26話 一家団欒の夕食
殿下へのお手紙を書くにあたって情けない事実が発覚した。私の書く字が貴族としては見せられないほどに汚いらしいのだ。
シェリルちゃんの部屋で、シェリルちゃんが口に出した内容を書き写したときの彼女のなんとも言えない顔と、「ど、独創的な文字ね……」というひねり出した婉曲表現に、恥ずかしさのあまり布団に潜り込んでしまいたくなる。
結局、殿下へのお手紙はシェリルちゃんにすべてお任せしてしまった。私が文字の練習をして殿下に解読可能な手紙をお出しできるようになるよりそっちの方が早いので……。
デビュタントには必要ないし……としばらく現実逃避したけれど、やっぱり悔しいのでこの二日間は基本文字の書き取りから始めて文字をきれいに書く練習をしている。おかげでメアリの書いたお手本にだいぶ近づいたように思う。
今日もダンスを練習し、貴族名鑑を文字に気をつけながら書き写しては覚える作業を続けていた。
時折窓辺を眺めては花に癒される。今日の花はルバスベリー。
実が甘酸っぱくてとっても美味しいのだけれど、小さくて白いお花も可愛い。どうしても実のおいしさを想像して、実がなるのが待ち遠しくなっちゃうけどね。
日が傾き始めた頃。少し休憩しようと、はちみつとミルクたっぷりの紅茶をゆっくり飲んでいると、部屋の扉がノックされた。メアリが扉を開けるとそこにはクロードさんがいた。
「やあ、がんばっているようだね」
にこやかに声をかけてきたクロードさんは、なんだか前に会った時よりさらにやつれている気がする。目の下のくまがひどくて、痩せたように見える。
「あの、大丈夫ですか? ずいぶんお疲れのように見えます」
「心配ありがとう。社交シーズンはどうしてもね。夏の終わりに領地に帰るまでは毎年こんな感じだよ」
クロードさんはメアリの出した紅茶に砂糖をだばだばと入れて飲み、長いため息を吐いた。
「でも、今日は参加予定だった晩餐会が急遽中止になったから少しゆっくりするつもりだよ。それで、今日の夕食のお誘いに来たんだ。ミリアーナもシェリルも一緒に、久々に食事をしようかと思ってね」
「ありがとうございます。でも、あの、お作法が少々おぼつかないのですが……」
ずっと一人でごはんを食べていたので、人と食べられるのはうれしい。でも、食事の作法がまだ完璧じゃない。貴族の人たちから見て見苦しいと思われるような食べ方をして不快に思われそうで、ためらってしまう。
「家族だけなんだから、そんなの気にしなくて構わないよ。なかなか忙しくて君と話す機会を持てないし、ぜひ来てほしい」
「は、はい。でしたらぜひ。うれしいです」
淑女の微笑みを意識して口角を上げると、クロードさんは満足げに頷いた。そして砂糖が底に溜まってざらざらしていそうな紅茶をぐいっと飲んで「じゃあまた夕食で」と言って去っていった。
***
貴族は家の中の家族だけの夕食でも着飾るらしい。日中に着るドレスより少し首元が開いたドレスが、こういう家族団らんの夕食時に着る服なんだって。舞踏会で着るドレスよりも露出は少ない。今までずっと自室で食事してたから着るのは初めてだ。
ごはんなのにコルセット締めるんだ……とうんざりした気持ちが顔に出てしまっていたみたいで、メアリは「ゆるくつけるので大丈夫ですよ」とくすくす笑っていた。
晩餐室に着いた時には、クロードさんとシェリルちゃんがすでに席に座っていた。私が部屋に入るとふたりともにこやかに笑いかけてくれる。
「いらっしゃい。君の席はそこだよ」
「お姉様もいっしょに食べるのね。うれしいわ」
指定された席に座り、少しどきどきしながら2人と話しているとミリアーナさんがやってきた。私の姿を見て片眉を上げる。
「あら、あなたも来たのね。……もっと落ち着いて座りなさいな」「は、はい」
はいとは返事したものの、どうしても緊張する。肩に入った力は抜けそうになかった。
全員が揃ったところでクロードさんが手元のベルを鳴らすと、給仕係の人たちが料理を手に部屋に入ってきた。最初はスープだ。
とろとろに煮込まれたオレンジ色のポタージュをゆっくりそぉっと音を立てないようにスプーンで口に運ぶ。毎日練習しているので多少はうまくなった気がしていたけれど、シェリルちゃんを含めみんなもっとなんてことないような動作で優雅に食べていて、自分の未熟ぶりが際立つ。
私がゆっくり慎重にスープを口に運んでいるところで、ミリアーナさんがクロードさんに話しかけた。
「今日中止になった晩餐会ですけれど、マーガー伯爵は大丈夫かしら」
「ああ……急病だってね。彼は虚弱気味だから、連日の議会の紛糾で疲労が溜まっていたんだろうね。青白い顔で王宮内を歩いているのを何度か見かけたよ」
「まあ、心配ですわね。はやく快復なさると良いですけれど。あなたも気をつけてくださいましね。最近顔色がひどくってよ」
「ありがとうミリアーナ。とはいえ鉄道敷設の件は今年中になんとか決めたいところだからね。これからが正念場だよ」
グローゴルド侯爵がやっかいでねとクロードさんは深いため息をつきながらワインを呷った。
「グローゴルド侯爵はいつもお父様の邪魔ばかりしてますわね」
「アンジーがセドリック殿下と婚約してからひどくなったんだよ。うちの力をなんとか削ぎたいんだろうね。うちの領地最大の穀倉地帯を分担するルートを主張し続けるのは嫌がらせもあるだろうけれど。おかげで話がちっとも進まない」
