23話 ふたりの夜
2時間程度お話した後、セドリック殿下はお帰りになった。私は私室に戻ってメアリの淹れてくれた甘いお茶を飲みながら一息つく。
お茶会ではセドリック殿下が優しくにこやかに話を振ってくださるおかげで少しずつ緊張がほぐれて、最後の方には楽しく話すことができた。公爵家はお菓子もごはんもとってもおいしいという話をたくさんしてしまったので、なんだか食いしん坊に思われた気もするけど。
王宮への訪問、緊張するけれど楽しみだな。知らない人ともきっとたくさんすれ違ったりするのよね? もう少しアンジーちゃんっぽく振る舞えるように練習しないと。
* * *
夜になって屋敷が静まり返ったところで、私はまたこっそりと部屋を抜け出した。一昨日まいた種の様子を見に行こうと思ったのだ。昨日は見に行けなかったけれど、今日は芽が出てるかな。まだかな。うきうきそわそわしながら庭のアーチをくぐって奥へ進んでいく。
ジェイクの家の前に着いたけれど、今日は誰もいなかった。2階の部屋から明かりが漏れているから、もしかしたらジェイクはまだ起きているのかな? お父さんのトーマスさんやジェイクのお母さんのお部屋かもしれないけど。
そんなことを考えながらぼんやり明かりを見ていると、カーテンが揺れて顔を出した人物と目が合った。ジェイクだ。お互いに驚いて目を丸くした後、彼は微笑んでから頭をぺこりと下げて部屋の中へと消えた。
その後すぐに部屋の明かりが消える。そして、玄関からジェイクが姿をあらわした。
「こんばんは、アンジェリカお嬢様」
「こんばんは、ジェイク。おとといに植えたお花が気になって、来ちゃった」
言いながら、花の芽が出るのをそわそわ待つだなんて少し子供っぽいかなと恥ずかしくなって目をそらす。ふふふ、と温かい笑い声が聞こえた。
「夕方に見た時にはまだ芽は出ていませんでしたが、見てみましょうか。こちらです」
そう言ってジェイクは植木鉢の並ぶエリアに案内してくれた。家の壁に沿うようにたくさん並んだ植木鉢の中で、一番日当たりの良さそうな場所に置かれた植木鉢をジェイクはランタンで照らす。近寄って鉢を覗き込んだけれど、まだ茶色ばかりで緑色のものは見えない。
「うーん、まだみたいね」
「そうですね。あと2、3日くらいで芽が出るかと思いますよ。……せっかくいらっしゃったのですし、ホットミルクでも飲んでいかれますか?」
ジェイクの提案に私は喜んで頷いた。
「ねぇ、せっかくだから一緒に飲まない? ……あ、やらなきゃいけないことがあるんだったら遠慮なく断ってくれて構わないんだけど」
緊張しながら誘ってみると、彼は喜んでくれたように見えた。雇い主の娘に誘われたらどれだけ嫌でも断れないかもしれないと思って慌てて後半の言葉を付け足したけれど、嫌じゃないなら嬉しいな。
ここに来ると、なんだか話を聞いて欲しくなってしまう。最初は一人になりたくてこんな庭の奥深くにまで来ていたのにね。
ほどなくして、ジェイクはいつものホットミルクを二つ持ってきた。納屋から出してきた年季の入った簡素な木の椅子と、いつもの私の椅子を並べて座る。二つの椅子の間には、人一人分の隙間が空いていた。
「いただきます」
そう言ってミルクをひとくち口に含む。いつもより少し甘い気がした。
横を見るとジェイクもマグカップを傾けていた。一口飲んで、首を傾げてこちらを見る。照れくさそうに、ちょっと砂糖を入れすぎてしまいましたねと笑った。
「そう? いつものも好きだけどおいしいよ」
へらりと笑ったあと、あ、と手で口を抑える。
「……また口調が砕けすぎてたわ。お嬢様らしくないわね、ごめんなさい」
訓練の成果でだいぶ自然にお嬢様っぽく優雅な口調で話せるようになったと思っていたけれど、気を抜くともともとの口調に戻ってしまう。アンジーちゃんはこんなふうに喋らないはずだよね……。
「ここではお嬢様の話しやすいようにしてくださって大丈夫ですよ。だれも叱りません」
ジェイクは不快そうな顔を一つも見せず、目を細めて微笑んでいる。翡翠色の目がランプの柔らかな明かりで照らされて、キラキラして見えた。
「ありがとう」
なんだか気恥ずかしくなって目を逸らして手の中のミルクを見る。ふうっと息を吹きかけると、湯気がゆらゆらと広がった。
「そういえば、さっきはなにをしてたの?」
「ああ、今日父や先輩方に教わったことをノートに書きつけていたんです。見習いは卒業したと思ってましたが、まだまだ覚えなきゃいけないことがたくさんあって」
「ジェイクはお父さんが庭師長でずっとここで育ったんでしょ? それでもまだ勉強が必要なの?」
「ずーっと勉強ですよ。花ひとつひとつ、それぞれ違いますからね。子供の頃から手伝ってはいましたけれど、子供にできることは限られてましたし、まだ知らないことばかりですよ」
そこから、ジェイクは少し自分のことを話してくれた。12歳の頃に正式に見習いになって、16歳の去年に晴れて見習いを卒業して庭師を名乗れるようになったのだそうだ。職人になる平民は大体このように誰か職人の見習いになって、16歳から大人として扱われるんだって。貴族も12歳くらいから男の子は学校に通うらしいし、16歳で社交界デビューだから一緒だね。
「ジェイクはもう大人の一員なんだね。私ももう後少しでデビュタントだけど、不安でいっぱい。今日は殿下がお越しになって一緒にダンスを練習したんだけれど、緊張してなかなかうまくいかなくて」
「お嬢様は毎日ダンスの練習を頑張っていらっしゃるんでしょう? 焦らなくてもきっと大丈夫ですよ。メアリさんとは踊れるようになってきたとおっしゃっていたじゃないですか」
そうなんだけど……、と私はぼそぼそ言いながらカップに口をつけた。
殿下と上手に踊れないのは私が変に異性だと意識してしまってるからだ。だってしょうがないじゃん、男の人とそんなに密着することなんてこれまでなかったし。貴族のお嬢様ってずっとずっと箱入りで男の人と接する機会なんて全然ないのにみんな何も意識せずに初対面のよく知らない男の人と踊れるのかな、すごいな。
そういったことをカップの中の水面を眺めながらぶつぶつ言っていると、ジェイクはくすくす笑った。笑わなくてもいいじゃない、とむっとして彼の顔を見ると予想外に優しい目をしていて、慌ててカップに視線を戻す。
「そういえば、緊張したときは人のことを芋だと思えばいいと聞いたことがあります。殿下とのダンスの時もそう思えばうまくいくかもしれません」
たしかに、人前で発表するときとか人をかぼちゃだと思えとかじゃがいもだとか、なんか聞いたことあるけど……きらきら王子様なセドリック殿下がじゃがいも……?
想像しているうちにおかしくなってきて、私も笑ってしまった。静かな夜闇の中ふたりでくすくすと笑い合う。
「ふふふ……想像したらおかしくなっちゃったけど、人前でそれ言っちゃだめよ、きっと不敬罪になるもん」
「もちろん言いませんよ。お嬢様もこれは秘密で」
ふたりとも同じように唇に人差し指を当てて、またくすくす笑い合った。




