18話 庭師のお仕事
一度軽く頭痛がしただけなのに心配したメアリに早めに寝かしつけられる。こういう時のメアリは笑顔だけど有無を言わさない感じで逆らえない。
ベッドの中でしばらく大人しくした後、耳を澄ませて隣の私室に誰もいなくなったことを確認する。
音を立てないようにそっと静かに着替えて寝室を、そして私室を出た。
***
庭に出て、甘い花の香りの混じる冷たい空気を胸いっぱいに吸い込んだ。連日ダンスを何時間もしているせいで、足が勝手にステップを踏む。
一人だとだいぶ滑らかに踊れるようになってきたと思うんだけど、二人で組んで踊るとなると全然勝手が違って難しい。今日の散々なダンスを思うともっと練習したかったけれど、メアリをたくさん蹴ってしまうのでどうしても遠慮してしまう。
……なんだか何もうまくいってないな。
足を止めて、ため息をついた。
とぼとぼと歩き続けて、いつもの場所に着く。
そこでは、昨日と同じようにランタンの光の下で、ジェイクがこちらに背を向けてしゃがみ込み土を混ぜていた。
私の足音に気づいたジェイクが立ち上がってこちらを振り返る。
「こんばんは、ジェイク」
「こんばんは、お嬢様。お飲み物はいかがですか?」
柔らかい微笑みを浮かべてそう提案されて、私は頷いた。ジェイクは手や服に付いた土を払って、少々お待ちを、と言って家に入る。私は夜の指定席になった椅子に座り、木々のさざめきを聞きながら待っていた。
少し待つと、ジェイクがスパイスの香るホットミルクを持ってきてくれる。
「お待たせしました。どうぞ」
「ありがとう。……あら? マグカップ、新しくしたの?」
渡されたマグカップは、これまでのシンプルな白色のマグカップではなく、ころんと丸い形の小花模様のものだった。可愛い形だけど、大きくてたっぷりミルクが入っている。
「家の片付けをしていたら新しいマグカップを見つけたのでお嬢様専用にしてみました。なので、これからも遠慮なくどうぞ」
「そうなの……。ありがとう」
専用のマグカップを用意してもらえて嬉しいのと同時に、しょっちゅうここにミルクを飲みに来ていることや、それを少し申し訳なく思っていることを見透かされているのが恥ずかしくて、顔を隠すようにうつむいてマグカップに口を付けた。
熱いホットミルクをゆっくり飲みながら、ジェイクの持つハンドスコップが土を掬う音を聞く。
マグカップの中が半分くらいになったところでジェイクに声をかけた。
「ねぇ。それは昨日の続き? 実験をしているって言ってたわね」
「はい。これは新しい花用の土を作っているんですよ」
「ふぅん。そのまま植えてはだめなの?」
「いろいろな土があるのですよ。例えば水はけが良い土だとか、逆に乾きにくい土だとか。花によって好みがあるので花ごとに変えてやらないといけません。あと、肥料も混ぜないと元気な花が咲かないんですよ」
ジェイクの側には土の入った袋がいくつも置いてある。私の座っている位置からは見えないけれど、話からするに袋の中身はそれぞれ違うみたい。ジェイクは手に持ったスコップでそれぞれの土を掬って大きな木の箱に入れ、その中で混ぜ合わせている。
いつも届けられる花たちはどんな風に育てられているんだろう。気になるけど、あまり突っ込んで聞くのはお嬢様らしくない気がする。
悩んで、昨日の彼の言葉を思い出す。今の私が良いって言ってくれたよね。それに、明日になったら全部忘れてるって。
私は程よく冷めてきたミルクをぐいっと飲み切って立ちあがる。
マグカップをそっと椅子の上に置いて、作業しているところへ近づいた。
「お、お嬢様、汚れてしまいます」
ジェイクが少し慌てたような声を出したけれど、気にせずすぐ近くまで寄る。
「一番たくさん入れてたのはこれね」
「……はい。これはこの庭の土です。乾きにくい土ですね」
「こっちは? 砂?」
その隣の袋の土は白っぽくてさらさらしている。公園のお砂場の砂みたい。
「そうですね。水はけをよくするために使います」
「この黒いのは?」
さらに隣の別の黒っぽい土の入った袋を指さして尋ねる。
「これは葉を発酵させたものですよ。土を軟らかくして通気性をよくするためのものです」
「ほんとだ、葉が入ってるわね」
触ってみると確かに少し葉っぱの欠片が残っていて、しっとりした土だ。
触れた瞬間にジェイクがあっ! と声を上げて焦った様子を見せている。お嬢様は土触らないのかな……うーん……触らないんだろうな。爪に土が入らないようにだけ気をつけよう。きっとメアリに怒られる。
「こっちは?」
次の袋を指さすと、ジェイクは慌てて腕を伸ばして私の手が袋に伸びるのを遮った。
「これは触っちゃだめですからね! ……馬の糞を発酵させたものです」
「へぇ、意外と臭くないのね。どういう効果があるの?」
「さっきの葉っぱの土と効果は似ているんですが、これを少し混ぜると花が元気に育つんです。……こっちは骨の粉、あと一つは暖炉の灰です。両方花を大きく元気に育てるための栄養ですよ」
次々と興味津々に質問したせいか、苦笑いで残りも説明してくれた。
「花の栽培にご興味がおありですか」
彼が桶に汲んできてくれた水で手を洗っているとそう尋ねられた。口調は咎めたりからかうような気配はなくて優しい。
「そうね、歴史や貴族の名前を覚えるよりも今の話の方がずっと面白いわ。こうやって土の配合を調整してるから、あんなに綺麗でいきいきとしたお花が咲くのね。……実際の庭師さんのお仕事となると、楽しくて面白いばかりじゃなくてきっと苦労も多いのでしょうけれど」
「ははは、そう言ってもらえると嬉しいですね。庭師の仕事は力仕事ですし、地道な作業が多いですから大変なのは大変ですけど、私は楽しいですよ」
そう言うジェイクの表情は誇らしそうだ。
こんな夜更けにまで自主的な実験の作業をしているんだから、そりゃあ好きで楽しいんだろう。
自分のやるべきことに誇りと熱意を持って取り組んでいる姿はなんだか眩しかった。
「天職ってやつね。……いいなぁ」
うっかり心の声が漏れてしまった。せっかく楽しい雰囲気だったのに、湿っぽくなってしまう。
「……よろしければ、何か植えてみますか? ご自分の植えた種がどんどん育っていくのを見ると、良い気晴らしになるかもしれません」
「……いいの?」
「もちろん。どんな花がいいですか?」
「うーん……じゃあ、元気いっぱいなお花がいいわ。見たら頑張ろうって元気になれるような」
「かしこまりました。次にお越しになる時までに準備しておきますね」
ジェイクは緑の目を細めて柔らかく笑った。つられて私も口角を上げる。楽しみだな。




