第六十八話:何でもありません
エスメラルダが外出してから、すでに三時間が経とうとしていた。
「父と少し話をしてきます」と言って出て行ったのですぐに帰ってくると思うのだが、彼女がここを出る前に僕に告げた言葉が、どうしても頭から離れない。
『殿下が抱える秘密について、お話ししたいことがあります』
彼女は確かにそう言った。僕が抱える、秘密について。
「秘密って何のことだろう」
「……はい?」
向かいの席で書類を整理していたエルヴィスが顔を上げた。
「あ、いえ、何でもありません」
心の声が漏れていた。僕は目の前の書類に視線を移す。机の上には、先ほどの金貨箱に関係する書類が積まれている。今回の真相を、誰がどの段階で僕に六千八百枚もの金貨を送ると決めたのかを、見定めなければならない。
だが、一枚目の書類を読み始めてすぐに、またエスメラルダが発した「秘密」という言葉に意識が移る。
秘密と言われ、思い当たる節がある。
その❶:僕がこの世界とは別の世界の記憶を持つ、異世界転生者だということ
この世界自体が、僕が前世でやり込んだRPG『プラチナ・レガリア』の世界だということ。そして、ゲームの中の僕・第三皇子ヴィルヘルムは、三年後に母上と妹エリーゼもろとも処刑されるということ。
これ以上の秘密があるだろうか。
そう思ってからすぐに、そんなことはないと思い至った。
エスメラルダは、僕の前世について知る方法がないのだ。僕が転生者だということは誰にも話していないし(ルドルフ第一皇子には少し漏らしてしまったが、特に気にも留めていないだろう)、何か書面に書いたこともない。寝言で『プラチナ・レガリア』と口走っていた可能性までは否定できないが、それだけで僕が転生者だと見抜かれることは、まずないだろう。仮にそうだったとしても、変な夢を見た、と言えば解決する話だ。
それならば、
その❷:僕が黒幕らしき人間を探していること
だろうか。
これは確かに、気づかれていても不思議ではない。エスメラルダは、僕が経費削減をして偽の印章、オーバールック橋、軍糧庫、商会、魔術院と調査を進めていった過程をずっと間近で見ていた。以前も確か、僕が恐れているのは罪が露見することではなく、誰かに罪を着せられることだ、と指摘された記憶もある。
その理由を聞きたいだけなら、今日の事件を理由に説明できる。誰かが僕たちを陥れようとしているのではないかと疑っている。その説明で、十分彼女に伝わるだろう。
そう。僕が転生者だということは話す必要はない。話したところで、頭のおかしいやつだと思われるだけだ。
そう考えて少し安心したところで、別の可能性に気づいた。
もしも、
その❸:エスメラルダも転生者
だとしたら?
そんなことあるはずがないという思いと、あるかもしれないという思いが錯綜する。いつの間にか、僕が手に持っていた書類がするりと床に落ちた。
「殿下」
「それでお願いします」
エルヴィスに呼びかけられたので、反射的に返す。
「まだ、何も言ってませんが」
「え?」
見ると、エルヴィスが怪訝な表情で僕を見つめていた。
「先ほどから、何かぶつぶつとおっしゃられているようですが」
「あ、大事な書類なので音読して理解してました」
「ええと、その……」
「どうかしましたか?」
「殿下がお持ちだったその紙なのですが」
エルヴィスは申し訳なさそうに、床に落ちた書類を見つめる。
「何も、書かれていません」
そう言われ拾い上げると、その書類は裏表何も書かれていないただの白紙だった。
「あ、いや、これはその、これから書く文章を、頭の中で推敲していたので」
そう言いながら、自分で自分が何を言っているのかわからなくなる。
転生者が一人とは限らない。そんなに多く異世界転生物を知っているわけではないが、複数人の異世界転生者が存在していた作品は、一つや二つではない。この『プラチナ・レガリア』の世界も、例外ではないだろう。僕がこうやって異世界から転生しているのだ。エスメラルダが転生者だという可能性も、十分にあり得る。
いや、ちょっと待て。
「えっと、エスメラルダって、ゲームのキャラにいたっけ?」
「はい?」
エルヴィスが首を傾げ、僕の顔を覗き込んだ。
「ゲームとはなんでしょうか?」
「あ、いえ、ごめんなさい。何でも……ありません」
「殿下、少し休まれた方が……」
エルヴィスが本気で心配しているので、その表情でわかった。僕は頑張って笑顔を作り「ありがとう。これが済んだら少し休むよ」と礼を言いながら記憶を探る。
エスメラルダはこの帝国の騎士団長・クラウドの娘で、剣の腕が立つ第三皇子の護衛。名前もあるし、特徴的なので、ゲームに出ていたなら覚えていてもよさそうなものだ。だが、思い出せない。
そもそも『プラチナ・レガリア』に第三皇子ルートは存在しない。ヴィルヘルムは第三章の冒頭で処刑される人物で、母と妹もろとも退場し、それによって帝室内の均衡が崩れ、他皇子たちの物語が本格的に動き始めるトリガーだ。
ただ、確か、ゲーム上では、第三皇子にも護衛騎士が三人、いることにはなっていた。はずだ。
そう。三人だ。三人いるということだけは確か、設定に書いてあった。だがその名前も顔も分からない。他の皇子の護衛騎士には詳細に用意されていたプロフィールが、第三皇子の護衛三人には存在していなかった。すぐに処刑エンドで退場するキャラクターの護衛だ。それも当然だろう。
だが、ひょっとして。




