第七十六話:それはもう、あれだ
「〇・一トン、差分がありますね。金貨の枚数は変わらないのに」
「そうなんです。数字として〇・一なのですが、単位はトン……キログラム換算すれば、百キロです。看過できる数字ではありません。このようなものが、様々な品目で多々ありまして」
「なるほど」
よくある話ではある。商取引において、輸送中の商品の破損、目減り、手数料の計上方法の違いによって、双方の記録に差分が生まれることが稀にある。もちろん、単純な記載ミスの場合もあるし、何者かが意図的に数字を変えている場合もある。手渡された帳簿は厚さ二センチはあるだろう。これが全て【数字が一致しない事例】であれば、かなりの量だ。
「輸送記録との照合は?」
「もちろん。ただ、一部で複数の商会や輸送機関を経由する取引を行っており、その追跡が困難なものが多く」
「困難でも、一つ一つ確認していくしか方法はないですね」
「ごもっともです」
「そもそも、そのような一つの案件に対して複数の関係者を経由する取引を行うこと自体が、根本的な原因なのでは?」
「おっしゃる通りです。長年に渡る取引の弊害、としか言いようがありません。ですが、それはまた別の問題です」
確かに、彼のいう通りだ。帳簿の不一致と取引の構造に関しては分けて考えるべきだ。なぜか、壁際のエスメラルダが深い頷きを繰り返していた。
僕は書類を一枚一枚ペラペラとめくる。連邦とはいえ、一つの国との取引でこれだけの不備があるのだ。この不備に気づき、まとめるだけでも相当な業務量だろう。
「この書類は、どなたが?」
「えー……。ここにいる三名で、まとめました」
ルシルギルが、両隣に座るチョウとカイに視線を向けて言った。僕は思わず、両手で向かい合う三人の手を取り、彼らの目をまじまじと見つめた。
「お疲れ様でした。これは相当、大変だったでしょう。地味で根気のいる作業です」
「ええ。あ、ありがとうございます」
さきほどまで無愛想だったチョウとカイが、動揺した表情でお互いに顔を見合わせていた。
「我が監査局で働き……」
「殿下」
僕がそう言ったのと同時に、エスメラルダが嗜める。
「はい?」
「あ、いえ。何でもありません」
ルシルギルらが首を傾げた。流石に他国の外交官を引き抜くのはまずい。外交問題になる。
「事情はわかりました。で、僕は一体、何をすればいいのでしょうか?」
そう言いながらも、僕はもう自分の役目は終わったと結論付けていた。数字はあっていない。だが、これは連邦側と帝国側の担当者がそれぞれの資料を持ち寄り、一つ一つ順番に確認していくしか方法がない。地道だが、それが一番の解決策だ。遠回りに見えて、それが一番早い。
「殿下には、現地で帳簿の確認を行っていただきたいのです」
「は?」
現地?
「いや、帳簿なら今、確認しましたよね」
「はい。こちらは写しになります。殿下には現地で原本の確認をお願いしたく」
「ちょっと待ってください。現地ってあれですよね、カルカウディア連邦のことですよね」
「もちろん」
「ここから?」
「はい」
「僕が?」
「はい。殿下に、我がカルカウディア商業連邦に来ていただきたいのです」
なるほど。それはもう、あれだ。出張だ。
「申し訳ないですけど、僕が行く必要はないと思いますよ」
僕は手にしていた帳簿を閉じ、机の上に置いた。
「丁寧にまとめていただいた写しは拝見しましたし、写しでは不十分だからというのであれば、こちらに取引帳簿の原本を送っていただければ済む話です。持ち出せない事情があるのであれば、正確な写しを作ってお持ちください。我々で対応します」
そう言って僕は机に座るエルヴィスを見た。エルヴィスは立ち上がり、何度も大きく頷いた。
「殿下がおっしゃられることは、ごもっともでございます。ですが、商業連邦という国家体制であるがゆえの問題がございまして」
「と言いますと?」
「我が商業連邦は、大小百を超える複数の商業都市や小国により構成されています。数百年前に通貨の統一は実現しておりますが、それぞれに独自の商業ルール、取引記録の管理法がありまして。原本を帝都に持ち込むとなると、関係する大小百の都市と国家に、承認を得なければなりません」
その数を聞いて、僕は気が遠くなる。途方もない作業だ。一国でも承認を得られなければ、全てが水泡に帰す、嫌な仕事だ。
「それならば、写しで構いません」
「写しは写しで、厄介でございまして。写しでは、万が一記載ミスがあった場合の責任の所在を問われます」
「それは連邦側の責任、でいいのでは?」
「連邦が責任を取る、ということは連邦が新しい商業ルールを形成するのと同義です。そうなると、いらぬ軋轢が生まれてしまいます」
「なるほど」
面倒だ。実に面倒だ。いや、外交とは本来こういうものなのだろう。生活も文化も違う複数の都市や国が集まっている以上、摩擦は生まれる。これが一つの国であればまだマシなのだろうが、相手は連邦、それも損得勘定が強い商業連邦ときている。そう考えると、貨幣統一は奇跡に近い所業だ。一体だれが、どのようにして実現したのだろうか。あとで図書館に行って調べてみよう。いや、今そんなことはどうでもいい。
「だからといって、僕がカルカウディア商業連邦に赴き、帳簿を確認する必要はないと思います。申し訳ございませんが、この案件は監査局だけで判断できる内容ではありません。帝国の外務殿を通じて、正式な協議を行うことをお勧めします」
そうだ。面倒だからといって、その面倒を僕がこうむる必要はどこにもない。
「もちろん、外務殿にも相談済みでございます。相談したところ、第三皇子殿下が帝室会計監査局の監督官として、近年数々の不正を明らかにされているとお伺いしまして」
あ、なんか嫌な方向に話が進み始めたな。




