第七十二話:助けてください
「え? え? ど、どういうことですか?」
明らかに動揺した様子のエスメラルダが、目を見開きながら尋ねた。
「そのゲームの中の演出で、僕たちは処刑されるんです」
「しょ、処刑は止められなかったんですか?」
「そういうイベント……演出だったんです。帝国の腐敗を象徴するための。罪状は帝国予算の浪費と軍費の横領です」
「箱庭遊びにしては、リアルですね」
「はい。だから僕は、戦々恐々としてるんです。このままだと、僕は処刑台に立たされてしまいます。そしてそれは、僕だけの問題じゃない」
「……ルナフレア様と、エリーゼ様も」
エスメラルダが絶句する。やはり、理解が早い。
「だから僕は、前世の記憶を取り戻してすぐに、経費を削ったんです。浪費が原因で処刑されるのだとしたら、浪費を止めればいい。横領が原因なら、横領しなければいい。そのために僕は、帝国の、この第三皇子宮の帳簿を開いたんです。それで処刑台への道を、回避できると思ったんです。ですが……」
「帳簿の不正が、次から次に現れた」
エスメラルダが、僕の言葉を繋ぐ。僕は頷いた。
「最初は、ヴィルヘルムは浪費家で横領をしたから処刑されたんだと思っていました。でも最近は違うんじゃないかと思ってます」
「どう違うのですか?」
「ヴィルヘルムは浪費家じゃなかった。誰かが、ヴィルヘルムを浪費家に仕立て上げていたんです」
エスメラルダがじっと僕の目を見つめ、話の続きを待つ。
「軍事費だって、僕が横領したんじゃない。僕の名前を使って、誰かが金を動かした。僕は、罪を犯したから処刑されたのではなく、僕を、僕たちを処刑するために罪が作られたんです」
ゲームの演出では、その結果しか描かれていない。僕が知っているのは処刑台に上がったヴィルヘルムだけだ。そこまでの道筋の詳細は知らない。おそらく、公式の設定資料にすら載っていないだろう。
「だから僕は、帳簿を調べています。経費を削減するためだけではありません。僕を処刑台に連れていこうとする人間を見つけるためです」
「それが、本当の黒幕、ですか?」
「そう呼んで構いません。一人なのか、複数人なのか……未だ、それすらも分かりませんが」
全部、僕の思い違いなのかもしれない。この世界が、前世で遊んだゲームに似ているというのは僕の頭がおかしいせいで、現実には僕は最初からこの世界の住人で、ただの浪費家の横領皇子だった。その可能性は否定できない。
それがある日、自分の未来を予見するような夢を見てから改心して、浪費も横領もしなくなった。結果、僕の処刑ルートはすでに回避されている可能性もある。
だが。
「僕だけじゃなく、エリーゼの名も使われ始めました。先ほど話したゲームの中では、エリーゼも僕の不正に関わったとして処刑されます。僕が知ってる未来では、彼女も処刑されてしまうんです」
未来を知っているつもりだった。だが、知っているのはその結末だけで、詳細までは把握できていない。だから、止め方がわからないのだ。僕は俯き、自分の掌をじっと見つめる。
「怖いんです。僕は、この世界に来てから、ずっと逃げたいと思っていました。監査役なんてやりたくないし、面倒なことには関わりたくない。前世では、朝から晩まで死に物狂いで働いて、そして文字通り死んだんです。だからせめて、生まれ変わったこの世界では、ゆっくりと自分の時間を大切に、好きなことだけを好きなだけやって生きていたい。僕一人なら最悪、この皇子という身分を捨てて国外に逃亡したら助かるかもしれない。けど、僕が逃げても、母上とエリーゼはこの国に残ります。彼女たちの未来……安全は、全く保証されません」
自分で言って、背筋に冷たいものが走る。母上とエリーゼだけではない。カリナやエルヴィスにまで、危険が及ぶ可能性がある。
「正直に言います。僕はもう、これからどうしたらいいのか、全くわからなくなりました。帳簿を見て不正を見つけ、それを正しているだけじゃ終わらない。それどころか、向こうから爆弾のようなものが送られてくるようになった。しかも、標的は僕だけじゃなく妹にまで及び始めた」
