1話 悪役令嬢転生……? なんか違うっぽい!
「えぇ……? なにこれ、転生……ってやつ……? 」
私は信じられない気持ちで呆然と鏡の前に立ちながら呟いた。
なにがなんやら……と記憶を辿るも、横断歩道で落とし物をして屈んだ時に車に轢かれた記憶が最後だ。そして気がついたらなんだかお城みたいな洋風の豪華な部屋のふっかふかのベッドに横たわっていた。起き上がって視界に入った髪の毛が黒色ではなく金色だったのでびっくりして鏡にダッシュ。今に至る。
鏡に映るのは、黒髪黒目で特筆すべき特徴のないいつもの私……ではなく、よく手入れされたつやつやの金髪にルビーのような輝く赤い瞳、ニキビひとつない白く輝くもちもちつやつやお肌の美少女だ。レースがたくさん使われて刺繍がいっぱいのネグリジェがすごく似合っている。
つり目できつめの顔立ちでワガママそうに見えるけどそれもまた魅力に見える美しさ。今は見せちゃいけないような間抜けな顔してるけど……。
「え、なに、もしかしてゲームのキャラクターに転生ってやつ? いやいやいや……そんな漫画みたいなこと実際にはあるわけないし……」
現実の西洋人に転生したにしてはおかしい。
目が赤い人ってアルビノの人だけだったよね……?
脳裏によぎるのはついさっきまで読んでいた悪役令嬢が主人公の漫画だ。でも、シチュエーションはなんだかそっくりだけど、さっき読んでた漫画の主人公はこんな姿じゃなかった。鏡に映るのはTHE悪役令嬢! って思えちゃう見た目だけど。
こういうのってよく知ってるゲームとかに転生するんじゃないの? 目覚めて鏡見たら、「えー! 私、〇〇に生まれ変わってる!!!」ってフルネーム言えるくらいの。
残念ながら私は鏡を見てもこの美少女が誰だか分からない。
私の頭の中には日本人女子高生の遠野莉愛が生まれてから交通事故に遭うまでの16年の記憶しかないし、なんならそれもはるか遠い過去のような、ぼんやりした記憶だ。
「ゆ、夢? なんか頭打って変な夢でも見てるのかな? そうだ……そうだよ……もう一回寝よう……」
私はふらつく足取りで豪奢なベッドまで戻ると、布団に潜り込んで目を閉じた。
「きっと次起きたら病院のベッドだ……大丈夫……大丈夫……これは夢……」
夢じゃなかった。
なんだか騒がしいな……と思って目を開けたら、ハリウッドの俳優みたいに渋くてかっこいいおじさまと、同じく女優みたいなオーラのある美人のおばさまが部屋に飛び込むように入ってきた。
その後に続いた女の子は落ち着いた様子だ。
この女の子には見覚えがある。さっき私が起きた時に大慌てで「ご当主様を呼びに行ってまいります!」って出て行った子だ。
……ということはこの人たちは当主夫妻ってことだよね?
