第七十四話:何度も言わせないでください
自室を出たところで、エスメラルダと目が合った。
「おはようございます、殿下」
「おはようございます」
まったく気づかなかった。いつも僕がぐうたらと監査局に行かずにいると部屋まで呼びに来ていたのだが、今朝はまだ始業の二時間前だ。僕は彼女が来る前に業務を開始しようと思っていたので、思わず面食らってしまった。
「あの、いつからそこに?」
「たった今です」
嘘だと思ったが、証拠がない。だが、僕の勘だと絶対にもっと早くからここにいた。
「あまり早く来てもらわなくても大丈夫ですよ」
「ですから、今来ました」
「嘘はやめましょう。これからは」
昨夜、僕はエスメラルダに秘密を打ち明けた。前世の記憶があること、そして、僕が近い将来に処刑されるであろうことを。もちろん、彼女が僕の話全てを理解できたとは思っていない。そもそも異世界転生だのゲームの世界だのという概念を、この世界の人に説明すること自体難しい。逆の立場なら、間違いなく僕は理解できないし、信じることもできないだろう。
だが、エスメラルダは僕の言葉を信じてくれた。僕を守ると言ってくれた。
「で、いつからいたんですか?」
「……夜明け前からです」
エスメラルダは表情を変えずに言った。
「流石にそれは早すぎます。次からは、そうですね。早くてもこの時間で、着いたら必ずノックして僕を呼んでください」
「……承知しました」
返事は素直だが、態度が少し反抗的だった。
「何か不服でも?」
「いえ。なんでも」
なんでも、という割には納得していない様子だった。まあ、ここで押し問答してもしょうがない。
出勤の挨拶に、母の部屋を訪れる。いつものように、エリーゼとカリナと他のメイドたちがいた。
「それではみなさん、行ってきます」
「気をつけて。働きすぎないようにね」
「お兄さま、いってらっしゃい」
「いってらっしゃいませ」
いつもの朝の日常だ。
「あ、そうだ。お兄さま」
部屋をあとにしようとしたところで、エリーゼに呼び止められる。
「あさって、おしごとおやすみだよね?」
「ええ。今日明日出れば明後日はお休みです」
「さっき、おかあさまとカリナとはなしてたんだけど、おかあさまのちょうしがいいから、あさって、ひがしのみずうみのほとりでピクニックしたいなって」
「へー。それはいいですね」
改めて母上を見ると、確かに顔色がいつもよりいい。母上のそばに立つカリナも、微笑みながらゆっくりと頷く。
「きょう、おいしゃさんにかくにんしてからだけど、おいしゃさんのきょかがでたら、あさって、ピクニックいきたい」
「わかりました。楽しみですね」
「わーい! じゃあ、やくそくね。ゆびきりげんまん、うそついたら、カリナのナイフのーます」
「なんか、恐ろしい指切りですね……」
彼女たちの笑顔を見ていると、こちらまで元気になる。
今日も早く帰るとエリーゼに約束させられ、僕とエスメラルダは母上の部屋を出た。
「殿下、昨日のお話の件ですが、一つ確認しておきたいことがございます」
監査局に向かう途中、エスメラルダが小声で尋ねた。
「殿下はこの世界を、殿下がいた世界のゲームだとおっしゃいました。そして殿下は近い将来、処刑されるのですよね?」
エスメラルダがきちんと僕の話を理解していて驚いた。
「ええ。そうです」
「それがわかっているのであれば、これから何が起こるかの予測もできるのではないですか? 私が言いたいのは、何か、対策ができるのではないか、ということです」
「それが、僕はそのゲームの中でただの脇役でして」
「脇役?」
「ええ。名前はあるんですが、ただ、処刑されるだけの存在です。ゲームの主人公は別にいて、僕はそのゲームの物語を演出するためだけの存在で、途中退場すること以外、何もわかっていません。だから僕……第三皇子が誰と会ってどんな事件に巻き込まれたか、なんで処刑されることになったのかまでは、全くわからないんです」
「……なるほど」
一呼吸おいて、エスメラルダが言った。
「処刑に至るまでの具体的な経緯は、何もわからないと」
「未来が全部わかってるのなら、僕だってもっとうまく動きますよ」
「確かに、殿下ならそうなさるでしょうね」
エスメラルダはそう言うと、道の真ん中で立ち止まった。
「どうしました?」
「一つ、提案なのですが」
「はい」
「昨日殿下は、殿下一人が逃げてもルナフレア様とエリーゼ様がこの国に残ることになり、お二人の安全は全く保証されないとおっしゃいました。ですが、殿下と共にこの国から逃げる、という選択肢はないのでしょうか?」
「それは僕も考えました。ですが、仮に僕が母上とエリーゼを連れて国外に逃亡したとしたら、何が起こると思いますか?」
エスメラルダは立ち止まったまま、何も答えない。不意に何かに気づいたように僕の顔を見て、口を開いた。
「第三皇子は何かやましいことがあるから、母と妹を連れ、帝国を逃げ出した」
彼女は、正確に僕の懸念を言葉にした。
「その通りです。それこそ、僕を陥れようとしている黒幕の思う壺です。たとえ一時は逃げおおせても、黒幕は国外に追手を手配するでしょう。そうなれば、ずっと逃亡生活を送る羽目になります。僕一人ならまだしも、体の弱い母、まだ幼い妹に耐えられるはずはありません」
「……確かに、その通りですね」
そう言ってエスメラルダは、また歩き出す。
「エスメラルダ」
先に歩くエスメラルダを呼び止める。彼女は振り返り、「はい」と返事をした。
「昨日の僕の話、信じてるんですか?」
「何度も言わせないでください」
エスメラルダの雰囲気が変わったような気がした。
「すみません」
「謝らないでください。謝るのは、私の方です。浅はかな考えでした」
エスメラルダが深々と頭を下げる。
「ちょっと、やめてください」
「私がなすべきことは変わりません。殿下が処刑を回避するために身にかかる火の粉を払うように、私も殿下に及ぶ危険を一つ残らず排除いたします」
エスメラルダは、頭を下げたまま言った。




