第八話:軽い分銅
薬草備蓄庫は、宮廷の西棟地下にあった。
石の階段を下りるほど、空気がひんやりと冷たくなる。乾いた草に古い木材、そして少しだけ甘い蜜の匂いがした。子供の頃の僕なら、きっと逃げ出していただろう。今の僕の背後には、頼もしい護衛の女騎士がいる。不思議と、怖くなかった。
前世で地方工場の倉庫監査に回された時も、ここと似たような階段を下りた記憶がある。違うのは、あの時は帰りの終電を気にしていて、今は処刑台を気にしていることだ。冷静に考えて、状況は悪化している。
備蓄庫の入口で、薬師長が待っていた。
線の細い老人だった。白い髭を腰元まで垂らし、片手に小さな銀の匙を何本も持っている。母上の薬湯を調合している薬師で、僕の顔を見るなり、まず頭を下げ、それから僕の後ろに立つエスメラルダを見て、さらに小さく頭を下げた。礼儀正しい人は好きだ。
「薬師長のセオと申します。第三皇子殿下、お手数をおかけして申し訳ございません」
「確認依頼は、月華白草の補充費でしたね」
「はい。北嶺産の月華白草、乾燥葉で二十キロ。金貨二千七百七十七枚でございます」
数字を聞いただけで、胃が少し重くなる。
「高いですね」
「はい。高い薬草です」
「高い薬草でも、端数まで七で揃う必要はありません」
セオ薬師長は目だけを伏せた。
何か知っている顔だった。だがそれは、悪事を働いている側の顔ではない。現状に困っている表情のように見えた。
「薬湯の効きが落ちています」
セオ薬師長の声が、自然と低くなった。
「ルナフレア様にも同じ薬草を使用しております。量は増やし、煎じる時間も変えたのですが、どうも香りが薄い」
母上の名が出た瞬間、喉の奥が乾いた。
エスメラルダが一歩前に出た。僕の横に立ち、セオ薬師長を見下ろす。
「現物を見せてください」
◇ ◇ ◇
月華白草は、三つの木箱に分けて保管されていた。
箱を開けると、銀色がかった細い葉が束になっている。見た目だけなら悪くない。乾いた葉は軽く、指で触れると、カサカサと音がした。
僕は薬草に詳しくない。なので、知った顔はしない。知った顔で間違えると、監査はだいたい死ぬ。
「セオ薬師長。この薬草は上等品ですか?」
「葉の色だけなら」
「色だけなら?」
薬師長は一束を取り、手に持った銀の匙の先で茎を割った。中から乾いた白い粉がこぼれる。
「本来、北嶺産の月華白草は、茎を割ると青い香りが立ちます。ですが、これは乾きすぎている。古い葉を、表だけ整えた可能性が高い」
「使えませんか?」
「使えなくはありません。ですが、効き目は、良くて半分以下です」
半分以下。
母上の薬湯代は、第三皇子宮の医薬費としてきちんと毎月計上されていた。帳簿上は足りている。むしろ「北嶺産の月華白草は相場が上がっている」として、昨年よりも高い予算が動いていた。
だが、届いた薬草が品質が悪いのなら、話は別だ。
帳簿上は支出済みでも、母上の体にその効能は届いていない。
腹が立った。
ただ、腹を立てても帳簿は何も変わらない。
「契約書を見せてください」
薬師長が書類箱を開けた。
僕は契約書、納品書、検収記録を並べた。契約書にはこうある。
【北嶺産月華白草、上等乾燥葉、正味二十キログラム】
納品書にも、同じく二十キログラム。
検収記録にも、二十キログラム。
問題はない。
問題ないが、何かが引っ掛かる。
「重さを測る秤はどれを使いましたか?」
「あちらの台秤です」
備蓄庫の隅に、荷受け用の古い台秤が置かれていた。木箱ごと載せるための平たい台がついている秤だ。分銅は木箱に入っているが、一つだけ布に包まれていた。
僕は布を開いた。
【10kg】と刻まれた分銅だった。表面は黒く塗られているが、欠けた端に、青白い金属の色がのぞいていた。
「この分銅は、いつから使っていますか?」
「二年ほど前からでございます。古い分銅に欠けが出たため、物資備品管理局から新しいものが回されました」
二年。二年も、薄められた薬草を母上に飲ませていたというのか。
「……下、殿下」
エスメラルダの声で我に返る。ダメだ。落ち着け、落ち着くんだヴィルヘルム。
僕は大きく深呼吸をする。空気が悪いことを忘れたので少しむせた。
「すみません。使われている分銅は、これが全てですか?」
