2話 お姉様の姿をしたなにか(シェリル視点)
妹のシェリル視点です
お姉様の部屋から出た私は自室に帰らずそのままお父様へ報告に向かうことにした。今の時間なら執務室にいらっしゃるはず。
「お父様。あの、お姉様にお会いしてきたのですけれど……」
お父様から入室許可をもらった私は開口一番あの不審な女について伝えることにする。お父様はおかしいと思わなかったのかしら。いいえ、お父様が気づかないはずがないわね。
「ああ、シェリルも会ってきたんだね。どう思った?」
お父様は穏やかに微笑んで私の話の続きを待っている。――試されている?
「記憶をなくしたからといってお姉様があんな情けない姿を見せるなんてありえません」
あんなの、どう考えてもお姉様じゃない。
お姉様の、見るだけでひれ伏したくなるような、絶対的な上位者の風格が記憶をなくした程度で消えるはずがない。
「あの女は偽物です。問い詰めたら、自分はトウノリアという名前だとすぐに白状しましたわ」
「……問い詰めた?」
お父様の顔から笑みが消え眼光が鋭くなる。私は血の気が引いていくのを感じた。
ドレスの裾をきゅっと握りしめて弁明する。
「え、あ、はい。あんなのお姉様じゃないと思って……思わず……」
「……シェリル。そうだね、あれがアンジェリカの偽物だと疑う気持ちは分かる。だけど感情に呑まれてそのまま何の策もなしに問い詰めるのは良くない。あれが人を傷つけるのを厭わない人間だったらどうするんだい。……まあ、今回はそういう人物ではなかったようで良かったけれど。次からは気をつけなさい」
お父様は深くため息をついた。
ああ……また失敗してしまった。お姉様ならこんな失敗しないのに。
「シェリル、君はアンジーの額に傷痕があるのを知ってるかい?」
小さくて目立たないものだけどね、と言いながらお父様は自身の額の、髪の生え際辺りに触れる。
「え? いいえ。そんなところに傷が……?」
「たしか4歳くらいの時かな。絵本に飽きて、もっと大人の難しい本を読みたいと言い出した時あってね。その時はちょうどいい本がなかったから、まだダメだと言ったんだ。そうしたら、使用人たちの目を盗んでこっそり図書室に一人で向かってね。脚立を使って本を取ろうとして、バランスを崩して落ちてしまったんだ。その時にできた傷なんだよ。本人が落ち着いて対処して騒ぎにもならなかったし、幸い傷痕も目立たないから、このことを知っている人間はほとんどいない」
お父様は懐かしそうに、目を細めて微笑んだ。
「あの時も泣かなくてね……アンジーを探し回っていた侍女が図書室に探しに来たところで、ハンカチで傷口を押さえながら『手当てしなさい』とひと言言っただけだったらしい。手当て中にミリアーナが駆けつけたときには少し泣いたらしいけれどね」
お姉様らしいエピソードだ。お姉様は簡単に涙を見せたりなんてしない。小さい頃から強くて美しい憧れのお姉様。
「……話が逸れたね。アンジーが目が覚めてすぐ、彼女を訪ねた時にこの傷痕を確かめたんだ。頭を撫でるふりをしてね。そうしたら――あったんだよ、同じ傷が。だからあれは、少なくとも体はアンジーのものだ」
「そんな……」
「アンジーは体の中にまだいるのか、それとも、トウノリアという人間と中身だけが入れ替わったのか。どちらにしてもおとぎ話のような話だが、彼女がなにか思い出してくれれば解決のヒントになるかもしれない。嘘をついている可能性もあるが……。今は彼女が敵なのか、彼女自身も被害者なのか、それも分からない。慎重に彼女から情報を引き出すべきだよ」
「はい……」
私はうなだれて執務室を退室し、自室へと戻った。
自室から繋がる寝室まで、重たい足を無理やり動かして歩いていき、枕元に置いてあったうさぎのぬいぐるみを抱き寄せた。
「おねえさま…………」
こぼれ落ちた水滴がうさぎの頭に落ちては吸い込まれていく。
大好きなお姉様。どれだけ努力してもお姉様のような素晴らしい淑女にはなれなくて。
たくさん怒られたけれど、私の元気がない時には私の好きなお菓子を用意して一緒にお茶をしてくれたり、シェリルは可愛いからこういうものがよく似合うわと言って可愛い小物を贈ってくれた。このうさぎもお姉様からの贈り物だ。
さっきだって、部屋に飛び込んできた私を、「はしたない」と言って叱ってくれると思っていたのに…………。
「シェリルお嬢様。先日ヒューバート様から頂いたフラガリアの紅茶を淹れてみましたので、少しお飲みになられませんか?」
鬱々としていると、隣の部屋から侍女が労るように声をかけてきた。
いただくわ、と返すと侍女のひとりが温かい紅茶持ってきた。それを飲むと、春の訪れを告げるフラガリアの甘い香りに少しずつ心が落ち着いてくる。
ずいぶん取り乱してしまったわね……。
お姉様を取り戻すために、どうしたらいいかはまだわからない。お父様の言う通り、あのトウノリアとまずはたくさん話すべきだわ。
「ねぇ、このお茶、お姉様にも持っていってちょうだい。食欲がないとおっしゃっていたけれど、これなら飲めるかもしれないわ。あと、ついでにお姉様の侍女にこれも渡して」
私は手に取った紙に短いメッセージを書く。
お姉様が不思議なことをおっしゃったら、止めたりせずに私に伝えて、と。
きっとお父様も同じことをしていらっしゃるのでしょうけど。