僕は、伏せていた視線を上げる。
「エスメラルダ」
「はい」
エスメラルダが僕を見る目は、真剣そのものだった。
「……助けてください」
口にした途端、恥ずかしさで顔に熱を感じた。ただ同時に、肩に感じていた何かが、ふと軽くなった気もした。
「僕一人では無理です。僕はどうなってもいい。ただ、母上とエリーゼだけは、絶対に処刑台にあげたくありません」
「それは、殿下の本心ですか?」
エスメラルダに言われてはっとした。自分の指先を見ると、微かに震えていた。
「……できれば僕も、死にたくない」
「そこはできれば、なのですか?」
エスメラルダが微笑んだ。僕は白状する。
「いえ。僕も、絶対に死にたくない」
「私の前では気取らないでいただきたい。思うがままを言っていただければ。私もそうしていますので」
「……信じてくれるのですか?」
僕が尋ねると、エスメラルダは微笑みを浮かべたまま首を傾げる。
「正直、殿下がいたというこことは異なる世界も、転生も、ゲームというものも、私にはよく分かりません。殿下の話の半分も、理解できていないかもしれません。ですが、一つだけ、はっきりしていることは分かります」
「……はい」
「少なくとも私にとって、殿下は血の通った一人の人間です。怖ければ怯えますし、疲れれば休みたいと言います。仕事よりも個人の欲求を優先されますし、妹君のためなら、多少の無茶をなさいます」
「……よくご存知で」
「事実ですので」
小馬鹿にされている。だが、いつも通りでむしろほっとした。
「そして、その事実だけで十分です。先ほど殿下は助けてくださいとおっしゃられましたが、元からそのつもりです」
「ありがとうございます。けど、いいんですか? エスメラルダ、あなたまで巻き込まれてしまいますよ」
「すでにもう、十分巻き込まれていると思いますが」
確かにその通りで、僕はぐうの音も出ない。
「殿下が知るそのゲームの中で、私がどのような役割でどのような最後を遂げたのかは知りませんし、知りたいとも思いません。ただ、私は、今、目の前にいるヴィルヘルム殿下、あなたをお守りいたします。もちろん、物理的な相手に対してのみ、になりますが。帳簿の方は引き続き殿下自身でお願いいたします」
「明確な役割分担ですね」
「適材適所です。剣の方も学ばれますか?」
「帳簿の方でお願いします」
「承知いたしました」
ふ、とエスメラルダが笑った。
「ですので、殿下はご安心ください。たとえ頭がおかしくなろうとも、私が殿下をお守りいたします」
「頭がおかしくなったとは思っているんですね」
「可能性の話です。理解できないものをそのまま信じるには、まだ情報が足りません」
「監査みたいな言い方ですね」
「この考えは、殿下から学びました」
とんでもない人に秘密を打ち明けてしまったのかもしれない。だが不思議と後悔はまったくなかった。
「殿下? どうされました?」
「……え?」
「急に目つきが」
「ああ、なんか、安心したら急に……」
◇ ◇ ◇
気がついたら、目の前にエスメラルダの顔があった。
いつの間にか、僕は意識を失っていたようだった。監査局内のベンチで、エスメラルダの膝を枕に寝入っていたらしい。
「す、すみません」
僕は跳ね起きると、開口一番頭を下げた。
「急に倒れられたのでびっくりしましたが、すぐに気持ちの良さそうな寝息を立てておられたので、そのままにしてしまいました」
「安心したら、急に眠くなって……」
「そうでしたか。よほど、気を張られていたのでしょうね」
そう言ってエスメラルダは僕のことを抱きしめた。
「エスメラルダ」
「これまでもそのつもりでしたが、改めて。私が殿下のそばにいます。いつ何時も、どんな危険が迫ろうと、私が殿下をお守りします。ですので、いつでも安心して帳簿をお開きください」
僕は何かを言おうとして、けど、そのぬくもりのせいでまた強い眠気に襲われてしまう。抗う気持ちすら起きず、僕はそのまま、その眠気に身を委ねることにした。




