21話 ふたりの花 〜ジェイク視点〜
その夜もお嬢様は温室前に姿を見せた。
こんばんは、と儚げな笑みを浮かべて声をかけてくれる姿は、夜にひっそりと咲く小さなリリィのようだ。
ミルクをあたため、ミリスティカを擦り入れる。いつものマグカップに注ぎ入れようとしたところで、小鍋がマグカップに当たってふちが欠けてしまった。
「まいったな……」
他に家にあるマグカップは自分含め家族が日常的に使っているものだ。他にもどこかにはしまってあるんだろうけど俺は知らない。母さんはもう寝てるし……。
覚悟を決めて今日買ったマグカップを使うことにした。
それとなく……さりげなく……変に意識してる感じを出したらダメだ……。
お嬢様にホットミルクを手渡すと、すぐにカップが違うことにお気づきになられた。
「マグカップ、新しくしたの?」
「家の片付けをしていたら新しいマグカップを見つけたのでお嬢様専用にしてみました」
なんてことないように自然に、さらっと。
うまくできたかはわからないけど、お嬢様は少し気恥ずかしそうにしただけで嫌がる素振りはなくてほっとする。
その後のお嬢様は大変だった。
昨日俺が新しい花を作る実験をしていると言ったことで興味を持たれたらしく、俺が配合中の土を平然とお触りになる。
お嬢様の綺麗な手が汚れる……!
冷や汗をかきながら慌てて阻止したけど、お嬢様は好奇心でキラキラした目をしながらあれこれと質問を続けてくる。
いつもの物憂げな表情から楽しそうな様子に変わったのが嬉しくて、つい花を育ててみるかと提案してしまった。
花開くような笑顔に思わずこちらもつられてしまう。
お貴族のお嬢様が手ずから花を育てるなんてちょっと眉をしかめられるかもしれないけど、でも、色々しんどくてもちょっとした楽しみがあったら頑張る気力になるだろ。
花が育っていくのを楽しみにしてつらい日々を乗り越えてもらえたらと思った。
俺はちょっと怒られるかもしれないけど、これだけお嬢様が楽しそうにしてくれるなら、まあいいかなって。普通の女の子ならそんなに興味を持たないような園芸の話をキラキラした目で聞いてもらえて、たぶん、結構嬉しかったんだ。
翌日、案の定恐ろしい形相の父さんに「思い上がるな、勘違いするな」と地の底を這うような声で念押しされた。
怒鳴られなかったのは多分、ほとんどお嬢様がご所望になったのを俺が叶える、みたいな状況だからかな。どこまで話している内容がバレているのか知らないけれど。
万が一俺がお嬢様をたぶらかしたなんてことになったら、俺の首じゃなく一族全員の首が飛ぶことになるだろう。物理的に。そう考えると父さんの態度は仕方ないと思える。身分の違いも理解せず思い上がった馬鹿息子のせいで一族が滅ぶとか絶対に避けたいもんな。
まぁお嬢様とどうにかなりたいなんて夢にも思ったことないけど。平民と貴族のお嬢様が結ばれるだなんて、最近流行っているらしい大衆演劇みたいな作り話の中くらいだろ。
俺はひとつため息を吐いてから、これからやるべき仕事に気持ちを切り替えた。
今日もお嬢様がお越しになる予感がして、花の種や土を用意し、使う道具をきれいに洗って拭き上げる。そうこうしていると、静かな闇の中から、ゆっくりと硬いブーツの底が土を踏む音が聞こえてきた。
「こんばんは、ジェイク」
お嬢様は風にもてあそばれる艷やかな金の髪を抑え、はにかむような笑顔をこちらに向けた。きっと花の妖精が姿を見せたらこんな姿なんだろうな。
「こんばんは、お嬢様。お越しになるかと思って準備しておきましたよ」
そう言って微笑み返すと、予想されていたのが恥ずかしいのかさらに照れたように目を逸らしてお嬢様は笑った。
「ほんと? 早いのね、ありがとう。どんな花かしら」
「それは咲いてからのお楽しみに。どんな花が咲くか想像しながら育ててみてください」
準備していた植木鉢や用土の前にお嬢様を誘導すると、お嬢様は一瞬のためらいもなく俺の横にしゃがみ込む。距離の近さに緊張しながら俺もしゃがむと、どうやるの? とお嬢様が好奇心に満ちた目でお尋ねになった。
「まずは植木鉢の底に小石を敷いて、その上に土を入れます」
俺がやるのか、お嬢様がなさるのか、悩む間もないほど早くお嬢様の手が動く。
「あ、少しお待ちください。手袋を――」
納屋から探し出してきた新品の小さめの手袋をお嬢様に手渡すと、お嬢様はありがとうと笑みを浮かべて手袋をつけた。一番小さいものを選んできたけど、お嬢様にはそれでも大きいらしく指の先が余っている。
「ふふふ……これでメアリにバレて怒られる心配はなくなったわ」
全部バレバレなはずですよ、なんて無粋なことは言わないでおく。
お嬢様が見守られているのお知りにならないということは、メアリさんがきっとお嬢様には知らせない方がいいって判断したってことだろうし。
お嬢様は小石をひとつひとつ手に取って鉢の中に入れていった。それが終わると土をハンドスコップで少しずつ入れていく。
作業をしながら、お嬢様がぽつりと漏らす。
「いつもね、ふっとした拍子にいろんな不安がぶわーって頭の中に溢れてきてね、胃がぎゅうっとなるの。シェリルちゃんに何かあったみたいで心配だとか、セドリック殿下が明後日お越しになられるけどちゃんと対応できるかなとか、そもそも……こんな状態でデビュタント大丈夫かな、とか。そんな時、花瓶のお花を見るとちょっと落ち着くの。お花って素敵よね。いつもありがとう」
「いえ……わ、私の届けた花がお嬢様のお心を慰めているだなんて、光栄です」
お世辞かもしれない。でも、心臓が変な鼓動を打つくらいには嬉しかった。
「ジェイクのお手製のホットミルクにもすごく助けられてるわ。飲むとぽかぽかして、怖い夢をみなくて済むの」
お嬢様は紅玉のような目を細めて微笑む。
こちらを見ないでほしい。褒め殺しみたいな状況で、さすがに冷静ではいられない。自分がどんな顔をしているか分からない。
「き、今日も終わったらお入れしますね……」
「えぇ、ありがとう。ねぇ、ジェイク。土はこれくらいでいい?」
「は、はい。ええっと次は――」
このあと自分がどうしたか、動転しすぎてあまり記憶にない。
ただ、お嬢様が手ずから花の種をお蒔きになった植木鉢が家の前にひっそりと置かれているから、この夜のことは夢じゃなかったのは確かだ。




