第九話:良薬は苦し
呼び出すと、ハクシカ薬舗の主人はすぐに現れた。
丸い男だった。顔も腹も丸く、声まで妙に丸い。薬草商というより、砂糖菓子の箱に描かれている丸いキャラクターのような顔をしていた。太い指には宝石のついた指輪が食い込み、爪は綺麗に磨かれていた。
「殿下。何か手違いがございましたでしょうか?」
「手違いであれば、助かります」
僕は分銅を卓上に置いた。
ことん、と音がした。小さい音なのに、この薬草備蓄庫ではよく響いた。
「この十キロの分銅、実際には九キロしかありませんでした」
ハクシカ薬舗の主人は瞬きをした。
上手い瞬きだ。驚いた顔を作るのに慣れている。そんな印象を受けたが、指摘せずそのまま続ける。
「それは、備蓄庫側の備品ではありませんか?」
「はい。ですので、あなたのせいだとは、まだ言っていません」
まだ、を少し強めに言った。
主人の丸い頬が、ほんの少し固くなる。
「ですが、納品された月華白草は明らかに古いです。上等乾燥葉としては香りが弱く、茎の中が粉を吹いていました。さらに、検収では二十キロとありますが、偽刻印の分銅を使った場合、実量は十八キロです」
「薬草は乾燥で目方が変わりますから」
「契約書をご確認ください。乾燥後の正味重量で契約しています」
「木箱の重さがありますから」
「正味重量で契約しています」
ハクシカ薬舗の主人が、ほんの一瞬だけ嫌な顔をした。
「殿下。薬草の質は、専門の薬師でなければわからないのではないですか?」
「セオ薬師長に確認してもらいました」
「薬師長は、第三妃様のご容体を案じるあまり、少々厳しく見ておられるのでは?」
ハクシカ薬舗の主人の言葉に、薬師長の手が震えた。
僕はそれを見て一瞬カッとなりかけたが、なんとか耐えた。少しだけ長めに息を吐いた。
「では、別の薬師にも見てもらいましょう。南市の施療院に、ここに納品されたものと月華白草があるはずです。ハクシカ薬舗は、宮廷だけでなく施療院にも同じ品を納めていますね」
主人の丸い目が見開かれた。
「どうして、それを」
「請求書の束に同じ荷印がありました。搬入日も、荷車番号も同じです」
エスメラルダに頼み、施療院や宮廷にもハクシカ薬舗からの薬草の納品がないか、確認に走らせていた。ハクシカ薬舗の納品書には、鹿の角の先に小さな点が三つ打たれている。結果、宮廷向けにも施療院向けにも、同じ点があるのはエスメラルダが確認済みだ。さらに搬入日は同じ日の朝。荷車番号も同じ。同じ荷から分けた証だということまでわかった。
施療院に納めた薬草が同じ質であるなら、病人にも効かないだろう。
母上だけではない。
僕は、その事実が思ったより嫌だった。
「ハクシカ薬舗からの全ての商品の納入を一時停止します。備蓄庫の分銅はすべて再検査、月華白草は別商会の在庫を緊急手配する形で補充してください。セオ薬師長、南市の施療院へも同じ薬草を回していただけますか」
「殿下、施療院分までとなると、相当な金額になります」
「それに関しては、帝室の夜会用香油費を削って補填します」
エスメラルダが僕を見た。
「また夜会費からですか?」
「薬は必要ですが、夜会は香りがなくてもできます」
ハクシカ薬舗の主人が、そこで膝をついた。
「お、お待ちください! 私はただ、宰相府の物資備品管理局から紹介を受けただけで、分銅のことまでは……」
また物資備品管理局か。
机の次は薬草だ。机の時より、はるかに腹が立つ。
「では、その紹介状も提出してください」
「そ、それは……」
「紹介を受けたんですよね? であればその証明として、紹介状を提出してください」
主人は口を閉じた。
丸い顔から、血の気がどんどん引いていく。
◇ ◇ ◇
【薬草備蓄庫の噂話】
「聞いたか? 第三皇子殿下、薬草の重さまで量り直したらしいぞ」
「十キロの分銅が九キロだったとか」
「怖いな。秤まで疑うのか?」
「だが、施療院にも上等な薬草を回したらしいぞ」
「じゃあ、怖いけど、ありがたいな」
「あの方が来てから、十キロが本当に十キロになったらしいぞ」
「当たり前だな」
「言われてみたらそうだな」
◇ ◇ ◇
夕方、母上の部屋に薬湯が運ばれた。運んできたのはメイド長のカリナだ。
