第六十話:八方塞がりだ
ブルーノが鞄の留め金に指をかけた。
「それでは、内訳が整い次第、改めて伺います」
「待ってください。その受領書を、もう一度見せてください」
僕がそう言って手を差し出すも、ブルーノは受領書を僕に渡そうとしない。
「受領なさらないのでしたら、こちらで持ち帰ります」
「何を届けに来たのか、こちらにもその記録を残したいんです」
「差戻しの報告書は会計室の方で作成いたします。ご安心くださいませ」
安心できないから、こちらで記録すると言ってるんだ。
金貨箱を返すこと自体はできる。だが、箱も書類も持ち帰られてしまったら、なぜ第三皇子宮にこんな金が持ち込まれたのか、調べる手がかりがなくなってしまう。それに、会計室で作成される報告書に、僕が説明を求めた記録が残るとは限らない。
この金貨箱が何なのか、手元に置いて確かめたかった。だがそのためには、身に覚えのない返納金を受け取ったと署名するしかない。しかし、それは絶対に避けたい。
八方塞がりだ。
「殿下、お待たせいたしました」
廊下からエルヴィスの声がした。隣には帳面を抱えたカリナもいた。二人とも少し息が上がっていた。カリナは僕の横に立つと、抱えていた帳面を開いた。
「取り急ぎ、過去数年遡って帳面を確認いたしましたが、金貨六千八百枚相当の未精算の立替金は見当たりませんでした」
カリナが顔を上げたところで、ブルーノと目が合う。
「まだこちらにいらしたのですね」
「お知り合いですか?」
僕が尋ねると、カリナが首を振る。
「今朝、宮の玄関でお会いしました。殿下宛でしたが、ご不在だとお伝えすると代理でこちらの荷物を受け取って欲しいと言われました。無論、お断りしましたが」
「殿下のお手間を省くため、一時的に置かせていただこうとしただけです」
ブルーノが口を挟んだ。
「それだけでしょうか?」
カリナの声は普段と変わらなかった。だが、帳面を持つ指に力が入ったのがわかった。
「エリーゼ様が玄関にこられた際、あなたはあの方に荷物を見せようとなさいました。『妹君にお立ち会いいただければ、配達完了になります』と」
「……エリーゼに、ですか?」
自分が発した声が、思ったよりも冷めて聞こえた。
「はい。エリーゼ様にはそのまま、サクラと奥に戻っていただきました。エリーゼ様は返事をなさっておりませんので、その点はご安心を」
「別に、署名をお願いしたわけではございません」
ブルーノは僕に向き直った。
「ご家族の方に、お届けの品を確認していただこうとしたまでです。それの何が問題なのでしょうか?」
「年端もいかぬ妹に、何を確認させるつもりだったんですか?」
「ですから、こちらの返納金が届いたという事実を……」
「妹はまだ七歳ですよ? そんな子供が大人にそうだと言われたら、それを受け入れるしかないでしょうに」
ブルーノは無言でこめかみをぽりぽりと掻く。妹が金貨の受取人にされていたら、どうなっていただろう。仮に査問委員会など開かれたとしたら、出廷させられていたかもしれない。多くの大人に好奇な目で見られ、嘘をつくななどと罵声を浴びせられる可能性だってある。
僕は受領書に伸ばしていた手を下ろした。指先が冷たくなっていて、うまく曲がらない。
「カリナ。エリーゼを止めてくれてありがとうございます」
「当然のことをしたまででございます」
このまま、この男を帰してはいけない。僕の直感がそう告げた。
妹が何も分からず頷いていたら、今頃この男は誰の名前を使っていたのだろう。金の受け取りを断って終わりにできる話では、もうなくなっていた。
「兄上」
机のそばで黙っていたレオンが、金貨箱と僕を交互に見た。
「それを金庫に戻して保管するのと、ここに保管するの、何が違うの?」
「おい、レオ……」
ルーカスがレオンを嗜めようとして、そのまま口を開けたまま黙り込んだ。
「ここで受け取れば、第三皇子宮で受領したと……」
そこまで言って僕は、レオンが言わんとしていることを理解した。
「ああ、そうですね。ここは第三皇子宮ではありません。僕は第三皇子ですが、ここは監査局。監査局の監督官として、この箱を監査対象として預かれば」
僕は独り言のように言葉にしながら、自分の考えを整理する。
「この金貨箱とそれに関係する書類を、全て監査局で保全します」
僕がそう言うと、ブルーノが受領書を差し出した。
「では、こちらにご署名を」
「その受領書には署名しません。僕は第三皇子として返金を受け取るのではなく、監査局の監督官として、支払いの根拠を調べるためにその箱を預かります」
ブルーノの眉がぴくりと動く。
「当室の支払手続きに、監査局が介入されるということですか?」
「第三皇子宮が何を立て替えたのかもわからないのに、その金額だけはわかっていて、返すことも決まっている。しかも、僕がいなければ七歳の妹を立ち会わせようとしていた。明らかに様子がおかしい。調べる理由としては、十分すぎると思いますが」
ルーカスが椅子から立ち上がった。
「兄上。監査局が預かった理由と第三皇子宮が元の支払いを認めていないこと、その両方記録しておいた方がいいと思います。もちろん、向こうにも同じ控えを渡して」
「そうします。エルヴィス、記録をお願いします」
エルヴィスは机に戻り、紙とペンを用意した。ブルーノがその手元を見てから、僕に視線を戻す。
「かしこまりました。でしたらその箱は監査局にお預けいたします。ですが、書類は会計室のものですので……」
「ちょっと待ってください。その書類を使って、うちに返金すると言ったのはあなたですよ。箱と一緒にその書類も併せて確認する必要があります」
僕がそう告げると、タイザンが一歩前へ出た。
「殿下、当家の輸送保証書もお出しします。箱を預ける以上、誰がどの立場で保管されるかは、私どもにも必要な確認ですので」
ブルーノの口元がわずかに動いた。




