第六十六話:未だ明らかになっていない巨悪
会計官や金貨箱の状況についてクラウドが説明すると、皇帝陛下が口を開いた。
「なるほどな。それなら、会計室の起票記録を……」
「陛下」
「エスメラルダ」
次の指示を出そうとした陛下に対して私が口を挟むと、即座にクラウドが制止した。
「よい」
陛下がクラウドを止めた。
「何かあるのだろう。申せ」
話が早い。いや、極端に頭の回転が早いのだ。
「なぜ、本格的な捜査をお命じにならないのですか?」
執務室が沈黙に包まれる。
「本格的な捜査とは、何を指している?」
「これまで第三皇子殿下が発見された不正の数々を、一つの事件として扱い調べることです」
「なるほど。では余も聞こう。不正の数々が一つの事件だとする証拠はあるか?」
「……ありません」
「そうか。では、同じ目的で行われたという証拠ならあるか?」
「……それも、ありません」
「ではなぜ、お前はそれらを一つの事件だと思った?」
「多すぎるからです。殿下が帳簿を開く度に、何らかの不正が見つかります。オーバールック橋、軍糧庫、魔術院、商会と、場所も部署も手口も違いますが、あまりにも多すぎます」
「なるほど。ではもう一度、改めて尋ねよう。お前なら、誰を捕らえる?」
「それを調べるための捜査だと考えます」
「ああ、その通りだ。だから調べている。それをお前が知らぬだけだ」
「それならばなぜ、終わらないのですか?」
「それが余にも分からぬからだ」
陛下が真顔で即答した。
「陛下にも、ですか」
「余を何だと思っている?」
「皇帝陛下です」
「皇帝ならこの国の一切合切を知っている、とでも思っているのか?」
私は答えに窮した。そんな私を見て、陛下はわずかに口元を緩めた。
「もちろん、余はこの国の最高権力者だ。余がその気になれば、今すぐにでも帝国中の関係部署に勅令を出すことはできる。宰相府に騎士団を入れ、軍需局の帳簿を押さえ、関係した商会を閉鎖し、必要ならそこいらの貴族を拘束することも容易だ。だが、余がそう命じたという知らせはその日のうちにこの帝国中に広がる。すると、どうなると思う?」
陛下が私を試すような目で見つめる。私は逡巡した後、口を開いた。
「未だ明らかになっていない巨悪が逃げる」
私の言葉に、陛下の口角が上がった。
「そうだ。其奴は今ある帳簿を書き換え、金をどこかに移し、関係するものを逃す。そうして、どうとでもなるトカゲの尻尾のような者を差し出して事を終わらせようとするだろう」
私の隣で、クラウドが沈痛の表情でゆっくりとうなずいた。
「余がその一人を裁けば、其奴は確実に裁けるだろう。だが、それに繋がる十人、何十人が巧妙に姿を隠す」
「だから、動けないのですか?」
「勘違いするな。お前が想像している以上には動いている。ただ、余が動いていると悟られては元の木阿弥だ」
「一つ一つの事件を調査しながら、その裏の繋がりを追っている。それなのに、全貌がまだ見えてこない。と、いったところでしょうか」
陛下が不敵な笑みを浮かべた。
「相手の目星はついていないのですか? 誰か、帝国に強い恨みを持つ、もしくは……考えにくいのですが、第三皇子殿下を敵視する人物に、心当たりは」
「ありすぎて困る。それに、あったからと言って、その対象人物を狭めるべきではない。それは逆に、相手の思う壺だ。そこにいる将軍ですら、腹の底では何を考えてるかわからんからな」
「陛下、ご冗談がすぎます」
陛下の言葉に、クラウドが声を上げた。私は自分の考えが浅はかだと思い知らされた。
陛下は机の上の小箱から葉巻を取り出すと、指先から炎を出し火をつけた。口に含んだ煙を、ゆっくりと吐き出す。
「お前は、膿んだ傷口を見た事はあるか?」
「辺境警備の折に」
「そうだったな。お前は、あの地獄にいたんだったな」
葉巻の煙が目に沁みたのか、陛下は私に向かって目を細めた。一国の長である迫力は相当なものだった。だが不思議と、恐怖ではなく親しみの方が勝る。その理由を考えるが、よくわからない。
「膿傷は厄介だ。表面を切れば、見えている範囲の膿は出せる。だが、傷の奥に少しでも残っていればまた患部は腫れ、新しい膿が湧いて出てくる。今のこの国も同じだ。余が目を光らせたと分かれば、奥に溜まった膿がその身を隠す」
私は辺境の簡易病棟で傷つき倒れた兵士の姿を思い出した。兵士の傷口をぐるぐる巻きにした包帯の下には、膿が滲んでいる。顔にまで包帯を巻かれていたその兵士は、遠目には生きているのか死んでいるのかすらわからなかった。
あの時は、目を逸らしてしまった。だが今は、そうするわけにはいかない。
「では、いつまで待つおつもりなのですか?」
「全ての膿を出し切るまで、と言いたいところだが」
陛下は遠い目をして、虚空を見つめた。
「この国は、長く続きすぎた。古すぎるのだ」
「古すぎる?」
「このヴェルグガルド帝国が建国されて、もう三百年になる。三百年だ。想像できるか?」
「私の人生で、十五回分でしょうか」
「ははっ。お前、やはり面白いな。自分基準で考えられるのはいい事だ」
そう言って陛下は、机の戸棚を開け、古びた書類を一枚机の上に置いた。




