第七十一話:殿下の秘密
「実のところを申しますと、ある程度の任務を終えたら、辺境に戻ろうと思っていたので」
エスメラルダが言った。初耳だった。
「じゃあ、何で」
「私がそうしたかったからです」
「は?」
「いつも私が、殿下に何を言っても、殿下は大抵、嫌な顔をされます」
「は?」
何だ? 悪口か?
「私は、思ったことが表情よりもまず声になって出る性格でして」
はい。それは存じてます。
「それが原因で、上官と揉めることが多々ありました。それに気づいてからは、極力自分の意見を言わないよう、無口になった時期もありました」
「そうなんですか?」
無口なエスメラルダを想像する。基本無表情なので、何を考えているのかわからなくて不気味だ。
「ですが、殿下の前では何を言っても大丈夫な気がしています。殿下は毎回、嫌そうな顔をして文句をおっしゃいますが、私を否定しようとも、黙らせようともなさいませんから」
エスメラルダが目を伏せた。僕はまだ、彼女が何を言いたいのか理解できていない。
「まあ、僕が悪いことの方が、多いですから」
素直な感想だ。そう言うと彼女は口角を少しだけ上げた。
「殿下の前では、私は私らしくいられるんです」
エスメラルダは上を向き、虚空を見つめた。
「父のことは尊敬しています。母のことも愛しています。父の期待には応えたいですし、母のことを想わない日はありません。ですが同時に、同じくらい、私は私の望む人生を生きていきたい」
エスメラルダの瞳は澄んでいた。僕は思わず、その瞳に吸い込まれそうになる。
「矛盾してますよね? 自分でもそう思います」
不意にエスメラルダが僕の方を向いた。視線が混ざり、僕は思わず背筋を伸ばす。
「以上が、私が抱える、私の中の一番の秘密です。父にも母にも、ここまで話したことはありません」
「今度は、殿下の秘密を聞かせてください」
僕は大きくため息を吐いた。どうやら転生バレではなさそうだ。安心して、気が抜けた。
「そうですか。なんだ、そんなことだったんですね」
僕がそう言った瞬間、エスメラルダが身に纏う雰囲気が一変した。
「殿下」
エスメラルダの視線が、氷のように冷たい。
「はい」
「今、なんとおっしゃいましたか?」
「いや別に、何も」
「そんなこと、と聞こえましたが」
「聞き間違いじゃないですか?」
「数キロ先の馬の足音もわかる耳なのですが」
エスメラルダが腰に差した剣が、奇妙な音を立てた。ような気がした。
「言いました。……本当に、すみません」
「私は、父にも母にも、一度も話していないことを、殿下に打ち明けたのですよ
?」
「はい、わかってます。ただ、僕が想像していたものが、酷すぎただけです」
「想像していたものが酷すぎた?」
エスメラルダは踏み込んだ。僕の心のうちを覗く代償として、自分の最もうちに秘めた思いを打ち明けてくれた。ここで誤魔化すのは、失礼だ。
今度は僕が、打ち明ける番だ。僕は念の為、監査局の扉の内鍵を掛けた。
「先に言っておきます。僕がこれから話すことは、偽りない真実です。ですがあなたは、僕の頭がおかしくなったと思うかもしれません。けど、僕は嘘をつきません」
「わかりました。殿下のお話を信じます。私も、嘘は苦手なので」
「本当に、嘘じゃありませんからね」
「はい。何を言われようと、信じます」
思いの外まっすぐな瞳で返され、僕の方が逆にたじろいでしまう。深呼吸をして、腹を決める。
「実は……僕は、この世界の人間じゃありません。正確に言うと、こことは別の世界で生きた記憶があって、それをある日突然、思い出したんです。僕はヴィルヘルムとしてこの国に生まれ、十七年間生きてきました。今の僕には、そのヴィルヘルムとしての記憶と、前世とも言うべき異世界での記憶、その両方を持ち合わせています」
「……二人分の人格が、殿下の中にある、ということでしょうか」
エスメラルダは逡巡したあと、そう返した。
「いえ、人格は一つで記憶が二つ、という方が正しいですね」
「なるほど。で、こことは別の世界の記憶というのは、どのようなものなのでしょうか?」
「まず、この世界よりも文明が発達した世界でした。ただ、魔法は存在しません。それに、皇族でもなかったし、普通のサラリーマンで経理をやっていました」
「サラリーマン?」
「あー、そうですね。ここで言う、役人、いや商人ですね。商会の経理係、みたいな」
「なるほど。ヴィルヘルム殿下の記憶に、その異なる世界で経理をしていた商人の記憶が、今の殿下、ということですね」
理解が早すぎて逆に困る。
「それだけでは、ないですよね?」
エスメラルダのその言葉に、僕の背筋に冷たいものが走った。勘が良すぎて怖い。この人が味方で良かったと、心の底から思った。
「はい。それはまず、前提です。僕は異世界の記憶を持ち合わせた転生者で、最近になってその記憶が戻ってきました。問題はそんなことよりも、その異世界とこの世界の繋がりです」
「繋がり? それは……この世界とその異なる世界を繋ぐ、国境のようなものでしょうか?」
「物理的な繋がりではありません。その異世界には、ゲームという……そうですね。ここでいうところの、遊戯盤に空想の物語を加える遊び道具があるんですが、それとこの世界が、そっくりなんです」
エスメラルダの表情は、いまいち理解できていない様子だ。
「ええと、あ、箱庭があるじゃないですか。この帝国とこの大陸を模した馬鹿でかい箱庭を作って、そこに小さな人形を実際の人物のように配置する。それを自由に動かして、帝国を再建し、その後大陸統一を目指す、という遊びです」
「面白そうですね」
エスメラルダの雰囲気が明るくなる。よかった。何とか通じたようだ。
「その箱庭ゲームの内容が、この国の状況と瓜二つだったんです。国の名前も同じで、父上も兄上も、その護衛騎士も登場します。もちろん、僕もいました」
「殿下が主役のゲーム、ということでしょうか?」
「僕はただの脇役です。いや、脇役どころか、物語の途中で退場します」
「退場?」
「処刑されました。僕だけじゃなく、母上とエリーゼも」
「えええ⁉︎」
エスメラルダがいきなり甲高い声を上げた。




