅっと手に力を込めると、パンが潰れてしまった。
あまりにお行儀が悪いのにメアリは何も言わない。黙ってパンが差し替えられるだけだ。
失望されたのかな。感情のコントロールもできず翌朝に目が腫れるほど泣く情けないやつって思われたかも。
ぷつぷつと途切れる意識を手繰り寄せて朝食を必死に食べていると、部屋の扉が小さくノックされた。
こんな時間になんだろう。お花かな? 少し早い気もするけど。
メアリが応対する後ろ姿を眺めながら首を傾げていると、扉が大きく開いた。
「おねえさま、おはようございます。お加減はいかが?」
姿を表したのはシェリルちゃんとミリアーナさんだ。シェリルちゃんはにこやかに挨拶してくれたけれど、ミリアーナさんはじっと真顔でこちらを見ている。
こういう時ってええっとどうしたらいいんだったっけ。ミリアーナさんには私から挨拶が必要だから立ち上がるんだっけ。
回らない頭でそう考えながら立ち上がろうとしたけれど、いいからそのまま食事を続けなさい、とミリアーナさんが言うので大人しく座る。2人は私とテーブルを挟んだ向かいのソファへ座った。
2人の前には紅茶だけで、私だけが朝食を食べている。ちょっと居心地が悪いな……と思いながらも、もそもそとパンをちぎっては食べる。
「お姉様のお顔が台無しね」
「ここ最近ずっと上の空でしょう。ちゃんとどういうことか話しなさい」
2人の声が怖い。
私がアンジーちゃんとして振る舞えないから、2人とも失望しているんだ。がんばってきたのに、無駄になっちゃった。
「ごめん、なさい……」
2人の顔を見るのが怖かった。がっかりしている顔を見るのはつらい。うつむいて何も見えないようにする。
「事情を話しなさいって言ってるのよ」
「………………えっと、その、ずっと、王宮で倒れた時みたいに、寝るとあの声がして……。それで、あんまり、眠れてなくて……ごめんなさい」
縮こまってそう白状すると、2人のため息が聞こえた。
「メアリ、侍医を呼んで来なさい。眠れる薬を持ってくるようにと」
ミリアーナさんの鋭い声にメアリは一礼して部屋を出ていく。
侍医はすぐに来た。みんなの前で簡単な診察を受ける。
「疲労と睡眠不足ですね。これを飲めば深く眠って夢を見ずにすみますよ」
「でも……」
眠れるというのは今なによりも魅力的だった。でも、寝てしまったら今日のレッスンができない。記憶を取り戻す日も遠くなる。
侍医に手渡された薬と怖い顔のミリアーナさんを交互に見る。
「今あなたに必要なのは休息よ! メアリ、完全に良くなるまで馬鹿なことをしないようきっちり見ていなさい」
「かしこまりました」
「お姉様、元通りお元気になったらまたお茶しましょうね」
私はこくりとうなずいて薬を飲んだ。元の、元気にアンジーちゃん役を頑張るリアに戻るのだ。みんなをこれ以上がっかりさせないために。
***
「お医者様の許可も出ましたし、そろそろお散歩を初めてみましょうか」
メアリがそう言って監禁状態を解除したのはそれから5日後だった。
といっても、疲労が限界まで溜まっていたせいなのか、毎日飲まされる薬に鎮静効果でもあるのか、ずっと寝ているかぼんやりしていたので日付感覚があいまいだ。長かったという感覚はなくて、もうそんなに経ったのかという驚きの方が大きい。
侍医の言っていた通り、薬を飲んで眠るとあの声は聞こえなかった。おかげでゆっくり眠れたし、頭痛も消えた。
薬の効果が切れてきて、寝ぼけていた頭がじわじわとクリアになっていく。
「ごめ……いえ、心配かけたわね、メアリ」
「本当に。もう少しご自愛くださいませ」
私が淑女の微笑みを浮かべて話しかけると、安堵したように顔を歪ませたメアリだけど、次の瞬間にはぷりぷりと怒っていた。短期間に何度も倒れたらね、侍女としては気が気でなかったよね……。
強制的に休まされる前、メアリは何度もそろそろ休みましょうと私に注意してくれていた。メアリだけじゃない、ミリアーナさんも、シェリルちゃんも。休むのが怖いからって、その度に大丈夫と返事して私はちっとも休まなかった。
でも本当は、周りに体調が悪いことを悟られるようではだめなのだ。取り繕えないくらい体調が悪いなら、周りにその姿を晒す前に休まなくちゃいけない。アンジーちゃんは調子悪そうにふらふらしちゃいけないのだ。
「もう大丈夫よ。散歩に出ましょうか。付いてきてくれる?」
「はい。もちろんです。少しでも疲れたら今日はすぐ部屋に戻りましょうね」
メアリと連れ立って、ゆっくりと屋敷内を歩く。寝込んだ後リハビリのために屋敷内を歩くのは、この体で目覚めた最初の頃みたい。
記憶をなくしたあの時みたいねとメアリに伝えると、メアリは懐かしげにふふっと笑みを漏らした。
「デビュタントまでもうあと一ヶ月と少し。できるかしら」
「お嬢様はとても努力家ですもの。大丈夫ですよ。話し方だってたくさん努力されて、今ではずいぶん美しくなられました」
メアリは私のことを褒めてくれている。わかっているけれどずきりと胸が痛んだ。
ここでの私の役割はアンジーちゃんの代役だ。がんばれなくて代役を果たせない私はいらないし、アンジーちゃんが戻って来れたなら私はいらなくなる。
体を返さなくちゃいけないのに、ここで過ごすうちになんだか私自身が受け入れられたような気持ちになってきていた。でも、現実をしっかりと見て、ちゃんと受け入れなきゃ。




