3話 お屋敷ツアーとフィーリアの花
こ、こわかった……。
あれからベッドの中で震えていたけれど、しばらくすると侍女さんが部屋に入ってきて紅茶を淹れてくれた。蜂蜜とミルクもたっぷり入れられている。
「あ、いい匂い……」
「シェリルお嬢様が先ほどのお詫びとのことで持ってこられた茶葉でございます。長らくお眠りになられていたのですから、これだけでもどうかお口になさってください」
イチゴみたいな香りがする。ふうふうと息を吹きかけて、そっと口をつけた。甘さが身体に染み渡る。恐怖と緊張で固まった体がほぐれていくようだった。
「あの、先ほどは大変申し訳ございませんでした。まさかシェリルお嬢様があのようなことをなさるとは思わず……」
「いえ、あの、気にしないでください。仕方ないと思いますし……」
彼女からしたら私もシェリルちゃんも仕えている相手なのだから、急にフォークを突きつけても止めるなんて無理だっただろう。仕方ない。シェリルちゃんを止められる人を探しに行ってくれたようなので、それで充分ちゃんとお仕事をしていると思う。
そう伝えると侍女さんは怪訝そうな顔をしつつも、何も言わずに深く頭を下げてから隣の部屋へと下がっていった。
紅茶、おいしかったな……。シェリルちゃんがお詫びとして持ってきてくれたってことは、もう少し穏やかにお話できるのかな……?
何もわからないから、色々教えてくれる人が欲しい。できたらクロードさんの方が話しやすいけど、クロードさんは私がアンジーちゃんだと思ってるからなんだか後ろめたい気持ちになる。
甘い紅茶を飲んだら緊張が解けてしまったのか、また眠たくなってきた。ベッドから全然動けてないな……。また起きたら、今度こそ動いて少しずつ情報収集しよう。ほんとはこれが夢ならいいんだけど……。
***
眠りについたのは夕方だった気がするけど、起きたら朝だった。たっぷり寝たね。おなかも空いてきた。
私が目覚めたことに気づいた侍女さんが部屋に食事を運んできてくれる。ベッドの上で食べるか聞かれたけれど、こぼしたりしそうで落ち着かないのでテーブルで食べることにした。
パン粥と綺麗に一口大に切られたフルーツ。そして蜂蜜がたっぷりの紅茶だ。
胃がびっくりしないようにそろそろと食べた。優しい味でとてもおいしい。お金持ちだし、きっとすごくいい食材なんだろうな。
食べすすめるうちに、なんだか胸がいっぱいになって涙が出そうになってくる。ここで泣くのは不審者みたいで嫌だったから、必死にこらえた。
「ごちそうさまでした」
「食欲が戻ってこられてたようで安心いたしました」
食べ終わったところで、部屋の隅に控える侍女さんに声をかけると、柔らかな笑みをうかべて返事をしてくれた。
「シェリルお嬢様から、本日家庭教師による授業の後でお会いできないかと伺っておりますが、どういたしましょう?」
シェリルちゃんが会いたがっている。
一瞬身を固くしたことに気づいた侍女さんは眉を下げて言葉を繋いだ。
「あんな事があった直後ですから、一旦はお断りしても構わないかと……」
「……いいえ、大丈夫です。私、何もわからないから……会ってお話しないと」
シェリルちゃんは14時頃に来ることになった。それまでは自由時間だ。
「あの、できたら少し散歩したいです。ずっと動いてなかったから、動かないと」
「ええ、もちろんです。湯浴みの後、動けそうでしたらそういたしましょう。今までによく行かれていた場所をご案内いたしますね。なにか思い出すきっかけになればよいのですけれど」
侍女さんが寂しそうに微笑む。
ごめんなさい、きっと何も思い出さないです……。
その言葉は胸の中に閉じ込めてあいまいに笑った。
***
お風呂でピカピカにされた私は気疲れもあってぐったりしていた。
お風呂、すごく恥ずかしかった……。
自分で洗えます!と叫びたい気分だったけど、黙って恥ずかしさに耐えた。だって侍女さんたちは当たり前って顔してこなしてたんだもん。何も言えなかった……。
服を脱ぐのも着るのも、下着ですら侍女さんの手で行われる。至れり尽くせり……とは思えなかったよね。恥ずかしすぎる。これに慣れなきゃいけないの……? え、無理……。
とはいえ、ドレスを着せてもらうと少しテンションが上がった。今までずっとネグリジェだったけど、刺繍がびっしり入ったドレスはさすが貴族のお嬢様って感じだ。
あまり重たいドレスはまだ疲れるから軽めのドレスにしましょうとのことだったけど、それでも結構重い。コルセットはしないみたいでほっとした。