「アンジー!! よかった……!! どこか苦しいところや痛いところはない? とっても心配したのよ」
ベッドの上で上体を起こした私を、おばさまが涙を浮かべてぎゅうぎゅうと抱きしめる。
「え、ええっと……」
お母さん……なのかな? お金持ちそうだしお母様って言えばいいのかな? もしお母さんじゃなかったらどうしよ……と頭の中でぐるぐる考え込んでいると、目が潤んでいるおじさまと目が合った。おじさまは優しそうに微笑みを浮かべている。
「こらこら、ミリアーナ。アンジーは目が覚めたばかりなんだから。少し落ち着いて」
「ああ、そうね、ごめんなさいね。うれしくって。本当によかったわ」
ミリアーナさんという方らしい。彼女はぽろぽろと涙をこぼしつつ私を腕の中から解放してくれた。
「あの、えっと、ごめんなさい。苦しいところとか、痛いところとかはないんですけど、なにも分からないんです……」
私がしどろもどろにそう言った瞬間、部屋の空気が凍るのがわかった。
私の読んだ転生物の漫画では、こういう気がきつそうな令嬢に転生してしまった主人公がしおらしく良い子に振る舞っていたら改心したと喜ばれて、その後の悲惨な運命を回避できることが多かった。
それに倣おうという打算的な気持ちもあったし、そもそも私にはアンジーちゃんの記憶がなくてどういう子なのかさっぱりわからないから、正直に話してしまった方が良いだろうという気持ちもあったのだけれど……。
「なにも分からない……? ああ、どうして倒れたのか分からないということかい?」
フリーズから再起動するのはおじさまが早かった。ミリアーナさんはまだポカンとしている。
「い、いえ、そうじゃなくて……。いや、それも分からないんですけど……。ごめんなさい。本当になんにも分からないんです。その、あなたたちのことも……私自身のことも……」
「お、お母様のことも分からないと言うの……? ああ……ああ……なんてこと……もうすぐデビュタントですのに……」
ミリアーナさんは悲痛な声でそう告げる。申し訳なさに胃がきゅっとなって、思わずうつむいてシーツを握りしめた。
「ごめんなさい……」
「…………いや、アンジーが謝ることはないんだ。まずは医者に診てもらおう。大丈夫だよ」
おじさまは殊更優しい声で私を慰め、少しためらいながらも手を伸ばして私の頭をゆっくりと撫でた。
「君の名前はアンジェリカ。僕たちのかわいい娘だよ」
それから、泣き崩れたミリアーナさんは侍女っぽい人に連れられて退室し、おじさまはお医者さんを呼んでくれた。そしてお医者さんの診察が終わったところでおじさま――クロードさんもゆっくり休むように言って去っていった。
***
「どうしよう……どうしたらいいんだろう」
一人になった後、私はベッドの上で頭を抱えてうずくまった。
侍女さんが綺麗に切ったフルーツを食べるように言って置いていってくれたけど、食欲なんて全くと言っていいほどなかった。
お医者さんの診察は予想通りだった。
倒れた時に頭を打ったせいで一時的に思い出せないだけでしょうとのこと。漫画とかでよくある記憶喪失だ。
明らかな他人の記憶しかないというのはお医者さんにも話さなかった。おかしくなったとか思われたくない。
けれど、その前のクロードさんの話に私は動揺していた。クロードさんはお医者さんの到着を待つ間、アンジーちゃんのことや家族のことを教えてくれたのだ。
このお家はウィステーリア公爵家という偉い貴族のお家で、当主はクロードさん。アンジーちゃんのお父さんだ。そしてさっき私が泣かせちゃったミリアーナさんがお母さん。アンジーちゃんは長女で16歳。あと4歳下の妹、シェリルちゃんがいるそうだ。
見た目がTHE悪役令嬢なアンジーちゃんは、やっぱり激しい性格をしているらしい。でも、わがまま放題の癇癪持ちってわけじゃなくて、小さい時から自分にも他人にも厳しいタイプなんだとか。
怖がられることも多いけど、家族も使用人の人達も、そして婚約者である第一王子のセドリック殿下も、みんなみんな気高くて努力家なアンジーちゃんを愛してるんだって。
だから、突然気を失って倒れて1週間も目覚めなくて、みんなすごく心配したらしい。今、屋敷中にアンジーちゃんお目覚めの報告が回っていて、お祝いムードに包まれているんだとか。
ついさっきまで悪役令嬢に転生して良い子になって断罪を回避するような流行りの漫画を読んでたから自分もそういう漫画みたいに振る舞えばいいのかな? って少し思っちゃってたけど、今は他人のいるべき場所を奪ってしまったという罪悪感でいっぱいだ。
「アンジーちゃんはどこにいるんだろう……」
私がこの体に入ったことで消えてしまった? この体の中で眠っているだけ?
それとも……日本にいる私と入れ替わっちゃった?
