第六十三話:お兄さま、えらい
ルーカスとレオンらを見送ってしばらくして、廊下からエリーゼの声がした。見ると、メイドのサクラとミコトと手を繋ぎ、エリーゼが何か歌を口ずさみながら現れた。サクラとミコトはそれぞれ籐で編まれたバスケットを持っていた。
「お兄さま、ごはんはもうたべた?」
「まだです。ちょっとドタバタしてて」
僕がそう言うと、エリーゼが手を繋いだサクラとミコトに微笑みを向ける。
「そんなことだろうとおもってね、さんにんでつくってきたの。お母さまにもたべてもらったけど、おいしいってよろこんでくれたよ」
ミコトとサクラがバスケットを机の上に置いた。中から出てきたのはパンにチキン、それにチーズとサラダ、フルーツ類だ。色とりどりの料理が無機質な監査室に並ぶ。それを見て、僕はようやく自分が空腹だったことに気がついた。
「すごいね、エリーゼ。ありがとう」
僕がそう言うも、エリーゼの意識は机の上に置かれた書類の束にあるようだった。僕は妹の前にしゃがみ込む。
「今日、知らない人がきましたか?」
「うん。なんか、かくにんしてほしいっていわれたけど、カリナがだめっていうから、なにもしなかった」
「それでいいです。誰かが僕の荷物を預かった、ってエリーゼのところにきたとしても、まずはカリナに聞くようにしてね」
僕がそう言うと、エリーゼはまっすぐに僕の目を見たまま頷いた。
「お兄さまも、しらないひとから、ものをもらったらだめだよ」
「はい。今日、来ましたがもらいませんでした」
「お兄さま、えらい」
満面の笑みで妹に褒められる。不思議と悪い気がしなかった。
不意に、ぐう、とお腹が鳴る音がした。出所は一つではない。僕が顔を上げると、エスメラルダ、カリナ、サクラ、ミコトが一斉に僕を見て、すぐに目を逸らした。
「お腹が鳴っちゃいました。早速、食べてもいいですか?」
僕は、机の上に並ぶ料理を見詰めながら、腹鳴を一手に引き受けるつもりで空腹のお腹をさすった。
◇ ◇ ◇
【北棟廊下の噂話】
「第三皇子のところに、箱で金貨が届いたらしいぞ」
「へえそれはまた景気がいい話だな。賄賂か?」
「さあな、だが金貨数百枚だか数千枚だそうだ」
「くはぁ。金はあるところにはあるんだねえ。で、受け取った皇子はご満悦ってか?」
「いや、それが金貨は受け取らなかったらしい」
「は? 数千枚を送り返したのか?」
「いや、送り返してもいないらしい」
「は? 意味がわからん。どういうことだ? 受け取ってもいない、送り返してもいないって」
「金貨が入った箱ごと保全してるそうだ。中身も見ずに」
「は? 一体、何のためにそんなことを」
「こんな端金じゃ足りないから、もっと寄越せという意味だろう」
「まじか。普通に賄賂もらうだけじゃ、物足りないってか」
「本当、恐ろしい黒幕様だよ」
◇ ◇ ◇
「ごちそうさまでした」
「じゃあお兄さま、はやくかえってきてね」
「なるべく早く帰るようにします」
「なるべくはやく、かえるように?」
「かならず、はやくかえります」
昼食が終わると、エリーゼはサクラとミコトとともに、宮に戻った。入れ違いでエルヴィスが戻ってくる。彼の分の昼食は別で取ってある。
エルヴィスの昼食が終わるのを待ってから、僕は机の上に書類を広げた。先ほどブルーノから受け取った受領書、タイザンから受け取った完了報告書の控え、そしてブルーノが持っていた配達指示の写しなどだ。
「エルヴィス。調べたいことを整理します」
「はい」
僕の言葉に、エルヴィスが新しい用紙を手元に引き寄せる。
「まず、うちが何に金貨六千八百枚を使ったことになっているのか。返金の元になった記録を、会計室に出してもらってください」
「立替金の内訳ですね」
「そうです。まあ、それがあればの話ですが。それから、あの金貨箱を第三皇子宮へ渡すよう命じた人物について。ブルーノ本人がそう決めたのか、もしくは他の誰かの指示なのか。他の誰かであれば、それは一体、誰なのか」
エルヴィスが書き留める横で、エスメラルダが配達指示の写しに視線を向けた。
「エリーゼ様のお名前を利用しようとした者とその狙いも、確認が必要です」
「ええ。そこも、必ず」
処刑台に送られるのは僕だけではない。妹と母も処刑台に送られる。ふと、僕のせいではなく、妹の巻き添えで僕と母が処刑台に送られる可能性についても考えてみる。
無くはない。という結論にすぐに至った。
いや、僕の方で完璧に敵の攻撃を捌けば捌くほど、敵は必ず僕の虚をつく。僕にとって、それは……。
急激に喉が渇いた。僕はカリナが淹れてくれた紅茶で喉を潤す。
「開封の立会いについても、すぐに手配してください。金貨の枚数を数えた記録と照らし合わせて、本当に六千八百枚あるかを確かめます」
「承知いたしました」
僕は僕を……いや、僕たちを陥れようとする黒幕を探すはずだった。だが相手はそんな隙も与えるつもりはないようだ。黒幕を探し出すどころか、防戦一方だ。だが、この自分に向けられた悪意の所在を探すことが、黒幕に繋がるただ一つの道なのかもしれない。
しかし、相手は恐ろしいほど用意周到だ。仮にブルーノが白状したとしても、本当に指示を出した相手まで素直に教えるだろうか。おそらく、二重にも三重にも真実が隠されている気がする。面倒だ。面倒すぎる。
もう、逃げ出したい。このまま帰って部屋に閉じこもり、ずっと本でも読んで暮らしていたい。
いつもの僕なら即座にそう思っていただろう。だが不思議と、そんな気持ちになっていない自分に気がついた。理由はわかっている。書類にエリーゼの名前が書かれているのを見たからだ。僕が逃げたら、代わりに妹が狙われる。それだけは、死んでも避けなければならない。
「ヴィルヘルム殿下」
エスメラルダに名を呼ばれ、僕は顔を上げる。エスメラルダが僕の耳元に顔を近づけた。
「お話ししたいことがあります。今夜、少しお時間をいただけないでしょうか」
「今日の件でしょうか? それならこれからでも……」
「殿下が抱える秘密について」
エスメラルダの声は小さかったが、僕はしっかりと聞き取ることができた。
「秘密?」
僕の言葉に、エスメラルダは軽く口角を上げる。その表情は、いつも僕をおちょくるそれとはまるで違っていて、真剣そのものだった。