「主にこの十キロの分銅二つで確認しています」
「昔の分銅はありますか?」
「新しいものと交換で、今はおそらく、帝室倉庫の方に」
「取ってきます。少々お待ちください」
僕が彼女の方を振り向く前に、エスメラルダは備蓄庫を後にした。ものの五分で木箱を抱え戻ってきた。
「ああ、これですこれです。ありがとうございます。十キロの分銅はありませんが、他は全て揃ってますね」
薬師長は、エスメラルダが持ってきた木箱の中から分銅が入ったものを取り出す。どれも薄汚れているが、刻印は読み取れた。
「セオ薬師長。まずは今の分銅で、月華白草を二十キロ、量ってみてください」
薬師長が台秤に納品された薬草の束を載せた。平台が沈む。【10kg】刻印の分銅を二つ置く。釣り合った。
量った薬草をそのままにして、二つの分銅を下ろす。
「次はその、古い分銅を使ってください。十キロは欠けているので、【5kg】を三つと、【1kg】五つを乗せてください」
僕の指示通りに、薬師長が分銅をさらに乗せる。最初に一キロを五つ、そのあとに五キロを三つ置いた。
「え……」
台秤が、分銅の方に傾いた。
「予想通りだ」
僕は独り言のように呟いた。
「これは、どういうことでしょうか」
エスメラルダが尋ねた。
「分銅の方が重い、ということです」
僕は事実を述べる。乗っているのは五キロ三つに一キロ五つ、計二十キロで間違いない。
「次に、薬草を下ろして、空いた平台に今の【10kg】の分銅を二つ乗せてください」
薬師長は呆然として動けずにいた。僕は代わりに薬草を下ろし、十キロの分銅を二つ乗せる。
結果は、古い分銅、五キロ三つに一キロ五つの方が傾いた。
「……同じ二十キロのはずなのに」
薬師長が絞り出すように言った。
手袋をつけたエスメラルダが、分銅を手に取った。右手に十キロ、左手に五キロ二つを、それぞれの重さを確かめるように手のひらに乗せ上下させる。
「どうですか?」
「右の方が若干軽いです。一キロほど」
「測ってみましょう」
エスメラルダが十キロの分銅を平台に乗せ、もう片方に五キロ一つと一キロ四つを乗せた。台秤はぴたりと均衡を保った。
「さすが、ぴったりですね」
今使われている十キロの分銅と、古い分銅を組み合わせた九キロ分が、同じ重さになっていた。
僕は朝の武器棚の件を思い出していた。エスメラルダの予備の剣だ。
見た目を似せても、使う金属が違えば、重さは変わる。
それにしても、一キロの違いをぴたりと当てるのはすごい。
「おそらくですが、今使ってる新しい方の分銅は古い方と違う金属を使ってる、もしくは中身が空洞です」
僕の言葉に、薬師長の顔色が変わった。
エスメラルダが分銅を机の上に乗せ、剣の柄でそれぞれを叩く。五キロの方は鈍い音がして、十キロの方は軽い音が返ってきた。
「空洞の説が強くなりましたね」
エスメラルダが言った。
僕も手袋をして、分銅を手に取った。十キロの分銅一つを持ったあと、五キロ二つを手に取る。明らかに重さが違った。
納品が二十キロ、実質は十八キロ。
足りない薬草二キロ分の代金が、どこかに消えている。
「ですが、薬草そのものも古いのですよね?」
エスメラルダが言った。
いい視点だ。彼女は最近、発言の質が上がっている気がする。監査向きだ。困る。賢すぎる護衛だと、僕の逃げ道がなくなってしまう。
「そうです。重量をごまかした上に、品質の等級も落としている。二重の詐称です」
僕は納品書の商会名を見た。
ハクシカ薬舗。
机の件とは別口だが、数字の匂いが似ていた。
宮廷の不正は、なぜこうも形を変えて僕の前に現れるのか。
「この薬草、買い直しをお願いします」
「予算は……」
「別途、通します。ただ、同じ商会からは買いません」
「よろしいのですか?」
「効かない薬を買う予算はありません。ですが、効く薬を買う予算なら潤沢に用意可能です」
言ってから、少しだけ恥ずかしくなった。
正論が不意に口から出ると、聞いている自分が恥ずかしくて死にたくなる。
エスメラルダは何も言わなかった。ただ、僕の横で、小さく頷いた。
「エスメラルダ、ちょっとお願いがあるんだけど」
「何なりと」
僕は気になっていたことを確認すべく、エスメラルダに耳打ちをした。




