19話 お変わりになったお嬢様〜ジェイク視点〜
俺にとってアンジェリカお嬢様は、ごく稀に見かける綺麗な気高いお姫様、という印象だった。
春の初めから夏の終わり頃までご当主一家はこのタウンハウスに滞在されるが、花に興味がないらしいアンジェリカお嬢様は庭にはほとんどいらっしゃらないので姿をお見かけする機会は少なかった。
奥様や妹のシェリルお嬢様に連れられてたまにお茶をしていらっしゃる姿をお見かけするか、屋敷の正門周りの生垣の手入れをしている時に馬車に乗り降りなさる姿をお見かけする程度だったのだ。
アンジェリカお嬢様から侍女経由で叱責されてしまったと暗い顔で使用人仲間が話しているのはよく聞いたから、怖い方なんだなと思っていたけれど、自分と関わる機会はそうそうなさそうだったからどこか他人事だった。
庭師が花に興味のないお嬢様と関わる機会なんてデビュタントの装飾用のステラリリィの準備くらいだし、それは庭師長の父さんが威信をかけて育てているから俺にはなにも関係なかったんだ。
だから、アンジェリカお嬢様が倒れられて記憶を失われたと噂になっても、へー、大変そうだなぁくらいにしか思わなかった。
なのに、記憶を無くされたアンジェリカお嬢様は人が変わったように花を好むようになられた。
最初に花をご所望になられた時にたまたま一番近くで作業していた庭師が俺だったから、不手際がないように細心の注意を払いながらご所望のフィーリアを摘み取って、怒られませんようにと祈りながら届けたことをよく覚えている。
その2日後だったかな。コンサバトリーで父さんとキトルスの木の剪定をしていたところにアンジェリカお嬢様がお越しになられて、届けた花についてお褒めの言葉をいただいた。
庭師長の息子とはいえただの一庭師に過ぎない俺はご一家の方々と直接言葉を交わす機会なんてなかったから、あの時は頭が真っ白だったけれど、アンジェリカお嬢様が噂より柔和で気さくだったことに安堵した。父さんはお嬢様の様子にしきりに首を傾げていたけれど。
この時までは、お嬢様がご結婚なさって家を出られるか花に飽きられるまでの間、花を届ける仕事が増えただけとしか考えていなかった。
仕事が終わった後、散らかり放題でずっと気になっていた納屋の片付けをして清々しい気持ちで外に出ると、温室前に置かれていた作業用の椅子に女の子が座っているのが見えた。
夜も遅い時間だったので幽霊か!? と思わず叫んでしまったけれど、俺の叫び声に顔を上げたその女の子は、涙で顔を濡らしたアンジェリカお嬢様だった。
まだ夜は肌寒いのに、アンジェリカお嬢様はネグリジェにレースのショールを羽織っただけの、思わず飛び出してきましたと言わんばかりの姿で、これはいけないと慌てて家の中から毛布を引っ張り出してきて渡した。……けれど、毛布が大きすぎるせいかアンジェリカお嬢様はうまく羽織れないようだった。
周りを見渡してもお付きの人はいなさそうだ。いたらこんな姿で外には出さないだろうが……。俺は覚悟を決めて、目をそらしながらお嬢様に毛布を羽織らせた。 明日冷静になったお嬢様に激怒されませんように……!