どうやら、この国ではこれから鉄道が走るようになるらしい。話に出てくる貴族の名前を後で調べようと頭に叩き込みながら、ステーキを頬張る。
三人の話を聞きながら黙々と食事を進めていたら、クロードさんと目が合った。
「アンジー、貴族名鑑の暗記は順調かな? 今の話で出てきた貴族のことはもう覚えたかい?」
「ええっと、あの、すみません、まだこれから……」
申し訳なさでぼそぼそと答える。
グローゴルド侯爵は侯爵だからもうそろそろ登場するはずだ。伯爵は……だいぶ先な気がする……。貴族名鑑は偉い順に載ってるからね。
「貴族名鑑……? あなた、アンジーに貴族名鑑を渡したのですか?」
「え? そうだけど、だめだったかい? デビュタントまでに覚える必要があるだろう」
縮こまっていると、ミリアーナの声がした。いつもより低い声だ。顔を上げるとミリアーナさんが給仕係を部屋から出したところだった。クロードさんはきょとんとしている。
「確かに出席する貴族の名前は覚えないといけませんけどね、あんな余計な情報ばかりのものを渡してどうするのです。この子はアンジーじゃないのですよ。全部覚えろだなんて無茶でしょう」
「私はあれを何年もかけて覚えたのですよ、お父様……」
ミリアーナさんとシェリルちゃんは呆れたと言うような顔でクロードさんを非難している。
そして、クロードさんと私はたぶん同じ顔をしていたと思う。
ええ〜〜? そうなんだ〜〜? って顔。
結局、クロードさんとミリアーナさんで最低限覚えるべきリストを作ってもらえることになった。現当主の名前とか、家族構成とか、領地の場所とそこの特産品とからしい。
多忙すぎるクロードさんのお仕事を増やすのは申し訳ないけれど、あの辞書みたいな分厚い本を覚えなくていいと思うとほっとした。
家族だけの内緒話が終わって、ベルを再び鳴らして食事を再開する。
貴族名鑑の暗記という一番しんどいものがなくなって、ごはんがより美味しく感じた。ミリアーナさんにお説教されてしまったクロードさんはちょっとしょんぼりしてたけど。
まあ………クロードさんは私と接する機会が一番少ないので、アンジーちゃんができたことを私もできると思ってしまうのは仕方ないんじゃないかなと思う。
デザートにチーズケーキが出てきておいしさに頬を緩める。シェリルちゃんと目が合って微笑みを交わした。
***
闇に溶け込んだ屋敷の中をこそこそ移動して庭に出る。今日こそは花の芽が出ているはずだ。
月明かりにぼんやりと照らされた花たちを眺めながら、いつもの場所にたどり着く。きょろきょろと辺りを見回すもジェイクはいなかった。ジェイクの部屋にあかりが灯っているのを確認して、小石を拾う。
窓にヒビが入ったりしないかな? と緊張しながらその明かりの漏れる窓に向かって投げた。3回投げたところでようやく窓にこつんと当たる。そうすると、すぐにカーテンが揺れてジェイクが顔を出した。彼はふっと微笑んで頭を下げ、また部屋の中に消えた。
「こんばんは、お嬢様。うまく当てられたじゃないですか」
「こんばんは、ジェイク。3回目でやっと当たったんだよ」
ぷうっと拗ねるとジェイクはくすくす笑った。
この石を投げる合図は前回ジェイクに提案されたものだった。声を出して呼ぶとジェイクの家族に迷惑だし、ご令嬢が大きな声を出すなんてはしたないってなっちゃうし、ジェイクが偶然気づくのを待つというのはジェイクが落ち着かなくて良くない。だって雇用主のお嬢様を待ちぼうけさせるわけにはいかないって私が来ない日でも外を気にしちゃうもんね。
当てられるか心配だったけれど、なんとか当たってよかった。なかなか当たらないし窓を傷つけたり壊したりするのも心配だし、もうちょっといい方法があるといいんだけどね。
「お嬢様の花を見に来たんですよね」
「そうそう。そろそろ芽が出たかなって」
ジェイクと並んで植木鉢を覗き込む。カンテラの明かりで照らされた植木鉢の中では、小さいけれど力強い双葉がすっくりと顔を出していた。
「わ、出てきたねぇ」
「ここからどんどん葉が出て大きくなっていきますよ。楽しみですね」
「うん、楽しみ! どんな花だろう……。いつ頃咲くの?」
「だいたいデビュタントの頃ですよ」
「そうなんだ。じゃあこのお花と一緒に私もがんばるね」
ジェイクと目を合わせてにっこり笑う。
デビュタントに合わせて咲く花を選んでくれたことが、応援してくれていると感じて嬉しかった。
「お嬢様ならきっと大丈夫ですよ。私もお嬢様の晴れ姿を拝見できる立場だったらよかったんですが」
庭師ですから舞踏会には出られなくて残念です、とジェイクは少し寂しそうに微笑む。私も悪戦苦闘しているのをたくさん話しているので、上手になったでしょ! と披露できないのは残念に思う。
「すっごく素敵なドレス作ってもらってるから、それだけでも見てほしいな。出発前の玄関とかで、ちらっとでも! 無理かな……?」
「うーん……時間にもよりますが、正門まわりの仕事に当たれば馬車に乗る前のお姿を拝見するくらいはできるかもしれません。調整してみますね」
「うん! 何時かわかったらすぐ教えるからね」
ドレスはひらひらでふりふりでほわほわで、大人っぽいけどすっごい可愛いんだよ! メアリがデザインしてくれたの! と私が粗末な語彙で語るとジェイクは優しい目をしてうんうんと聞いてくれた。




