14話 寒い夜のホットミルク
夜になり、メアリにまたしても寝かしつけられた私は、メアリが部屋からいなくなるとこっそりベッドから抜け出した。
暖かいショールに包まって深呼吸する。今日はいつもより気温が低い。でも、その冷たい空気が心地良い。
またふらふらさまよった挙句に温室前まで来てしまった。だって椅子がここにしかないのだ。まあそりゃそうだよね。使用人が庭で休憩することなんてないだろうし、公爵家の誰かがお庭でお茶をするなら使用人の人たちが毎回椅子や机を持ってくるもんね……。
今日は誰もいないらしい。椅子の上でお行儀悪く体育座りをして、ぼんやりと揺れる木々を眺める。
貴族の生活は想像してたよりもずっと息苦しい。
豪華で美味しい食事がおなかいっぱい食べられて、素敵なドレスを着て、全てのお世話を侍女さんたちにしてもらって……何不自由のない生活なのに、ずっと人に見られているから気が抜けないし、部屋の中は何もかもが豪華できらびやかなことが逆になんだか落ち着かなくてどうにも疲れてしまう。
そこにお作法やダンスの練習、国内の貴族の暗記とやらなければならないことがたくさん加わって、正直すごくしんどい。
きっとアンジーちゃんならなんとも思わずこなしていただろうし、シェリルちゃんもイヤだわと言いながら普通にこなしているけれど、私は辞めてしまいたい、逃げ出してしまいたい、と考えてしまう時がある。
今課されている課題の全てで、私のふるまいが、私の存在が、すべて間違いだと言われているような気持ちになる。……アンジーちゃんとしては間違いなんだろう。でも、私が苦手なことも当然出来ると期待され、一挙手一投足、発言のひとつひとつまで指摘されると、私の存在すべてがダメなんじゃないかと思ってしまう。
アンジーちゃんが見つからなかったらずっとこの生活なのかな。見つかって体を返すことが怖かったけれど、今はアンジーちゃんに体を返せないことも怖い。
返せなかったら私がアンジーちゃんとしてそのうち王妃になるの? そんなの嫌だし、そもそもきっと無理。私が教えられているのはデビュタントの1日を乗り切るための最低限の術だけで、国の頂点に立つための教育を受けているわけじゃないもんね。
考えているうちにどんどん気が滅入ってくる。
眠くならないけど、寒くなってきたしそろそろ帰ろうかな……。
そう思ったところで、目の前にある家の扉が開いた。ジェイクだ。彼は私と目が合うと、頭を下げて家の裏に回っていった。
ぴゅうっと冷たい強い風が吹く。
うぅ……さむい……。思わずぎゅっと目をつむって身を縮こまらせた。
「お、お嬢様。あの、風邪を引くといけませんから、よろしければこちらにどうぞ」
ジェイクの緊張を隠しきれない声を聞いて目を開ける。いつの間にこっちに来てたのかな。彼の手で温室の扉が開かれて、暖かい空気が漏れ出していた。
「入ってもかまいませんの?」
「……大丈夫ですよ。どうぞ」
間が気になる。大丈夫じゃないんじゃない?
とはいえ暖かな空気は魅力的だった。気が引けながらも温室に入ると、体が芯まで冷えていたことに気づく。むしっとした空気が今は心地良くて、ほっと一息ついた。
ジェイクは温室内の作業台にランタンを置くと、私が座っていた椅子を中に運び込んでくれる。
「ええっと……少しお待ちくださいね」
そう言ってジェイクは温室から出ていくと、扉の外に置いていた石炭入りのバケツをがしゃがしゃと鳴らして急ぎ足で家に戻っていった。
ごちゃごちゃした温室内の植物をぼんやり眺めているとジェイクが戻ってきた。
「あの……よろしければどうぞ。持ってるだけでも温まりますよ」
そう言って差し出されたのはマグカップになみなみと入ったホットミルクだ。なんだかスパイスのような香りもする。
ジェイクは私がマグカップを受け取ると、私は外にいますねと言って外に出ていった。壁がガラス張りになっているから、護衛のように扉のそばでこちらに背を向けて立っているのが見える。
寒い外に立たせていることに申し訳ない気持ちになりつつ、マグカップを両手で持ってそっと口をつけると砂糖の入ったミルクの甘さとほんのりスパイシーな香りが口の中に広がった。初めての味だけれど、結構おいしい。
飲み進めるうちに体の中からも外からも温まってぽかぽかしてくる。そうなると今度は眠気がやってきた。
そろそろ帰ろうと、空になったマグカップを持って温室の外に出る。
「ありがとう。とってもおいしかったわ」
マグカップを渡すと、ジェイクは少し驚いたような、でも嬉しそうな笑顔を見せた。
「もうお帰りになられますか?」
「そうね。ホットミルクのおかげで眠くなってきたし」
「ではこれを着ていってください。私の予備のコートで申し訳ないですが、また冷えたらいけませんから」
ジェイクが腕にかけていたコートを差し出してくる。ありがたいけれど、私は受け取るのをためらった。
「うーん……ありがたいけれど……着て帰ったら夜に抜け出してあなたに会ったってメアリにばれちゃうわ」
今日ももしかしたら部屋を抜け出していることはばれているのかもしれないけれど、男性と密会していると誤解されるのは非常にまずい。醜聞だ。コートをどこかに隠せたらいいのかもしれないけれど、どこに隠したら見つからないのかなんて分からないし……。
「あーそうですね……では、庭の出入り口近くに置いておいてくださりますか。また取りに行きますので」
「んー……。じゃあそうするわね。ありがとう。おやすみなさい」
ここまで言ってくれているのに無下にするのも悪いなと思い、優しい微笑みと共に差し出されたコートをありがたく受け取った。
「はい、おやすみなさい。良い夢を」
屋敷へ入る扉の側でコートをきれいに畳む。さっきまで座っていた椅子に敷かれていた布を地面に敷いて、その上にそっとコートを置いた。
コートのおかげで布団にもぐるまでぽかぽか暖かくて、いつもより安らいだ気持ちで眠りについた。