警備の万全な公爵家の庭とはいえ、夜にお嬢様を一人でいさせるわけにはいかない。人知れず泣きたくてこんなところまでお越しになったであろうお嬢様には悪いけど、屋敷にお戻りになるまでは見守らせていただく。せめてもとお嬢様が視界の端にぎりぎり入るくらいに離れて適当に何か作業しているふりをした。
「あの、これ、ありがとう。そろそろ帰るね」
しばらくするとお嬢様がそう言って綺麗に畳んだ毛布を差し出してきた。
肌寒いから羽織ってもらったまま屋敷までお送りしようか……と一瞬考えたが、ほぼ初対面の異性の使用人がそれを申し出るのは躊躇われてそのまま毛布を受け取る。
「はい。おやすみなさいませ」
「うん、おやすみなさい」
凛とした強いお嬢様だと思っていたけれど、記憶をなくされて不安になられているんだろうか。お貴族様には俺にはわからないような大変なことも色々あるだろうけど、泣いて少しはすっきりしただろうか。ゆっくりおやすみになられるといいな……。
そんなことを思いながら、屋敷の方へと戻っていくアンジェリカお嬢様の後ろ距離を開けてついて行き、屋敷の中へ入られたのを確認した。おひとりにして、もし何かがあったら大変だからな。
「――ジェイク」
ほっと力が抜けたところに、背後から急に声がかかって飛び上がった。心臓をばくばく言わせながら振り返ると、そこには無表情にこちらを見つめる、侍女のメアリさんがいた。
「め、め、メアリさんいらしたんですね……」
「当然でしょう。……今日のところはいいでしょう。くれぐれも思い上がったり勘違いしたりしないように」
「しません!」
びしっと直立不動で答えると、凍てついた目をしたメアリさんが頷き、お嬢様の後を追うように屋敷の中へと入って行った。
思い上がるってなんだ……。相手はアンジェリカお嬢様だぞ……。そりゃあ素晴らしく美しい方だけど、公爵家のお嬢様で、王子様の婚約者で、将来は王妃になられる予定の方だぞ……。俺とは生きている世界が違う。勘違いなんてするはずがない。
そもそも、きっと夜にアンジェリカお嬢様がお庭に来られるのはこれっきりだろう。ひとりになりたかっただろうに、俺がいたせいでひとりになれなかったんだから。
俺はそう思っていたけどメアリさんはそうは思わなかったらしく、毎日あの椅子に布を敷いておくようにとの指示が出た。
一週間くらいしたらもうやらなくてもいいかなぁと思いながら毎日布を変え続けて4日目。
またアンジェリカお嬢様がお越しになった。
メアリさんの予想が当たったのだ。格好もずいぶんと暖かそうな服装になっている。
多分メアリさんがどこかから見てるんだろうから見守りは不要だろうと思って、アンジェリカお嬢様のことは気にせず作業を続ける。お嬢様にとっても、俺がずっと視界の中にいるよりは気にせず作業している風にしていた方が気が楽だろう。
黙々と自分の仕事をこなしている間にアンジェリカお嬢様はお帰りになられたらしい。座っていらっしゃった椅子に姿がない。
俺はほっと息をついた。
これくらいの距離感ならアンジェリカお嬢様も気が楽だろうし、誰かに見られてあらぬ疑いをかけられることもないだろう。お嬢様の不興をかってクビになる心配もしなくて済む。
……まあ、ここに泣きに来るほどの悲しいことがなくなって、もうここに来なくなる方がいいなと思うけど。
そう思っていたけれど、アンジェリカお嬢様はほとんど日を置かずにまたお越しになった。
その日は早く仕事を終えていたけれど、気温がいつもより低かったから実験用温室の温度調整のために備蓄庫に石炭を取りに行こうと家の扉を開けた。そうしたらいつもの温室の前にアンジェリカお嬢様がいらっしゃった。
目が合ったので頭を下げてから石炭を取りに行き、バケツにどっさり石炭を詰め込んで戻ってくると、冷たい風にお嬢様が凍えていた。暖かい服装だったけど、今晩の冷気には耐えられなかったらしい。これはいけないと慌てて温室の中にお嬢様を招く。
いいの? と聞かれたけど多分良くない。ガラス張りで中の様子が外から見えるとはいえ夜に室内に招き入れるなんてきっと怒られる。
でもお嬢様が凍えているのに無視なんてできない。そんな薄情な人間にはなりたくなかった。
どうせ怒られるのならもういいやとホットミルクも作ってお出しした。お貴族様のお口には合わないだろうし、きっと色々警戒してお飲みにはなられないだろうけど、手で包んでいれば温かいかなと思ったんだ。
ホットミルクを渡すだけ渡して、何もやましいことはありませんとアピールするように俺は温室の外に出た。
メアリさん見てますか? お嬢様が凍えてたから対応しただけで、それ以上のことはなんにもないですからね!
意外なことに、アンジェリカお嬢様はホットミルクを全て飲んだらしい。おいしかったと言われて、お世辞なのは分かっていても配慮を受け取ってもらえたことにうれしくなる。
また冷えないようにと俺の予備のコートを差し出すと、それもお嬢様は受け取ってくれた。
お嬢様が立ち去ってしばらくしてから屋敷のほうへと向かうと、扉のすぐそばに丁寧に畳まれたコートが置かれていた。さらに丁寧なことに汚れないように布の上に置かれている。
布ごと拾って家に帰りながら、今日のやりとりを思い返した。
ずっとアンジェリカお嬢様のことを気のきついお貴族様だと思っていたけれど、少なくとも俺がここ最近で感じた印象は真逆だ。どこか弱々しくて儚げで、使用人にも過分すぎるくらいに気を遣って。
お嬢様がつらい思いをなさっているのは記憶をなくされたせいなのか、俺には考えの及ばないお貴族様の悩みのせいなのか分からないけれど、俺はただの一使用人ながら、お嬢様がどうか憂いなく過ごせるようになったらいいなと思った。
あと2話ジェイク視点が続きます