疲れたけれど、このまま部屋にいるよりは気分転換したくて、頑張ってお散歩することにした。せっかく可愛いドレスも着たし。
お散歩も侍女さんが案内してくれるらしい。
目覚めてからずっと付いてくれているこの侍女さんは、メアリさんっていうんだって。さっき勇気を出して名前を聞いた。
アンジーちゃんもさすがに侍女さんのお名前は覚えているはずだよね? それとも貴族って侍女とか使用人の名前は覚えないもの? わからなくてなかなか聞けなかったんだけど、名前がわからないと話しづらいから、こわごわ聞いてみた。
そうしたら、メアリさんは少し悲しそうに笑って、自己紹介をしてくれた。
メアリさんは王都にある仕立て屋の娘さんで、10年前の14歳の頃からこのお家で働いていて、6年前からアンジーちゃんの侍女をしているんだって。2年前に筆頭侍女になって、ずっとアンジーちゃんのそばにいるんだとか。
「以前のアンジェリカお嬢様はとても厳しいお方でしたけれど、筆頭侍女を任された時は私の仕事を認めていただけてとても嬉しかったのですよ。それから、アンジェリカお嬢様は他国の文化にもお詳しくて、ドレスの仕立てに活かせる様々なお話を聞かせていただいておりました。おかげさまで、実家の仕立て屋は他とは違うドレスを作ると評判になってきているのです」
メアリさんは頬に手を当て、ふふふと笑みをこぼしながら語った。
ううぅ……待って、これ、私では役に立てないよ……。メアリさんの実家の新作ドレスとかに影響出ちゃうんじゃない……? アンジーちゃんアンジーちゃんどこにいますか……お返事してください……。
心の中でアンジーちゃんに問いかけてみたけれど、もちろん返事はなかった。
玄関や居間、食堂……と、日常生活で使っていた場所を案内してもらった後、次に案内されたのは図書室だった。
「こちらの図書室でアンジェリカお嬢様はよくお過ごしになられていたのですよ」
家の中ある図書室なのに、学校の図書室よりもずっと広い。何冊あるんだろう?
私は天井まで高くそびえる本棚に圧倒されながら眺めた。
「あの、私はどんな本を読んでいたのですか?」
「そうですねぇ、特定のお好きな分野があるというよりは、何でも読まれていましたね。最近は外国の歴史書をよくお読みになられていました」
これとか。とメアリさんが差し出してくれた本は分厚く重厚感あふれる本だった。ぱらぱらとめくってみるも何が面白いのかさっぱり分からない。すぐに眠くなりそうだ。
…………っていうか、あれ? 文字も、こんな文字は日本では見たことない。アルファベットでも、キリル文字でも、アラビア文字でもない。どうして読めるんだろう。基本的な知識はアンジーちゃんの身体が覚えているってこと? でも、メアリさんがしてくれる紅茶や料理の説明を聞いても、どんな食材かはあんまりわからないんだよね……。なんか、お野菜の名前はときどき聞いたことがあるような? ってなるんだけど……。
本を開いたまましばらく思考の海に沈んでしまっていたけれど、メアリさんに声をかけられてはっと現実に帰る。
「ごめんなさい。読んでみたけど、やっぱり全然思い出せなくて」
「焦ることはありませんよ。まずはお体を動かして、健康を取り戻しましょうね」
メアリさんは優しく私から本を取り上げて元に戻し、次の場所へと案内してくれた。
「以前のアンジェリカお嬢様はあまり好まれなかったのですけれど……。もしかしたら今は図書室よりもこちらの方が息抜きに良いかもしれませんね」
メアリさんがそう言って案内してくれたのは、たくさんの花が咲き乱れる庭園だった。
「この辺りはウィステーリア公爵領に咲く花々を持ってきていて、公爵家のみなさんが王都でも楽しめるようにしているのだそうですよ」
「そうなんですね、すごくきれい……」
思わず魅入ってしまう美しさだった。確かに私は図書室よりもこっちの方が好きだ。
「お庭を進んでいくとまた別の趣向に変わっていきますから、毎日少しずつ散策されるのもいいかもしれませんね。今日はもうこれ以上はお体に響きそうですから」
確かに、素敵なお庭をもっと見たい気持ちはあるけれど、歩いてちょっと疲れてしまった。明日また来よう。
部屋に帰ろうと決めたものの、なんだか名残惜しくてなかなか動けずにいると、メアリさんから素敵な提案があった。
「もしよろしければ、何か花を部屋に持ってこさせましょうか。お気に召されたものはございますか?」
「え、いいんですか? ええっと、じゃあ……あの、フィーリアを……」
庭の隅に咲く、パステルカラーの可愛い小花を選んだ。ピンクや黄色、白と色とりどりのこの花が不思議なくらい気に入ったのだ。