色々考えたけど最後のは多分違う。だってトラックにはねられて、もうだめだと思った記憶がしっかりある。
死んで魂だけになってからきっと別の世界に迷い込んで別の体に入ってしまったんだろう。そうであってほしい。私の死の間際に何故か入れ替わって全くの他人のアンジーちゃんが死んでしまった……とか耐えられないから。
必死に考えたけれど、たとえ本当のアンジーちゃんに体を返したくてもどうしたらいいかさっぱりわからない。
それにもし、アンジーちゃんに体を返したとしたら私はどうなるのか。きっとまた死んでしまう。一度死んだんだから諦めるべきなんだけど、もう一度死ぬなんて怖い。そして、それを望まれているだなんて考えたくなくて私はその思考に蓋をして見ないことにした。
今はとりあえず、記憶喪失の設定のまま、慎重に何か情報がないか探そう……。
そう決意したところで寝室の扉がノックされる音が聞こえた。返事をしようと口を開いたところで返事を待たずに扉が勢い良く開く。
「お姉さま!!! お目覚めになったのですね!!」
入ってきたのはリボンとフリルがたっぷりのピンクのドレスを着たお人形さんのような女の子だった。
アンジーちゃんより少し淡い金色のふわふわした髪は少し乱れて、赤い大きな瞳は潤んでいる。この子がシェリルちゃんかな。
「お、おはようございます……?」
ああ……確実に返事を間違えた。でも正解はなに?
「おねえ、さま……?」
ショックを隠しきれない、という表情でシェリルちゃんはこちらを見つめる。さっきのミリアーナさんと同じ表情だ。そんな顔で見ないで……。
「ええっと……ごめんなさい……。あの、記憶が、なくて……」
シェリルちゃんのつらそうな顔を見ていられなくて、顔を伏せてぼそぼそと呟いた。
「記憶がない……? 嘘よ! 記憶がなくたってお姉様がこんな態度をとるものですか! あなた誰!? お姉様をどこへやったの!?」
シェリルちゃんの激昂に思わず顔を上げたけれど、彼女はサイドテーブルのフルーツに添えてあったデザートフォークを掴むと、私を押し倒して馬乗りになり、目の前に突き付けてくる。
「白状なさい! さもなければ刺すわ!」
私は恐怖に震え上がって身動きが取れない。フォークだって刺されば絶対痛い。
「ごめんなさい……ごめんなさい……私は何も知らない……ほんとうにわからないの……」
涙が溢れてくる。
私だってこうなりたくてなったわけじゃない。アンジーちゃんがどこにいるかなんて知らない。
私だって教えてほしい。ねぇ神様どうしてこんないじわるしたの?
しばらく震えながらめそめそ泣いていると、シェリルちゃんは落ち着いたようだった。フォークが遠ざかっていく。
「……悪かったわね、脅して。ひとまず、あなたがわかってることを教えなさいよ。まったく何にもわからないってことはないでしょう」
シェリルちゃんは気まずそうに目を逸らしながらそう言って、私の上から降りた。
「えっと……。私は遠野莉愛って名前で……。あ、名字? 家名? が遠野で名前が莉愛です。それで……その……気がついたらこの姿になってました……。ふっと目覚めたらここにいて、この姿で……」
知っているのは本当にこれだけだ。地球にはこんな鮮やかな赤目の人はいないし、こんな童話のお姫様みたいなドレスを着てる国なんてないはずだから異世界っぽいけど、それは伝えない方がいいかなと思って黙っていた。違う世界という概念がまずあるかわかんないし。
たっぷり数秒の沈黙の後、シェリルちゃんは私を睨みつけて詰問する。
「ふうん……。その名前、音に聞き馴染みがないしこの国や周辺国の生まれじゃないわね? どこの国の生まれなの? どうしてそんなにセスタリア語が違和感なく話せるの?」
「に、日本っていう島国で……。言葉は、なんでだろう……私もわからないです……」
たしかに、よくよく意識してみると話している言葉は日本語じゃない。どうして話せるんだろう。
「にほん? 知らないわね……まあいいわ」
不審者を見るような目は変わらない。その顔も超絶可愛いけど、今は冷や汗が止まらない。
「本当にあなたに悪意がないのならお姉様を探すのに協力なさい。いいわね?」
「は、はい。わかりました……」
と、とりあえず、今のところは殺されることはなさそう……。




