30話 だれかの声
思い出して……! はやく……!
眠りにつくと、ずっと真っ暗闇の中で女の子の切羽詰まった声が聞こえる。王宮の宝物館で倒れてからここ一週間、ずっとそうだ。
今まではホットミルクを飲むとゆっくり眠れていたけれど、もうそれも効果がなかった。毎日毎日同じ夢を見て、女の子の声を聞き続ける。焦りのこもったその声に私まで焦燥に駆られてしまう。
十分眠っているはずなのに、ほとんど寝た気がしなくて体が重い。みんなに心配をかけないように普段通りを心がけているけれど、ろくに頭が働かない。今日もうまくやれるだろうか……? 痛む頭を押さえながら、思わずため息が漏れた。
***
「止まりなさい!」
ミリアーナさんがパチン! と手を鳴らして声を張り上げた。
その音にびっくりして私は我に返る。目の前には眉尻を下げたメアリの姿。
ぼんやりしてしまっていたらしい。大事なダンスの練習中なのに。
「集中なさい。気もそぞろに取り組んだところで何も上達しないわ」
「す、すみませんでした……」
冷たい無表情でこちらを見るミリアーナさんに勢いよく頭を下げた。はぁ……と呆れたため息が聞こえておずおずと顔を上げる。
「考えなければならないことが多いのはわかるけれど、きちんとメリハリをつけなさい。今はダンス。わかったわね」
「はい。すみませんでした」
メアリにもごめんねと謝って、気を取り直してダンスを再開する。そもそもダンスだってまだまだ課題まみれなのだ。殿下が次にいらっしゃるまでにもっと上手にならないと。
——まあ、殿下との場合はやたらと緊張してしまうっていうのが一番の課題ではあるんだけど。でも、そんな状態でも踊れるくらいに上手くならなくちゃ。
指摘されては直し、されては直し……と繰り返して汗だくのくたくたになり、ダンス練習は終わりとなった。メアリが休憩の用意をしに部屋を出ていって、広い舞踏室には私とミリアーナさんだけが残っている。
ミリアーナさんから改めて今日のダンス練習での修正点を聞く。午後はいつもミリアーナさんは社交で忙しいので、メアリと二人で空いた時間にちょこちょこ練習するのだ。頭の中で復唱していると、ミリアーナさんがふと気づいたという風に問いかけてきた。
「そういえばあなた。謝罪の時によく頭を下げるけれど、あれはあなたの国で謝罪するときの動作なの?」
「え? ええっと………。そうですね……。そうだったはずです」
そう、そうだ。無意識にしていたけれど、これはたしか、おじぎっていう動きだったはず。
「目上の人にご挨拶するときとか、謝ったり、お礼をしたり……いろんな時に使うのです」
「そう。シェリルからも不思議な踊りをしていたと話を聞いたこともあったし、ずいぶん違う文化なのね。——こうやって、無意識に染み付いているものを改めて意識すると思い出せるかもしれないわね」
「あ……。そうですね、意識してみます」
思い出さなくちゃいけないんだと思う。夢でも、あんなに切実な声で思い出してと何度も何度も言われるのだし。それがなくても、自分が何者か分からないのはなんだか気持ちが悪かった。
でも、思い出してしまったらもうこの生活は終わってしまう気がする。かつての自分を思い出すこととアンジーちゃんの体を乗っ取ったことの関係はわからないけれど、そんな気がした。
***
余裕のできた午後は、記憶を取り戻す何かがないか、屋敷の中を散策することにした。体は休息を求めているけれど、休みたくなかった。眠るとまたあの声が聞こえてくる。最近は眠っていなくてもぼんやりすると聞こえてくる気がする。幻聴なのか現実なのか、疲れた頭には判断がつかなかった。
この体で目覚めた最初の頃に巡ったように、屋敷の中をあちこち巡る。玄関ホール、居間、食堂、図書室、コンサバトリー、応接室や客室。飾られた絵画や彫刻、お高そうな壺なんかもじっくり見てみたけど、なにもピンとくるものはない。
メアリは何も言わずずっと付いてきてくれたけれど、なんの収穫もなく屋敷の中をぐるぐるするのに付き合わせてしまって申し訳なかった。
以前ミリアーナさんが言っていた行商さんも、数日前に公爵家にやってきて商品をたくさん見せてくれた。けれど、なにも記憶に引っかかるようなものはなかった。行商さんの語る異国の文化や旅の話は面白かったけれど、それだけだ。
物語のように都合よく記憶の鍵になるものに遭遇して記憶を取り戻すなんて展開になったりなんてしてくれない。
メアリを休ませるために、自室に帰ってすぐ本を読むと言ってメアリには下がってもらった。
部屋にひとりになった私はだらしのない姿勢でふーっと息を吐いて窓の方を見る。窓辺には見覚えのない花たちが花瓶に生けられていた。
こんな花、届いてたっけ。
ずきずきする頭を押さえて思い返してみるも、ここ数日にどんな花が届いたのかさっぱり思い出せなかった。
この一週間で頭痛はすっかり日常のものになってしまった。頭痛のない時間はほとんどない。最初の方は薬をもらっていたけれど、ちっとも効かないので諦めた。もうすっかり治ったふりをしている。
アンジーちゃんがみつかるまで、元に戻る方法がわかるまで、アンジーちゃんの評判を下げるようなことがないように必死に努力するリア。それがここで求められている私の姿だ。
しんどい、疲れた、なんてめそめそして寝込む私は求められていない。
つうっと頬に涙が伝った。泣いてはいけない。止まらなくなるから。頑張る私でいられなくなるから。
涙を止めようとぎゅっと目を閉じて深呼吸する。そうしているうちに、いつのまにか意識は深い闇の中に沈んでいった。
***
——だして! 思い出して!
「うるさい!!!」
またあの声だと思った瞬間、我慢できずに叫んでしまった。がばりと起き上がってここが自室のソファの上であることと、現実で声を出して怒鳴ってしまったことを理解して青ざめる。
「どうなさいました?!」
「あ……、ご、ごめんなさい。なんでもないの」
私が我に返ったのと同時に、叫び声を聞いて隣の控室から慌てた様子でメアリが部屋に飛び込んできた。困惑しているメアリに謝罪の言葉を告げる。アンジーちゃん役をまともにこなしきれない自分が恥ずかしかった。
「ちょっとうたた寝をしてしまって。悪い夢を見たみたい。 ……ごめんなさい。今日はもう休むわ。少し疲れてるんだと思うの」
大丈夫と微笑んでみせようとしたけれど、動悸と冷や汗が止まらない。これ以上みっともない姿を見せるわけにはいかなくて、メアリが口を挟めないようにまくし立ててすぐに寝室へこもった。
メアリから公爵家のみんなへも報告が行くのかな。
おねがいだから、秘密にしていて
明日には絶対元通りになるから
ごめんなさい




