第六十五話:私の首でよければ
「していないと思うか?」
クラウドがぶっきらぼうに返した。
「では、なぜ終わらないのですか」
私の口調もきつくなる。
「正直にいえば、終わらせ方が分からんからだ」
クラウドが食い気味に答えた。
「お前の言う通り、もう一件ごとの犯罪として扱える範疇を越えている」
「でしたら、なおさら全体を調べるべきじゃないですか?」
「簡単に言うな」
クラウドは机の上の報告書を指でこんこんと叩く。
「そもそも、お前は第三皇子殿下に何ができて何ができないのか、分かっているのか?」
「殿下は帝室会計監査局の局長として、会計記録を調べる権限をお持ちです」
「それだけじゃない。帳簿を開き支出の根拠を求め、不正の疑いがある金の移動を止める権限がある。必要であれば証拠を保全し、関係部署へ説明を要求することもできる。会計監査に必要な範囲であれば、部署への立ち入り権限もある」
そこまでは私にも分かる。物資備品管理局では、殿下自身が局長として台帳の写し取りを命じ、証拠が持ち出されないよう出入口まで押さえた。
「それだけの権限があるのなら……」
「だが、人を捕らえる権限は別だ」
クラウドが私の言葉を遮った。
「第三皇子殿下に与えられているのは、あくまで財務を監査する権限だ。帳簿上の不正を見つけたからといって、その場で対象者を罰する権限は、殿下にはない。容疑者を拘束して取り調べるのは、宮廷内なら宮廷衛士、案件によっては我々騎士団だ」
「ですが、殿下は皇族です」
「だからといって、何でもできるわけではない」
クラウドの視線が圧を増した。
「目の前で殿下に向かって剣を抜いたり、第三皇子宮に不法侵入しようものなら、その場で拘束を命じられるだろう。皇族の身辺を守るための権限なら、もちろんある。だが、帳簿に名前があったという理由だけで官吏を捕らえる権限なんぞは、持ち合わせておらんのだ。それはまた、別の話だ。そんな権限が認められれば、皇子が監査を名目に気に入らぬ官吏や政敵を捕らえることもできるようになる。それはもう、完全な越権行為だ」
私は反論しようとして、そこでようやく、一つ勘違いをしていたことに気づいた。
殿下は皇子だからといって、何でもできるわけではない。むしろ皇子という強い立場にいるからこそ、どこまでが自分の権限なのか、明確に線を引かれているのだ。
「だから殿下は、不正を見つければ証拠を押さえ、宮廷衛士や我々に容疑者を引き渡す。その先は権限を持つ者が捜査し、事件ごとの管轄に応じた裁定機関に送られる。そこで初めて、罪の有無と処罰が決まる。それが、この国の決まりだ」
「では、今回の会計官も」
「同じことだ。怪しいからといって、第三皇子殿下が独断でそやつを牢へ送ることはできん。まして相手が『宰相府の正式な命令で動いた』と主張した場合、その事情を知ったうえで殿下が拘束を命じれば、今度は第三皇子が宰相府の権限を侵したという越権問題になりかねない」
だから先ほども、殿下は自分で会計官を捕らえなかったのか。
宮廷衛士を呼び、金貨箱を封印し、記録を残して調査を引き渡した。私はどこかで、もっと強引に動けばいいのにと思っていたのかもしれない。
「では、騎士団なら」
「我々にも限界はある。確かに、騎士団には犯罪を捜査する権限がある。だが、帝国中の官庁に踏み込み、官吏や貴族を片端から拘束する権限まではない。私が独断でそれを命じれば、騎士団長が兵を使って宰相府や貴族院を押さえたことになる」
「確かに、それは……」
「ああ。捜査では済まん。我々騎士団による、政治介入になる」
「では、誰ならその権限があるのでしょうか?」
聞いてから、その答えは一つしかないことに気づいた。
「陛下だ」
「ではなぜ、陛下は命じられないのですか?」
「それは私にも分からん。尋ねたことはあるにはあるが、陛下は『まだ動く時ではない』としか仰らなかった」
「エリーゼ様の名を使われても、まだ、なのでしょうか?」
いや、それ以前からだ。オーバールック橋が落ちていれば、第一皇子の身まで危険に晒されていた。軍の食糧も抜かれ、今度は第三皇子殿下を横領犯に仕立て、その妹君まで巻き込もうとしている。
「それでも、まだ待つのですか?」
「私に聞くな」
「では誰に聞けばいいのですか?」
クラウドは答えなかった。だが、その沈黙で十分だった。
「まあ、一人しかいませんね」
「待て」
私が立ち上がるのと同時に、クラウドが声を上げた。
「どこに行くつもりだ?」
「陛下にお会いします。父上から取り次いでもらえますか?」
「会ってどうするつもりだ」
「今、話したことをそのまま陛下にお伝えします」
「不敬だぞ。下手をすればお前の首が飛ぶ」
「私の首でよければ」
「第三皇子殿下の護衛任務から外されるかもしれんぞ」
その言葉には、一瞬迷った。迷った自分に驚いた。
「それでも、聞かなければなりません。私は殿下の護衛です。狼藉者が殿下に斬りかかってくれば返り討ちにしますし、矢や鉄砲が飛んでくれば盾にもなりましょう。ですが、今、殿下を苦しめているものには、そんな形がないんです。あの人が苦しんでいるのに、私は剣を振るうことも、この身を盾にすることもできないのです」
言いながらも、同時に苛立ちが込み上げてくる。
「それのどこが」
私は思わず机を叩いた。
「護衛騎士といえましょうか」
大きな音を立てた机が、しばらく震えていた。クラウドは額に手を当て、深く息を吐いた。
「お前は、剣を持っていない時も危ないな」
「誰に似たんでしょうかね」
クラウドは無言で椅子から立ち上がると、外套掛けの上衣を取った。
「止めても一人で行くだろう」
私は無言でうなずいた。クラウドはもう一度ため息を吐く。
「ついて来い。私がいた方が、お前の首の飛ぶ可能性が少しは下がる」
◇ ◇ ◇
クラウドの取り次ぎはことのほか早かった。宮廷中央棟に入り、三度の身体確認を受けて皇帝陛下の執務室に通された。
クラウドに続き膝をつくと、重厚な机で書類仕事をしていた陛下が顔を上げた。
「この度は……」
「急ぎと聞いた」
私が言いかけたところで、陛下が遮った。話が早い。
「第三皇子殿下に関する件でございます」
クラウドが報告書を差し出す。陛下はそれを受け取ると、しばらくの間黙ってそれを読み込んだ。不意に、陛下の眉がわずかに動いた。
「エリーゼにまで伸びたか」
その声は、少し低かった。