新しく買い直した月華白草は、まだ少量しか届いていない。帝都内の別商会が抱えていた在庫をセオ薬師長がかき集めたのだ。
その薬湯は、昨日よりも香りが強かった。青臭い香りの奥に、渋みが潜んでいる、そんな匂いだった。
母上はベッドの上で、椀を両手に持った。
「今日の薬湯は、香りが違いますね」
「薬草を変えました」
「ヴィル、あなたが?」
「僕は帳簿を見ただけです」
母上は笑った。薄い笑みだったが、気のせいか以前よりほんの少しだけ顔色が良さそうだった。
「ヴィル」
「はい」
「無理を、していませんか?」
母が心配そうな瞳で僕を見つめた。
僕は返事に困った。無理はしている。しているに決まっている。だが、ここで母上にそれを言うのは違う気がした。
「まあ、相見積もりの範囲内です」
母上は少し首を傾げた。
エリーゼがベッドの横で、ひょっこりと顔を出した。
「お兄さま、それ、だいじょうぶってこと?」
「まあ、だいたい」
「じゃあ、だいじょうぶってはっきり言って」
妹は時々、恐ろしく正しい。
「大丈夫です」
僕は母上とエリーゼに向かって言った。少しだけ嘘っぽかった。
母上もたぶん気づいた。だが、追及はしない。ただ薬湯を一口飲んで、息を吐いた。
「苦っ」
母が眉に皺を寄せた。その表情が妙にリアルで、エリーゼがぱっと笑った。
「きいてる? ねえ、おかあさま、きいてる??」
「ええ。とても効きそうだわ」
「じゃあ、にがくてもだいじょうぶね」
母上が少しだけ困った顔で笑った。
「そうですね。苦くても、いいですね」
エリーゼが僕を見た。
「お兄さま、けちなのに、おくすりは買うの?」
「必要なものは買いますよ」
「じゃあ、けちって、買わない人じゃないんだ」
妹はまた、さらっと真理を口にした。
「違いますよ、たぶん」
その一言で、朝から胸に残っていたものが、完全になくなった。
◇ ◇ ◇
監査局へ戻ると、机の上に書類が一枚増えていた。
エスメラルダがそれを手に取り、僕に向かって差し出した。
「物資備品管理局より、抗議文です」
「早いな。内容は?」
「殿下がハクシカ薬舗との取引を止めた件について、手続き違反だと」
「手続き違反?」
僕は抗議文を読んだ。
文面は丁寧だった。逆に丁寧すぎて、回りくどい。丁寧すぎる文章は、だいたいが遠回しに相手を非難している。相手を小馬鹿にしているのだ。
末尾には、物資備品管理局の署名。その隣には、見慣れた副署があった。
ワイドアウト宰相。
僕は蜂蜜菓子の缶から木炭を取り出し、新しい台帳の端に小さく書いた。
【帝室物資備品管理局】
【机】
【薬草】
【分銅】
それらを丸で囲ってみる。
ばらばらの要素が一つの円の中に収まった。
「殿下」
エスメラルダが言った。
「口元が」
「どうしました?」
彼女は少しだけ黙った。
「楽しそうに、見えました」
僕は台帳を閉じた。どうやら、また笑っていたらしい。
「楽しくはありませんよ」
楽しくはない。
母上の薬が薄められていた。施療院にも同じものが納品されていた。机の横流しとは訳が違う。命に関わることだ。笑って済ませられる話ではない。
なんとなく、相手の輪郭が見えた気がした。
「僕は臆病なので、今わかっていることを把握しなおしただけです」
エスメラルダは、しばらく僕を見ていた。それから、僕の机の端に小さな紙包みを置いた。
「またですか」
「休憩用です」
「また私費ですか」
「はい」
案の定、中には蜂蜜菓子が二つ入っていた。僕はそれを見て少しだけ笑った。
「経費で落とせませんよ」
「承知しています」
「なんで二つなんですか?」
「殿下の分と、エリーゼ様の分です」
「エリーゼのは、直接渡してあげてください」
「私が渡すより、殿下が渡した方が喜ばれますので」
気遣いが細かい。でも、悪くはない。
僕は紙包みを缶の蓋の上に置いた。明日、エリーゼが来たら見つけるだろう。これなあに、と聞いたら、エスメラルダからのプレゼントだと言おう。
彼女の喜ぶ顔を想像すると、どうしても口元がにやけてしまう。
その前に、物資備品管理局の台帳を見なければならない。
僕はペンを持った。
今日も出ずっぱりだった。
引き籠りへの道は遠い。




